般若心経秘鍵とは

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

梅雨明けの時期、とてつもない大雨の中ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか?

去年はずいぶん雨の少ない空梅雨でしたが、今年は一転

いかにも梅雨らしい梅雨となりまして、毎日水の中で生活しているかのような錯覚を覚える気候になっております

光明寺の奥の院の護摩のお勤めは、残念ながら雨の中でしたが、普段とはちょっと違う神秘的な霧に包まれた中、しかし、とっても高い湿度と共に行われました

これだけ湿度が高いと、なかなか護摩に使う木が燃えづらく、いつもよりも火が上がらない中でしたが、皆さんのお願い事が書かれた添え護摩をしっかりと燃やしきることができました

実は先日、お坊さん内の講習会がありまして参加してきました

その内容というものが、皆様がよく知っている般若心経

様々な宗派で使われているこのお経ですが、各宗派の祖師さんで解釈が少しづつちがったりします

何故かといえば、元は般若経という600巻もある長ーいお経の内容を、要点だけ抜き出し262文字にまとめたものですが、短くしたがために理解するのが難しく、いろんな人が自分の修行の到達点からの感想を踏まえて、解説書を出しております

そして、そんな中でも私たち真言宗の代表格は、弘法大師空海の書いた(説いたとも)般若心経秘鍵というものがあります

私はまだ学生の頃のに、この秘鍵を講義で聞いていましたが、、、なんのことかさっぱり?www

まだお坊さんの修行も始まってなかったので、当時の私には高度すぎて呪文を聞いているがごとし

その証拠に、今回の講義に向って久しぶりに開いたテキストには落書きの山w

そんなこともあり、お坊さんになってから、秘鍵は詳しく勉強したいと思っていたのですが、今回機会を頂けたのに飛びついたわけです

講義の最中は非情に興味深い内容の山ですが、同時にこの内容はやはり大学生の私には難しすぎたのだなーという納得

文章の解説を聞いていくと、お大師様の宗教観というものが一端ですが見えてきます

そんな中で一番気にいった内容というものがありました

それは現実世界の目に見えることばかり考えると、迷いの境地に入り込んでしまって、少しも先に進むことができない

お大師様は先に進めないことを横のつながりと表していました

反対に良い教えというものはタテに伸びていく教えであると表しています

このタテというのは未来、時間に対する考えです

仏教とは時間に対する教えかもしれない、というものが私の理解です

過去のご先祖様を大事にすることによって、現在の私たちに繋がり、そして未来、私たちの子供たちへと色々なものを残し、繋げていく

そんなタテの繋がりの手助けをするのが仏教という教えであると私は感じました

ご先祖様を大事にして、現在の自分を大事にして、そして未来を作るであろう子供たちを大事にする、そうすると今の自分がいる世界が極楽浄土であると気が付くことができる素地ができる

それがお大師様の教えの根本にあるのだなと感じれました

皆様も自分の周りだけでなく、タテの繋がり、過去から未来へ続くものは何か?と考えてみていただければ幸いです

初の参拝者でした

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

いよいよ沖縄の梅雨が明けようとする中、本州は梅雨の本番になってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

