あけましておめでとうございます

新年が来て、もう七草がゆの頃を過ぎまして、みなさんいかがお過ごしですか?

副住職の隆照です

お寺は非常に慌ただしかった年末年始を無事に終えることができまして、少し気が抜けた空気がただよっております

心配であったコロナも、年の瀬のころには比較的落ち着いていたので、無事に除夜の鐘と初護摩という年またぎの行事を終えることができました

ちょっと私の気が抜けすぎて、なかなかホームページの更新まで元気が出なかったのが、年明けの状態でしたw

お正月の3日までは、知り合いのお寺さんに初もうでのお手伝い(来てくれる人を迎える側です)に行かせてもらったり、光明寺で年始の托鉢周りを行ったりと、なかなか4日を迎えたときには口から魂が抜けていくのが実感できたような忙しさでした

今年は大晦日が寒空の元、ホワイト大晦日になったのもいい思い出

年始の托鉢周りは、光明寺では新年の魔除けの切り絵「宝来」というものを持って、檀家さんを一軒ずつ歩いて回ります

そして届けた後に、今年一年の平穏無事と運気向上を願って戸口でお経を唱えます

何に対してお勤めしてるのですか?と聞かれることがありますが、「全部」というのが正解です

家の仏間にある仏様にも、家の神さまにも、そして住んでいる方々の心に対しても手を合わせています

詳しい説明や難しい理屈も当然あるのですが、それ以上に手を合わされた人の気分が少し晴れやかになってくれる、そうなれば拝んでいる私たちも一番うれしいです

今年は壬の寅年ということで、正月から初もうでに来られる方皆さんに年の話をしています

なぜなら、とっても今年の運気は昇り調子の良い運気です

これは知らねば損というもの

去年までは外に出たくても、大きいことをしたくても運勢的にはダメと言われてしまう、いわば準備の年でした

しかし、今年はその準備したものが芽を出すために大きく成長する年

本当に良い上り調子の年です

もちろん、個人の運勢を見れば細かく色々ありますが、全体の流れはそんな風に良い方向に向かっています

ですので、皆さん是非この流れに乗っていい一年をお過ごしください

という話をあちこちでしております

良い流れの時というのは、お話しをさせていただく方としても、ありのまま、そのままにものをお伝えしたら皆さんが一番喜んでくれるので、とっても気楽であり、話していて楽しいです

今年は私も第一子が誕生予定ですので、良い年になるように頑張っていきます

皆さんもどうか良い一年を

あけましておめでとうございます

みなさま、タイトル通りあけましておめでとうございます。

コロナで騒がれた2020年も終わりまして、新しい一年がやって参りました。

去年は公私ともに激動の一年だったと思います。

年の初めより、コロナで世界中が振り回されておりました。

世界的に見ても、経験したことのないような、以前の似た事例ですとスペイン風邪の流行が近いかもしれませんが、それを経験された方はもう鬼籍に入っておられますし、全人類が初体験の情勢だったと思います。

そんな中ではありますが、去年は私事に関しましては、大変ありがたい年でした。

私、副住職に嫁いでくれるという殊勝な女性が現れ、念願の光明寺に新しい奥さんができました。

大変な一年の最後になんとか花を添えることができたのではないかと思っております。

そんな一年もおわり、無事に年越しから光明寺は大忙しでした。

新年に仏様と土地神様にお供えする御餅を作るために餅つきを行ったり、しめ飾りを飾り、門松を作ったり、、、毎年光明寺の門前に飾ってある門松、実は住職お手製なんです。

買ったら高いからという理由で作り始めて、早うん十年、若嫁が驚いていましたが、その腕前はプロ級にまで上り詰めております。

一番上の写真に乗っている両脇の門松がそうです。

そして、このブログを書いていて後悔。

餅つきも門松も、しめ飾りも、作る最中写真撮り忘れました。

うーん、残念。

だいたい後から気づくものですね。

ともあれ、そんな準備もしっかりとできて、いよいよ大みそかを迎えました。

今年はコロナの影響もあり、例年の甘酒や暖かいお茶のお接待は中止せざるを得ませんでした。

冷え込みもキツイ日でしたので、誰も来てくれないかと思っていたら、一人、また一人と門をくぐってきてくれて、待っている側としては非常に嬉しいかぎりでした。

さすがに例年よりも総数は少なかったものの、それでもお堂が埋まるぐらいの人数が来てくれて、本当に心の温まる年越しになったのではないかと思います。

そんな中で、今年の除夜の鐘、そのオオトリを飾ったのはこの子です。

実は、小さい時からおじいちゃんおばあちゃんに連れてこられ、良くお寺に来てくれていたのですが、とっても奇麗な女性に成長して来てくれました。

おじいちゃんはもう鬼籍に入られましたが、手を引かれてきていた子が、今度は友人の手を引いてくる側になってくれるとは、、、

うーん、私も歳を感じます(笑)

