山の護摩は華やかに

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

ドタバタの先月もようやく終わり、なんとか日常に戻りつつある気配を感じる今日この頃です。

今年は長期天気予報で、冬の冷え込みが激しくなると言っていましたが、この間まで、むしろ暑い陽気が多く、本当に冷え込むのか?と思っていたら、最近はめっきり冷え込みが激しくなりまして、震える毎日を送っています。

このブログを読んでくれている皆さんは、お体の加減いかがですか?

昔から冷えは万病の元と言われますし、実際私も冬のお参りをバイクで行った後などは、やはりしばらく体の冷えで調子が悪いものです。

しかし、そんな天候の中でも開催された奥の院の護摩は、寒さなんてなんのその。

みなさん途中から歩いて山を上がってくるのですが、約15分歩いて登ってきた後の第一声がだいたい「暑い!」ですから、良い感じに熱がこもっていらっしゃいます。

護摩のお勤めの時も、寒さなど一切感じず、約一時間のお勤めが終わります。

この日は、今年最後の奥の院での護摩の日だったこともあり、普段来てくれる方にもう少しだけ多くの人が参拝してくれていました。

若い方が多いと、やはり華やかさが違います。

バリバリ現役の社会人、大学生、就活に成功した子、みんなそれぞれ秘める思いは違うでしょうが、一様に手を合わせて、お勤めに参加し、祈る姿というのは真剣そのものです。

やはり、一生懸命になっている姿というのは、いつ見ても奇麗だと思わせるものです。

そこに老若男女の差などないと思わせられました。

お勤めが終われば、お接待です。

みなさん配られたお弁当に舌鼓を打ちながら、住職の話に耳を傾けます。

若干口の方が優勢になって、お話しの最初の方は耳が負けてしまうのはご愛敬。

この日は、最後の護摩の日ということもあり、みなさん様々なお供えを持ってきていただき、お供えされていました。

護摩のお勤めにお供えされたお菓子やお弁当を、御下がりとして、みんなで食べて分け合います。

きっとご利益一杯なはず。

ご利益だけではなく、同じ空間でみんなで物を共有しながら食べるのは、独特の楽しさがありますね。

一体感が生まれそうな気配?

この日は初めての妻のお勤めデビューだったのですが、残念ながら写真を撮り忘れてしまいました。

やはり何もかもが初めてなので、わからないことも多く、あたふたしながらも一生懸命動いてくれていたと思うのですが、本人曰く「不甲斐なく何もできなかった」と嘆いておりましたが、横から私が見ていると、皆さん非常に暖かい目をして見守っていてくださったのが印象的で、さっそく皆さんに受け入れられ始めているのでは?と思っております。

これから光明寺のお勤めでは、若い奥さんが皆さんをお迎えすると思います。

なかなか不慣れなものですが、どうかそこは、暖かい目で成長を見守っていっていただければ幸いです。

結婚式の報告と御礼

皆様いかがお過ごしでしょうか?

大変遅くなってしまいましたが、光明寺で行われた11月15日の結婚式の報告をさせていただきたいいと思います。

この度は、大変たくさんの方から祝福していただきまして、まことにありがとうございます。

また、当日の用意、御詠歌の練習、式の進行の打ち合わせ、他にも様々な形でお世話になりました檀信徒の皆様、役員の皆様、当日お菓子を配ってくれた子供たち、周りの人に結婚式のことについて触れて回ってくれた方々、他にもたくさんの方たちに様々な形での手助けをいただけたこと、心よりありがたく思います。

さて、この結婚式の一連の流れを少しだけ紹介しようと思います。

前日のうちにほぼすべての用意を終えまして、いつもとは違う本堂の内容になっておりました。

みんなで本堂やお寺の周りの幕を張り、重いものを動かし、会場の準備を整えていきました。

お寺の仏具も、この日の為にピカピカに磨き上げまして、腰が痛かったw

写真で分かりますかね?

