今年最後の投稿です

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

一気に寒くなってきましたね

今月の護摩が行われた21日は、ずいぶん冷え込みが激しい日になりまして、このブログを書いているときは雪が舞っております

見るのは風情がありますが、護摩の片づけなんかの外仕事は骨身にしみます

こんな日は是非とも炬燵から出ずにおりたいものですが、なかなか状況が許してくれません

もう本堂の前の銀杏は全て葉が落ちてしまい、少し寂しい雰囲気ですが、今月も月令の護摩は無事に行われました

ほんの1週間前はこんな感じでしたが、あっという間に落ちました

一年の最後の21日は、もうここに書くのも何度目でしょうか?

終い大師と言われていまして、京都などではわりと賑やかな縁日が開かれます

光明寺では、いつもと変わらず夢前の真楽寺さんご協力のもと行われました

護摩が終わった後の住職の話の中で、来年の展望についてありましたが、来年はコロナ以来中止していた団体参拝参りを再開したいと思っておりまして、四国88か所参りをスタートできればと考えております

ちょうど妻も結婚してからまだ四国参りは行ったことがなかったので、渡りに船

皆さんと行きたいなというのが本音です

真楽寺さんは今年から四国参りに檀家さんを連れていかれていたようなのですが、やはり何回四国に行っても「ありがたいなぁ」と思って帰ってこれるとのこと

四国参りに初めての方を連れて行くと、現地でいただくお接待にびっくりされます

見ず知らずの人たちからたくさん貰うので、びっくりするのは当然のことです

「お寺さん、この貰うものはいただいてもええんでしょうか?」

そんなふうによく聞かれたそうです

そしたら真楽寺さんは、なかなか洒落の効いた答えを返します

「全部もらってください、断ったらいけませんよ。たとえ、美味しくなさそうなミカンでももらってください」(笑)

その後に理由もちゃんと教えてくれます

「お接待をくださる人は、受け取る人に渡しているんじゃないんです。四国遍路を参って修行している皆さんの後ろには、お大師様が必ず付き添ってくださっているので、そのお大師様にお供えしているのです。だから、お接待を断ると、用意してくれた人の修行の邪魔をすることになってしまうから、必ず受け取って、ありがとうといってあげてください」

この言葉が全てで、私も真楽寺さんの話を聞いていると、以前に回った四国のことが懐かしく、また行きたくなってしまいました

四国に行くと、しんどい時、楽しい時、いろんなときにお大師様が現れてくれます

もちろん様々な姿を借りて現れるので、遍路が終わった後に、思い返してみると、あの人がお大師様の代わりだったのかな?と気づくような感じですが、必ず来てくれます

それを純粋な心で受け止めれるかどうかで、四国遍路の修行の成果は人によって全く無駄になる人もいれば、とっても糧になる人もいます

是非光明寺で、一緒に遍路修行に行ける人は、修行を積んでいただいて、楽しく身になる四国の旅を作っていきたいと思います

また案内を出したときは、皆様の参加をお待ちしております

ちなみに、檀家の方に限りませんので、興味あったら皆さん誘って参加してください

年が変わるまで後2週間ほどです

体調に気を付けて、新年の用意を頑張ってくださいね

8月は暑かったです

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月末からとんでもない暑さが続きまして、このブログを書いている8月末になって、ようやくマシになってきたか?というような状況です

今年は私はお盆参りのお手伝いやら、自分のお寺のお参りやらで、8月前半はずっと外に出て、バイクで回っていた状況でしたので、お陰様で真っ黒に焼けました

なかなかブログの更新ができてなかったので、写真が溜まっております

順番に色々出していきます

お盆の間、光明寺の境内では、皆様から申し込んでいただいた塔婆がずらりと並んでいました

写真の段階ではまだ数は全て並べていないのですが、総数は100を超え、迫力のある光景となっていました

この塔婆は、亡くなった方の戒名を書いて、水をかけて弔うというものですが、ご覧の通り自分のところだけに水をかけるのは難しい作りにしております

というのは、お盆の意味であります他所の人にも手を合わせてあげて、皆で救われましょうという形になぞらえてです

地獄に落ちてしまった自分の親を助けるのに、親個人を助けようとしても、どうやっても助かりませんでしたが、生きている私たち皆の力を借りて、自分の親だけでなく、他の救われない人や動物みんなも助けようとしたところ、無事に救いの手が届いて助けることができた、そんな話があります

