節分は奇跡の晴れ間

皆様こんにちは

今年も節分の星祭が始まりました

このご時世の中でしたが、多くの方が参拝してくださり、光明寺も可能な限りの感染対策の元、お勤めを行えました。

嫁に来てくれた若奥さんも、皆様を迎えようと頑張ってくれていました。

星まつりとは、一年の私たちの運勢をつかさどると言われる星に対してお勤めをしまして、良い運勢なら尚良く、悪い運勢ならば無難に過ごせるようにとお願いするお勤めです。

光明寺では、毎年節分から一週間の間皆様に申し込んでいただいたお札を、護摩のお勤めで祈願して、後に送ります。

普段とは少し違う本堂の形になっております。

このように、申し込んでいただいたお札は壇の上に一週間鎮座されます

この状態で護摩のお勤めを行うので、当然お札にはいろんなものが付きます。

護摩の火で上がった灰、煤、また護摩のお勤め独特の匂いも染み込みます。

もし、お札を申し込まれた方がいらっしゃれば、手に届いたお札の匂いを嗅いでみてください。

たくさん護摩の功徳が染みついた匂いがするはずです。

その香りと共に、お札に込められた力が悪い運勢から守ってくれるはずです。

護摩のお勤めは、毎朝7時より八日まで続きます。

興味ある方は是非お参りくださいませ

秋の護摩は静かな賑わい

みなさんこんにちは

秋もずいぶん深まってきて、最近は朝晩が冷え込んできているなという印象です。

今年はコロナの関係で、秋のお祭りが軒並み中止になってしまい、ずいぶんと寂しい印象です。

個人的にお手伝いに行っている姫路の白浜のお寺も、例年ならば祭りの準備、寄り合い、当日と、9月ぐらいから活気づく男衆も、今年は鳴りを潜め、みんな一様に寂しいと言っています。

秋のお祭りは、そのほとんどが収穫祭で、農作物の恵みに感謝すると同時に、みんなが今まで頑張ったのをねぎらう宴会でもあります。

周囲の田んぼが軒並み収穫して、皆さんが慌ただしそうに動き回っているのを観ると、嬉しいような、少し寂しいような気持になります。

本当に、来年はできるといいですね。

お坊さんとしてではなく、一市民としてそう思います。

さて、秋といえば、お寺としては彼岸が終わり、何かしらのイベントを用意しているお寺さんもありますが、基本的にはのんびりした期間です。

そんな中で行われた光明寺の21日の護摩のお勤めは、寒空の朝でしたが、非常に良い天気の一日になりました。

収穫の時期で、さらには平日ということもあり、あまりお参りの方は来られないのかと思っていましたが、たくさんの方にお参りしていただき、用意したお接待の菓子パンが足りるか?と嬉しい心配をするほど。

みなさんのお参りに感謝いたします。

写真に写っているのは、いつもお手伝いしてくださる真楽寺さん。

光明寺の住職と間違えないでくださいねw

いつもしてくださる法話は、私も思わずなるほど!と思うものばかりです。

今日は食べ残しから、余裕の話でした。

なんのことかわかりますか?

真楽寺さん、昔はたくさん食べられていたそうですが、年齢と共にだんだん食べる量が減ってきたとのこと。

しかし、奥さんは昔の量のままご飯を作るので、それが当然ながら食べ残しになってしまいます。

奥さんは、もったいないから食べきろうとするのですが、そんなことを続けていたらお腹周りと体重計がひどいことにw

それを見て、真楽寺さんが言うのは、次の食事の時に食べるから残しておいてくれ。

奥さんは、古くなる前に食べきりなさいと更に言う。

なんとも面白い夫婦漫才のようなお話しなのですが、次があると思える生活をしているから心の余裕が生まれると言われました。

なんでもぴったりはしんどいと。

確かにそうですね。

それには私も賛成です。

適当ないい加減さは必要だと思います。

先日もお寺に来られた人の話を聞いていて、お話ししたのが「あきらめる」ということについてでした。

皆さん「あきらめる」と聞けばどういう印象を持たれますか?

もう無理だ、と投げだしてしまう印象でしょうか?

