お盆が終わり、晩夏の候

お盆が終わりまして、暦の上では夏の暮なのですが、まだまだ暮れる気配のない暑さが猛威を振るっています。

みなさんこの暑い夏をいかがお過ごしでしたか?

今年のお盆参りは天気には恵まれましたが、むしろ、恵まれ過ぎたぐらいで、軽い熱中症にみまわれながら、なんとか無事に終わることができました。

今年は、お盆に皆さんにお配りするリーフレットの原稿を頼まれまして、不慣れな中何とか書き上げたものが兵庫県中の真言寺院に配られているかと思うと、なんとも不思議な感慨を抱きます。

私などが書いたものが、皆さんが見ていただくに堪えうるだろうか?という気持ちはもちろんありましたが、思ったよりも好評な意見を多数いただけていることに、安心を覚えるとともに、おそらくみなさんが心の中に持ちつつも、言わないでおいてくれているであろう批判めいた意見に思いを馳せてしまい、ありがたく感じるとともに思い上がらず、精進を重ねていこうと思いました。

さて、お盆の話はさておき、本日も光明寺では、暑い中でありますが、月例の護摩のお勤めを行うことができました。

天気予報では37度という予報でしたので、暑すぎるがゆえに皆さん来られないかと思っていましたが、始まってみると、10人もの参拝の方が来ていただき、本当に大変な環境のなかですが、来ていただけるというのはありがたいの一言に尽きます。

本堂では、扉を全開にしてお勤めですが、それでも暑かったので終わったころには私も皆さんも汗が滴っていました。

そんななかで、本日のお接待として用意していた冷たく冷えたメロンとお茶が、みなさんに大好評でした。

暑い思いをした後の冷たい飲み物というのは、本当に美味しく感じられますよね。

住職の話も、その冷たい水のお話しから始まっていましたが、英語のアクアの語源になったかもしれないと言われる、閼伽水(あかすい)仏様にお供えするお水のことです。

今の日本では、お水というのは水道を捻ればいくらでも出てきますが、つい200年ほど前までは世界各地のどこでも、飲み水というのは貴重なものでした。

それをたとえ少量とは言え、仏様にお供えするというのは、それだけ真摯にお祈りをする証でもあり、また、たとえ貴重なものでも、自分一人で独占することのないようにとの戒めの意味もありました。

これは、仏教でもキリスト教でも、他の宗教でも聖水などと言われて、お水に関する教えや戒めというのはたくさん存在します。

そのなかで、お盆で塔婆に水をかけるというのは、写真を見ていただければわかるように、どうやっても一本だけにはかけることができません

必ず、複数本かかると思います。

それがこの塔婆の目的です。

お水をご先祖さんに手向けてあげる、そして、我が家だけでなく、他の人の塔婆、ご先祖さんにも手向けてあげる。

自分が一番!という生き方を貫いていた昔の人が地獄に落ちた物語があります。

そして、その人を救うのは、優秀な個人の力では無理でした。

ですが、老若男女みんなの力を少しづつ分けていただくだけで、簡単に救うことができました。

それがお盆の始まりとなったものです。

ですので、お盆は我が家のご先祖さんに手を合わせて、そして少しだけ他所の霊たちにも手を合わせてあげてください。

その手を合わせてあげるお勤めのことを「お施餓鬼」と言います。

今年も光明寺では24日の10時から、可能な限りのコロナ対策を行ったうえで皆様のことをお待ちしています。

どうか、自分たちだけでなく、他所も救われますように、という祈りをわすれないでください。

山の護摩、私は欠席、そしてお盆の草刈り

いよいよ梅雨が明けたようで、暑くなってまいりました。

今年の梅雨は最初は、梅雨らしい梅雨になったなとおもっていたのですが、蓋を開けてみれば、降りすぎの過ぎたるは及ばざるがごとしでした。

各地の大雨で災害に見舞われた人たちの、一日でも早い復旧を祈ると同時に、少しだけですが募金を送っておきました。

ちょうど、友人のお寺が九州の被災地近くだったのですが、連絡を取ったところ、お寺は大丈夫だったのですが、檀家さんが被災されたとのことで、なにか役に立つ物資をみんなで送ろうとなったのですが、、、こんなタイミングで断捨離していたこともあり、古い毛布や衣類などがなかったのです。

