一大行事、お久しぶりです

みなさまお久しぶりです

非情にたくさんの雨を降らせた台風2号が過ぎまして、被害のあった方も、なかった方も、なんとか日常に戻ろうとしてきている頃合いではないでしょうか?

この光明寺のブログも、忙しさにかまけてついほったらかしにしてしまっていた私、反省しております

皆様に報告しなければいけない、一大行事が無事に終わりました

光明寺団体参拝が、この6月3日、4日と一泊二日の日程で無事に高野山に行ってくることができました

当初は台風の日程と丸被りで、どうしようか、雨の中の参拝か中止かと懸念しておりましたが、蓋を開けてみれば、台風は急加速、前日までの大雨が嘘のような最高の快晴の元、行程を終えることができたのも、単に皆様の普段の行いの賜物であろうと思っています

和歌山は元々雨の多い土地ですが、それにもまして降ったようで、高野山への道中は所々土砂崩れの場所が見受けられました

川の氾濫もあったようで、ニュースで見る以上に被害の多い中でした

高野への山道も、前日まで通行止めで、山の上で生活している方々が下山することができなかったようです

あと台風の進みが半日でも遅くなっていれば、叶わなかったのですが、台風一過の素晴らしい青空と共に、メインの行事であった6月4日の高野山大伽藍金堂でのお勤め、それの前座である稚児行列に、我が子ともに参加できました

まだまだ体が小さすぎるので、色々工夫のうえ、ぎりぎり着ているような状況でしたが、それでも一人前に歩くことができました

この度の団体参りも、このお勤めに合わせて企画されたもので、弘法大師空海の生誕1250年を記念してのものです

日程としては、3日の朝に皆様を各所でマイクロバスで拾い上げ、お昼に高野山着

コロナの期間中は、これまでの通例の団体参りも中止しておりましたので、実質4年ぶりの開催です

お昼ごはんを食べた後、大師協会で授戒という儀式を暗がりの中で受けて、後に金剛峯寺で写経奉納式

光明寺檀信徒の皆さんが納めてくれた8年分の写経がなんと460巻という膨大な数ありまして、これを金剛峯寺に納めたのですが、その時に感謝状もいただきまして、それを光明寺の玄関に飾っております

是非、皆さん来院の際はご覧くださいませ

その後、奥の院に参拝となりましたが、ここで案内人さんにバトンタッチです

そして、なんとついてくれた案内人さんが、私の先輩にあたる方でした

非常にお話しも上手く、そして皆さんを飽きさせることなく、最後はまじめな話できっちり締めるという芸当を見せられ、もう皆さんも私も大満足

歩いて二時間ほどの日程でしたが、誰もが時間を感じることのない、あっという間の奥の院でした

この後、金剛三昧院に宿坊のチェックイン

そして翌日が、上記の稚児行列とお勤めを見て帰ってくるという日程でしたが、ほんとあっという間に終わった二日間でした

この日の為に色々用意で走り回ってきたことを考えると、長い時間でしたが、終わってしまえばあっという間

そして、何より参加した皆さんが大満足してくれている様子を見ると、報われる思いで行ってよかった、企画してよかったなと改めて感じました

参加してくれた方々にも、用意で動き回ってくれた方にも、心から感謝しております

また次の機会も、団体参拝を企画するつもりですので、今回参加できなかった方の参加もお待ちしております

住職は奥の院、私は高野山

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

急に寒くなってきた中で、慌てて冬物の準備に追われていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

10月の9日、光明寺奥の院では無事に月並みの護摩のお勤めが行われ、たくさんのお参りの方が見えられたそうです

今回私は出席できず、写真が撮れなかったので、お山の護摩の様子を写した写真はありません

代わりに、私はどこに行っていたのかと言いますと、高野山の金剛三昧院

私が高野山に上がって、4年間イロハを教えてもらう丁稚として働いていたお寺の落慶法要を手伝いに行っておりました

光明寺に関係のある方は、よくご存じかもしれませんが、実はこの金剛三昧院、今の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にバリバリ関係しております