実は、仏教において「あきらめる」とは、物事を明らかして、そしてありのままを受け入れるという意味です。

自然の音や、人の呼吸音、自分の鼓動、他人の息遣い。

いろんなものがある中で、音をなくすのは不可能ですよね。

それを、どうにかしようとすると、成果のないわりに、とても疲れますよね。

どうにかしようとするのではなく、ありのままを受け入れてあげる。

それに必要なのは、心の余裕であり、物事を決めつけず、受け入れていく仏教の姿勢なのかと思います。

みなさんの生活にも、余裕が持てますことを祈っております

後編~吉田僧正~桃太郎~

みなさんこんにちは

24日の話、後半編です。

早いもので、吉田僧正に来ていただいて、お話しをしていただくのも今年で3年目です。

知らない人の為に、吉田僧正の簡単な紹介を。

実はこの方、元々プロの落語家さんでした、それを結婚された相手がお寺のお嬢さんだったという事で、婿入りでドナドナをされまして、お坊さんになられたわけです。

さすがはプロの落語家、最初の年はご自身のいきさつと、それで密教の教えを面白おかしく話していただいて、みんなにも大人気でした。

吉田僧正、落語家の名前を桂米裕と言います。

そして、実は落語家のお名前だけでなく、お坊さんとしては、本山高野山が認めた、本山布教師の資格も持っておられるのです。

ちなみにこの資格、私も目指しているのですが、まだ私は初心者マークが外れていません。

なかなか、大先輩の背中は遠い!

そして、そんな吉田僧正の今年のお話しは、なんと桃太郎でした。

非常に面白く、そしてわかりやすく語ってくれている内容は、聞いている聴衆がのめり込むようなものでした。

桃太郎というのは、皆さんよくご存知のメジャーな昔話ですが、それを研究されている方もたくさんいらっしゃるようで、いくつか説があるようですね。

おじいさんとおばあさん、語り口調では「ジジ」「ババ」ですが、それは「チチ」「ハハ」が濁ったものだというのが有力なそうで、父母、祖父母に孝行しなさいよ!という教えを言うには非常に良い具合なので、そのまま語り継がれているそうですね。

また、思わずなるほど!と思って頷いてしまったのは、川の上流から桃がドンブラコドンブラコと流れてくるというシーンの意味ですが、川の上流からというのは、おじいさんが種を撒くということをほのめかす表現の技法だそうで。

おじいさん、撒いていたのねw

桃を2つに割って、そこから男の子が飛び出したというものは、桃というのは、女性の足「ふと(もも)」の表現だそうですね。

だから、それを割って出てくる男の子はおばあさんが産んだことになると、、、

それは流石にジジ、ババでは出来ませんね。

このような、思わずなるほど!と思ってしまう内容が、吉田僧正のお話の中にはたくさん詰まっています。

そのお話がどんどん進んでいって、クライマックスに差し掛かると、吉田僧正はこう言います。

実は、桃太郎というお話は中国の儒教思想に大きく影響を受けて作られたお話で、仏教的なお話ではないのです。

では、どうすれば仏教的になるのでしょうか?

こう皆さんに問いかけられて、みんなが考えこむわけです。

さて、皆さんはどうしますか?

桃太郎の結末は、鬼を成敗して、その財宝を持って帰って、おじいさんとおばあさんと一緒に仲良く暮しました、めでたしめでたし。だったと思います。

そこに吉田僧正は仏教的な結末にするのは一つの付け足し、さらに、私達真言宗の教えである密教的にするのは2つの付け足しで事足りるとおっしゃいます。

まず、仏教的な話の結末にするのは簡単です。

桃太郎は鬼を成敗して、その財宝でおじいさんとおばあさん「そして、村のみんなに分け与えて」仲良く暮しました。

これが仏教的です。

自分一人、自分の家族だけ、ではなく、みんなで幸せになりましょう、というお釈迦さまの教えを考えると、なるほど!となりますね。

そして、密教的にするのは、さらにもう一つ

桃太郎は鬼を成敗して、持ち帰った財宝でおじいさんおばあさん、村のみんなと仲良く暮したうえに「敵対した鬼も改心させて、悪事を起こさせないで村で一緒に」幸せに暮しました、めでたしめでたし

これが密教的なお話の結末であると言われました。

みんなで幸せに、その究極は敵も幸せにしたら、敵じゃなくなりますよね?