そして、なんといっても最高の贅沢をさせていただいたのは、この写真の手前に写っている机です。

お坊さんの言葉で「密壇」というのですが、なんと匿名のかたが私たちの結婚式に合わせて寄進してくれるということで、お祝い事で使うお勤めの道具を新品で執り行わせていただけるという、お坊さんとしては最高の贅沢を味合わせていただけることに。

本当にありがたかったです。

さて、前日の準備はこのぐらいにして、やはり皆さん気になるのは、当日の様子。

朝からお手伝いで動いてくださっている役員さんたちの中、11時の式を前にたくさんの人が来てくれていました。

写真で小さな子供たちが配ってくれていたのは、祝い菓子です。

この日はお寺に来てくれた人たち皆、分け隔てなくお菓子のサービスです。

そうこうしていたら、待望の花嫁の到着です。

お手伝いいただいたお坊さんに「先導」「傘持ち」をしてもらい、お寺の門を花嫁がくぐってきてくれます。

そして庫裏の中へ。

ここから一度休憩して、親族紹介を挟んで、本堂での式に臨みました。

いよいよ式本番です。

なんといっても、この日の主役は花嫁

全てのお手伝いの方に、お願いしていますので、一番手厚く扱ってもらっています。

本堂での式の始め

私、緊張していました

だって、初めてなんですもの

一番最後の写真、私が誓いの文章を読む場面ですが、動画で確認したところ、非常に声が上ずっている。

緊張していたんだなーと後になって自覚しました。

当時はそんなこと考えている余裕もなく、とりあえず必死に文章を追っていました。

まぁ、そんな緊張した中で、ちょっとだけ嫁さんが支えてくれたので、なんとか最後まで騙し通せましたかね?w

式が終わっての集合写真を一つ

式が終わるまで、私は何一つ際立ったことはやっていませんでしたが、心の底からお手伝いしていただいた皆様のおかげで、この式が完成したと思っております。

式の中心を担っていただいたお坊さん方、式の前から交通整理、受付までしていただいた役員の方々、当日の記録をということで記録を取っていただいた方、お手伝いしてくれた子供たち、そしてそのお母さん方、遠方よりこんな事情の中来てくれた親族友人の方々、本当に誇張なく、皆様のおかげで最高の式ができました。

心より御礼申し上げると同時に、私たち夫婦もこれからなんとか皆様にこの恩返しができたら、と考え、頑張っていく所存でございます。

どうかこれから、暖かく見守っていただけますようよろしくお願いします。

最後は、私たち夫婦と、お手伝いしていただいた役員の皆様、そして次代を担っていくであろう子供たちとの写真を上げてお別れとさせていただきたいと思います。

本当に、心より最高の結婚式が行えたこと、皆様に感謝申し上げます。

ありがとうござました。

紅葉が見ごろになってきました

光明寺の大イチョウ

これだけはまだ色づくまで時間がかかりそうです。

皆さんこんにちは。

いつもとは違うタイミングでの更新です。

15日に私の結婚式を目前にして、用意しながらふと思ったので、紅葉の度合いを上げていこうかなと思います。

なかなか奇麗に色づいてきていますよ

本堂横のお地蔵さんのお堂です。

もう少ししたら、周りの紅葉も一気に色が変わるので、見ごろは来週ぐらいからでしょうか。

上手くいけば、結婚式当日は奇麗に色づいているかも。

本堂の裏の木が色づいてきました。

お堂には、お寺の行事にかかわる五色の幕が掛けられたため、後ろの紅葉と相まって、非常に奇麗に映っております。

あと二日で、さらに色づくことを期待したいです。

お山の護摩は赤飯と共に

みなさんこんにちは

副住職の隆照です

秋の訪れを感じて、ともすれば冬の気配がも感じるようになってきた今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

本日、光明寺奥の院の護摩はいつも通りの第二日曜日の10時から、いつも以上の最高の天気と気持ちで始まりました。

お勤めは、いつも住職の法螺から始まります。

この法螺貝、なかなか音を上手にならすのが難しい代物でして、私は少しづつ練習はしているのですが、いつまでたっても上手くなる気配がしません。

口びるの形なんかも、もしかしたら影響しているのかな?