北条政子が大泉洋演じる助殿、源頼朝とその子供の実朝の供養の為に建てたお寺が、金剛三昧院です

高野山は火事が多かったもので、ほとんどのお寺が昔の建物は消失している中で、この金剛三昧院だけは、一度も燃えたことがなく、当時の建物がそのまま残っているとして、世界遺産にも認定され、政子様の命で作られた多宝塔は国宝指定です

今回のお勤めは、なんとその多宝塔の中で行われまして、私も手伝い兼お勤めに出席という、なんともありがたく貴重な経験をすることができました

写真の塔が多宝塔ですが、中は撮影禁止なので外側だけの映像です

中の空気は流石といいますか、建立当時から拝まれて、いろんなお坊さんが手を合わせたからこそ、不思議な力が集まっているように感じます

どんなに豪華なものを作っても、どんなに優秀なお坊さんがいても、私たちは一人一代限りでできることなど、たかが知れていると思っています

この多宝塔とその中の仏様は、何代も時代を超えて、いろんなお坊さんに受け継がれ、そして今現在私たちが、その尊前にて、お勤めすることができています

受け継いだお坊さんは、優秀な人もいれば、そうでない人もいたでしょう

でも、全てのお坊さんが様々な形で「手を合わせる」ということを続けてきたがゆえに、とてもたくさんの力を蓄えられた、神秘を感じさせる仏様でした

私個人の力は微力なものですが、こんな素晴らしい場所でのお勤めに参加できるご縁に会えたことは、ひとえに日々のやっていることが間違ってはいなかったのかな、とおもっております

素敵なご縁は、どんどん繋がっていってくれたら嬉しいですね

最後に私の高野山時代の師匠さまと同期のメンツです

丁稚の時から皆で一緒に飯を食べて過ごしたメンツです

みんな大きくなったよねー

それぞれが今は自分のお寺の住職で、全員頑張っております

私も負けず、帯を締めて頑張らねば!

お盆が近づいてまいりました中、高野山よりおおくりします

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

とんでもない暑さの中無事に過ごされていますか?

今日も天気予報では最高気温41度になるかも、という報道がされていまして身体が溶けてしまうのではないか?と心配になる毎日です

私は今高野山に来ておりまして、8月の1日から5日まで各所でお参りに来てくださる方の話相手をさせてもらっています

やはり山の上は下に比べると涼しく、朝晩は気をつけないと風邪をひいてしまいそうです

上の写真は私がお参りの皆さんとお話させてもらう場所で、、、マイクと講壇など慣れてなく、毎回冷や汗をかきながら話しているのは内緒です(笑)

こんな長い廊下など、普通のお寺にはありません

金剛峯寺ならではですね

ここでお話させていただくのはお大師様のお話がメインですが、参拝の方のお話を聞くこともあります

いろんな方と話すのが楽しいので、時間がすぐに過ぎてしまうのが難点といえば難点です笑

最近仲の良いお寺さんで、良いお話を聞きましたので今回はそれをよく話しています

とある先達(お参りに連れて行ってくれる人)の話で、「最近の大人は子どもの荷物を全部持ってあげてる、自分に必要な水筒、食べ物、地図が入ったものを全部親が持って、一見子どもは楽なようにみえるけど、そうじゃない。必要なものを持つ体力も持ち方のコツもないものだから、いざ持たないといけなくなったときに重くて大変だ。これまでは親は子どもに持てる量の荷物を持たせて、成長に合わせて少しずつ増やしていってたもんだ。

人生も同じで、子どもに必要な事、荷物も全部親が代わりに持って、持ちきれなくなったとき、あるいは自分が死んだときに一気に渡すもんだから、その荷物は重いわな。そして、持たされた子どもは荷物の中に何が入っているか知らんから、重いもんは捨てて軽くなる。そして後で必要になった時に、無い無いと騒ぎだす」

この話を聞いて私は思わず唸ってしまいました

これを聞いてどう感じるか。それはいろんな感性があるのでしょうが、非常に考えさせられましたし、親となった身としてはなるほどと思います

私も思い返せば、少しずつ持たされたものがあったなという思いと、まだ荷物は住職がたくさん持っている状態ですので、これからもまだ私の分は増えていくことを考えると精進しなければという思いです

この話を読まれて皆さんはどう感じられますでしょうか?