私も物資送る組になりたかったw

仕方ないので、泣く泣く募金だけということになりました。

ほどほどの物は置いておくのが吉ですね。

心に刻んでおきます。

写真はお寺の境内の88か所影霊場ですが、毎年お盆前には、檀家さんの皆さんのお力を借りて草刈りを行います。

お盆でお寺にお参りに来る人の為にも、草ボーボーでは蛇の心配もあり危ないですからね。

今年は雨が多かった影響で草が非常に強い勢いで伸びてきており、草刈りが進んでいきませんでした。

機械の刃が止まるってどういうことや・・・

しかし、そんな中でもやはり皆さん熟練の技をお持ちで。

しっかりと確実に奇麗になっていく草むらは、いっそ感動を覚えるほど。

おかげで無事今年もお盆前の掃除を終えることができました。

ありがとうございます。

さて、今月の山の護摩は、私は法事が重なってしまいましたので出席ができませんでした。

ですので、写真はあげることができません。

しかし、法事の席でもお話ししていて出てきた話が一つ。

最近、私の非常に遠縁ですが、亡くなった方がいらっしゃったり、一時危なくなった人がいらっしゃったりしました。

人が亡くなるというのは、悲しいことで無い方がいいのは生きている人間側の永遠の希望ですが、人ひとりいれば、必ず誕生と亡くなるということがセットで付いてきます。

いくら医学が進んでも、アンチエイジングで若く見えていてもそれは変わりません。

皆さん頭では理解していることだと思います。

ですが、感情の面、心ではどうでしょうか?

余りにも人が亡くなるという事が、生活の傍から遠ざけられた現代、人が亡くなる姿を見たことがない子供はたくさんいます。

人が亡くなるという事は人生の一つの節目であり、終わりであり、仏教でいうと、肉体という姿から魂だけの姿になって、仏様になるための修行のスタートです。

お葬式で、亡くなった人の姿を見て、手を合わせるというのは、節目の姿を子供たちに教えてあげる大事な場所であり、亡くなった人が、私たち生きているものに、人が死ぬという姿を身をもって教える最後の大仕事の場です。

それを見ることができるからこそ、私たちは人生というものを考えられるのであって、永遠に生きるなど不可能なんだと自覚することができます。

節目があるから、頑張っていい人生を送ろうと努力できるんです。

今月はお盆。

亡くなったご先祖さまが帰ってこられる時期です。

頑張って人生を全うした大先輩たちに、手を合わせて、思いを伝えてあげてください。

きっと届きますよ。

暑い、猛暑、真夏日の護摩

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

暑い日が続いておりますが、お体の加減はいかがでしょうか?

光明寺では、本日21日、おそらく一年で最も暑いであろう護摩のお勤めが行われました。

朝から雨が降るかもしれない!という天気予報を裏切り続けてのこの晴れ渡る空。

本当に、景色だけならば爽やかなのですがね・・・

コロナ対策もあり、暑さ対策もあって、本堂をこのように全面開放しての一日でしたが、それでも暑かった。

終わるころには、みんな一様に汗が滲んでのあり様。

しかし、そんな猛暑の平日でありながら、非常にたくさんのお参りの方が来ていただいて嬉しい限りです。

当初用意していた、お勤めの後に皆さんに振る舞うお接待の冷やしたゼリーは数が足りず、急遽アイスクリームで補うことに。

嬉しい悲鳴です。

今日は初参加の方が何人か来てくれたので、それも嬉しいことでした。

悩みを持ってこられる方、習慣で来られる方、誰かに連れられてこられる方、皆さん理由は様々あれど、仏様の前では皆同じです。

そんななかで、毎月来ていただいている真楽寺さんのお話しで、行(修行のこと)が言われていました。

こんなに暑いのに護摩のお勤めに来る、あるいは、お盆の暑い中でお墓参りを行う。

それは私たちにとっての修行であり、私たちは生活の中で修業の部分が無くなると、直ぐに自分の欲望や身勝手な心に負けてしまう。

だから、大変だとわかっているときでも修行をしないと、どんどん悪い方向に向かって行ってしまうとおっしゃっていました。

仏教では、その悪い方向に連れていく自分の欲望や怠惰な心、自分勝手な心を『業』ごう、と呼んでいますが、皆さん馴染みがおありでしょうか?