ともあれ、山のお堂の中に響き渡る法螺貝の音は、感性に訴えかけてくるものがあります。

みなさん感じ方は人それぞれでしょうが、しっかりと手を合わせて、目を閉じ、思い思いに集中されています。

火が上がれば、住職の「願文(がんもん)」といいまして、今日のお勤めは、どの仏様に、どういう意図で行い、みんなで一緒に般若心経を唱えるので、それの御利益をお願いしている人たちに与えてください。という文を読み上げます。

願文にかんしては、一応手本の形というものはあるものの、それぞれお寺の住職によって、好みがあるものですから、意外とオリジナリティあふれるものです。

非常にマニアックな部分になるとは思いますが、銘々のお寺さんの願文を聞き比べてみても面白いかもしれません。

そして、おつとめが終われば、いつもお接待のお菓子やお弁当を食べて、法話という流れになるのですが、今日は少し趣が違います。

本日は、私たちお寺側から、皆さんに私の結婚の話をお祝いしていただいたお礼として、お赤飯を配らせていただきました。

朝一番にお弁当屋さんに取りに行ったのですが、やはり「お寺」が赤飯をたくさん頼むというのは、お店の人も興味深々なようで、「なにかあったのですか?」としきりに聞かれました。

別に隠すことではないので、結婚のことを言うのですが、結果的に、なんだか方々で言いまわった形になってしまったので、少し恥ずかしい。

ともあれ、この日は他のお参りの方がインスタントのお味噌汁を持ってきてお接待してくれていたので、純和風が完成です。

やはり、良いことは皆で分け合うと、気持ちいいですね。

そして、その良いことの報告を暖かく受け止めてくれる、周りの人々に恵まれたので本当にありがたい限りです。

皆さんにも、良いご縁のおすそ分けができますように。

合掌

秋の護摩は静かな賑わい

みなさんこんにちは

秋もずいぶん深まってきて、最近は朝晩が冷え込んできているなという印象です。

今年はコロナの関係で、秋のお祭りが軒並み中止になってしまい、ずいぶんと寂しい印象です。

個人的にお手伝いに行っている姫路の白浜のお寺も、例年ならば祭りの準備、寄り合い、当日と、9月ぐらいから活気づく男衆も、今年は鳴りを潜め、みんな一様に寂しいと言っています。

秋のお祭りは、そのほとんどが収穫祭で、農作物の恵みに感謝すると同時に、みんなが今まで頑張ったのをねぎらう宴会でもあります。

周囲の田んぼが軒並み収穫して、皆さんが慌ただしそうに動き回っているのを観ると、嬉しいような、少し寂しいような気持になります。

本当に、来年はできるといいですね。

お坊さんとしてではなく、一市民としてそう思います。

さて、秋といえば、お寺としては彼岸が終わり、何かしらのイベントを用意しているお寺さんもありますが、基本的にはのんびりした期間です。

そんな中で行われた光明寺の21日の護摩のお勤めは、寒空の朝でしたが、非常に良い天気の一日になりました。

収穫の時期で、さらには平日ということもあり、あまりお参りの方は来られないのかと思っていましたが、たくさんの方にお参りしていただき、用意したお接待の菓子パンが足りるか?と嬉しい心配をするほど。

みなさんのお参りに感謝いたします。

写真に写っているのは、いつもお手伝いしてくださる真楽寺さん。

光明寺の住職と間違えないでくださいねw

いつもしてくださる法話は、私も思わずなるほど!と思うものばかりです。

今日は食べ残しから、余裕の話でした。

なんのことかわかりますか?