できれば個人の思いを教えていただければありがたいです

久しぶりというのは、とても嬉しいものでした

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

4月も終盤に差し掛かり、ずいぶんと暖かいどころか暑くなってきましたね

実はこの4月から、高野山でもさまざまな活動が再開されておりまして、その一環として、お坊さんとお話できる場所が復活しました

ありがたいことに私は早い段階で、仕事の依頼をいただきまして、一週間ほどいってきました

コロナのおかげで実に2年半ぶりの活動再開、感無量の思いでした

久しぶりに山の上に上がるので、近隣のお坊さんからは大量の買い物を頼まれていきました笑

2年半という時間はやはり長いもので、いろんなものが変わっていました

年の近いお坊さんが軒並み親になっていたり、ペーペーだった若い子たちがいつの間にか役職について物事を動かしていたりと、私も時間の流れを感じさせられました

写真は高野山の大師協会で、私が動いていた場所の一つです

高野山でのお坊さんの活動の事務的な処理をおこなう場所なので、さまざまなお坊さんが出入りしています

いろんな人に再会したのですが、中でも師匠に再会し結婚の報告ができたのは、個人的に一番嬉しいことでした

コロナで随分人の減った高野山ですが、それでもいろんな人が来ています

やはりこの場所は、いろんな事情を抱えたり、悩んだ人が来ることが「少しだけ」多いように感じます

皆さん話していると様々な内容の話を話されるので、それを聞いていると「果たして私でお力になれるだろうか?」と感じることもしばしば

お大師様の教えをお伝えして、お坊さんとしての立場からの見解をお話しして、どこまで皆様に届いているかはわかりませんがいくばくかの力添えができれば良いなと、いつも思っています

そんな高野山でのお仕事を終えた後は、光明寺で嬉しいことがあったのです

光明寺にもついに鯉のぼりが立つ時がきました

青竹を切ってきて、屋根より高く聳え立て!

と言うは簡単ですが、土台を作ったり、竹の運び出しだったりと結構大変でしたが、住職と二人、可愛い孫(私には子供)の為になんとか立てることができました

そんな作業をしていて思ったのが、自分のためには絶対やろうとは思いませんでしたが、子供、、、次の世代を担っていってくれる子たちの為なら身体も動くもんだということですか

子供が産まれたときによく聞いたのが、孫を見るときの人たちは、孫から繋がっていく未来を想像するので、理由もなくウキウキするし、可愛いし、期待するそうです

私たちは何が幸せと感じるのだろうかとよく考えていました

そういう関連の本や資料も結構読みましたが、それよりも親になってみて本当に実感するのは、自分のやっていることが未来に繋がっていってくれるという感覚が本当に嬉しく思います

これに関してはお金では買えないな、と感じます

お爺さんやひいお爺さん、その先祖から繋がってきたものが自分たち、そして子供、その下の孫たちに繋がっていく、その大きな世界の流れの中で、私たちは少しばかり生きているだけなんでしょうね

「阿字の子が阿字の海より立ち出でて、また立ち返る阿字の故郷」

真言密教で言われている言葉ですが、私たちの本質、魂の中側にあるものは、人も動物も植物も変わらないものを持っていて、皆んな同じところから産まれてきて、生を謳歌して、死んだら同じところに帰っていく、そう言われていたのが、最近初めてこんな感じなのかな?と実感しています

ずっとこれからも流れていく世界の時間の中で、光明寺という場所でおくらせてもらえる1日を感謝して過ごしています

皆さんも不安になったりしたとき、自分の家のご先祖さまはどういう流れで皆さんに繋がってきたのか、少しだけ考えてみてはいかがでしょうか?