ですので、光明寺にお参りに来る方には、皆さんにこの期間は、他所の人のところにも手を合わせてあげてくださいね、とお願いしておりました

そんな期間の締めくくりが24日の施餓鬼のお勤めでした

お盆の期間ずっとお祀りして、貯めていた功徳をいろんな人や者たちに分け与えるというものです

今年はたくさんの方にお参りいただき、ほんとうに賑わっておりました

また、写真には撮れませんでしたが、光明寺にお供えとしていただいたお菓子などは、この日に、まとめて皆さんへのお接待という形で配らせていただきました

そして、21日には毎月の護摩を変わらず行っておりました

暑い中にも関わらず、たくさんのお参りでした

皆さんで一緒に、良い修行を行えていると思います

こちらの写真は、私が行っている夜の護摩です

6時過ぎごろから7時過ぎまでの1時間おこなっておりますので、また時間空いてるかたはどなたでもお参りください

暑すぎる夏の合間に、盥に水を張り、涼んでいる我が子

一枚だけベストショットが撮れました

初の参拝者でした

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

いよいよ沖縄の梅雨が明けようとする中、本州は梅雨の本番になってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

光明寺は6月頭の高野山団体参拝も無事に終わり、蒸し暑くなってくると、元気よく伸びてくる草木たちと戦いながら日々を過ごしております

今月も21日のお大師様の日には、光明寺本堂にて護摩のお勤めを行いましたが、皆様田畑で忙しい中でも、参拝してくださり嬉しい限りです

そんな中、我が家の子供は護摩のお勤めは欠席です

流行に乗り遅れることのないように、季節の最先端、夏風邪をもらってきてしまいまして、見事にダウン

熱も上がったり下がったり、コロナやインフルかと心配しましたが、それらも無事に陰性

ひたすらに食べて寝てを繰り返して、やっと回復の兆しが見えてまいりました

そんな中、いつものように私が夜の護摩に入っていたところ、いつもとは違う気配

お勤めをしながら「おかしい、普段より人の気配が多い」

しかし、お勤めの最中に後ろを振り向くわけにもいかず、そのまま終わりまで行い、振り返ると、なんとお参りの方が二人

この夜の護摩を初めて約一年

初めての参拝者に、私が感動してしまい色々普段撮っている写真を撮るのを忘れて、そのまま談話を始めるということになりましたw

一人で護摩を始めるということで、心細く思いやめようかと思う時もあったりしましたが、やはり何事も続けていかないとだめだと思い、報われる形となりました

まだまだこれからも続けていく護摩のお勤めですので、興味がわきましたらお参りくださいませ

暑い日になりまして、鯉もへたっております

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

あっという間に4月も半ばを過ぎまして、ぼちぼちと鯉のぼりを出しました

去年に産まれた我が子の鯉のぼりも無事に二回目の登場です

去年は自分で歩くことも叶わなかった千照が、今年は自分で歩いて見上げて指をさしているのを見ると、なんだか嬉しいような、時間の感覚が早すぎて怖いような不思議な気分です

今年は普段と違うものが上がっているのがわかるようで、嬉しそうに見上げては手を振っていました

さて、光明寺では今月も21日に無事に護摩の勤めを行うことができました

20,21と4月どころか初夏並みの気温に上がり暑い中でした

心持鯉のぼりもバテて元気がないように見えますw

最近身をもって感じたのは、挨拶というのは、一番最初に行う対人の基本ですが、他の何を差し置いても自分を助けてくれるということです

子供の送り向かいでいつもすれ違う子供たちは、こっちが気が付いていない時でも気持ちよく挨拶をしてくれて、私も見習おうと思わせてくれるほどです

以前手伝いをしているお寺の檀家さんで、口が悪くて気難しいと言われる人がいました

たまたま私がその家に伺うことになったのですが、事前に「気をつけろ」と言われていたのでこちらも家の玄関に立つともうドキドキの緊張でした

奥から出てきたおじさんは・・・顔がめっちゃ怖いw

内心びくびくしながらでも、お参りをして話をして・・・何もないどころか、ずいぶん気に入ってくれて、仲良くなりました

いやいや、私よ、油断するなよ、これは罠だ!と思い、お参りに行くこと一回、二回、三回・・・あれ?