真楽寺さん、昔はたくさん食べられていたそうですが、年齢と共にだんだん食べる量が減ってきたとのこと。

しかし、奥さんは昔の量のままご飯を作るので、それが当然ながら食べ残しになってしまいます。

奥さんは、もったいないから食べきろうとするのですが、そんなことを続けていたらお腹周りと体重計がひどいことにw

それを見て、真楽寺さんが言うのは、次の食事の時に食べるから残しておいてくれ。

奥さんは、古くなる前に食べきりなさいと更に言う。

なんとも面白い夫婦漫才のようなお話しなのですが、次があると思える生活をしているから心の余裕が生まれると言われました。

なんでもぴったりはしんどいと。

確かにそうですね。

それには私も賛成です。

適当ないい加減さは必要だと思います。

先日もお寺に来られた人の話を聞いていて、お話ししたのが「あきらめる」ということについてでした。

皆さん「あきらめる」と聞けばどういう印象を持たれますか?

もう無理だ、と投げだしてしまう印象でしょうか?

実は、仏教において「あきらめる」とは、物事を明らかして、そしてありのままを受け入れるという意味です。

自然の音や、人の呼吸音、自分の鼓動、他人の息遣い。

いろんなものがある中で、音をなくすのは不可能ですよね。

それを、どうにかしようとすると、成果のないわりに、とても疲れますよね。

どうにかしようとするのではなく、ありのままを受け入れてあげる。

それに必要なのは、心の余裕であり、物事を決めつけず、受け入れていく仏教の姿勢なのかと思います。

みなさんの生活にも、余裕が持てますことを祈っております

台風一過 素敵な護摩に

みなさんこんにちわ

副住職の隆照です

本日の光明寺奥の院の護摩は、台風で心配された天気もまるで嘘のように、すっきりと台風一過の空の中行われました。

本日は天気の関係か、お参りの方々もいつも以上に多く、初めてのかたのお参りもあり、いつも以上に活気のある光明寺になっていました。

なんと新婚さんも夫婦でお参りしてくださり、非常に仲睦まじい姿を見せていただき、私ももうすぐ結婚の身でありますから、見習うようにしたいものです。

そんな中始まった奥の院の護摩のお勤めでしたが、なんと今日は途中でアクシデントが一つ。

護摩の火が上がるか上がらないかのタイミングで、周りの空気を引き裂くような女性の悲鳴!

事件か?事故か?

はたまた悪霊か!?