キリスト教的に言うならば、一番近いのは七つの大罪ではないかと思います。

そういえば、この前読んだ本に面白いことが書いてありました

何気なしに読み進めていけばいくほどに、内容に既視感があるなーと思っていたところ、なるほど!と納得しました。

筆者の方が言いたかったのは、仏教で昔から言われていることでした。

自分の業を修行によって取り払うことで、私たちは同じ人生を歩もうとも、幸せを感じれるようになるよ、という内容で、それの修行の部分で瞑想が良いですよ。と書いている本でした。

西洋の方からすると、やはり普段から修行を行って、自分を奇麗にしていくという考え方は新鮮だったようです。

まさかグーグルで、ここまで仏教的考え方が取り入れられていたとは・・・

グーグルおそるべし。

私たち真言宗では、これをよく月と雲に例えます。

自分の真の心は月で、最初から空に浮かんでいるのだけれども、普段の生活をしていると、自分の業(あれが欲しい、誰かに腹を立てる、何故自分だけがと思う心などの悪い心)で隠れてしまっていますが、それを修行することによって、雲を払い、真の心を自覚することができると言っています。

私たちお坊さんの、毎朝のお勤めや、瞑想なども雲を払うためのものであり、それが仏様と通じることのできる方法です。

修行をずっと行っていった先に何が見えてくるのか?

私はまだ道半ばなので、見通しは立ちませんが、おそらく悪いものではないと確信しています。

皆さんも是非、普段の生活から行を行っていただいて、自分の雲を取り払って心豊かに生活していただきたいと思います。

最後になりましたが、毎日暑い日が続きますので、体調に気遣ってお過ごしください

合掌

梅雨の時期の御利益とは?

皆さんこんにちは。

光明寺では今月の第2日曜日もおかげ様で無事に護摩のお勤めを行うことができました。

今年は梅雨前線がすごいことになっているせいで、日本各地で大雨による被害が出ているようで心が痛みます。

私の知り合いのお寺も九州に数カ寺あるのですが、連絡を取ってみると、どうやら無事に事なきを得ているようで何より。

ホッと安心したので、なんとか助けになりそうなものを少し送った後は、皆さんが早く回復できるように日々のお勤めで祈願することぐらいしか、私にはできませんが、祈っております。

この時期は光明寺奥の院では、天然記念物のモリアオガエルの産卵がよく見られます。

今年も木の上に泡立つ卵がたくさんついてました。

雨が降るとその中から、オタマジャクシたちが落ちてきて一斉に成長を始めるようで、毎年見る光景ですが、生物の力強さを感じさせてくれます。

ちょっとわかりずらいかもしれませんが、水面に浮いている白いものが、カエルの卵が入っていた泡です。

これが木の上についていまして、雨で泡の部分が解けて水面に落ちると、中から幼生が出てきます。

今はもう少し大きくなって元気に泳いでいましたが、この幼生たちはイモリの大好物らしく、木の上から落ちるときは水面下で口を開けて待っている光景がよく見受けられます。

うーん、自然って厳しい。

そんな中ですが、本日は本当にありがたいことに、梅雨の合間の晴れの日という具合にいい天気になってくれました。

例年ですと、この7月というのは、もう暑くなっているので、大汗をかきながらお勤めを行うのですが、今年は昨日までの雨のおかげもあり、非常に涼しげな気温の中おこなうことができ、爽やかな風が気持ちよかったです。

