皆さんこんにちは、副住職の隆照です
早いもので、年が明けたと思ったら、もう六月です
最近特に過ぎる年月が早く、こんな風に年を取っていくのかな?と、ちょっと年齢的には早いことを考えてしまっている私です。
世間の非常事態宣言もあと少し、少し出口が見えかけてきたようにも思える今日この頃、ワクチンの報道が続々とニュースを賑わせている中で、皆様どうお過ごしですか?
光明寺の周りの農家の方々は、田んぼが忙しい時期のようです。
水を張って稲を植えてと大忙し
毎年、この6月は皆さま忙しすぎるようで、法事の日程もほとんど入っていなく、お寺としては暇なのかと思いきや、伸びてくる境内の草木との格闘の毎日になります。
今月一杯まで、私も住職も「お坊さん(庭師)」になります。
さて、そんな中ではありますが、今月も光明寺奥の院の上では、無事に護摩のお勤めが行われました。
感染症対策もあるので、皆さんに出すお接待は、お茶はペットボトル、食べ物は持って帰ってもらえるものということで行っています。
旧暦ではありますが、6月の15日はお大師様の誕生日ということで、たくさんのお接待が皆様から持ち寄られました。
なんとこの御萩は毎回手作りしてくださっているもので、とっても美味しいので食べる皆さんが大喜びです。
お勤めが終われば住職の話なのですが、題材は今回もお大師様の言葉「 ”医王(いおう)の目には途(みち)に触れてみな薬なり、解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る。” 」でした。
コロナで賑わっている世情の中、頑張ってくれている医療従事者のように薬を作ろう、打とうということは、私たち一般人にはできませんが、それでも私たちの行動や言葉が、周囲の人に薬として役に立つ場面というのはたくさんあるはずです。
このお接待で御萩を作ってくれた人も、ご自身で進んで作ってくれていますが、きっと朝も早くに起きだして、これを一人で作るのは大変なお手間でしょうから、作業の途中で「しんどいな、眠たいな」という気持ちがどこかしらあったと思います。
ですが、その完成した御萩を皆さんが食べられて、「ありがとう、美味しかった」という言葉と笑顔を返していけば、「しんどかったけど、やってよかったな」という気持ちが芽生えるでしょうし、また次もやってみようかな?とお考えになるかもしれません。
そのように私たちは、お互いの態度や言葉で、接する人に薬を付けてあげることができるはずです。
ワクチンが出回って、自分の打つ順番も気になると思いますが、今一度、自分の持っている「薬」はどうやって他の人、あるいは自分の心に使うことができるのか考えてみてください。