みんなの視線がお堂の中に座っている女性に注がれます。

唱えていたお経の声も止み、みんな木魚の音だけが響く中、原因はわかりました。

どうやら、叩いていた木魚をねぐらにしていたトカゲが出てきたようで、それを蛇と間違えて悲鳴を出してしまったみたい。

原因がわかれば、すぐに対処はできます。

戸惑うトカゲを引っ掴み、すぐさま外へ。

しかし、これは第三者だからできること。

叩いてる木魚の隙間から、いきなりトカゲが出てきたら、私も驚きの声を上げる自信があるわ!w

みなさん、とてつもなくびっくりされたと思います。

しかし、私は生涯初めて、人が本気であげた悲鳴を聞けましたので満足。

今後、映画の悲鳴じゃ物足りなくなるかもしれません。

そんなトラブルがありながらも、お勤めが終わり、お接待を配って、住職の話へ。

今月のお接待は、私たち今井のお家から出させていただいております。

というのも、今月初めに妹の結婚式があり、さらには来月には私の結婚式があるので、幸せのおすそ分けということです。

この時の住職のお話しが、非常に良いこと言っているなと思ったので、要約。

私たち真言宗、弘法大師空海の弟子たちは、科学も医学も否定していません。

むしろ、宗教に並んで大事だと考えています。

お大師様も、時の天王、嵯峨天皇の病気平癒を祈られた折に、お勤めをして、祈願して、念を込めたお水と一緒にお医者さんの薬を送りました。

そして、医学が欠けてもダメですし、お祈りが欠けてもダメですから、両方良く堪能していただいて、早く良くなってくださいという旨の言葉を送られました。

身体と心、両方健康になってくださいという意味でしたが、それと今の状況は似ています。

コロナが蔓延してきて、今は小康状態になっていますが、これから冬にかけて、必ず感染者が出てくるでしょう。

そういう人が近くで出てくる状況もあるはずです。

しかし、しっかりとした治療を施せば、治って元気になるものです。

それを、コロナにかかった人、という偏見でずっと見ていると自分の心も病んでしまううえに、治ったはずの人の心もまた壊してしまうことになります。

ですので、必ず体の健康はお医者さんに直してもらい、そのうえで心の健康は、お参りしたりして、元気をもらえるものをすることによって保っていきましょう。

本来ならば、秋の気候の変わりやすい時期、皆さんも体調を崩しやすい時期ですので、どうかご自愛いただき、心も体も健康にお過ごしいただくことを祈っております。

秋の彼岸は秋穂の賑わい

皆さんこんにちは

今年の彼岸は、コロナと共に過ごす時間となりました

お寺側も感染防止策を探りつつ過ごしております。

他のお寺さんの話も、よく耳に入ってきますが、皆さん暗中模索ながらもなんとか現状と闘っていっている現状ですね

なかなか一足飛びにはいかないものですね

そんななかで光明寺の秋の護摩、彼岸のお勤めは形を少し変えながらも、無事に行うことができました。

例年でしたら、午前中に護摩を勤めて、お昼ご飯をお接待させていただいて、午後から地域の方たちみんなでお勤め、という流れになるのですが、今年はお昼ご飯のお接待は無しで、窓は全て開放した状態で行いました

やはり彼岸、秋分の日というのは世間も休日になるので、護摩のお勤めも、普段ではなかなか揃わないような顔ぶれの方たちが集まっています

小学校に上がった子たちも来れたので、本当に雰囲気がキラキラと明るい感じがしております

いつも書いてますが、子供の力ってすごい

今月は護摩のお焚き上げする木が、よく乾いていたおかげか、非常に火の勢いが強くなりました…手が熱い!

思わず火傷しそうな場面もありましたが、本尊さんの忠告で「気を緩めるな」と言われているのだろうと思い、改めて気を緩めることなく、物事に取り組んでいこうと決意。

お勤めの最中に色々考えたり、思いついたりする瞬間がありますが、それこそが仏様からのお諭しであったり、小さな悟りの瞬間だと私は思っています。

ですので、お勤めの最中に思いついたことは、なるべく忘れないよう、気をつけるようにしています。

そんな護摩も無事に終わり、住職の話。

奥の院の山の護摩でもお話しましたが、お大師様の記念の年なので、皆さん是非写経をお願いします。という一連の流れから、地獄のお話を少々していました。

この時私はどうしていたかと言うと、外で子供たちのお守りです。

…もしかしたら、私の方が子供たちに遊んでもらっているのかも?(笑)

みんな楽しそうなので問題ないですかね^^

お昼のゆったりとした休憩時間では、子供たちは元気いっぱい。

なんと、小さなトカゲの赤ちゃんを見つけてそれを鷲掴み

みんな可愛い顔して、行動が男前すぎるよ…

それでお母さんがトカゲ持って追いかけられるものですから可哀そうなのに、微笑ましい(笑)

その後に1時より、地域の皆さん集まってのお勤めです。

やることは簡単なのですが、皆さんの慣れた声と揃った声量がベテランの迫力を出しています。

そしてここで住職の話なのですが、先ほど護摩の時に少しだけ話していた地獄の話を、ここで心おきなく話しています。

どうやら、護摩のときに全部話してしまうと、後の話題が無くなってしまうと小出しにしていたみたい。

地獄とはいろんな種類があって、とても長い期間居ないといけないのですが、基本的には救われるため、悪いことした反省をして良い方に行くために地獄はあるのですよ、というお話。

しかし、それを聴きながら私は自分の師匠を思い出していました。

高野山で修行を見ていただいたとき、師匠はこの地獄の話が好きでよく私たち修行僧たちにしていたものです。

地獄はあるんだ!と毎日、手を替え品を替え言われ続けると、はたして地獄とはなんだろうか?と考えるようになり始めました。

私たちお坊さんは、そんな調子だったのですが、この師匠、一般の檀信徒の方にも同じような地獄の話をしたものですから、聞く人たちは事前知識が足りない状態で聞いていたので、ポカンとした顔をしながら聞いていたのを今でも覚えています。