光明寺は6月頭の高野山団体参拝も無事に終わり、蒸し暑くなってくると、元気よく伸びてくる草木たちと戦いながら日々を過ごしております

今月も21日のお大師様の日には、光明寺本堂にて護摩のお勤めを行いましたが、皆様田畑で忙しい中でも、参拝してくださり嬉しい限りです

そんな中、我が家の子供は護摩のお勤めは欠席です

流行に乗り遅れることのないように、季節の最先端、夏風邪をもらってきてしまいまして、見事にダウン

熱も上がったり下がったり、コロナやインフルかと心配しましたが、それらも無事に陰性

ひたすらに食べて寝てを繰り返して、やっと回復の兆しが見えてまいりました

そんな中、いつものように私が夜の護摩に入っていたところ、いつもとは違う気配

お勤めをしながら「おかしい、普段より人の気配が多い」

しかし、お勤めの最中に後ろを振り向くわけにもいかず、そのまま終わりまで行い、振り返ると、なんとお参りの方が二人

この夜の護摩を初めて約一年

初めての参拝者に、私が感動してしまい色々普段撮っている写真を撮るのを忘れて、そのまま談話を始めるということになりましたw

一人で護摩を始めるということで、心細く思いやめようかと思う時もあったりしましたが、やはり何事も続けていかないとだめだと思い、報われる形となりました

まだまだこれからも続けていく護摩のお勤めですので、興味がわきましたらお参りくださいませ

一大行事、お久しぶりです

みなさまお久しぶりです

非情にたくさんの雨を降らせた台風2号が過ぎまして、被害のあった方も、なかった方も、なんとか日常に戻ろうとしてきている頃合いではないでしょうか?

この光明寺のブログも、忙しさにかまけてついほったらかしにしてしまっていた私、反省しております

皆様に報告しなければいけない、一大行事が無事に終わりました

光明寺団体参拝が、この6月3日、4日と一泊二日の日程で無事に高野山に行ってくることができました

当初は台風の日程と丸被りで、どうしようか、雨の中の参拝か中止かと懸念しておりましたが、蓋を開けてみれば、台風は急加速、前日までの大雨が嘘のような最高の快晴の元、行程を終えることができたのも、単に皆様の普段の行いの賜物であろうと思っています

和歌山は元々雨の多い土地ですが、それにもまして降ったようで、高野山への道中は所々土砂崩れの場所が見受けられました

川の氾濫もあったようで、ニュースで見る以上に被害の多い中でした

高野への山道も、前日まで通行止めで、山の上で生活している方々が下山することができなかったようです

あと台風の進みが半日でも遅くなっていれば、叶わなかったのですが、台風一過の素晴らしい青空と共に、メインの行事であった6月4日の高野山大伽藍金堂でのお勤め、それの前座である稚児行列に、我が子ともに参加できました

まだまだ体が小さすぎるので、色々工夫のうえ、ぎりぎり着ているような状況でしたが、それでも一人前に歩くことができました

この度の団体参りも、このお勤めに合わせて企画されたもので、弘法大師空海の生誕1250年を記念してのものです

日程としては、3日の朝に皆様を各所でマイクロバスで拾い上げ、お昼に高野山着

コロナの期間中は、これまでの通例の団体参りも中止しておりましたので、実質4年ぶりの開催です

お昼ごはんを食べた後、大師協会で授戒という儀式を暗がりの中で受けて、後に金剛峯寺で写経奉納式

光明寺檀信徒の皆さんが納めてくれた8年分の写経がなんと460巻という膨大な数ありまして、これを金剛峯寺に納めたのですが、その時に感謝状もいただきまして、それを光明寺の玄関に飾っております

是非、皆さん来院の際はご覧くださいませ

その後、奥の院に参拝となりましたが、ここで案内人さんにバトンタッチです

そして、なんとついてくれた案内人さんが、私の先輩にあたる方でした

非常にお話しも上手く、そして皆さんを飽きさせることなく、最後はまじめな話できっちり締めるという芸当を見せられ、もう皆さんも私も大満足

歩いて二時間ほどの日程でしたが、誰もが時間を感じることのない、あっという間の奥の院でした

この後、金剛三昧院に宿坊のチェックイン

そして翌日が、上記の稚児行列とお勤めを見て帰ってくるという日程でしたが、ほんとあっという間に終わった二日間でした

この日の為に色々用意で走り回ってきたことを考えると、長い時間でしたが、終わってしまえばあっという間

そして、何より参加した皆さんが大満足してくれている様子を見ると、報われる思いで行ってよかった、企画してよかったなと改めて感じました

参加してくれた方々にも、用意で動き回ってくれた方にも、心から感謝しております

また次の機会も、団体参拝を企画するつもりですので、今回参加できなかった方の参加もお待ちしております

暑い日になりまして、鯉もへたっております

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

あっという間に4月も半ばを過ぎまして、ぼちぼちと鯉のぼりを出しました

去年に産まれた我が子の鯉のぼりも無事に二回目の登場です

去年は自分で歩くことも叶わなかった千照が、今年は自分で歩いて見上げて指をさしているのを見ると、なんだか嬉しいような、時間の感覚が早すぎて怖いような不思議な気分です

