小春び・・・もう春ですね

今月も21日がやって参りました

昨今の事情の中で、お参りに来てくださる方がいないかもしれないと心配もありましたが、今月も無事に皆様のお参りをいただきまして、護摩のお勤めが開催できたことをありがたく思います。

今年は暖かかったこともあり、例年ですと4月の頭に咲こうかという木蓮の花びらがもう開花を迎え、雲一つない青空のもと、皆さんを迎えてくださいました。

新型コロナの影響により、フランスでは非常事態宣言が出されたり、アメリカでも移動規制が入ったりと世界中が、とてつもない渦の中で光明寺の空だけは何事もなかったかのように晴れ渡っておりました。

少しお参りの方の人数が少なかったので、今日はいつもみんなで回す巨大な数珠はお休みです。

その代わりに、小さな子もみんなで般若心経に合わせて木魚をたたいてお勤めしました。

子供たちには「木魚をたたく」ということが楽しかったようで、太鼓の音に合わせてテンポ良くポコポコ、テンポを外しポッコポコ。

終いには太鼓の音と、般若心経のお経の声と、子供たちの笑い声が響きあい、最高のビートです。

そんな素敵な空間を作ってくれたものだから、今日の護摩はいつもと違う雰囲気です。

みんな真剣にしながらも笑顔が絶えません。

こんなサイズの木魚を叩きます。

まるでお堂の中が一つの曼荼羅のように思えました。

曼荼羅とは仏教における世界を書き表したものであり、物事の真理だと言われています。

そんな理想の世界が、光明寺のお堂の中でみんなが笑っていた空間で実現されていたのではないかと思います。

物事の真理は身近過ぎて気づかないと、よく言われますが、あったじゃない、こんな近くに。

お勤めが終わって、みなさんは住職のお話しを聞いているのはいつも通りなので、今日は外で子供たちの遊んでる姿を

一緒に写っているのは、いつもお手伝いしてくれている真楽寺さんです。

・・・子供の横に並ぶと迫力がすごいw

皆様のおかげで、光明寺は今日も老若男女、みんな笑顔で平常運転できております。

実は・・・お山の

新年になりまして、初めての黒澤山の護摩のお勤めに参加できました。

今日はえらい久しぶりの感覚だなーと思って、実際に予定を確認したところ、11月から欠席が続いておりましたので、お恥ずかしい( ;∀;)

もう冬も終わりかけの3月ですが、朝方の雨の影響もあり、山の上は息が白くなるほどの寒さ

しかし、そんな中でも変わらずたたずむお堂とお釈迦様の涅槃像を一枚

森の中にひっそりとですが、確かな存在感をもってたたずむ姿に思わず魅入られそうです。

このお釈迦様の涅槃像の大きさは2メートルを超えているので、近づくと大きさがわかるのですが、遠目ではバランスの良さも相まって、普通の人が横になっているような雰囲気をしておられます。

雨上がりの雰囲気も相まって、より一層落ち着いた調和がとれていました。

思えば、この涅槃像がここに安置されたのは私が幼稚園か小学校低学年のころだったと思います。

当時の住職であった先代隆弘和上(私のおじいちゃん)がツナギで石屋さんと作業をする姿を、子供ながらに興味津々で見ていたのを覚えています。

それから20年以上たった今、いろんなものが変わりますが、お釈迦様は変わらずここにいてくださっています。

日々の生活が目まぐるしい変化に追われて、、、という謳い文句はよく使われますし、私も使いますが、考えてみるとそんなに今も昔も違うことはしていないのかも、と考えるこの頃です。

新型コロナの一報でトイレットペーパーが無くなるのを見て、新しい機械や技術に囲まれても人の本質は、10年や50年では変わらないと言われるのは納得でした。

さぁ、話が変な方向に行きましたが、本日のお勤めではなんとお弁当の差し入れがありました。

なんと、このお弁当手作りです。

赤穂の高橋さん御一行が朝早くから作ってくれたのを、お参りの人全員にと配ってくれました。

私もいただきましたが、栗ご飯の美味しいこと

デパ地下で買ってきたと言われても疑わないようなレベルです。

ありがとうございました。

お勤めのほうは定刻通り始まったのですが、この日は煙がすごく出まして、私はこの季節花粉症なので、普段は気にならない煙でも非常に目と喉にダメージが来ます。

今日は目があけれない!