そんな地獄ですが、生前の罪によって落とされる場所が違っていて、数多くの悪いことをした人ほど、深い地獄へ落とされます。

そしてその判決が下されるのは、亡くなってから49日間と言われています。

一般にその期間は、喪中、忌中など、いろんな呼び方がありますが、初七日、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)などの期日ごとに、新しい審判を受けていくと伝わっています。

だから、私たち生きている側の人間は、亡くなった人が少しでも良い場所に行けるように、期日ごとに皆んなでお経を唱えて応援してあげるのです

お経の力はすごい功徳があると言われているので、みなさん是非応援してあげてください。

九月の護摩は、悲しいお知らせ

皆さん、こんにちは。

九月になってようやく少しだけ涼しくなってきました。

今年の夏は本当に灼熱という言葉が当てはまる暑さと、雨の少なさでした。

光明寺のある赤穂市有年では、まとまった雨が8月中なんと一日もないということで、いろんなものがミイラになるかという異常気象でした。

それが、秋雨前線の影響でなんとか雨もチラホラ降りだしてくれているので、少し安心しています。

ほんと、時代が違えば、干ばつ飢饉で死者がでるような状況でした。

さて、そんな光明寺の9月の山の護摩は、雨が心配された予報でしたが、爽やかな青空の元で無事に行うことができました。

お堂を開け放していると、抜けていく風が非常に心地良かったです。

皆さん思い思いのお願い事を祈願されて、ご自身でも真剣にお祈りされていました。

護摩が終わって住職の話では、題名に書いた通り悲しいお知らせが

今年の10月末に高野山での、お大師様が「弘法大師」という名前をいただいて1200年を記念して、高野山では全国各地からのお写経を集めて、お大師様に届けるという、大きな法要を行う予定だったのです。

私たち光明寺もそれに伴い、バスを借りて、皆さんで高野山にお参りしようという企画をだしていたのですが、残念ながら中止せざるを得ない状況になりました。

私も皆さんと、高野山へのバス旅行、普段はなかなか話す機会のない人たちとも会えるときであったので、残念です。

しかし、高野山としては、全国からのお寺の檀家さんをお招きするという事はできないものの、お大師様に皆さんの気持ちをお伝えするお勤めは、小規模ながら全国のお坊さんを招いて行うので、その時に奥の院に納める写経を募っています。

上記の写真に写っているのが、今回納める写経です。

写経は普段は般若心経というお経を書いていただいていますが、今回はより多くの人にお大師様に思いを伝えていただきたいからという理由で、より簡単な大師寶号「南無大師遍照金剛」という言葉を10回書いていただくだけのものになりました。

皆様を高野山へお連れすることは叶わなくなりましたが、代わりにこの写経を奥の院にお連れしていってきます。

山の護摩に来られた方々も、この写経を皆さん持って帰っていただいて、書いてきますと言っていただきました。

従来の形からは変わってしまいましたが、皆様のたくさんの思いがお大師様に伝わればいいと思っております。

後編~吉田僧正~桃太郎~

みなさんこんにちは

24日の話、後半編です。

早いもので、吉田僧正に来ていただいて、お話しをしていただくのも今年で3年目です。

知らない人の為に、吉田僧正の簡単な紹介を。

実はこの方、元々プロの落語家さんでした、それを結婚された相手がお寺のお嬢さんだったという事で、婿入りでドナドナをされまして、お坊さんになられたわけです。

さすがはプロの落語家、最初の年はご自身のいきさつと、それで密教の教えを面白おかしく話していただいて、みんなにも大人気でした。

吉田僧正、落語家の名前を桂米裕と言います。

そして、実は落語家のお名前だけでなく、お坊さんとしては、本山高野山が認めた、本山布教師の資格も持っておられるのです。

ちなみにこの資格、私も目指しているのですが、まだ私は初心者マークが外れていません。

なかなか、大先輩の背中は遠い!