今年は普段と違うものが上がっているのがわかるようで、嬉しそうに見上げては手を振っていました

さて、光明寺では今月も21日に無事に護摩の勤めを行うことができました

20,21と4月どころか初夏並みの気温に上がり暑い中でした

心持鯉のぼりもバテて元気がないように見えますw

最近身をもって感じたのは、挨拶というのは、一番最初に行う対人の基本ですが、他の何を差し置いても自分を助けてくれるということです

子供の送り向かいでいつもすれ違う子供たちは、こっちが気が付いていない時でも気持ちよく挨拶をしてくれて、私も見習おうと思わせてくれるほどです

以前手伝いをしているお寺の檀家さんで、口が悪くて気難しいと言われる人がいました

たまたま私がその家に伺うことになったのですが、事前に「気をつけろ」と言われていたのでこちらも家の玄関に立つともうドキドキの緊張でした

奥から出てきたおじさんは・・・顔がめっちゃ怖いw

内心びくびくしながらでも、お参りをして話をして・・・何もないどころか、ずいぶん気に入ってくれて、仲良くなりました

いやいや、私よ、油断するなよ、これは罠だ!と思い、お参りに行くこと一回、二回、三回・・・あれ?

半年もしたころ、おじさんとお参りの後で雑談していたので、思い切って聞いてみたのですが、私の前の方々はに何故お怒りになられたのか?と問うたところ、挨拶が小さく、はっきりとしていなかったとのこと

私は挨拶が一番良かった、それだけでした

何も大きな違いがあったわけではなく、たったそれだけでした

たかが挨拶ですが、されど挨拶

子供と一緒に散歩していて、挨拶をしても返ってこない人が多いのは自分でも感じますし、私もできてなかったな、と思い反省するときもあります

何回もここで書いてますが、笑顔で挨拶するだけで仏教としては相手をいい気持ちにさせてあげる顔布施(がふせ)という修行になります

これは無財の7施と言って、日常生活でお金のかからずできる基本の修行です

難しい理屈を知っても、大層な修行をして、肩書が増えても、結局基本に帰ってきます

私が家内の父に受け入れてもらえたのも、後から聞いたところは人事でも合格できそうな挨拶ありきでした

こういうふうに書くと、改めて私の人生は半分どころか、8割がた挨拶で救われているような気がしますw

自分の修行ととらえていただいて挨拶をするもよし、人助けと思って挨拶をするもよし

無財の7施は相手がいて初めてできる修行で、どちらかだけの利益になるものではなく、お互いがいい影響を受けあうことのできる関係です

私たちはこれを「相互供養、相互礼拝」といっています

人生を助ける挨拶、実践していただくと、修行になり、心が奇麗になるので良い影響がやってくるはずです

修行といえば、去年始めた私の夜の護摩もなんとか毎月続いております

今月はなんと木魚を叩いてくれる参詣人がやってきましたw

毎月夜6時半から7時過ぎまで行っておりますので、お参りしたいかたがいらっしゃったらどうぞご自由におまいりくださいませ

新年度スタートです

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

年があけて、いつのまにか新年度がはじまり、いろいろなものが変化していますが、皆様いかがお過ごしですか?

今年は三月半ばぐらいから一気に暖かくなったので、梅も桜も非常に奇麗に咲いて、写真に興味がない私でも、思わず撮ってしまうような素敵な風景があちこちに咲き誇っていました

写真は近所の公園なのですが、私の知る限り一番の桜の名所ですかね

他の有名な場所に行ってみても、良く知っている場所というフィルターがかかってくるので、思わずいつも「ここが一番きれい」と思ってしまいます

そんな桜に見守られて、我が息子は今年から保育園に入園です

入園最初の日から、登園するときに泣くのか?と思っていれば、そんな親の心配と期待はどこ吹く風、車から降りた瞬間から広場目がけてスタスタ

二日目以降も園が楽しいみたいで、笑顔で行っておりました

写真は4月4日の土砂加持の時、皆様に配ったお接待の豆ごはんです

コロナになって以来、以前はお昼ご飯を食べていただいて法要という流れでしたが、法要の後に、能化の先生のお話しをきいていただいて、そしてこのお接待を持って帰っていただくという流れに変更しております

