柴燈護摩と大掃除の修行

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

早いもので、今年も残りわずかとなりました。

12月14日、当山では無事に柴燈護摩(さいとうごま)の行事を厳修することができました。

例年ほど寒さが因っては来ていない冬ですが、それでも実際山の上に上がると底冷えがきつく身体がいつの間にか冷えている、そんな気候でしたが多くの方にご参詣いただき、炎の前でそれぞれの願いを込めて手を合わせていただいたこと、誠にありがたく思っております。

今年の柴燈護摩は開始してから5年目という節目の年であったため、一つの集大成としまして、可能な限り、炎を高く上げようと言う試みのもと、今までの技術を全て詰め込み壇を組みました

その甲斐もあって、当日燃え上がった炎は過去1番の高さに登りお参りの方々にも、「今年はすごかったねぇ」と言っていただけるお勧めを行うことができました。

柴燈護摩を行っていると、今年も何とかここまで来れたと言う思いが湧き上がってきていました。いろいろあった1年ですが、最終的に振り返ってみると「無事にここまで過ごせたこと」そのものが、おかげさまをいただいたと感じさせられました。

さて、そんなことを思っているうちに、気がつけば一年が終わろうとしています。

振り返ってみると、我が家としては、次男泰良(たいら)が暴君として振る舞い、その王様の相手をするのに非常に振り回された家族としての1年だったなと思います

気づけば抱っこ、気づけば遊び相手、気づけば寝かしつけ。

「少し時間ができたら、あれをしよう」と思った矢先に呼ばれ、振り向いたら一日が終わっている——そんな毎日の繰り返しです。

しかし、不思議なもので、その慌ただしさの中時間が過ぎ去ってみれば、良い1年だったなと心暖かく思える時間であったと思います。

そして年の瀬といえば、大掃除の季節です。

掃除というと、どうしても「面倒な作業」と感じてしまいがちですが、仏教の中では古くから掃除もまた修行の一つとされてきました。

床を拭き、埃を払い、不要なものを手放していく。

それは単に空間をきれいにするだけでなく、自分の心の中に溜まった執着や乱れを見つめ直す行いでもあります。

掃除をしていると、不思議と心まで静かになり、「今年もいろいろあったな」と自然に振り返る時間が生まれます。

忙しさに追われる日々の中でも、手を動かし、無心で掃除をする時間は、私たちにとって大切な「立ち止まる修行」なのかもしれません。

掃除の功徳といいますと、このブログでも何度も書いています自身清浄、他心清浄(じしんしょうじょう、たしんしょうじょう)

掃除をしていると、初めはいやいやながら始めた掃除でも終わる頃には不思議と気持ちがすっきりしている。そして掃除の行き届いた空間を訪れた。他の人の心もすっきりとさせてくれる。そんな功徳が昔から言われています。

柴燈護摩の炎に手を合わせ、子どもとの時間に追われ、大掃除で一年を締めくくる。

こうしてみると、特別なことは何一つなくとも、日々そのものが仏さまの教えの修行なんだなと思います。

今年も多くのご縁に支えられ、無事に年の瀬を迎えられたことに感謝しつつ、どうぞ皆さまも心と身の「掃除」をしながら、穏やかな新年をお迎えください。

光明寺では31日の大晦日、12時前より除夜の鐘をつきまして、新年を迎えます。除夜の鐘が終わり次第、本堂にて新年の初ゴマを行います。

お檀家さんもそれ以外の方も様々な方がご参加していただいております

どうぞ興味のある方は一緒に新年をお迎えしましょう

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