久しぶりに書き残しておこうと思った住職の話

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

ちょっと今日は珍しいタイトルをつけてみました

今月の21日は光明寺は初大師です

護摩のお勤めにはたくさんの方がお参りにこられまして、危うく本堂に入り切ることができるだろうか?と心配しなければいけないほどでした

1月の光明寺の21日はいつもの護摩のお勤めを本堂で行った後に、位牌堂に移動しまして参列の方と一緒に檀家さんの位牌に、皆でお勤めをおこないます

その時に普段より少し長い時間を頂きまして、法話という形でお話しさせてもらっています

今回は住職の回ということで、何を話すのかと思っていましたら、思わずこれはブログに書いておこうという内容でしたので、ここに記しておきます

「皆さんの前世はなんでしょうか?」

こんな問いかけと共に始まったのは、何故法事や供養を行うのか?という話でした

私たちは死んだら生まれ変わって違う生を歩む

これが仏教の基本の考えですが、生まれ変わるのは人だけではありません

「六道輪廻」という言葉は有名なのでいろんなところで目にされるかたも多いでしょう

漫画なんかではおなじみのネタとして使われたりしています

一番下から「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界」と6つの世界を生前の行いによって上がったり下がったりしています

その中で前の3つ「地獄、餓鬼、畜生」が三悪趣(さんあくしゅ)といいまして、要は自分ではどうやっても上に上がっていくことのできない状態と言われています

誰しも「つい出来心で」なにか小さな悪いことをしてしまう瞬間というのはあるかと思います

そんな小さな罪が重なっていくと、下の世界に落とされていたかもしれません

もし落ちたとき、どうやって今人間として生きている状態にまで私の魂を救ってくれたのはだれか?と考えたとき、仏教では自分たちのご先祖様が、死んだ自分の魂のことを思って手を合わせてくれたから、三悪趣という自分ではどうしようもない世界から引き揚げてくれたと考えています

余計わかりにくいかもしれませんが描いてみました(笑)

実際にはもっと長い時間が過ぎているのですが、だいたいで見てください

こんな感じで下の世界に落ちてしまった魂を救って人間に戻してくれたのが先祖さんという認識です

これを私たちは供養といってまして、自分も助けてもらったので、もし落ちているご先祖さんたちがいたら助けてあげましょう、その方法というのはみんなで手を合わせて供養してあげることですよ

という話でした

まだ科学的には、そんなの本当なの?という分野でしょうが、私はお坊さんの経験から地獄などの世界はあると考えていますし、実際にあるからここまで長い年代語り継がれていると考えています

そのうち観測できるようになったら本当に六道はあった!とか言われたり、本当は五道だった!とか言われたら面白いなと思いながら。日々を過ごしています

その辺の動物や他人、関係ないと思われるかもしれませんが、もしかしたら皆さんのご先祖様の魂を持った生まれ変わりかもしれない、と考えると無下にもできないと思いませんか?

難しいことは何も必要でなく、自分のご先祖や、他の魂たちの安寧を祈って手を合わせてあげる、これだけで救われる者たちがたくさんいることを忘れないであげてください

眠すぎて顔が崩壊しています(笑)が、我が子も誰かの生まれ変わりかも

あけましておめでとうございます

更新が遅くなりましたが、皆様あけましておめでとうございます

光明寺は今年も無事に新年を迎えることができました

なかなか写真を撮ることができず、わずかな報告写真だけですがご容赦ください

去年の除夜の鐘にはたくさんのお参りの方が来ていただき、なんと総勢60人を超える人だかりになりました

遠いところでは、姫路からも来てくれていて、みんなワイワイと賑わって楽しい雰囲気

地域の同窓会のような、迎える側としては嬉しいことです

去年の暮れより暖かい日が続きまして、正月の3が日は暑いぐらいの陽気でした

例年どおり、地区内の檀家さんの家を一軒づつ回って挨拶を行いました

東周りは二日、西回りは三日に行っております

挨拶に赴いた家々で暖かく迎えていただいて、ありがたい思いでした

年末に大掃除を行い、諸を奇麗にしたあとで、初詣やあいさつ回り

この流れは皆さんも御なじみだと思います

これは日本の国ならではの文化ですが、私は日本人が上手く仏教と神道の教えを生活に取り入れた結果と思っています

年末の大掃除をするのも自分自身への修行です

掃除の功徳というのは、何度もこのブログで取り上げていますが、自分の心が奇麗になるのと、他人の心を奇麗にする、それが良いことを呼び寄せる

そういう趣旨の修行ですが、新年の初詣もその続きと考えています

お坊さんになりたての時に、師匠からよく言われました

「手を合わせることは心の掃除と同じ」

それを言われて、当時はしっくりきませんでしたが、長年お坊さんを続けていると「なるほど」と思うようになりました

私たちは新しい玩具や機械を手にすると嬉しいですが、普段自分が触らないものほど少しぶつけたり、汚したりしたら「どうしよう」と焦ってしまうものです

ですが、使い慣れた道具や、よく知っているものは、ぶつけたり、汚したりしても「また奇麗にしたらいいや」と思えて、自信と余裕があります

私たちの心もこれと同じと思っています

普段から手を合わせて、お祈りをしていく

一見無駄なことをしているように見えますが、心の掃除をしているのです

繰り返し行っていくと、だんだん自信もついて、自分の心がよく知ったものになってきます

そうなると、少し不愉快な思いがあって心が汚れたとしても、少しも焦りません

奇麗にするやり方を知っているわけですから

是非皆さんも、初詣や普段のお参りは「心の掃除」と思ってお過ごしください

皆さんにとって良い修行になりますように