光明寺の熨斗を張り付けている様子ですが、持って帰っていただくお接待の内容は毎年の悩みどころ

どれがいいかな?と色々考えながらやっております

そして、今年は不覚にも土砂加持の写真を撮り忘れるという失態を犯してしまいまして、全然皆さんに見ていただけるような画像が無いのです

気が緩んでましたね、申し訳ない

色々と早くに来て、頑張ってくれている役員さん方の写真は撮りました

ホント、いつも支えてもらっております

今年の能化さんは北海道の方でしたが、光明寺に来る前に、なんとこのブログをかなり隅々まで読んで下さっており、我が寺院のことをとっても勉強してくださっておりました

入念な下調べと、そして色々な話題の展開で、場の人がいつの間にか聞き入っている、そんな感じの話手で、色々真似しよう!と思ってしまうほどの方でした

名前を渋谷 良範僧正と言いますが、いつか高野山で再開したいお人です

第二日曜日の奥の院の護摩も無事に終わって、ホッとしております

今回の開催は4月9日という事もあり、4月8日はお釈迦様の誕生日ですので、各宗派問わず、お寺は祝いをしたりしています

そのおかげか、今回のお勤めは本当に子供さんのお参りが多く、賑やかな一日でした

子供たちが一生懸命に手を合わせている姿というのは、本当に可愛らしいものです

住職の話も、そんな子供たちの来院に合わせるかのようなお話し

鬼子母神という鬼のお母さんの話でしたが、このお母さんは自分の子供は1000人もいたそうで、子供たちのご飯を用意するのがとっても大変

ですので、人間の子供を攫ってきては小鬼たちにご飯として食べさせていたという恐ろしい鬼です

お釈迦様が見かねて、一番末の子を隠してしまったところ、鬼子母神は狂ったように悲しんで探し回ったそうですが、見つけることができず、お釈迦様に返してくださいと言いにいったら、「お前の子供は他にもたくさんいるのに、一人隠されただけでこんなにも悲しむ。お前に子供を取られた他の母親の悲しみも、少しは想像できよう」と言われ、それ以来、他の子供を攫うことはなく、むしろ仏教に帰依し、子どもを守るようになったというお話しです

仏教では悪いことをしていても、排除というのはなるべくしない、むしろどうやって味方につけて働いてもらうか、という教えの方が多いです

ついつい私たちは悪いことをしている存在というのは排除したくなるのが人の感覚ですが、本能に全て従っていたのでは獣と同じ

そうではなく、いかに世界を円滑に丸くできるか?というのが仏教であり、それを絵として表したのが曼荼羅というものです

・・・自分で書きながら難しいw

なかなかやるにしても難易度の高い話で、わが身の修行不足を感じますが、諦めたらそれ以上は進展しないですから、なんとか頑張っていこうと思います

皆さんも、ご自身のできる範囲で頑張ってみてください

久しぶりの更新です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

暖かくなってきた中で皆さまいかがお過ごしでしょうか?

私は3月に入って、あれやこれやと忙しくしていたら、あっという間に彼岸が来まして月の前半の更新が出来ていませんでした

楽しみにしていただいている方、すいません

今このブログを書いているのがWBCの野球決勝戦のひですが、素晴らしいしか言葉が出てこない戦いをしてますね

ホント頑張ってほしい限りです

彼岸は今年から他のお寺の手伝いもありまして、飛ぶように時間が過ぎていっております

その関係で、色々な方の家にお参りに行く機会が増えまして、初対面の方とお話する機会が増えました

そんな中、ちょこちょこ聞かれるのがお彼岸のことについてです

お彼岸と言いますと、お墓をお参りして、私たちがお仏壇に行かせてもらってというのが、近畿圏の風習と思います

実はお彼岸という期間は日本にしか無いのはご存知でしたか?

