10月になり、ぐっと寒くなる日も多くなってきました
表題にも書いているとおり、このページに来ていただく方法が少し変わりました
直接ブックマークで来ていただいている方には関係ないのですが、検索してから来てもらっている人は、一度別のページに飛んでから、ここのリンクを押してもらう形になります
光明寺では、良い秋晴れの一日の中で護摩のお勤めを迎えることができました
護摩のお話しを書こうかなとも思ったのですが、普段は書かないお勤めの周りの道具など少し書いてみようかなと思います
写真は毎月本堂側面に掛けていますお軸、これはなにかというと、四国88か所の「お砂踏み」と言いまして、ご当地のお寺の土を袋の中に入れておりまして、私のおじいちゃん、皆さんの協力を得て私の祖父の代に作ったものです
これの意味は、現地までお参りに行けない人たちの為に、現地の土を踏むことでお参りしたと同じご利益を得てもらおうということで始まったものです
光明寺では毎月の護摩のお勤めの度に、違う札所の軸を8つ掛けまして皆さんにお参りしてもらっています
写真のコの字は燃える香の粉で作っているもので、私たちのお勤めの最中は、これが必ず燃えております
燃え尽きるとこのような感じになるので、新しく人力で作り直します
こういう道具を使って作ります
私たちお坊さんが、最初の下働きとして叩き込まれるのが、この作業で色々怒られながら、注文をつけられながら上手くなってきました
私の下積み時代の作業は未だに日々の生活の中で続いております
写真は仏様にお供えしているご飯「仏飯」です
私たちの朝炊いたお米を、朝ごはんの前に少し取って、仏様に最初にお供えしております
別に食べ物なら何でもいいのです、白ご飯でも食パンでも仏壇にお供えしてあげてください
まだまだ出そうと思えば色々ありますが、それはまた次に
住職の護摩の後、夜に護摩のお勤めを始めて3か月目
6時半から火を上げて、副住職の私が護摩を行っておりますが、まだまだ自身の修行不足を感じているところです
ですが、私たちと同じ若い世代が、なかなかお参りできないとの声をいただいているので、いつかは皆様に来ていただけるよう続けていこうと思っています
修行不足といえば、最近子育てでも自分の修行不足を感じ、改めて「親になる」というのは難しいと感じています
自分以外の人間の世話をして、育てていくことのなんと難しいことでしょうか
自分もやってもらったことなので、文句は言えぬと思い精進していきます
私たち人間って動物なので、本能とは切っても切り離せるものではないと思っています
そんな中で、子どもは誰に教えられるでもなく、健康な夫婦であれば勝手に出来るかと思います
しかし、勝手に子どもはできたとしても、残念ながら、勝手に親にはなれません
特に男性陣は母性本能など持っておらず、何も意識しなければ子どもができた後も、変わらず遊び呆ける人間もでてきます
だからこそ、どうありたいか?どんな親になりたいか?という理想を胸に抱き、理想とのギャップに悶えながらも過ごしていくしか無いと考えています
私たちお坊さんは、日々の朝のお勤めの中、仏心という仏様の心を持った生き仏になりたいと日々願い修行しております
最初は届かなくても、捨てず諦めず、面倒くても続ける
そんな修行を何十年か続けた後、もしかしたら生き仏と言われるようになれているかな?
…もしかしたらクソ坊主と言われているかもしれません(笑)
親も、お坊さんも両方とも難しいですが、ボチボチ続けていってみようと思います