しかし、お参りの人は皆真剣にお願いを持ってこられるので、煙にやられてばかりいるわけにもいきません。

しかし、煙たい!w

無事とは言い難いですが、なんとか終わって涙が止まりませんでした

そのあと住職の話ですが、笑いの和顔施についてでした。

これは、笑顔で相手に接することによって笑顔の施しをしてあげましょうという意味なのですが、スマイルはゼロ円という言葉があるように、元手のいらないものです。

しかし、笑うというのは大人になるにつれて一日の笑う回数が少なくなるのは皆さん身に覚えがあるのではないでしょうか。

子供だと平均3~500回一日で笑うのに、大人は15回前後だということです。

近年では、笑うということは私たちの体に様々な良い影響があることが知られてきました。

調べればたくさん出てきますが、食後の血糖値が下がったり、免疫が活発になったり、よく出かけて人に会って笑うというのは最も簡単にできる万能薬です。

ちなみに、お経でもそういったことが言われています。

ニュースを見ていると悲惨な気持ちになることも多いですが、やはり一番は笑顔で楽しくが百薬の長だと思います。

遠征に行ってきました

2月26日に三宮の勤労会館という駅前の建物の中で行われている「お坊さん喫茶」に出席してきました。

この喫茶、実は私の高野山での後輩の子が行っているのですが、何もなかった状態の時から立ち上げて、早3年になるとのこと。

それを主催している子が、実は知る人ぞ知る「マジック説法の井上僧正」です、、、大阪以外では、なかなか知っている人の方がすくないかもw

出席されている方も沢山の方がおられて、部屋の扉を開けて入った瞬間に驚きが隠せませんでした。

1時から開催されたこの喫茶は、最初にお坊さんが皆さんの前に立って法話、もとい仏教の勉強を行い、そしてその後は、みんなの席を繋げて茶話会を行っていました。

この日は主催の井上僧正が最初に話していましたが、その講習の熱が熱いこと熱いこと。

聞いているこちらまで、思わず唸るような、感銘をうけるような、そんな話を行っていました。

話ている内容的には、ダンマパダ(法句経)というチベット仏教などで、よく使われる経典から、お釈迦様の言葉を抜粋して、仏教を学ぶ、あるいは他の宗教を学んで実践するのはなぜか?

その真理がお経には書いてあるんですよ。

という切り口で話を進めていっていましたが、その語り口調はさすがと言ったところ。

私たちの生活のゴールって?何のためにいろいろするの?生きているの?

と、誰もが疑問に思うであろう部分を、上手にわかりやすく話していたので、聞いている人たちの目の色も真剣でした。

私は、普段そういう話の仕方をしていなかったなと、参考にさせていただくと同時に、自身の力不足を痛感しました。

非常に実り多い一日を過ごさせていただいた後に、参加者の方からお土産までいただいて充実した一日でした。

私も姫路で始めたばかりの阿字観教室、負けずに頑張らねば

おかげさまで無事に節分が終わりました

節分の朝は非常にいい天気でした

ご来光が普段以上に神々しく感じて思わず一枚

光の加減もあり、まるでお大師様が実際に来られたかのような一枚が出来上がりました

2月3日の開白より、9日の結願に至るまで毎日お参りに来ていただいた方には感謝の念が絶えません。

やはり、1週間という時間は短いようで長いようで、やっぱり短いのですが、終わると良い時間だったなーという思いと共に、ホッとした気持ちが出てきます

まぁ、気持ちが緩んだので、本来なら9日に書くはずのこの記事を11日という今日書いているのですが、そこはご容赦を

写真で見えている右側が私(副住職)です。護摩の火を上げるサポートをしております。

そして手前に座ってお勤めを行っているのが、光明寺の住職の父になります。

そして、奥に見えるのがこの日のメイン。

風呂敷加持(ふろしきかじ)というものを行っている広島の安楽坊さんです。

風呂敷加持というものは、護摩のお勤めでできた火というものは非常にご利益があるとされているのですが、それをなんと火種を取り、風呂敷の上に轢いてある檜葉の上に乗せ、くるんでしまって、その温かみをお参りの方に直接あてることによって、仏様の温かみ(私たちは仏の慈悲の暖かさと言っています)を感じていただく、というものです。

なかなか簡単そうにしてくれるこの風呂敷加持ですが、簡単なだけに難しく、上手に行ってくれる人というのは意外と少ないのです。

その点、安楽坊さんはベテランなうえに手早く、そして盛大に(ここ大事ですw)行っていただけるので、安心してこちらもお任せできています。

このように初めてのお参りの男の子も、無事に加持をしてもらえて、この後非常に満足している様子でした。

お勤めが終われば、無事にお話しとなるのですが、この日はスポットの光が逆光になってしまい、皆さんに後光が当たっている構図になりました。

いつもなら、安楽坊さん、そして、神戸の一言寺さんというお手伝いしていただく方からもお言葉をいただくのですが、なんとこの日は一言寺さんが欠席ということで、その代理で来てもらったのは、一言寺の副住職、お子さんです。