連日の雨で緑が生き生きしておりまして、苔が素晴らしく奇麗です

ちなみに、上の写真は昔のお堂後でして、お墓の写真ではありません。

三枚目の写真はお釈迦様の涅槃像の足側からの撮影

さすが大きな足を持っていらっしゃる

この写真は護摩の火にくべる添え護摩というものです。

そういえば一度も写真に写したことがなかったと思いまして、撮ってみました。

この添え護摩に各自のお名前とお願いを書いていただき、それを護摩の火にくべます。

護摩の火というのは、私たちは仏様の口だと思っていろんなお供え物を燃やしているのですが、いろんなものを燃やした最後に私たちのお願いごとを燃やして仏様に届けます。

そのお願いを受け取ってくれた仏様の力を借りるということで、ご利益が来てくれるという事になります。

普段行っている護摩のお勤めはいろんな人が来て、添え護摩を書いていかれます。

中には親に連れてこられて、とりあえず書く子もいますが、それでも仏様(護摩は基本的にお不動様におねがいします)は暖かく見て聞いて、そして力を貸してくれます。

私たちお坊さんが行う祈願というのは、みなさんの気持ちを仏様にお伝えする、それの少しのお手伝いをさせていただいているのです。

常々、住職も私も言っておりますが、仏様にだけ頼っていても物は進みません。

99%の努力と1%の仏縁だと思っています。

この度の護摩の日が梅雨の中で晴れてくれたというのも、小さいながらも仏様の功徳のお力だと思っています。

そんな小さなことでも助けてくれていると私は考えています。

どうか、皆さんのお願い事も叶いますように。

追記、またYouTubeに動画を上げました

5分かからないどうがですので見てくれると嬉しいです

護摩の日、その前に子供食堂

本日21日も光明寺では元気に護摩のお勤めを行いました。

ところで、タイトルにもあるように先日夢前町の真楽寺さんが毎月姫路で主催している子供食堂に行ってまいりました。

毎月お手伝いに行かせてもらっていたのですが、このコロナで4か月の間休止になっていました。

再開になって、最初の回だったので、誰も来ないかと思っていたのですが、たくさんの子供たちが親と来てくれて、笑顔で晩御飯食べてくれていたので、こちらも胸がほっこり。

笑顔を向けられると、元気をもらえますね。

4か月会わないと、子供たちは大きくなってましたねー

4歳の子なんて見た目一回り大きくなっているので、私まだ若いけど、おじさん感が出てしまって「大きくなったねー」なんて言ってしまった。

いや、ほんと親戚の人がそう言ってくれてた時の心情がよくわかりました。

日にちが変わって本日の護摩

門前のツツジに後光がさして神々しい、、、このツツジ、今病気なんですけどね。

黒星病というもので、ちょっと困っております。

ボロボロ葉が落ちて、心配&掃除が大変

誰か良い治療法教えてください

自粛期間が明けて、たくさんの人がお参りに来てくれて、迎える側としては本当にうれしいの一言ですが、実はこの時住職にはハプニングが・・・

実は護摩の火が飛んで、衣の袖に燃え移っておりました。

木綿生地なので、燃え上がることはありませんでしたが、あいにく穴が開いてしまったようで・・・

まぁ、護摩のお勤めをしていたら、こんなことはしょっちゅうあります。

護摩が終わりまして、お坊さんのお話しがあります。

今日は真楽寺さんが面白い話をしてくれました。

本日6月21日は父の日でもあり、夏至でもあります。

私、副住職も、不承不承ながら父親の住職に感謝のビールをプレゼントしたわけですが・・・いやいやですw

真楽寺さんの言うには、昔からのおまじないがあるそうです。

夏至の朝一番に、まだ朝露の滴る時間に、アジサイの花を一輪摘んで、玄関先に括り付けておくと、その一年お金に困らなくなるんだそうです。

まぁ、当然おまじないなので、確たる証拠がある話ではないのですが、昔からよく言われる早起きは三文の得と同じような感じかなと思います。

現代社会ではいろんな生活のリズムが存在しておりますが、人間本来のリズムというのは、やはり昼行性という、太陽と共に動くというものが基本なわけであります。