全ての存在は、仏の優しい心を持っていると言われているので、不可能ではないはずです。

心に仏を宿す=仏の優しい心を宿す、これこそが、私達真言宗の目指すところ、即身成仏です。

死んで仏になるのではなく、生きたまま仏になる、仏を身に宿すことですよ。

と言われて、お話を締めくくりました。

思わず気がつけば、40分という時間があっという間に過ぎてて、非常に楽しい法話でした。

一応要点は書き出したつもりなのですが、本家本元の足元にもおよばません。

なお詳しい話が聞きたい方は、ぜひ吉田僧正に直接会っていただいて、お話を聞いていただくのをおすすめします。

このような、素晴らしい法話も今年で3回目になり、暑い中ではありましたが、無事に御施餓鬼の日を終えることができました。

今年は大変な状況の中でしたが、様々な方の尽力のおかげです。

深く感謝しております、ありがとうございます。

また光明寺をよろしくお願いします。

涼しくなってきたら、またお参りに来てくださいませ

今年も盆の暮、夏の終わりの24日

みなさんこんにちは。

更新の間隔が短く投稿です。

今年も24日の施餓鬼のお勤めが光明寺で無事に行われ、コロナ対策で館内全開放の換気のもと、行われました。

仕方ないとはいえ、やはりこの時期の窓開けは暑かったです。

終われば着物から汗が滴るレベル。

うーん、人間の身体ってすごい!こんなに水分を貯めてるんだと、謎の感動を覚えるこの頃です。

さぁ、そんなことはさて置いて、本題行きましょう。

今日の文章は長くなりましたので、ひとまずこのページでは施餓鬼のお勤めの報告として前編とさせていただきます。

後編は吉田僧正のお話しをメインに後日アップします。

この24日の施餓鬼というものは、お盆で帰ってきたご先祖様の供養の流れから続く一連の行事です。ここまでやって、お寺としては夏が終わる!という感覚です。

と、言いますのも、実はお盆というのは、自分の家の先祖の墓参り「だけ」のためではないのです。

写真にのせているお経の本、なまえは「うらぼんぎょう」と読みます。

これにはお盆の始まりとなった木蓮さんというお坊さんの話が書かれていますが、詳細はご自身で見るか、お寺に来て本を見てみてください、ここではざっくりと。

木蓮さんのお母さんが亡くなったときに、生前の罪で地獄に落ちてしまうのをどうやって助けたらいいか?というお話しなのですが、木蓮さんは非常に優秀なお坊さんでしたが、一人だけの力では、どうやってもお母さんを助けることができませんでした。

それぐらいお母さんがいた地獄の世界というのは、厳しい場所に堕ちていたのです。

そこで、木蓮さんはどうやったかというと「ワンフォーオール、オールフォーワン」です。

意味が分かりません?

そうですよね

私もこれだけじゃわかりませんw

木蓮さんは、一人の力だと足りないと言われたので、国中の人たちの力に頼ることにしました。

お坊さんだけじゃありません。

老若男女、全ての人にちょっとだけ力を貸してくださいとお願いします。

そして、全員に「木蓮さんのお母さんだけ助けてください」なんて言っても、力を貸してくれるはずはありませんから、「救われない人の霊、人以外の霊、みんなを助けるために力を貸してください」とお願いしました。

方法は、ご飯とお水をお供えして祈りましょう。

これだけです。

しかし、他人の為にお祈りするというのは、実はとてもすごい功徳の力が溢れることです。

最近は心理学なんかでも、人は他人の為に行動するときの方が発揮する力が大きいなんて発見されたりもしてますので、納得のことです。

そんな一人一人の小さなお祈り。

他人の為に祈るということが、大きな力を生み出して、木蓮さんのお母さんは、他の地獄に落ちていた人たちとも一緒に救われることができました。

これが、お盆の始まりです。

私たちには関係ない?

地元にそんなお勤めがない?

ちょっと待ってください。

私たちの生活に馴染んでいますよ?