半年もしたころ、おじさんとお参りの後で雑談していたので、思い切って聞いてみたのですが、私の前の方々はに何故お怒りになられたのか?と問うたところ、挨拶が小さく、はっきりとしていなかったとのこと

私は挨拶が一番良かった、それだけでした

何も大きな違いがあったわけではなく、たったそれだけでした

たかが挨拶ですが、されど挨拶

子供と一緒に散歩していて、挨拶をしても返ってこない人が多いのは自分でも感じますし、私もできてなかったな、と思い反省するときもあります

何回もここで書いてますが、笑顔で挨拶するだけで仏教としては相手をいい気持ちにさせてあげる顔布施(がふせ)という修行になります

これは無財の7施と言って、日常生活でお金のかからずできる基本の修行です

難しい理屈を知っても、大層な修行をして、肩書が増えても、結局基本に帰ってきます

私が家内の父に受け入れてもらえたのも、後から聞いたところは人事でも合格できそうな挨拶ありきでした

こういうふうに書くと、改めて私の人生は半分どころか、8割がた挨拶で救われているような気がしますw

自分の修行ととらえていただいて挨拶をするもよし、人助けと思って挨拶をするもよし

無財の7施は相手がいて初めてできる修行で、どちらかだけの利益になるものではなく、お互いがいい影響を受けあうことのできる関係です

私たちはこれを「相互供養、相互礼拝」といっています

人生を助ける挨拶、実践していただくと、修行になり、心が奇麗になるので良い影響がやってくるはずです

修行といえば、去年始めた私の夜の護摩もなんとか毎月続いております

今月はなんと木魚を叩いてくれる参詣人がやってきましたw

毎月夜6時半から7時過ぎまで行っておりますので、お参りしたいかたがいらっしゃったらどうぞご自由におまいりくださいませ

新年度スタートです

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

年があけて、いつのまにか新年度がはじまり、いろいろなものが変化していますが、皆様いかがお過ごしですか?

今年は三月半ばぐらいから一気に暖かくなったので、梅も桜も非常に奇麗に咲いて、写真に興味がない私でも、思わず撮ってしまうような素敵な風景があちこちに咲き誇っていました

写真は近所の公園なのですが、私の知る限り一番の桜の名所ですかね

他の有名な場所に行ってみても、良く知っている場所というフィルターがかかってくるので、思わずいつも「ここが一番きれい」と思ってしまいます

そんな桜に見守られて、我が息子は今年から保育園に入園です

入園最初の日から、登園するときに泣くのか?と思っていれば、そんな親の心配と期待はどこ吹く風、車から降りた瞬間から広場目がけてスタスタ

二日目以降も園が楽しいみたいで、笑顔で行っておりました

写真は4月4日の土砂加持の時、皆様に配ったお接待の豆ごはんです

コロナになって以来、以前はお昼ご飯を食べていただいて法要という流れでしたが、法要の後に、能化の先生のお話しをきいていただいて、そしてこのお接待を持って帰っていただくという流れに変更しております

