みなさんこんにちは、副住職の隆照です
あっという間に4月も半ばを過ぎまして、ぼちぼちと鯉のぼりを出しました
去年に産まれた我が子の鯉のぼりも無事に二回目の登場です
去年は自分で歩くことも叶わなかった千照が、今年は自分で歩いて見上げて指をさしているのを見ると、なんだか嬉しいような、時間の感覚が早すぎて怖いような不思議な気分です
今年は普段と違うものが上がっているのがわかるようで、嬉しそうに見上げては手を振っていました
さて、光明寺では今月も21日に無事に護摩の勤めを行うことができました
20,21と4月どころか初夏並みの気温に上がり暑い中でした
心持鯉のぼりもバテて元気がないように見えますw
最近身をもって感じたのは、挨拶というのは、一番最初に行う対人の基本ですが、他の何を差し置いても自分を助けてくれるということです
子供の送り向かいでいつもすれ違う子供たちは、こっちが気が付いていない時でも気持ちよく挨拶をしてくれて、私も見習おうと思わせてくれるほどです
以前手伝いをしているお寺の檀家さんで、口が悪くて気難しいと言われる人がいました
たまたま私がその家に伺うことになったのですが、事前に「気をつけろ」と言われていたのでこちらも家の玄関に立つともうドキドキの緊張でした
奥から出てきたおじさんは・・・顔がめっちゃ怖いw
内心びくびくしながらでも、お参りをして話をして・・・何もないどころか、ずいぶん気に入ってくれて、仲良くなりました
いやいや、私よ、油断するなよ、これは罠だ!と思い、お参りに行くこと一回、二回、三回・・・あれ?
半年もしたころ、おじさんとお参りの後で雑談していたので、思い切って聞いてみたのですが、私の前の方々はに何故お怒りになられたのか?と問うたところ、挨拶が小さく、はっきりとしていなかったとのこと
私は挨拶が一番良かった、それだけでした
何も大きな違いがあったわけではなく、たったそれだけでした
たかが挨拶ですが、されど挨拶
子供と一緒に散歩していて、挨拶をしても返ってこない人が多いのは自分でも感じますし、私もできてなかったな、と思い反省するときもあります
何回もここで書いてますが、笑顔で挨拶するだけで仏教としては相手をいい気持ちにさせてあげる顔布施(がふせ)という修行になります
これは無財の7施と言って、日常生活でお金のかからずできる基本の修行です
難しい理屈を知っても、大層な修行をして、肩書が増えても、結局基本に帰ってきます
私が家内の父に受け入れてもらえたのも、後から聞いたところは人事でも合格できそうな挨拶ありきでした
こういうふうに書くと、改めて私の人生は半分どころか、8割がた挨拶で救われているような気がしますw
自分の修行ととらえていただいて挨拶をするもよし、人助けと思って挨拶をするもよし
無財の7施は相手がいて初めてできる修行で、どちらかだけの利益になるものではなく、お互いがいい影響を受けあうことのできる関係です
私たちはこれを「相互供養、相互礼拝」といっています
人生を助ける挨拶、実践していただくと、修行になり、心が奇麗になるので良い影響がやってくるはずです
修行といえば、去年始めた私の夜の護摩もなんとか毎月続いております
今月はなんと木魚を叩いてくれる参詣人がやってきましたw
毎月夜6時半から7時過ぎまで行っておりますので、お参りしたいかたがいらっしゃったらどうぞご自由におまいりくださいませ