お寺の施餓鬼のお勤め、地域の地蔵盆、精霊流し、これらは元は全部同じです。

お墓参りで、お仏壇で、先祖に供えた食べ物の残りを、救われない霊たちに食べてくださいね、と流すのが精霊流しです。

私たちは、生活の中に知らず知らずのうちに、行っていることです。

ですので、お寺としても、ここまで行ってお盆が終わった!という認識です。

でも、今年は本当に暑かった!w

いつも活躍してくれる役員様です。

ホントありがとうございます。

持って帰っていただいたお接待の中身です。

おはぎとお菓子はお寺からですが、ちゃんぽんは檀家さんからの寄付と、ここにもう一つ、檀家さんのおばあちゃんが畑で育てた大きななすびが追加されました。

ホント嬉しい限りです。

光明寺のアイドル三人組です。

みんな大きくなって可愛さにますます磨きがかかってきたかな。

お勤めがすべて終われば、夏の間皆さんにお参りしていただいた塔婆の台も解体です。

また一年後まで倉庫で眠ってもらうことに。

そして、お塔婆はお性根抜きを行い、雨の日を待ってお焚き上げです。

~後半  吉田僧正(桂米裕)のお話しへ続く~   近日中にアップ

山の護摩、私は欠席、そしてお盆の草刈り

いよいよ梅雨が明けたようで、暑くなってまいりました。

今年の梅雨は最初は、梅雨らしい梅雨になったなとおもっていたのですが、蓋を開けてみれば、降りすぎの過ぎたるは及ばざるがごとしでした。

各地の大雨で災害に見舞われた人たちの、一日でも早い復旧を祈ると同時に、少しだけですが募金を送っておきました。

ちょうど、友人のお寺が九州の被災地近くだったのですが、連絡を取ったところ、お寺は大丈夫だったのですが、檀家さんが被災されたとのことで、なにか役に立つ物資をみんなで送ろうとなったのですが、、、こんなタイミングで断捨離していたこともあり、古い毛布や衣類などがなかったのです。

私も物資送る組になりたかったw

仕方ないので、泣く泣く募金だけということになりました。

ほどほどの物は置いておくのが吉ですね。

心に刻んでおきます。

写真はお寺の境内の88か所影霊場ですが、毎年お盆前には、檀家さんの皆さんのお力を借りて草刈りを行います。

お盆でお寺にお参りに来る人の為にも、草ボーボーでは蛇の心配もあり危ないですからね。

今年は雨が多かった影響で草が非常に強い勢いで伸びてきており、草刈りが進んでいきませんでした。

機械の刃が止まるってどういうことや・・・

しかし、そんな中でもやはり皆さん熟練の技をお持ちで。

しっかりと確実に奇麗になっていく草むらは、いっそ感動を覚えるほど。

おかげで無事今年もお盆前の掃除を終えることができました。

ありがとうございます。

さて、今月の山の護摩は、私は法事が重なってしまいましたので出席ができませんでした。

ですので、写真はあげることができません。

しかし、法事の席でもお話ししていて出てきた話が一つ。

最近、私の非常に遠縁ですが、亡くなった方がいらっしゃったり、一時危なくなった人がいらっしゃったりしました。

人が亡くなるというのは、悲しいことで無い方がいいのは生きている人間側の永遠の希望ですが、人ひとりいれば、必ず誕生と亡くなるということがセットで付いてきます。

いくら医学が進んでも、アンチエイジングで若く見えていてもそれは変わりません。

皆さん頭では理解していることだと思います。

ですが、感情の面、心ではどうでしょうか?

余りにも人が亡くなるという事が、生活の傍から遠ざけられた現代、人が亡くなる姿を見たことがない子供はたくさんいます。

人が亡くなるという事は人生の一つの節目であり、終わりであり、仏教でいうと、肉体という姿から魂だけの姿になって、仏様になるための修行のスタートです。

お葬式で、亡くなった人の姿を見て、手を合わせるというのは、節目の姿を子供たちに教えてあげる大事な場所であり、亡くなった人が、私たち生きているものに、人が死ぬという姿を身をもって教える最後の大仕事の場です。