私の二つ下になるのですが、お勤めの時の太鼓は上手に叩くわ、人当たりもいいわ、そして、最後の挨拶で慌てるのかと思いきや、非常に素晴らしい挨拶と自己紹介、そして光明寺の感想を言っていただき、来ていただいてる方々はみんな大喜び。

そして、その話を聞いていた光明寺の住職の目にも涙がほろり

どうやら、子供のころから知っているので、大きくなってくれた姿に感動したようです。

思わず、負けたな、と思った次第です。

そんな一言寺の副住職さんですが、どうやら光明寺のお勤めに感動してもらった様子。

光明寺のお勤めは、お坊さんとお参りの方みんなで作っているので、一体感が全然違ったそうです。

そう言っていただけるお勤めになったのも、みなさんが早朝の中なのに、たくさんお参りに来ていただいたおかげでございます。

日ごろからのご尽力に改めて感謝します。

今年も一年、皆様の星と共に運勢が良い一年になるように、光明寺よりお祈りしております。

節分 始まりましたよ

今年も始まりましたね、光明寺の一大行事「節分星祭」です

この日の為に皆さんからお受けした、お札を作って参りました。

しまった、お札を見やすく写真撮るのを忘れていました。

見えにくいとは思いますが、正面の観音様の両脇にある白いものが全部お札です。

そもそも、星祭とは私たちが生まれたときに背負う運命、これを仏教では業と言います。

よく私たちが「この子は~の星の下に生まれてきたに違いない」とか言う星です。

これは各々生まれた年などによって違うので、それぞれの星を供養することで自分の今年一年の運勢を上げていこうという趣旨のものです。

これの大本は、お大師様が唐より持って帰ってきていただいたお経の中に「宿曜経」というものが含まれており、それに基づいた方法でお勤めを行っています。

ちなみに、この宿曜経非常にわかりやすく、詳しく書いてくれているので、たびたび女性週刊誌の~占いで名前だけ変えて掲載されているのを見つけます。

そのたびに私は思わず笑ってしまうのですが、それだけ広く広まっているということですよね。

皆さん事前にお札を申し込んでいただいた方がお参りに来られます。

自分の運勢がかかっているだけに、真剣なお顔です。

なお、仏教や神道で使う数え年というものですが、これは一般に自分の満年齢(普段使っている歳)に一歳足すことで出すことができますが、なぜこのような数え方になるかというと、お母さんのお腹の中にいるときから歳を数えていたからです。

