寒くて大風の21日ですが

みなさんこんにちは

副住職の隆照です

オリンピック終わってしまいましたね

始まる前は色々文句もあったでしょうが、いざ始まってみれば、やはりスポーツ

手に汗握り、思わずテレビの前にかじりついてしまいました

カーリングなんか皆で声を上げながら見ていたのは、どこのご家庭も身に覚えがあるのではないでしょうか

そんなオリンピックが終わっても、まだまだ寒い季節は続きます

写真は光明寺の朝の風景を載せていますが、冷え込んだ朝の寒空の元、あちこちに氷がたくさんできています

いやー、ホントしばれる

おまけに今日は大気がよく動くと天気予報で言っていた通り、護摩の時間になると外は旗が曲がるぐらいの大風です

・・・見てるだけで寒いですね

そんな中で、光明寺にはホットなニュースがあったのです

なんと今月9日に家内が妊娠していた男の子を無事に出産することができて、待望の第一子が誕生しました

小さすぎて、抱っこするのも恐々です

世の新米お父さん方は皆こんな感じなのだろうか?と考えながら過ごしております

小さいながらも大きな命の力に圧倒されながら、親子共々成長できたら嬉しいかな?と思っております

さて、そんな我が子の誕生に浮かれているときに、私の幼馴染の宍粟のお寺さんから一本の電話が入りました

お寺の名誉住職(電話してきた子のおじいちゃん)が亡くなったので、葬式の手伝いをしてほしいとのことでしたので、直ぐに了解の返事を返して飛んでいきました

お通夜は17日に行われたのですが、ちょうど大寒波の直撃の日です

写真は宍粟のお寺の境内から撮ったのですが、まぁとんでもない雪ですこと

私の車は埋もれて出ることすらできませんでした・・・冬用タイヤもこのレベルではなかなか活躍できません

その代わり一夜明けた朝方はとってもきれいな・・・ガラスの中から見る分にはいい感じの天気が広がっていました

外はしっかり凍えるような寒さでしたけどねw

そんな中で行われたお葬式の準備から後片付けまでですが、亡くなられた老僧は92歳という事だったので、終始皆の中には納得と笑顔そして思い出話と少しの涙が漂っていました

老僧を慕った人が集まり、その下の私たちの世代がお手伝いをして、さらにその下の私たちの子供たちの世代が遊びまわる

そんな風景がありました

今までは当たり前のように見ていた風景だったのですが、自分の子供が生まれたからには少し見え方が違います

私は今年で33歳ですが、私の父親世代の人たちからしたら、小さかった子供がもう33になった!という感覚のようで、よく驚かれます

私から見ても下の子供たちは、もう3歳、もう5歳、もう10歳と同じように驚きます

時間って早いなーと思うと同時に、老僧のお葬式がなければ、もっと会わない人たちだったんであろうと感じ、お葬式の意味、意義とは?と考えます

仏教的に言うのであれば、お葬式は亡くなった人を仏様の弟子にして、成仏というゴールに向かって歩いていく、その用意と送り出しをしている時間です

しかし、それ以外にもたくさん意味があるように考えています

今回のように、久しぶりに会う人たちとの縁繋ぎはもちろんのことですが、やはり違う年齢の人たちが一堂に会して、行動するにあたって、同年代の中だけでは学べないようなことも沢山見て、知る機会になると思っています

私たちお坊さんは、いろんな年齢層と職種の人たちにお会いして、お話しをする機会がとっても多い仕事柄です

その交流の中で、めんどくさい、手間だと思うことももちろんたくさんありますが、それ以上に勉強になったこと、思い返してみて本当に良い助言を昔にいただいていた経験などが多くあります

お葬式というのは、亡くなった故人の人柄、人徳によって引き寄せられた人たちの、新しい縁を紡ぐ場所であり、私たち若い世代の仕事以外の、人生の学び場なのではないのかと考えています

世間に数あるお葬式ですが、それがどうか良い御式であることを願っています

山の護摩、私は欠席、そしてお盆の草刈り

いよいよ梅雨が明けたようで、暑くなってまいりました。

今年の梅雨は最初は、梅雨らしい梅雨になったなとおもっていたのですが、蓋を開けてみれば、降りすぎの過ぎたるは及ばざるがごとしでした。

各地の大雨で災害に見舞われた人たちの、一日でも早い復旧を祈ると同時に、少しだけですが募金を送っておきました。

ちょうど、友人のお寺が九州の被災地近くだったのですが、連絡を取ったところ、お寺は大丈夫だったのですが、檀家さんが被災されたとのことで、なにか役に立つ物資をみんなで送ろうとなったのですが、、、こんなタイミングで断捨離していたこともあり、古い毛布や衣類などがなかったのです。

私も物資送る組になりたかったw

仕方ないので、泣く泣く募金だけということになりました。

ほどほどの物は置いておくのが吉ですね。

心に刻んでおきます。

写真はお寺の境内の88か所影霊場ですが、毎年お盆前には、檀家さんの皆さんのお力を借りて草刈りを行います。

お盆でお寺にお参りに来る人の為にも、草ボーボーでは蛇の心配もあり危ないですからね。

今年は雨が多かった影響で草が非常に強い勢いで伸びてきており、草刈りが進んでいきませんでした。

機械の刃が止まるってどういうことや・・・

しかし、そんな中でもやはり皆さん熟練の技をお持ちで。

しっかりと確実に奇麗になっていく草むらは、いっそ感動を覚えるほど。

おかげで無事今年もお盆前の掃除を終えることができました。

ありがとうございます。

さて、今月の山の護摩は、私は法事が重なってしまいましたので出席ができませんでした。

ですので、写真はあげることができません。

しかし、法事の席でもお話ししていて出てきた話が一つ。

最近、私の非常に遠縁ですが、亡くなった方がいらっしゃったり、一時危なくなった人がいらっしゃったりしました。

人が亡くなるというのは、悲しいことで無い方がいいのは生きている人間側の永遠の希望ですが、人ひとりいれば、必ず誕生と亡くなるということがセットで付いてきます。

いくら医学が進んでも、アンチエイジングで若く見えていてもそれは変わりません。

皆さん頭では理解していることだと思います。

ですが、感情の面、心ではどうでしょうか?

余りにも人が亡くなるという事が、生活の傍から遠ざけられた現代、人が亡くなる姿を見たことがない子供はたくさんいます。

人が亡くなるという事は人生の一つの節目であり、終わりであり、仏教でいうと、肉体という姿から魂だけの姿になって、仏様になるための修行のスタートです。

お葬式で、亡くなった人の姿を見て、手を合わせるというのは、節目の姿を子供たちに教えてあげる大事な場所であり、亡くなった人が、私たち生きているものに、人が死ぬという姿を身をもって教える最後の大仕事の場です。

それを見ることができるからこそ、私たちは人生というものを考えられるのであって、永遠に生きるなど不可能なんだと自覚することができます。

節目があるから、頑張っていい人生を送ろうと努力できるんです。

今月はお盆。

亡くなったご先祖さまが帰ってこられる時期です。

頑張って人生を全うした大先輩たちに、手を合わせて、思いを伝えてあげてください。

きっと届きますよ。