余りにもリズムを崩し過ぎていると、体は正直に不調を訴えるはずです。

そうならないための早寝早起きのおまじないなのではないかと思いました。

昔のおまじないだからと馬鹿にせずに、その本質の意味を考えてみると面白いかもしれません。

これから夏が到来するので、皆さん暑さに気を付けてくださいね

梅雨入りで、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

ジメジメした季節になりましたね

例年では梅雨入りといっても、あまり纏まった雨の降る年は少なかった印象でしたが、今年は久々に梅雨らしい年になりそうですね。

光明寺奥の院では、今月の第二日曜日も無事に護摩のお勤めを行うことができました。

今日は雨の予報の中で、来てくれる人は少ないかと思っていましたが、お大師様の御生誕の月ということもあり、たくさんの人が来てくれました。

しかし、奥の院という場所は小高い山の上にあります。

そして、こんな蒸し暑い気候の中で、来てくれた方々は皆、汗を流されて、なんとか登ってこられていました。

参道はこんな霧の中の道です

信じられます?この奥にお堂があるんですよw

登り切って、汗が引き始めると、みなさんの顔にはどこかすがすがしい雰囲気が漂っている気配がします。

この自粛期間が終わったこともあり、久しぶりに見る方もチラホラ。

中でも、皆さんを迎える側として嬉しかったのは、何人かの方がお子さんと一緒に来てくれたことです。

やはり、不思議なもので、若い人が数人混ざるだけで、みんなの雰囲気といいますか、勢いが全然違うものになるのです。

若いって素晴らしいw

そして、もう一つ驚いたのは、参詣の方がみんなでお接待を作って持ってく来てくださったのですが、その量が今月は驚くべき量になりました。

お大師様の生誕月ということで、どうやら一人一種類持って行こうと奮起されたとのこと

いつもありがとうございます。

写真に見える菓子パンは、光明寺からいつも皆さんに持って帰ってもらっているお接待ですが、他のものは全て皆さん持ち。

その内容はおはぎ(手作り)パンケーキ(手作り)お弁当(手作り)そしてジュース

もう今日のお昼ご飯は皆さんこれで決まりですね。

私も欲しいとの鹿の襲来w

そんなお弁当をつつきながらの住職の法話ですが、今回はお水の話でした

お水という飲み物は、私たちの命をつなぎとめてくれるものです。

全ての生き物に必要な物質であることは皆さんご存知の通りだと思います。

しかし、そのお水を同じように口から飲んでも、人や動物によって違うものになって出てくるという事を、お釈迦様はおっしゃいました。

例えば牛、牛が水を飲めば美味しい牛乳になって出てきます。

しかし、毒蛇はどうでしょう?

毒蛇の口から入った水は、体で吸収されて毒となって出てきてしまいます。

同じ水なのに、生き物によってずいぶん違います。

もちろんお釈迦様も、それで毒蛇が悪くて、根絶やしにしなさいと言っているわけではありません。

それだと、仏教を起こした聖人ではなく、狂った狂人扱いされて終わていたことでしょう

同じ水でも、本質を理解したうえで正しく使っていかないと、毒蛇の毒のようになってしまうよ、という意味のお話しなのです。

人の為を思って行う善意ある行動でも、意味を理解しないで行っていると毒になってしまうので、過剰な自粛警察は考えましょうね、という内容でした。

だいぶ落ち着きを見せている情勢とはいえ、まだまだ不安なことも多いかと思います。

しかし、そんな中でも私たち仏教徒は、お大師様の教え、お釈迦様の教え、その他のいろんな方々の教えを生かして、しっかりと生き抜いていきたいものです。

追記

固定ページのほうでも更新しましたが、母親がyou tubeをアップしました。

御詠歌を1曲唱えております。

これからどんどんアップしていこうと思いますので、できれば皆様ご視聴していただければ嬉しいです。

青空の元、気持ちのいい護摩でした

皆様いかがお過ごしでしょうか?