それを見ることができるからこそ、私たちは人生というものを考えられるのであって、永遠に生きるなど不可能なんだと自覚することができます。

節目があるから、頑張っていい人生を送ろうと努力できるんです。

今月はお盆。

亡くなったご先祖さまが帰ってこられる時期です。

頑張って人生を全うした大先輩たちに、手を合わせて、思いを伝えてあげてください。

きっと届きますよ。

護摩の日、その前に子供食堂

本日21日も光明寺では元気に護摩のお勤めを行いました。

ところで、タイトルにもあるように先日夢前町の真楽寺さんが毎月姫路で主催している子供食堂に行ってまいりました。

毎月お手伝いに行かせてもらっていたのですが、このコロナで4か月の間休止になっていました。

再開になって、最初の回だったので、誰も来ないかと思っていたのですが、たくさんの子供たちが親と来てくれて、笑顔で晩御飯食べてくれていたので、こちらも胸がほっこり。

笑顔を向けられると、元気をもらえますね。

4か月会わないと、子供たちは大きくなってましたねー

4歳の子なんて見た目一回り大きくなっているので、私まだ若いけど、おじさん感が出てしまって「大きくなったねー」なんて言ってしまった。

いや、ほんと親戚の人がそう言ってくれてた時の心情がよくわかりました。

日にちが変わって本日の護摩

門前のツツジに後光がさして神々しい、、、このツツジ、今病気なんですけどね。

黒星病というもので、ちょっと困っております。

ボロボロ葉が落ちて、心配&掃除が大変

誰か良い治療法教えてください

自粛期間が明けて、たくさんの人がお参りに来てくれて、迎える側としては本当にうれしいの一言ですが、実はこの時住職にはハプニングが・・・

実は護摩の火が飛んで、衣の袖に燃え移っておりました。

木綿生地なので、燃え上がることはありませんでしたが、あいにく穴が開いてしまったようで・・・

まぁ、護摩のお勤めをしていたら、こんなことはしょっちゅうあります。

護摩が終わりまして、お坊さんのお話しがあります。

今日は真楽寺さんが面白い話をしてくれました。

本日6月21日は父の日でもあり、夏至でもあります。

私、副住職も、不承不承ながら父親の住職に感謝のビールをプレゼントしたわけですが・・・いやいやですw

真楽寺さんの言うには、昔からのおまじないがあるそうです。

夏至の朝一番に、まだ朝露の滴る時間に、アジサイの花を一輪摘んで、玄関先に括り付けておくと、その一年お金に困らなくなるんだそうです。

まぁ、当然おまじないなので、確たる証拠がある話ではないのですが、昔からよく言われる早起きは三文の得と同じような感じかなと思います。

現代社会ではいろんな生活のリズムが存在しておりますが、人間本来のリズムというのは、やはり昼行性という、太陽と共に動くというものが基本なわけであります。

余りにもリズムを崩し過ぎていると、体は正直に不調を訴えるはずです。

そうならないための早寝早起きのおまじないなのではないかと思いました。

昔のおまじないだからと馬鹿にせずに、その本質の意味を考えてみると面白いかもしれません。

これから夏が到来するので、皆さん暑さに気を付けてくださいね

梅雨入りで、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

ジメジメした季節になりましたね

例年では梅雨入りといっても、あまり纏まった雨の降る年は少なかった印象でしたが、今年は久々に梅雨らしい年になりそうですね。

光明寺奥の院では、今月の第二日曜日も無事に護摩のお勤めを行うことができました。

今日は雨の予報の中で、来てくれる人は少ないかと思っていましたが、お大師様の御生誕の月ということもあり、たくさんの人が来てくれました。

しかし、奥の院という場所は小高い山の上にあります。

そして、こんな蒸し暑い気候の中で、来てくれた方々は皆、汗を流されて、なんとか登ってこられていました。

参道はこんな霧の中の道です

信じられます?この奥にお堂があるんですよw

登り切って、汗が引き始めると、みなさんの顔にはどこかすがすがしい雰囲気が漂っている気配がします。