お盆はお釈迦様の古代インドの行事が発祥ですが、お彼岸は日本発祥です

なぜか?というのは、細かく調べれば諸説あるとは思いますが、私は昔の日本人の人たちの思いや願いが形になったものが彼岸だと考えています

春分、秋分を境に前後3日の計1週間が彼岸ですが、24節気という暦では季節の変わり目です

この日を境に暖かくなっていくのと、寒くなっていく…最近は温暖化の影響か、彼岸前でも暑い日がありますが、そこは一旦置いといてください

季節が移ろい、四季が曖昧になっていくので、いろんなものの境目が曖昧になっていくと考えました

そして、そんな時に亡くなった人たちに、お盆だけでは寂しいから帰ってきてよ、とお願いして出来たのが彼岸です

彼岸のお墓参りは、皆さまの暖かい願いの結果なんですね

言葉もそれを表してます

彼岸というのは、向こう岸という意味ですが、三途の川の向こう岸です

対して、私たちの生きているのがこちらの岸、此岸(しがん)です

向こう側から帰ってくるから、あるいは向こう側の人にお参りするから彼岸参りですね

お子さん方に、彼岸ってなーに?と聞かれたら、このページを参考にしてくれると嬉しいです

光明寺は今月も変わりなく、皆様が無事に過ごせますようにと、お勤めしています

雨水(うすい)の訪れとともに

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

節分が終わってからというもの、三寒四温で徐々に春の気配を感じるようになってきましたか?

光明寺では、節分のバタバタが終わって、少しのんびりとした・・・気が抜けたとも言いますが、空気の元、寒さの終わる季節を今か今かと待っています

この2月は本当に激動で「二月は逃げる」という格言のとおり、仕事とプライベートの両方がイベントてんこ盛りでしたので、始まったと思えば気が付けば21日の護摩のお勤め、なんて感じの実感です

タイトルで書いた雨水(うすい)とは24節季の時期のことで、冬の間の固く凍った氷が解けて水に変わりは始める時期です

今まで土の中で固く閉じていたものが動き出す準備、あるいは、気の早いものはもう動いているかもしれません

そんな制から動へと変わっていく時期です

私の仕事の方も、色々と形が変わってきたなーと思う今日

やっていることは以前から変わってないと思うのですが、やはり年齢もあるのでしょうか

以前なら自分のお寺のことだけでしたが、いつの間にかあっちも手伝いこっちも手伝い、さらにはお手伝いという形ではなく、私に直接お仕事を依頼したいという人たちが出てきてくれたおかげで、皆さんの間で動かせてもらっている状況です

このブログも、始めたころは誰も見てくれなかったのですが、今ではチラホラと見てますの言葉を頂けて嬉しいかぎりです

ホント、見てます、の言葉が一番励みになりますね

いろいろ動いていく中で、自分の仏教に対する考え方、感じ方も変わってきたように思います

お坊さんになりたての頃は、自分の力こそが一番大事で、皆様の助けになることができるのは、自分の修練した力こそが大事だと思っていました

もっと修行したら、いろんなことに戸惑うことなく、余裕をもって対応できると本気で考えていました

そう思って修行してきましたが、いろんな降りかかる問題は変わらず、余裕をもって対応することなど夢のまた夢です

自分自身の力不足を感じているのは今も昔も変わりませんが、周りの人たちが、こんな私でも頼りにしてくれているので、いつも「私で大丈夫?」という不安な気持ちはあれども、「私にしかできないことをしに行こう」という・・・半ば開き直りですw