21日に緊急事態宣言が解除されるということで、ようやくといった気持ちでこの記事を書いております。

解除は夕方の会議でもってという事なので、これを書いている時点ではまだ解除されていないのですが、この解除を機に私たちの意識がどう変わっていくのかが気になるところです。

この宣言が発令されてお寺も様々なことに気を配ってまいりました。

皆様もいろんな普段と違う意識の中で過ごされて、その苦労は大変だったと思います。

私がこの2か月感じたこととしては、お参りに行かせてもらうお家の人たちがどんどん元気がなくなってきた、と感じておりました。

お会いすると、本人は「元気よ~」と返してくれるのですが、返事にいつものキレが無かったり、目が少し下向きになっていることが多かったり。

お話しを伺ってみると、やはり自分一人で過ごすことの多い方はそんな傾向がありました。

コロナの防衛はもちろんですが、それ以外で皆さん体を壊さないかが心配でした。

最近の医学の本を見ていると、孤独感というのは体に様々な悪影響を与えるということで、私たちが考えている以上に影響力というのは大きいようです。

一説には、孤独感を強く感じている人たちは、そうでない人たちに比べて、認知症の発症確立がダントツで高いうえに、頭やいろんな臓器の働きが悪くなるので、健康も害しやすいそうです。

確かに、田舎では独り身になって、あまり外にも行きたがらないお年寄りはボケるのが早い、なんて昔から言われていました。

風邪は万病の元と言われていますが、それに運動不足と孤独もプラスした方がよさそうです。

さてさて、話がいきなり明後日の方向に行きましたが、本日21日も光明寺では無事に護摩のお勤めが行われました。

本日は、少し肌寒い朝の空気の中で始まったお勤め。

こんなコロナの中で、直接お参りに来れない中でも、護摩木を書いて皆さんお願い事を置いて行かれています。

沢山のお願い事が書かれた護摩木を当院の本尊(千手観音)様と、お不動様にお供えして、お願いします。

護摩のお勤めというのは、いろいろなお供え物を窯で燃やすことにより、それを仏様にお届けするお勤めの方法です。

沢山お供え物を食べていただいた後に、どうかこれもお願いしますという感じで私たちの願いも届けるのです。

イメージは、奥さんにお願い事があるから、プレゼントを贈って機嫌を取って話を切り出す旦那さんでしょうか?笑

ともあれ、そんな形で皆様のお願い事と共に、このコロナがなるべく早くに終焉してくれますようにとの祈りも含めてお伝えしております。

どうか、一日もはやく、皆さまが元気に太陽の下で笑顔で歩ける日を願っております。

5月は霧の奥の院

皆様非常事態宣言が延長された中でいかがお過ごしでしょうか?

ここ光明寺奥の院では、今月も変わらず護摩のお勤めが行われましたが、当初は雨の予報でしたが、蓋を開けてみれば霧の中で幻想的な雰囲気の中でお参りができました。

霧の中で佇むお大師様

まるで高野山の奥の院にいるかのようで、幻想的な空気が漂っています

お参りに来られた方も、やはりこの制限の中で出ていく機会がなかったようで、普段と違う空気の奥の院を堪能しておられたよう

ちなみに、全く関係ない話ですが、写真に写っている苔は杉苔という品種で、水分が足りているとフカフカの絨毯のようにきもちいい苔ですが、一年のうちで5月6月ぐらいが一番きれいな状態で見ることができます。

奇麗な反面、とっても弱いので、いつもお掃除の最中にブロウで根っこごと吹き飛ばしてしまい、慌てて拾ってまた地面に置いておくこともしばしば。

日々お参りをしていると、いろんな方のお話しを聞きます。

明るい話題もあれば、重篤な相談事もありますが、ここ最近は皆さん外出規制の中でのストレスは無視できないようで、日々の生活が辛くなってきたという相談も増えてきました。