光明寺の熨斗を張り付けている様子ですが、持って帰っていただくお接待の内容は毎年の悩みどころ

どれがいいかな?と色々考えながらやっております

そして、今年は不覚にも土砂加持の写真を撮り忘れるという失態を犯してしまいまして、全然皆さんに見ていただけるような画像が無いのです

気が緩んでましたね、申し訳ない

色々と早くに来て、頑張ってくれている役員さん方の写真は撮りました

ホント、いつも支えてもらっております

今年の能化さんは北海道の方でしたが、光明寺に来る前に、なんとこのブログをかなり隅々まで読んで下さっており、我が寺院のことをとっても勉強してくださっておりました

入念な下調べと、そして色々な話題の展開で、場の人がいつの間にか聞き入っている、そんな感じの話手で、色々真似しよう!と思ってしまうほどの方でした

名前を渋谷 良範僧正と言いますが、いつか高野山で再開したいお人です

第二日曜日の奥の院の護摩も無事に終わって、ホッとしております

今回の開催は4月9日という事もあり、4月8日はお釈迦様の誕生日ですので、各宗派問わず、お寺は祝いをしたりしています

そのおかげか、今回のお勤めは本当に子供さんのお参りが多く、賑やかな一日でした

子供たちが一生懸命に手を合わせている姿というのは、本当に可愛らしいものです

住職の話も、そんな子供たちの来院に合わせるかのようなお話し

鬼子母神という鬼のお母さんの話でしたが、このお母さんは自分の子供は1000人もいたそうで、子供たちのご飯を用意するのがとっても大変

ですので、人間の子供を攫ってきては小鬼たちにご飯として食べさせていたという恐ろしい鬼です

お釈迦様が見かねて、一番末の子を隠してしまったところ、鬼子母神は狂ったように悲しんで探し回ったそうですが、見つけることができず、お釈迦様に返してくださいと言いにいったら、「お前の子供は他にもたくさんいるのに、一人隠されただけでこんなにも悲しむ。お前に子供を取られた他の母親の悲しみも、少しは想像できよう」と言われ、それ以来、他の子供を攫うことはなく、むしろ仏教に帰依し、子どもを守るようになったというお話しです

仏教では悪いことをしていても、排除というのはなるべくしない、むしろどうやって味方につけて働いてもらうか、という教えの方が多いです

ついつい私たちは悪いことをしている存在というのは排除したくなるのが人の感覚ですが、本能に全て従っていたのでは獣と同じ

そうではなく、いかに世界を円滑に丸くできるか?というのが仏教であり、それを絵として表したのが曼荼羅というものです

・・・自分で書きながら難しいw

なかなかやるにしても難易度の高い話で、わが身の修行不足を感じますが、諦めたらそれ以上は進展しないですから、なんとか頑張っていこうと思います

皆さんも、ご自身のできる範囲で頑張ってみてください

久しぶりの更新です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

暖かくなってきた中で皆さまいかがお過ごしでしょうか?

私は3月に入って、あれやこれやと忙しくしていたら、あっという間に彼岸が来まして月の前半の更新が出来ていませんでした

楽しみにしていただいている方、すいません

今このブログを書いているのがWBCの野球決勝戦のひですが、素晴らしいしか言葉が出てこない戦いをしてますね

ホント頑張ってほしい限りです

彼岸は今年から他のお寺の手伝いもありまして、飛ぶように時間が過ぎていっております

その関係で、色々な方の家にお参りに行く機会が増えまして、初対面の方とお話する機会が増えました

そんな中、ちょこちょこ聞かれるのがお彼岸のことについてです

お彼岸と言いますと、お墓をお参りして、私たちがお仏壇に行かせてもらってというのが、近畿圏の風習と思います

実はお彼岸という期間は日本にしか無いのはご存知でしたか?

お盆はお釈迦様の古代インドの行事が発祥ですが、お彼岸は日本発祥です

なぜか?というのは、細かく調べれば諸説あるとは思いますが、私は昔の日本人の人たちの思いや願いが形になったものが彼岸だと考えています

春分、秋分を境に前後3日の計1週間が彼岸ですが、24節気という暦では季節の変わり目です

この日を境に暖かくなっていくのと、寒くなっていく…最近は温暖化の影響か、彼岸前でも暑い日がありますが、そこは一旦置いといてください

季節が移ろい、四季が曖昧になっていくので、いろんなものの境目が曖昧になっていくと考えました

そして、そんな時に亡くなった人たちに、お盆だけでは寂しいから帰ってきてよ、とお願いして出来たのが彼岸です

彼岸のお墓参りは、皆さまの暖かい願いの結果なんですね

言葉もそれを表してます

彼岸というのは、向こう岸という意味ですが、三途の川の向こう岸です

対して、私たちの生きているのがこちらの岸、此岸(しがん)です

向こう側から帰ってくるから、あるいは向こう側の人にお参りするから彼岸参りですね

お子さん方に、彼岸ってなーに?と聞かれたら、このページを参考にしてくれると嬉しいです

光明寺は今月も変わりなく、皆様が無事に過ごせますようにと、お勤めしています

初大師では講談です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

今年は年明けが随分と暖かく、楽なお正月を過ごせた後に、急激に冷え込んできましたが、皆さんいかがお過ごしですか?