この自粛期間が終わったこともあり、久しぶりに見る方もチラホラ。

中でも、皆さんを迎える側として嬉しかったのは、何人かの方がお子さんと一緒に来てくれたことです。

やはり、不思議なもので、若い人が数人混ざるだけで、みんなの雰囲気といいますか、勢いが全然違うものになるのです。

若いって素晴らしいw

そして、もう一つ驚いたのは、参詣の方がみんなでお接待を作って持ってく来てくださったのですが、その量が今月は驚くべき量になりました。

お大師様の生誕月ということで、どうやら一人一種類持って行こうと奮起されたとのこと

いつもありがとうございます。

写真に見える菓子パンは、光明寺からいつも皆さんに持って帰ってもらっているお接待ですが、他のものは全て皆さん持ち。

その内容はおはぎ(手作り)パンケーキ(手作り)お弁当(手作り)そしてジュース

もう今日のお昼ご飯は皆さんこれで決まりですね。

私も欲しいとの鹿の襲来w

そんなお弁当をつつきながらの住職の法話ですが、今回はお水の話でした

お水という飲み物は、私たちの命をつなぎとめてくれるものです。

全ての生き物に必要な物質であることは皆さんご存知の通りだと思います。

しかし、そのお水を同じように口から飲んでも、人や動物によって違うものになって出てくるという事を、お釈迦様はおっしゃいました。

例えば牛、牛が水を飲めば美味しい牛乳になって出てきます。

しかし、毒蛇はどうでしょう?

毒蛇の口から入った水は、体で吸収されて毒となって出てきてしまいます。

同じ水なのに、生き物によってずいぶん違います。

もちろんお釈迦様も、それで毒蛇が悪くて、根絶やしにしなさいと言っているわけではありません。

それだと、仏教を起こした聖人ではなく、狂った狂人扱いされて終わていたことでしょう

同じ水でも、本質を理解したうえで正しく使っていかないと、毒蛇の毒のようになってしまうよ、という意味のお話しなのです。

人の為を思って行う善意ある行動でも、意味を理解しないで行っていると毒になってしまうので、過剰な自粛警察は考えましょうね、という内容でした。

だいぶ落ち着きを見せている情勢とはいえ、まだまだ不安なことも多いかと思います。

しかし、そんな中でも私たち仏教徒は、お大師様の教え、お釈迦様の教え、その他のいろんな方々の教えを生かして、しっかりと生き抜いていきたいものです。

追記

固定ページのほうでも更新しましたが、母親がyou tubeをアップしました。

御詠歌を1曲唱えております。

これからどんどんアップしていこうと思いますので、できれば皆様ご視聴していただければ嬉しいです。

青空の元、気持ちのいい護摩でした

皆様いかがお過ごしでしょうか?

21日に緊急事態宣言が解除されるということで、ようやくといった気持ちでこの記事を書いております。

解除は夕方の会議でもってという事なので、これを書いている時点ではまだ解除されていないのですが、この解除を機に私たちの意識がどう変わっていくのかが気になるところです。

この宣言が発令されてお寺も様々なことに気を配ってまいりました。

皆様もいろんな普段と違う意識の中で過ごされて、その苦労は大変だったと思います。

私がこの2か月感じたこととしては、お参りに行かせてもらうお家の人たちがどんどん元気がなくなってきた、と感じておりました。

お会いすると、本人は「元気よ~」と返してくれるのですが、返事にいつものキレが無かったり、目が少し下向きになっていることが多かったり。

お話しを伺ってみると、やはり自分一人で過ごすことの多い方はそんな傾向がありました。

コロナの防衛はもちろんですが、それ以外で皆さん体を壊さないかが心配でした。

最近の医学の本を見ていると、孤独感というのは体に様々な悪影響を与えるということで、私たちが考えている以上に影響力というのは大きいようです。

一説には、孤独感を強く感じている人たちは、そうでない人たちに比べて、認知症の発症確立がダントツで高いうえに、頭やいろんな臓器の働きが悪くなるので、健康も害しやすいそうです。