そして、そんな吉田僧正の今年のお話しは、なんと桃太郎でした。

非常に面白く、そしてわかりやすく語ってくれている内容は、聞いている聴衆がのめり込むようなものでした。

桃太郎というのは、皆さんよくご存知のメジャーな昔話ですが、それを研究されている方もたくさんいらっしゃるようで、いくつか説があるようですね。

おじいさんとおばあさん、語り口調では「ジジ」「ババ」ですが、それは「チチ」「ハハ」が濁ったものだというのが有力なそうで、父母、祖父母に孝行しなさいよ!という教えを言うには非常に良い具合なので、そのまま語り継がれているそうですね。

また、思わずなるほど!と思って頷いてしまったのは、川の上流から桃がドンブラコドンブラコと流れてくるというシーンの意味ですが、川の上流からというのは、おじいさんが種を撒くということをほのめかす表現の技法だそうで。

おじいさん、撒いていたのねw

桃を2つに割って、そこから男の子が飛び出したというものは、桃というのは、女性の足「ふと(もも)」の表現だそうですね。

だから、それを割って出てくる男の子はおばあさんが産んだことになると、、、

それは流石にジジ、ババでは出来ませんね。

このような、思わずなるほど!と思ってしまう内容が、吉田僧正のお話の中にはたくさん詰まっています。

そのお話がどんどん進んでいって、クライマックスに差し掛かると、吉田僧正はこう言います。

実は、桃太郎というお話は中国の儒教思想に大きく影響を受けて作られたお話で、仏教的なお話ではないのです。

では、どうすれば仏教的になるのでしょうか?

こう皆さんに問いかけられて、みんなが考えこむわけです。

さて、皆さんはどうしますか?

桃太郎の結末は、鬼を成敗して、その財宝を持って帰って、おじいさんとおばあさんと一緒に仲良く暮しました、めでたしめでたし。だったと思います。

そこに吉田僧正は仏教的な結末にするのは一つの付け足し、さらに、私達真言宗の教えである密教的にするのは2つの付け足しで事足りるとおっしゃいます。

まず、仏教的な話の結末にするのは簡単です。

桃太郎は鬼を成敗して、その財宝でおじいさんとおばあさん「そして、村のみんなに分け与えて」仲良く暮しました。

これが仏教的です。

自分一人、自分の家族だけ、ではなく、みんなで幸せになりましょう、というお釈迦さまの教えを考えると、なるほど!となりますね。

そして、密教的にするのは、さらにもう一つ

桃太郎は鬼を成敗して、持ち帰った財宝でおじいさんおばあさん、村のみんなと仲良く暮したうえに「敵対した鬼も改心させて、悪事を起こさせないで村で一緒に」幸せに暮しました、めでたしめでたし

これが密教的なお話の結末であると言われました。

みんなで幸せに、その究極は敵も幸せにしたら、敵じゃなくなりますよね?