このブログを書いている日から、翌週がなんと10年ぶりの大寒波がやってくるとニュースで予報されているので、備えておかなければ!と意気込んでいる最中です

具体的には、水道回りはもちろんのことですが、お寺特有のことといえば、花入れや仏具の水抜き、普段人が出入りしない奥の院の下水関係といったところでしょうか

自然相手なので、手加減はしてくれませんから大変です

少しでも気を抜くと、花卉のひび割れなどが起こります

そんな1月ですが、本来であれば光明寺は午前中の護摩、それが終われば、お昼ご飯を食べてお昼から檀家さん皆さんで集まってのお勤めというのが、この年明けの常でしたが、今年から少し形式が変わりまして、午前中の護摩に皆さん集まっていただいて、その後すぐにお勤めもして、昼前に解散という流れになりました

なかなか、長時間の拘束になるのは、来ていただく方にとっても大変でしょうから、こんな形態どうかな?と提案させてもらった次第です

土曜日ということも相まって、たくさんのお参りの方に参加していただき、寺族としては嬉しいかぎりです

写真は護摩の後、光明寺の持仏堂で集まっていただいた様子です

ここでは住職が講談を披露!

掛かっている軸は、お大師様の行状曼荼羅と言いまして、伝記を絵にかいて繋げているものです

これを題材に皆様の前にて披露しておりました

もともと光明寺は、お大師様の御縁があって約1200年ほど前に建立されたという寺伝が残っております

ですが、光明寺の建立年代が大同元年となっており、この時期はお大師様が遣唐使から帰国されて、九州にまだ閉じ込められていたはずの時期です

住職はこれがずっと長い間の疑問だったのですが、二年ほど前に高野山大学の研究院のお坊さんが光明寺を訪ねて来られまして、その時に疑問が解けました

その方は、お大師様の九州に閉じ込められていた時期は、実は大人しくしていなかったのではないか?ということで研究されていたようで、その証拠を各地を回って調べていらしたそうです

お大師様の出身は香川の佐伯氏という豪族でしたが、この佐伯氏は鉱脈を探り当てる仕事をされていたようで、お大師様もそのノウハウを持っていらっしゃったらしく、全国各地の大師の井戸という名前の井戸は、大多数がでたらめではないかもしれないとのこと

この近くに、古くからの井戸や鉱脈を掘ったような横穴、竪穴はありませんか?

と聞かれるので、ちょうどその少し前に近隣の山の中からお大師さまの像が光明寺に運び込まれましたが、そのとき近くに、まさにそのような穴が掘られていて、どう見ても昔の痕跡で人為的なものであったので、住職が不思議に思っていたのです

そのことを伝えると、僧侶の方は「ありがとうございます、後日確認に参りますが、やはりお大師様がこちらに来ていらしたのは間違いなさそうです。このことは論文として纏められたら発表させてもらいます」

と言って帰っていかれました

個人での調査なので、そこまで進行は早くないでしょうが、発表されるのを楽しみに待っています

光明寺はありがたいことに、歴史の教科書に載るような古い時代から、皆様のおかげをもって今も存続しております

それも博物館の中という生活の縁遠い場所ではなく、地域の皆さんの生活の傍に一緒にいる形です

その事実を皆様の胸の中に、一つの誇りとして持ってもらいたいと、住職の思いからの今回のお大師様の縁起絵巻の講談でした

去年より始めた、21日の夜18時半ごろからの副住職の護摩ですが、今年も続けていきます

お参り希望の方はどうぞいつでもお越しくださいませ

メリークリスマス

一気に寒くなったようで、皆様いかがお過ごしですか?