今は修行した力は、もちろん大事と思っていますが、順序は二の次、三の次です

一番大事なのは、やっぱりご縁の力

この力に比べたら自分一人の力など小さいものです

自分の力がとっても在ると勘違いするのは我執(がしゅう)で自分に囚われてしまっていて、これは仏教でいうと修行してても身にならないダメな状態です

以前の私の考え方は、思いっきり我執でしたね

いろんなご縁や勉強会のおかげでここに気づけたのは、無駄ではなかったと思いたいところです

二番目が怒らないことですね

以前、友人に紹介してもらった書籍で修業の成果をぶち壊す、一番醜悪なものとして身に染みたのが瞋恚、怒るということでした

せっかくの善い行いや努力も、怒ることで積み上げたものを全て壊してしまう

腹立てず、心は丸く、気は長く

これが一番ですね・・・わかってはいても、実践することは、とっても難しいのもわかっていますw

生き仏のような様に見られる人には憧れます

願わくば、そのあたりまで行きつくことができたら嬉しいかぎり

一歩づつの精進あるのみですかね

色々な状況で日々力不足を感じながらも、えっちらおっちらやっております

光明寺の本尊様の御手代わりとして、充足なことができたら嬉しいですね

まだまだ修行と共に私の考え方というのは変わっていくでしょうが、やはり根本の考え方というのは変わらないと思います

お坊さんになりたての頃から、私に縁のあった皆さんに、どうか仏様の教えの御利益があってほしいなと思っています

お札が出来上がりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

1週間続いた光明寺の護摩のお勤めも無事に終わり、順次お札が発送されています

遠からず、みなさんのお手元に届くと思います

この1週間、毎朝7時からという日程にも関わらず、たくさんの方にお参りいただきまして、本当にありがたく思うのと同時に、いろんなご利益が皆様に届きますようにとの思いでお勤めさせていただきました

連日のお勤めの中で、インターネットに上げるように写真を数枚ずつ撮っていたのですが、あまり変わり映えしないシーンかと思いきや、毎日撮っていると少しずつ変わったものが撮れるものです

撮影は主に若嫁に任せましたので、彼女の座っている場所からの画角ですが、やはり普段はこの角度から私は撮れないので、改めて「こんな風に見えているんだ」と自分でも新発見です

ところで、護摩の始まる時間ですが、7時5分前ぐらいに始まっていたのですが、始まる時間はあまり変わっていないのに日に日にすこしずつ明るくなってきておりました

日の出時間を調べてみると、2月3日が6時50分すぎぐらい、それが一週間で一日1分足らず遅くなっていっておりまして、最終日はちょうど始まる時間ぐらいに太陽が顔を出しておりました

一日だけではわからないことも、時間を同じくして一週間と続けて体感していくと違いがわかってくるものですね

住職の法話も、この節分の期間はずっと同じ類の話でした

仏教というものは因果応報、自分のしたことが全て自分に帰ってくるという法則が根本にあります

善因善業、悪因悪業、良いことを行えばよい縁が来ますが、悪いことを行えば逆が待っています

ですが、変化というものは日の出の時間と同じように、一気に来るものではなく、徐々に来て、気がついたときには大きな変化になっているものです

私たちは、日常生活の中で良いことをしたら直ぐに結果がでて、悪いことはなかったように振る舞いますが、両方すぐに結果が出るものではなく、徐々にやってきます

悪いことにならないように、手を合わせるということは、昔から続く自分を奇麗にして、良い方向へと変えていく一番の方法です

それを私たちお坊さんは、皆さんにお勧めしているのです

祈願させてもらったお札がお手元に届きましたら、開封してもらって、毎朝少し、自分のお札に「良いご縁に恵まれますように」と手を合わせて祈っていただきたいと思ってお札を送っております

時間は1分もかかりませんが、毎日続けられるととっても効力のある方法だと思っています

どうか、皆様の一年に良いご縁と幸が多くありますように

節分が始まりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

寒い日が続いておりますが、お体の加減はいかがですか?

光明寺では、先日の大雪であたり一面真っ白になりました

久々に朝一番から雪かきを行い、寒いのに住職共々汗びっしょりの一日となりました

屋根からの雪下ろしなど、高野山に居たころ以来におこないました

あの労力を考えると、たまに大雪が降るぐらいでよかったです、毎年の恒例行事になったりしたらと考えると、怖気が走ります

そのぐらい大騒動の天気でしたが、なんとか切り抜け無事に節分の日を迎えることができました

光明寺では、皆様に申し込んでいただいたお札と共にこれから一週間の祈願に入ります

お手元に届いたときに、お札の匂いを嗅いでみてください

護摩の独特な匂いが染み込んでいるはずです

「薫染」(くんせん)という言葉がありますが、香りが染み込むように、良いことが徐々に染み込んでいってくれる様を表した言葉ですが、私たちのお札に込める功徳、あるいはご利益も同じです

お札に徐々に護摩の香りと共に染み込んだご利益が、皆様の手元に届いたときにゆっくりと他のものに移っていく

そんなお札を作っております

お札が出来上がった2月9日以降には、節分のことを纏めたブログを上げますので、もうしばらくお待ちくださいませ

これから1週間毎朝7時から本堂で護摩のお勤めを行っておりますが、お参りしていただくのはどなたさまも自由ですので、お待ちしております

初大師では講談です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

今年は年明けが随分と暖かく、楽なお正月を過ごせた後に、急激に冷え込んできましたが、皆さんいかがお過ごしですか?