暑い秋の日、私は出張です

皆さんこんにちは

副住職の隆照です

本日はお日柄もよく、天気も最高の晴天に恵まれてお勤めを迎えることができました

皆さん、写真をご覧になってお気づきになられましたか?

この写真、光明寺ではありません。

高野山の金剛三昧院です。

光明寺では普段の護摩のお勤めがおこなわれていましたが、私は、このお寺の毘張尊(びちょうそん)という天狗さんのお祭りに参加してきました。

私も一応写真に写っています・・・わかるかな?

毎年開催されているお祭りですが、コロナの期間は静かにひっそりと、という形でしたが、今年は久しぶりに多くのお参りの方がいらっしゃって、気合の入る形でした。

さて、脱線もほどほどに、光明寺に戻れば、この縁側は以前湿気で腐ってしまっていたものを、住職の日曜大工が新調しました・・・お坊さんなので、平日大工ですね、日曜の方が忙しい。

細部まで見ると、素人仕事というのがわかるのですが、まあ上を歩けるだけなんとか形になっているのではないでしょうか。

住職は、ときどき本職じゃないのか、と思うほど器用なことをしてきます

天気の良い10月は本当に気持ちいいですね。

お寺も、お彼岸が終わって、少しのんびりの10月の様子でした。

九月の護摩は、悲しいお知らせ

皆さん、こんにちは。

九月になってようやく少しだけ涼しくなってきました。

今年の夏は本当に灼熱という言葉が当てはまる暑さと、雨の少なさでした。

光明寺のある赤穂市有年では、まとまった雨が8月中なんと一日もないということで、いろんなものがミイラになるかという異常気象でした。

それが、秋雨前線の影響でなんとか雨もチラホラ降りだしてくれているので、少し安心しています。

ほんと、時代が違えば、干ばつ飢饉で死者がでるような状況でした。

さて、そんな光明寺の9月の山の護摩は、雨が心配された予報でしたが、爽やかな青空の元で無事に行うことができました。

お堂を開け放していると、抜けていく風が非常に心地良かったです。

皆さん思い思いのお願い事を祈願されて、ご自身でも真剣にお祈りされていました。

護摩が終わって住職の話では、題名に書いた通り悲しいお知らせが

今年の10月末に高野山での、お大師様が「弘法大師」という名前をいただいて1200年を記念して、高野山では全国各地からのお写経を集めて、お大師様に届けるという、大きな法要を行う予定だったのです。

私たち光明寺もそれに伴い、バスを借りて、皆さんで高野山にお参りしようという企画をだしていたのですが、残念ながら中止せざるを得ない状況になりました。

私も皆さんと、高野山へのバス旅行、普段はなかなか話す機会のない人たちとも会えるときであったので、残念です。

しかし、高野山としては、全国からのお寺の檀家さんをお招きするという事はできないものの、お大師様に皆さんの気持ちをお伝えするお勤めは、小規模ながら全国のお坊さんを招いて行うので、その時に奥の院に納める写経を募っています。

上記の写真に写っているのが、今回納める写経です。

写経は普段は般若心経というお経を書いていただいていますが、今回はより多くの人にお大師様に思いを伝えていただきたいからという理由で、より簡単な大師寶号「南無大師遍照金剛」という言葉を10回書いていただくだけのものになりました。

皆様を高野山へお連れすることは叶わなくなりましたが、代わりにこの写経を奥の院にお連れしていってきます。

山の護摩に来られた方々も、この写経を皆さん持って帰っていただいて、書いてきますと言っていただきました。

従来の形からは変わってしまいましたが、皆様のたくさんの思いがお大師様に伝わればいいと思っております。