光明寺では12月のお大師様の縁日の護摩も無事に終わり、新年の準備に大忙しで追われています

良く冷えた日の朝方、赤穂では久方ぶりに雪が積もりました

クリスマスの日にお参りで、檀家さんのお宅に上がらせてもらっていた時、サンタさんのクリスマスの話になりました

ちょっと皆さん興味がある内容かなと思ったので少し

私たちお寺は一般にクリスマスなどの多宗教の行事は行わないと思われているかたも多いかもしれませんが、そんなことはありません

・・・もちろん、他所が嫌いで行わないというお坊さんもいるとは思いますので、断定はできませんが(笑)

我らがいつも手を合わせている弘法大師空海さまは、名前や姿かたちは違えども、この世の中に存在している宗教は、方法論や言い方が違うだけで、すべては同じゴールに向いて歩いていると言われました

ですから、クリスマスのお祝いも行って大丈夫ですし、もっと言うなら、そのお祝いで日ごろの感謝や反省ができれば、もっと良しです

仏教では観音様というメジャーな仏様がいらっしゃいますが、このお方、私たちに教えを伝えてくれる時に、とっても多様な姿に変わって表れてくれると言われています

美女の姿の時があれば、男性の時もあり、あるいは動物だったり、老婆の姿だったり、そしてこのクリスマスは赤い帽子を被った、白いひげを蓄えた観音さまが来てくれているのだと、私は先輩から言われて、なるほどな~と思ったものです

ですので、皆様のお家のサンタ観音様は、どんな姿であらわれますかね?

是非聞かせてください(笑)

年内の更新はこれが最後です

皆様よいお年をお迎えください。

満員御礼、感謝感激雨あられ

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

12月になって一気に寒くなって、また暑くなってを繰り返してますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

光明寺では去年より始めた、光明寺奥の院での柴燈護摩のお勤めを無事に終えることができました

今年は去年にもまして多くの方がお参りしてくださり、筆舌に尽くしがたいほどの喜びと感謝をもって、ここに報告させていただきます

去年より始まったこの護摩供、元はお参りに来てくださる方の為のものというより、普段光明寺を守護してくださっている土地神様や仏様に対する「お礼のお勤め」ということで住職の目論見では、こじんまり行うつもりでした

しかし、多くの方々の賛同、支援を得まして、去年より規模も、参列の方の人数も右肩上がりで務めることができました

当日は天候も良く、風も吹かずと最高の条件で行えたことは「おかげさま」を頂いたとしか言いようのないものでした

手伝ってくださった皆様の「おかげ」お力添えをしてくださった神様、仏様の「おかげ」そして当日お参りに来てくださった皆様の「おかげ」

このどれが欠けても実現することのなかった状況に、感謝いたします

普段とは違う山の上の舞台を用意するために、秋口から少しずつ、12月に入ればほぼ毎日のように住職と詰めていきましたが、それが終わってホッと一息

やっと肩の荷が下りました

光明寺奥の院のお堂の前の浮島で行われる柴燈護摩

場所が少し狭いので、なかなか他の場所で行っている柴燈護摩と同じ段取りを、というわけにはいきません

小さなことから大きなことまで、あれをして、これを行ってと、そんなことをしていたら当日は頭が真っ白です

余裕などあったものではなく、時間が飛ぶように過ぎていました

極めつけは、お勤めが始まって、マイクを使い、声が皆さんに届くようにしていたのですが、私が色々する番になったところでマイクが「ブツっーーーー」

新しくつけたスピーカーが壊れるというアクシデント

もう焦りすぎて、あまり覚えていません(笑)

聞こえなくなったスピーカーですが、本番中ですので修理などできるはずもなく、もう気持ちを切り替えまして₍ヤケクソとも言いますw)気にせず本番を執り行いました

そんなトラブルもありましたが、お勤めは無事に終えることができて、来てくださった皆さんのお加持にはいることができました

来てくださった皆さんに、お勤めで使った剣を使って、良いことが起きますように、悪いことが起きませんように、良いご縁に恵まれますようにとの祈願をさせてもらいました

この後に住職の挨拶がありましたが、以下抜粋

このお山は、お参りしていただくのは昔からとても難所だと言われています(車が普通車は登れないので山道を30分ほど歩かなくてはいけないため)

ご年配の方は、登ってこられて一言「ワシらをこ〇す気か」とつぶやかれる方もいました

皆さんも今日は大変な思いをされたと思います

登ってお参りに来られるのに、近道はなく、一歩づつでないと進んでこれなかったはずです

そして歩を進め続けたために、ここにたどり着くことができました

人生もこれと同じだと思います

いろんなことを言われても、結局近道はなく、一歩づつ着実に歩いていかないといけない

当たりまえのことですが、私たちはそれをついつい忘れてしまいます

忘れがちなことを、今日ここへお参りに来られたことによって思い出していただいて、そして、手を合わせることによって、思い出したことに加えて、なにか仏様からのメッセージを受け取っていただきたい

