みなさんこんにちは、副住職の隆照です。
お盆から降り続いていた未曾有の大雨も、ようやっと収まってくれました。
ここ光明寺では24日の地蔵盆、並びに施餓鬼のお勤めをもちまして無事に、夏の行事が終わりました。
私自身はと言いますと、25日に知り合いのお寺の施餓鬼のお勤めが終わりまして、光明寺から遅れること1日、なんとか夏の終わりを実感しております。
毎年のこととはいえ、8月の最後の方になってくると、疲れはしていますが、それ以上に里帰りしてくれた方たちが、お盆からお寺に訪ねて来てくれたり、いろんなお寺のお手伝いを頼まれ、バタバタと動いているうちに、高いテンションが続きお祭りのような気分で過ごしているせいか、時間があっという間に過ぎています。
コロナで通例通りとはいかないものの、お寺界隈もなんとか頭を働かせて、動いている中でのお手伝いが出来て嬉しく思っています。
さて、光明寺ですが、21日に護摩のお勤め、そして24日に施餓鬼のお勤めと二つの行事をこなしました。
写真は左がいつもの本堂、右が施餓鬼を行った持仏堂です
護摩に関してはいつもの通りですが、いつもと違うのは、参られた方は境内にお盆の間はお祭りしている各家のお塔婆にお水をかけてもらっていました。
いつもお願いしています、ご自身の先祖さんだけでなく、他の家の先祖さんにも手を合わせてあげてくださいね、ということをしていただいています。
光明寺では、お施餓鬼のお勤めで、去年のお盆から今年までに亡くなった方の位牌を一緒にお祀りして皆さんと供養します。
亡くなってお葬式をして、はい終わりというわけでなく、少なくとも仏教においては、そこから新たな道を歩んでゆく旅路の始まりですから、生きている私たちが可能な限り応援してあげたいですしね。
写真では撮れませんでしたが、ここからさらにたくさんのお供え物が置かれます。
それをご先祖様、そして餓鬼、さらには魑魅魍魎に食べてもらって終了です。
お盆の仏壇にいろんなものをお供えするのは、ご先祖様に食べてもらったあとに、誰も手を合わせてくれない霊たちにも食べてもらって、満足して成仏してもらうのが目的ですので、食べきれないぐらいの量をお供えします。
そして、お勤めが終わった後は、もう毎年恒例になってきましたね。
吉田僧正のお話し。
改めてですがこの方、落語家で、お坊さんです。
桂一門の落語家さんで、今は私たちのような若手のお坊さんの話し方のスキル向上の為に、指導してくれる立場でもあります。
去年は桃太郎のお話しでしたが、寿限無(じゅげむ)の落語が出てきました。
さすが、というべきでしょうか。
会場は話が始まると、大きく盛り上がり、マスクをしながらも笑い声がたくさん。
皆さんいつの間にか引き込まれ、目が笑いながらも真剣に。
今年初めて施餓鬼のお勤めに会う嫁も、裏方仕事がありましたが、なんとか終わらせて途中から聞き入ると大笑い。
そして、話は締めに向っていくのですが、全ては原因があるから結果がある、というお釈迦様の「因果応報」の結論になっていったそうな。
・・・断定できないのは、私が残念ながら途中までしか聞くことができなかったからです。
ええ、裏方仕事という原因が発生してしまったので(笑
ですが、話を聞いた皆さんは非常に満足そうにしていらしたので、会場を設営した側としても満足です。
そして24日が終われば、お盆の間境内に祀られた塔婆も片づけられます。
お性根抜き(魂を抜く)のお勤めをした後に、寺でお焚き上げをして灰になって帰られました。
いかがでしたでしょうか?
ここまでが光明寺の夏としての出来事でした。
まだまだ暑い時期ではありますが、皆さんの無事とご先祖様の冥福を光明寺より祈っております。