全ての存在は、仏の優しい心を持っていると言われているので、不可能ではないはずです。

心に仏を宿す=仏の優しい心を宿す、これこそが、私達真言宗の目指すところ、即身成仏です。

死んで仏になるのではなく、生きたまま仏になる、仏を身に宿すことですよ。

と言われて、お話を締めくくりました。

思わず気がつけば、40分という時間があっという間に過ぎてて、非常に楽しい法話でした。

一応要点は書き出したつもりなのですが、本家本元の足元にもおよばません。

なお詳しい話が聞きたい方は、ぜひ吉田僧正に直接会っていただいて、お話を聞いていただくのをおすすめします。

このような、素晴らしい法話も今年で3回目になり、暑い中ではありましたが、無事に御施餓鬼の日を終えることができました。

今年は大変な状況の中でしたが、様々な方の尽力のおかげです。

深く感謝しております、ありがとうございます。

また光明寺をよろしくお願いします。

涼しくなってきたら、またお参りに来てくださいませ

今年も盆の暮、夏の終わりの24日

みなさんこんにちは。

更新の間隔が短く投稿です。

今年も24日の施餓鬼のお勤めが光明寺で無事に行われ、コロナ対策で館内全開放の換気のもと、行われました。

仕方ないとはいえ、やはりこの時期の窓開けは暑かったです。

終われば着物から汗が滴るレベル。

うーん、人間の身体ってすごい!こんなに水分を貯めてるんだと、謎の感動を覚えるこの頃です。

さぁ、そんなことはさて置いて、本題行きましょう。

今日の文章は長くなりましたので、ひとまずこのページでは施餓鬼のお勤めの報告として前編とさせていただきます。

後編は吉田僧正のお話しをメインに後日アップします。

この24日の施餓鬼というものは、お盆で帰ってきたご先祖様の供養の流れから続く一連の行事です。ここまでやって、お寺としては夏が終わる!という感覚です。

と、言いますのも、実はお盆というのは、自分の家の先祖の墓参り「だけ」のためではないのです。

写真にのせているお経の本、なまえは「うらぼんぎょう」と読みます。

これにはお盆の始まりとなった木蓮さんというお坊さんの話が書かれていますが、詳細はご自身で見るか、お寺に来て本を見てみてください、ここではざっくりと。

木蓮さんのお母さんが亡くなったときに、生前の罪で地獄に落ちてしまうのをどうやって助けたらいいか?というお話しなのですが、木蓮さんは非常に優秀なお坊さんでしたが、一人だけの力では、どうやってもお母さんを助けることができませんでした。

それぐらいお母さんがいた地獄の世界というのは、厳しい場所に堕ちていたのです。

そこで、木蓮さんはどうやったかというと「ワンフォーオール、オールフォーワン」です。

意味が分かりません?

そうですよね

私もこれだけじゃわかりませんw

木蓮さんは、一人の力だと足りないと言われたので、国中の人たちの力に頼ることにしました。

お坊さんだけじゃありません。

老若男女、全ての人にちょっとだけ力を貸してくださいとお願いします。

そして、全員に「木蓮さんのお母さんだけ助けてください」なんて言っても、力を貸してくれるはずはありませんから、「救われない人の霊、人以外の霊、みんなを助けるために力を貸してください」とお願いしました。

方法は、ご飯とお水をお供えして祈りましょう。

これだけです。

しかし、他人の為にお祈りするというのは、実はとてもすごい功徳の力が溢れることです。

最近は心理学なんかでも、人は他人の為に行動するときの方が発揮する力が大きいなんて発見されたりもしてますので、納得のことです。

そんな一人一人の小さなお祈り。

他人の為に祈るということが、大きな力を生み出して、木蓮さんのお母さんは、他の地獄に落ちていた人たちとも一緒に救われることができました。

これが、お盆の始まりです。

私たちには関係ない?

地元にそんなお勤めがない?

ちょっと待ってください。

私たちの生活に馴染んでいますよ?

お寺の施餓鬼のお勤め、地域の地蔵盆、精霊流し、これらは元は全部同じです。

お墓参りで、お仏壇で、先祖に供えた食べ物の残りを、救われない霊たちに食べてくださいね、と流すのが精霊流しです。

私たちは、生活の中に知らず知らずのうちに、行っていることです。

ですので、お寺としても、ここまで行ってお盆が終わった!という認識です。

でも、今年は本当に暑かった!w

いつも活躍してくれる役員様です。

ホントありがとうございます。

持って帰っていただいたお接待の中身です。

おはぎとお菓子はお寺からですが、ちゃんぽんは檀家さんからの寄付と、ここにもう一つ、檀家さんのおばあちゃんが畑で育てた大きななすびが追加されました。

ホント嬉しい限りです。

光明寺のアイドル三人組です。

みんな大きくなって可愛さにますます磨きがかかってきたかな。

お勤めがすべて終われば、夏の間皆さんにお参りしていただいた塔婆の台も解体です。

また一年後まで倉庫で眠ってもらうことに。

そして、お塔婆はお性根抜きを行い、雨の日を待ってお焚き上げです。

~後半  吉田僧正(桂米裕)のお話しへ続く~   近日中にアップ