そういう信仰の場として、この光明寺奥の院を使っていただけたら幸いです

以上

住職からのメッセージでした

お参りの方がどんな思いで帰られたか、私たちにはわかりませんが、なにがしか皆さんに良い「おかげ」があってくれたらいいなと思っています

来年も12月の第二日曜日に開催予定です

来られる方は来るもの拒まずですので、みなさんお越しください

グーグルの記載方法が少し変わりました

10月になり、ぐっと寒くなる日も多くなってきました

表題にも書いているとおり、このページに来ていただく方法が少し変わりました

直接ブックマークで来ていただいている方には関係ないのですが、検索してから来てもらっている人は、一度別のページに飛んでから、ここのリンクを押してもらう形になります

光明寺では、良い秋晴れの一日の中で護摩のお勤めを迎えることができました

護摩のお話しを書こうかなとも思ったのですが、普段は書かないお勤めの周りの道具など少し書いてみようかなと思います

写真は毎月本堂側面に掛けていますお軸、これはなにかというと、四国88か所の「お砂踏み」と言いまして、ご当地のお寺の土を袋の中に入れておりまして、私のおじいちゃん、皆さんの協力を得て私の祖父の代に作ったものです

これの意味は、現地までお参りに行けない人たちの為に、現地の土を踏むことでお参りしたと同じご利益を得てもらおうということで始まったものです

光明寺では毎月の護摩のお勤めの度に、違う札所の軸を8つ掛けまして皆さんにお参りしてもらっています

写真のコの字は燃える香の粉で作っているもので、私たちのお勤めの最中は、これが必ず燃えております

燃え尽きるとこのような感じになるので、新しく人力で作り直します

こういう道具を使って作ります

私たちお坊さんが、最初の下働きとして叩き込まれるのが、この作業で色々怒られながら、注文をつけられながら上手くなってきました

私の下積み時代の作業は未だに日々の生活の中で続いております

写真は仏様にお供えしているご飯「仏飯」です

私たちの朝炊いたお米を、朝ごはんの前に少し取って、仏様に最初にお供えしております

別に食べ物なら何でもいいのです、白ご飯でも食パンでも仏壇にお供えしてあげてください

まだまだ出そうと思えば色々ありますが、それはまた次に

住職の護摩の後、夜に護摩のお勤めを始めて3か月目

6時半から火を上げて、副住職の私が護摩を行っておりますが、まだまだ自身の修行不足を感じているところです

ですが、私たちと同じ若い世代が、なかなかお参りできないとの声をいただいているので、いつかは皆様に来ていただけるよう続けていこうと思っています

修行不足といえば、最近子育てでも自分の修行不足を感じ、改めて「親になる」というのは難しいと感じています

自分以外の人間の世話をして、育てていくことのなんと難しいことでしょうか

自分もやってもらったことなので、文句は言えぬと思い精進していきます

私たち人間って動物なので、本能とは切っても切り離せるものではないと思っています

そんな中で、子どもは誰に教えられるでもなく、健康な夫婦であれば勝手に出来るかと思います

しかし、勝手に子どもはできたとしても、残念ながら、勝手に親にはなれません

特に男性陣は母性本能など持っておらず、何も意識しなければ子どもができた後も、変わらず遊び呆ける人間もでてきます

だからこそ、どうありたいか?どんな親になりたいか?という理想を胸に抱き、理想とのギャップに悶えながらも過ごしていくしか無いと考えています

私たちお坊さんは、日々の朝のお勤めの中、仏心という仏様の心を持った生き仏になりたいと日々願い修行しております

最初は届かなくても、捨てず諦めず、面倒くても続ける

そんな修行を何十年か続けた後、もしかしたら生き仏と言われるようになれているかな?

…もしかしたらクソ坊主と言われているかもしれません(笑)

親も、お坊さんも両方とも難しいですが、ボチボチ続けていってみようと思います