5月には解除されるかもしれない、という期待を持って、延期になったことで裏切られる形で、余計不満が溜まってしまった人もいるかと思います。

家から一歩も出てないという方を何人か見て思ったのは、人の精神の健康の為には、人間も光合成が必要なのだということです。

別に、太陽の光を浴びないでも生きていくことはできますが、鬱病の発症率などは格段に上がるそうです。

そのほかにもたくさん弊害が出てくるので、心の健全を考えたときは、やはりどこかに散歩というのは、とても大切なことだと思います。

その点、今日の光明寺のお参りは、密にもならず、最高の気分転換ができたのではないかと思います。

お寺や神社のお参りっていいですよね

こんな時は余計にいい散歩コースとして使っていただきたいと思います

お山の上から祈ります

本日の奥の院の護摩は残念ながら雨模様

ここ最近の奇麗だった桜の花も、この雨で散ってしまうかもしれません

今年はゆっくり花見をすることは叶わなかったけど、それでも長い間気持ちのいいドライブを満喫させてくれた桜の花にありがとうですね

さて、そんな中でもいつもと変わらず、護摩のお勤めは勤修されました。

世間ではやはりコロナによって落ち着かない状況が続いている中、感染爆発を防ぐためと頑張っておられる関係者の皆さんの奮闘に感謝するとともに、そのお体がどうか健全でありますようにと、お祈りしております。

どうやら、お坊さん界隈では「護摩数珠繋ぎ」なるものができたみたいで、これは疫病の無事収束を真言宗のお坊さんがみんなで護摩を焚いて祈っていきましょうというのもだそうです。

祈りって大事ですよね。

皆さんご存知の奈良の大仏様も、当時流行した疫病(天然痘だと言われています)が収束しますようにとの願いを込めて作られたものです。

この度、去年はやったピコ太郎さんが再びppapの動画を上げていました。

それは、わかりやすく手洗いの啓蒙を促している動画で、世界中から大絶賛されているようです。

動画の最後に洗って奇麗になった手を合わせてppap

pray for people and peace 人々と平和のために祈ろう

と作っていましたが、人のやるべき大事なことは昔も今も変わっていないのだなと思いました。

祈るって、誰でもどこでもできるから素晴らしいですよね。

こんな時だから、ではなく、こんなときだからこそ光明寺は、いつも通りにお祈りしています。

お参りの際は、感染防止のために距離も心もゆとりを持って、お参りくださいませ

土砂加持を無事に終えまして

毎年恒例の4月4日の土砂加持法要ですが、今年も無事に終えることができました。

今年は世の中が非常に大変な事態に陥っている中で開催をどうしたものかと、最後まで迷いましたが、2座ある法要の1座省略、お寺でのお昼ご飯のふるまいの中止、遠方より来ていただく能化さんのとりやめ、遠方の檀家の皆様への告知は無しという規模縮小のもと、さらには参列の方にはご自身の判断を仰ぎ、堂内換気のうえ席の密集も可能な限り避けるという、いろいろと手を加えた中での開催となりました。

お堂の中も土砂加持使用ということで、普段は掛けない軸をお祀りしておりました。

左側を映しております写真で写っているのが行状曼荼羅というものでして、お大師様が今の中国であった唐の長安に行かれて、密教を授かった物語が書かれている絵巻物です。

そして下に移しているお坊さんの軸は、伝持の八祖といいまして、一番手前に描かれておりますのは、皆様よくご存じのお大師様で、そのお大師様までの密教をお伝えになられた8人のお坊さんです。

行状曼荼羅はこの一番手前のお大師さんと師匠の恵果和尚とのかかわりあいの間が書かれているのですね。

写真は来ていただいた方に持って帰ってもらった桜餅とおこわです。

意外と好評?

皆さんの先祖さんの供養をさせていただいた後に、普段であれば布教師の先生が話してくれるのですが、今回は私、副住職が行わせていただきました。

なかなか上手く話すことができず、自分の力不足を痛感する次第ではありましたが、それでもみなさんが、うなずき、ときに笑いながら聞いていただいたのには感謝の念が絶えません。

普段でしたら、もっとたくさんの皆様の写真を上げさせていただいて、詳しいこともかくのですが、何分このご時世です。

なにが炎上するかわからない中、詳細に書くのは今回は見送らせていただこうと思います。

一刻も早い事態の鎮静化と皆様の安泰を、光明寺より祈っております。