21日は護摩の日

この日は、前日まで降っていた雨も朝方には止んでくれ、抜けるような青空の下で護摩の祈願を行うことができました。

当日は平日ということもあり、お参りの方は少ないのかなと予想したのですが、期待を大いに裏切る人数がお参りしてくださありありがたい限りでした。

この日は久々に姫路のお寺である真楽寺のご住職も来てくださり、久しぶりのお坊さん3人態勢での護摩のお勤めとなりました。

先月、先々月は真楽寺さんが、御自坊のほうが忙しく、なかなか都合がつかなかったので、3か月ぶりのフルメンバーです。

皆さん久しぶりの真楽寺さんとの再会を喜んでおられました。

そんな中で、令和になって最初の護摩のお勤めで、住職が今上陛下の国家安穏を祈願していましたのが印象に残りました。

私たちお坊さんは常に、他人に感謝することの大切さというものを、仏教のなかで学び、それを他人にお話ししているのですが、その感謝を向ける一番大きな相手はというと、国と世界に向けろとお釈迦さまも言われています。

自分一人で生まれてきた人間は存在せず、さらに、自分をここまで守って育ててくれた親がいて、周りのコミュニティがあって、さらにその上に、そのコミュニティが所属している国がある。

それに感謝するというのは、当たり前のようですごく難しいものだと思います。

当たり前というものほど難しいというのは、最近特によく思うことです。

いつも皆さんが当たり前と思っていることを、改めて考えてみるいい機会なのではないのかと、思った令和最初でした。

瞑想(阿字観)指導者講習受けてきました

長らく更新ができてなかったのですが、5月はとてつもなく忙しくなっていました。

このたび、私は上にも書いてますが、高野山で瞑想の指導者講習を受講してきました。

それが前期後期と、それぞれ分かれているのですが、だいたい1週間ほど缶詰状態での講習となりますので、そもそもお寺にいなかったのが多かったです。

さて、普段は自分でやっている瞑想ですが、それを人にお教えするとなると、また勝手が違うものです。

そのためのノウハウを学びに行ったのですが、なるほどなと思わせる点がたくさんありました。

普段、私たちお坊さんは修行のなかで瞑想の形と言いましょうか、仏教についての知識、認識が低いうちから、なんかやっているな、ぐらいのつもりで毎日おこなっているので、か気が付いたら、疑問に思うことも少なく、違和感を覚えることもなく、瞑想状態に入れているとは思います。

もちろん、深い浅いは個人でいろいろあるでしょうが、おそらくみんなが表現する言葉は違えど、何となくそれっぽいものは持っていると思います。

しかし、それをいざ言葉で、それも一般の人にお伝えすることの難しいこと、難しいこと。

疑問点も違えば、感覚も違う。

人にものを伝えるってこんなに難しいのだと実感した一週間でした。

そんな時間を過ごしているうちに新緑の美しい季節になりました。

草抜きが大変ですが、それすらも気持ちいい気分で行えますかね