暑い、猛暑、真夏日の護摩

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

暑い日が続いておりますが、お体の加減はいかがでしょうか?

光明寺では、本日21日、おそらく一年で最も暑いであろう護摩のお勤めが行われました。

朝から雨が降るかもしれない!という天気予報を裏切り続けてのこの晴れ渡る空。

本当に、景色だけならば爽やかなのですがね・・・

コロナ対策もあり、暑さ対策もあって、本堂をこのように全面開放しての一日でしたが、それでも暑かった。

終わるころには、みんな一様に汗が滲んでのあり様。

しかし、そんな猛暑の平日でありながら、非常にたくさんのお参りの方が来ていただいて嬉しい限りです。

当初用意していた、お勤めの後に皆さんに振る舞うお接待の冷やしたゼリーは数が足りず、急遽アイスクリームで補うことに。

嬉しい悲鳴です。

今日は初参加の方が何人か来てくれたので、それも嬉しいことでした。

悩みを持ってこられる方、習慣で来られる方、誰かに連れられてこられる方、皆さん理由は様々あれど、仏様の前では皆同じです。

そんななかで、毎月来ていただいている真楽寺さんのお話しで、行(修行のこと)が言われていました。

こんなに暑いのに護摩のお勤めに来る、あるいは、お盆の暑い中でお墓参りを行う。

それは私たちにとっての修行であり、私たちは生活の中で修業の部分が無くなると、直ぐに自分の欲望や身勝手な心に負けてしまう。

だから、大変だとわかっているときでも修行をしないと、どんどん悪い方向に向かって行ってしまうとおっしゃっていました。

仏教では、その悪い方向に連れていく自分の欲望や怠惰な心、自分勝手な心を『業』ごう、と呼んでいますが、皆さん馴染みがおありでしょうか?

キリスト教的に言うならば、一番近いのは七つの大罪ではないかと思います。

そういえば、この前読んだ本に面白いことが書いてありました

何気なしに読み進めていけばいくほどに、内容に既視感があるなーと思っていたところ、なるほど!と納得しました。

筆者の方が言いたかったのは、仏教で昔から言われていることでした。

自分の業を修行によって取り払うことで、私たちは同じ人生を歩もうとも、幸せを感じれるようになるよ、という内容で、それの修行の部分で瞑想が良いですよ。と書いている本でした。

西洋の方からすると、やはり普段から修行を行って、自分を奇麗にしていくという考え方は新鮮だったようです。

まさかグーグルで、ここまで仏教的考え方が取り入れられていたとは・・・

グーグルおそるべし。

私たち真言宗では、これをよく月と雲に例えます。

自分の真の心は月で、最初から空に浮かんでいるのだけれども、普段の生活をしていると、自分の業(あれが欲しい、誰かに腹を立てる、何故自分だけがと思う心などの悪い心)で隠れてしまっていますが、それを修行することによって、雲を払い、真の心を自覚することができると言っています。

私たちお坊さんの、毎朝のお勤めや、瞑想なども雲を払うためのものであり、それが仏様と通じることのできる方法です。

修行をずっと行っていった先に何が見えてくるのか?

私はまだ道半ばなので、見通しは立ちませんが、おそらく悪いものではないと確信しています。

皆さんも是非、普段の生活から行を行っていただいて、自分の雲を取り払って心豊かに生活していただきたいと思います。

最後になりましたが、毎日暑い日が続きますので、体調に気遣ってお過ごしください

合掌

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