冗談はさておき、本当に嬉しく感じた瞬間ですかね。

除夜の鐘が終われば、本堂での新年初の護摩のお勤めを行いました。

なかなか普段のお勤めでは来られない人たちも、大みそかの流れでお勤めに入って行くことができる貴重な瞬間です。

初体験な子たちもいて、皆さん思い思いに新年のお願い事をされていました。

そこでの住職の話ですが、例年のごとく干支の話。

今年は丑年ですが、辛(かのと)丑年です。

この干支というのは、一年の運勢を現わしていまして、辛とは植物が枯れてしまって寂しい状態を表します。

しかし、ただ寂しいと言っても、空しい寂しさではなく、次に芽吹くためにしっかりと準備を行うための静寂です。

更に丑年といのは、牛歩の歩みという言葉があるように、物事を一気には進めるのが苦手、しかし、牛は怒れば怖いし、すごい速さで突進しますよね。

丑年の人間は怒らすとおっかないなどと言われるように、辛抱強く物事に取り組めるが、一度怒らすと手が付けられないと言われます。

今年もまさにそんな運気の年で、コロナ明けで一気に物事が動いてほしい気持ちはありますが、そのための準備を辛抱強く行う歳になるということで、もう少し耐える期間というのは続きそうです。

しかし、いざ動き始めたときに、牛のごとく突進できるように、今は水面下でしっかりといろんな準備を行う歳にしていこうではありませんか。

光明寺では、今年も可能な限り例年通りの勤めごとを行うように努力してまいります。

みなさんも、コロナに気を付けたうえで、お参りいただけることをお待ちしております。

新年あけましておめでとうございます

光明寺は今年も無事に、皆様のおかげで新年を迎えることができました。

日ごろから、お寺を支えていただいている皆さまに感謝をして、そして、また今年も一年どうかよろしくお願いします。

なかなかバタバタした年末年始ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

私もおかげでいろいろ忙しかったのですが、一つ落ち着いたのでホームページに年末年始の流れをアップしようと思います。

トップの写真も大みそかの光明寺ですが、大みそかといえばやはりこれ

除夜の鐘ですね

今年から始めた老人ホームの訪問でも、職員の方々に大みそかの鐘の音色聞いていますと言われて、いろんな人が聞いてくれているなと、改めて思い知らされました。

今年は少し天候が冷え込む予報でしたので、例年に比べると参拝の人は少なめでした。

しかし、それでもここでしか会えない人たちが来てくれて、待つ方としては嬉しい限りです。

毎年のことですが、除夜の鐘の打ち始めは私一人だけですので、寂しいこと寂しいこと。

ほんと人の温かみというのを痛感する瞬間です。

除夜の鐘が終われば、恒例の一年の幸福を祈願する初護摩です。

外はさむかったのですが、参拝の人の熱気と護摩の火で非常に暖かく、暖房を消そうかと思うぐらいに熱狂しました。

写真の右奥に破魔矢が写っていますが、ありがたいことに今年も大人気でお参りの人は皆さんが購入していってくれます。

一連の流れを終えたら、だいたい2時過ぎにお堂の戸締りをして無事に年越しを終えることができました。

毎年ではありますが、これが終わるとみんな家のものは疲れ切っています。

しかし、みなさんに元気をもらうからでしょう、目だけはランランと輝いて不思議な状態。

気力が体を動かすとは、まさにこういうことを言うのだろうと思います。

さて、時間は少し進みまして2日と3日の朝になります。

左の写真に撮影者の指が写っているのは、素人の御愛嬌w

年頭参りと言いまして、檀家さんへのあいさつ回りですね。

二日に分けて村の中を歩いて一件づつ周ります。

回った家には、挨拶のおしるしとして宝来という切り絵を置いていきます。

これは高野山発祥の魔除けでして、もともと高野山では田んぼが無かったのでしめ縄が作れなかったんです。

今でこそ縄は店に行けば売っていますが、その昔は各家で自作していました。

材料の藁がない高野山では作ることができず、一年の魔除けにしめ縄を制作することができなかったのです。

そこでどうにかできないものかと考えたお坊さんが、奉書で切り絵を作り、それを祈願してしめ縄の代わりの魔除けを作ろうということで始まりました。

それを私たちは年始の挨拶で配っているのです。

それともう一つ、この年頭参りでは玄関先でお勤めをさせていただきます。

普段は私たちは、お仏壇に手を合わせるのですが、この正月はお仏壇のご先祖様だけではなく、それぞれのお家の神様、そして生活している人に向かってお祈りをします。

これは供養という意味ではなく、今年の挨拶と良い運気、良いご縁が巡ってきますように、との意味でお勤めをしています。

亡くなっている人が対象ではなく、生きている人を拝んでいるのです。

そんな年頭参りも無事に終えることができました。

みなさん今年も無事にお過ごしください。

皆さんのご多幸を祈っております。