このブログを書いている日から、翌週がなんと10年ぶりの大寒波がやってくるとニュースで予報されているので、備えておかなければ!と意気込んでいる最中です

具体的には、水道回りはもちろんのことですが、お寺特有のことといえば、花入れや仏具の水抜き、普段人が出入りしない奥の院の下水関係といったところでしょうか

自然相手なので、手加減はしてくれませんから大変です

少しでも気を抜くと、花卉のひび割れなどが起こります

そんな1月ですが、本来であれば光明寺は午前中の護摩、それが終われば、お昼ご飯を食べてお昼から檀家さん皆さんで集まってのお勤めというのが、この年明けの常でしたが、今年から少し形式が変わりまして、午前中の護摩に皆さん集まっていただいて、その後すぐにお勤めもして、昼前に解散という流れになりました

なかなか、長時間の拘束になるのは、来ていただく方にとっても大変でしょうから、こんな形態どうかな?と提案させてもらった次第です

土曜日ということも相まって、たくさんのお参りの方に参加していただき、寺族としては嬉しいかぎりです

写真は護摩の後、光明寺の持仏堂で集まっていただいた様子です

ここでは住職が講談を披露!

掛かっている軸は、お大師様の行状曼荼羅と言いまして、伝記を絵にかいて繋げているものです

これを題材に皆様の前にて披露しておりました

もともと光明寺は、お大師様の御縁があって約1200年ほど前に建立されたという寺伝が残っております

ですが、光明寺の建立年代が大同元年となっており、この時期はお大師様が遣唐使から帰国されて、九州にまだ閉じ込められていたはずの時期です

住職はこれがずっと長い間の疑問だったのですが、二年ほど前に高野山大学の研究院のお坊さんが光明寺を訪ねて来られまして、その時に疑問が解けました

その方は、お大師様の九州に閉じ込められていた時期は、実は大人しくしていなかったのではないか?ということで研究されていたようで、その証拠を各地を回って調べていらしたそうです

お大師様の出身は香川の佐伯氏という豪族でしたが、この佐伯氏は鉱脈を探り当てる仕事をされていたようで、お大師様もそのノウハウを持っていらっしゃったらしく、全国各地の大師の井戸という名前の井戸は、大多数がでたらめではないかもしれないとのこと

この近くに、古くからの井戸や鉱脈を掘ったような横穴、竪穴はありませんか?

と聞かれるので、ちょうどその少し前に近隣の山の中からお大師さまの像が光明寺に運び込まれましたが、そのとき近くに、まさにそのような穴が掘られていて、どう見ても昔の痕跡で人為的なものであったので、住職が不思議に思っていたのです

そのことを伝えると、僧侶の方は「ありがとうございます、後日確認に参りますが、やはりお大師様がこちらに来ていらしたのは間違いなさそうです。このことは論文として纏められたら発表させてもらいます」

と言って帰っていかれました

個人での調査なので、そこまで進行は早くないでしょうが、発表されるのを楽しみに待っています

光明寺はありがたいことに、歴史の教科書に載るような古い時代から、皆様のおかげをもって今も存続しております

それも博物館の中という生活の縁遠い場所ではなく、地域の皆さんの生活の傍に一緒にいる形です

その事実を皆様の胸の中に、一つの誇りとして持ってもらいたいと、住職の思いからの今回のお大師様の縁起絵巻の講談でした

去年より始めた、21日の夜18時半ごろからの副住職の護摩ですが、今年も続けていきます

お参り希望の方はどうぞいつでもお越しくださいませ