確かに、田舎では独り身になって、あまり外にも行きたがらないお年寄りはボケるのが早い、なんて昔から言われていました。

風邪は万病の元と言われていますが、それに運動不足と孤独もプラスした方がよさそうです。

さてさて、話がいきなり明後日の方向に行きましたが、本日21日も光明寺では無事に護摩のお勤めが行われました。

本日は、少し肌寒い朝の空気の中で始まったお勤め。

こんなコロナの中で、直接お参りに来れない中でも、護摩木を書いて皆さんお願い事を置いて行かれています。

沢山のお願い事が書かれた護摩木を当院の本尊(千手観音)様と、お不動様にお供えして、お願いします。

護摩のお勤めというのは、いろいろなお供え物を窯で燃やすことにより、それを仏様にお届けするお勤めの方法です。

沢山お供え物を食べていただいた後に、どうかこれもお願いしますという感じで私たちの願いも届けるのです。

イメージは、奥さんにお願い事があるから、プレゼントを贈って機嫌を取って話を切り出す旦那さんでしょうか?笑

ともあれ、そんな形で皆様のお願い事と共に、このコロナがなるべく早くに終焉してくれますようにとの祈りも含めてお伝えしております。

どうか、一日もはやく、皆さまが元気に太陽の下で笑顔で歩ける日を願っております。

5月は霧の奥の院

皆様非常事態宣言が延長された中でいかがお過ごしでしょうか?

ここ光明寺奥の院では、今月も変わらず護摩のお勤めが行われましたが、当初は雨の予報でしたが、蓋を開けてみれば霧の中で幻想的な雰囲気の中でお参りができました。

霧の中で佇むお大師様

まるで高野山の奥の院にいるかのようで、幻想的な空気が漂っています

お参りに来られた方も、やはりこの制限の中で出ていく機会がなかったようで、普段と違う空気の奥の院を堪能しておられたよう

ちなみに、全く関係ない話ですが、写真に写っている苔は杉苔という品種で、水分が足りているとフカフカの絨毯のようにきもちいい苔ですが、一年のうちで5月6月ぐらいが一番きれいな状態で見ることができます。

奇麗な反面、とっても弱いので、いつもお掃除の最中にブロウで根っこごと吹き飛ばしてしまい、慌てて拾ってまた地面に置いておくこともしばしば。

日々お参りをしていると、いろんな方のお話しを聞きます。

明るい話題もあれば、重篤な相談事もありますが、ここ最近は皆さん外出規制の中でのストレスは無視できないようで、日々の生活が辛くなってきたという相談も増えてきました。

5月には解除されるかもしれない、という期待を持って、延期になったことで裏切られる形で、余計不満が溜まってしまった人もいるかと思います。

家から一歩も出てないという方を何人か見て思ったのは、人の精神の健康の為には、人間も光合成が必要なのだということです。

別に、太陽の光を浴びないでも生きていくことはできますが、鬱病の発症率などは格段に上がるそうです。

そのほかにもたくさん弊害が出てくるので、心の健全を考えたときは、やはりどこかに散歩というのは、とても大切なことだと思います。

その点、今日の光明寺のお参りは、密にもならず、最高の気分転換ができたのではないかと思います。

お寺や神社のお参りっていいですよね

こんな時は余計にいい散歩コースとして使っていただきたいと思います

お山の上から祈ります

本日の奥の院の護摩は残念ながら雨模様

ここ最近の奇麗だった桜の花も、この雨で散ってしまうかもしれません

今年はゆっくり花見をすることは叶わなかったけど、それでも長い間気持ちのいいドライブを満喫させてくれた桜の花にありがとうですね

さて、そんな中でもいつもと変わらず、護摩のお勤めは勤修されました。

世間ではやはりコロナによって落ち着かない状況が続いている中、感染爆発を防ぐためと頑張っておられる関係者の皆さんの奮闘に感謝するとともに、そのお体がどうか健全でありますようにと、お祈りしております。

どうやら、お坊さん界隈では「護摩数珠繋ぎ」なるものができたみたいで、これは疫病の無事収束を真言宗のお坊さんがみんなで護摩を焚いて祈っていきましょうというのもだそうです。

祈りって大事ですよね。

皆さんご存知の奈良の大仏様も、当時流行した疫病(天然痘だと言われています)が収束しますようにとの願いを込めて作られたものです。

この度、去年はやったピコ太郎さんが再びppapの動画を上げていました。

それは、わかりやすく手洗いの啓蒙を促している動画で、世界中から大絶賛されているようです。

動画の最後に洗って奇麗になった手を合わせてppap

pray for people and peace 人々と平和のために祈ろう

と作っていましたが、人のやるべき大事なことは昔も今も変わっていないのだなと思いました。

祈るって、誰でもどこでもできるから素晴らしいですよね。

こんな時だから、ではなく、こんなときだからこそ光明寺は、いつも通りにお祈りしています。

お参りの際は、感染防止のために距離も心もゆとりを持って、お参りくださいませ