さらには、旧暦ではこの節分が正月に当たり、歳を超えたら誕生日が来なくても皆さん自動的に+1歳になっていたので、ちょっとややこしい数え方になるんです。

私の身近にも、33と思っていたのが、暦でみたら35だったというのでショックを受けたという笑い話がありました。

脱線した話はさておき、10時になるとお堂の周りに暗幕を垂らしているので、電気を消して暗くして護摩のお勤めを始めました。

普段とは違う雰囲気にお参りに来た子供もワクワク半分、ドキドキ半分の様子。

お勤めが終われば、いつものお手伝いに来てくれるお坊さんからお話しをいただきます。

今回は近場のおばあさんがいつも口癖にしている「朝を迎えれてよかった」という話をしておられました。

私たちは当たり前のように次の日の朝を迎えていますが、それはすごく奇跡的なことで、いつ心臓が止まるかもわからないし、病気で亡くなるかもしれない。

それを高齢になって初めて実感して、朝起きるたびに、今日も一日の始まりを迎えれました、ありがとうと感謝する。という趣旨のお話しでした。

私も若いからと言って、知らんぷりできないので、心に留め置きます。

それが終わればお接待の善哉です。

この日の善哉は5~6回小豆を焚きこんで、味を染み込ませた特別性。

お餅はなんと朝一番にお店でついてもらった出来立てです。

皆さん美味しいものを前にすると目の色が変わるのは、子供も大人も変わりませんね。

美味しく食べていただけたのは、出す方としても一安心でした。

この2月3日を境に、ここから一週間、護摩のお勤めを続けてお札にお願いごとを込め続けます。

そのお札は2月9日に出来上がるのですが、光明寺では9日までどこへお参りに来ていただいても皆さんのお参りを歓迎いたします。

是非、お時間を見つけていただいて一緒にお札の祈願を行いましょう。

新年の初大師

本日は本堂での護摩のお勤めから、その後檀家の皆さんでお昼を食べてみんなでお大師様のお勤めを午後に行いました。

写真で見る限りでは、午前中の護摩も賑わったようです。

実は私、今日の午前中は姫路のお寺に初護摩のお手伝い行っておりまして、それが終わって慌てて光明寺までとんぼ返りしてきたのです。

思えば、去年からずいぶんとお仕事のお声をかけてくれるようになり、嬉しいしだいです。

すぐ舞い上がって天狗になる性分なので、天狗にならないように気をつけねばw

写真は午後からのお大師様のお勤めの写真です。

私と住職が並んで皆さんの音頭を取っています。

ちょっと小さくて見えずらいですが、わたしが皆さんの前で場つなぎでお話しをさせていただきました。

思えば、記憶にある中で一番初めにこの場で話をしたのは確か23ぐらい、信貴山に行っていたときであったかなと思います。

当初は法話とも、漫談ともならないものだったと思いますが、その若造も8年の歳月で、一応本山布教師心得の資格をいただき、高野山の山の上で皆さんにお話しをするまでになることができました。

去年の自分の中で一番変化が大きかったことはやはり、その布教師関係でしょうか。

高野山という山の上でお大師様のお手替わりとして話すようになると、いかに自分が勉強不足だったのかを痛感いたしました。

それからいろいろな知識を求めだして、書籍を読むようになったのはつい最近のことです。

しかし、いろんなものを読んで、新しい知識に出会うほどにお大師様の教えが、いかに端的で的確な美しいものかということに感嘆の念を覚えます。

そうして、いろんな感動を覚えるうちに私の中にわいてきたのが、お大師様の教えの基本を誰もしたことのないぐらい現代の知識を使って、皆さんにお披露目しようという気持ちです。

ですので、私のお話しはわかりやすさ重視の基本的なことしか入ってません。

今日皆さんの前で話した感謝についても、今更言う必要のないほど基本的なことですが、基本というのはやはり、根本であるがゆえに忘れやすいものと思います。

少年野球をやっていたころから、何度基本をないがしろにして怒られたことか。

基本を忘れないための感謝日記、お金もたまる感謝日記、おすすめですw

私の話はこの御詠歌のための前座でした。

大会に出られた御詠歌「遍照」をみんなの前で披露していただいて、今日の長い一日は無事に幕を閉じました。

半年に一度、行っているこのお大師様のお勤めですが、絶えることなく続けてこれるのは皆さんの協力あってのこと。

製品化された奇麗な行事ではなく、手作り感の溢れる暖かい行事で行えていることに感謝の念が絶えません。

朝から来ていただいて、みんなのお昼の用意をしてくれた当番の方々、お参りに来てくれた皆さんありがとうございました。

新年あけましておめでとうございます

光明寺は今年も無事に、皆様のおかげで新年を迎えることができました。

日ごろから、お寺を支えていただいている皆さまに感謝をして、そして、また今年も一年どうかよろしくお願いします。

なかなかバタバタした年末年始ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

私もおかげでいろいろ忙しかったのですが、一つ落ち着いたのでホームページに年末年始の流れをアップしようと思います。

トップの写真も大みそかの光明寺ですが、大みそかといえばやはりこれ

除夜の鐘ですね

今年から始めた老人ホームの訪問でも、職員の方々に大みそかの鐘の音色聞いていますと言われて、いろんな人が聞いてくれているなと、改めて思い知らされました。

今年は少し天候が冷え込む予報でしたので、例年に比べると参拝の人は少なめでした。

しかし、それでもここでしか会えない人たちが来てくれて、待つ方としては嬉しい限りです。

毎年のことですが、除夜の鐘の打ち始めは私一人だけですので、寂しいこと寂しいこと。

ほんと人の温かみというのを痛感する瞬間です。

除夜の鐘が終われば、恒例の一年の幸福を祈願する初護摩です。

外はさむかったのですが、参拝の人の熱気と護摩の火で非常に暖かく、暖房を消そうかと思うぐらいに熱狂しました。

写真の右奥に破魔矢が写っていますが、ありがたいことに今年も大人気でお参りの人は皆さんが購入していってくれます。

一連の流れを終えたら、だいたい2時過ぎにお堂の戸締りをして無事に年越しを終えることができました。

毎年ではありますが、これが終わるとみんな家のものは疲れ切っています。

しかし、みなさんに元気をもらうからでしょう、目だけはランランと輝いて不思議な状態。

気力が体を動かすとは、まさにこういうことを言うのだろうと思います。

さて、時間は少し進みまして2日と3日の朝になります。

左の写真に撮影者の指が写っているのは、素人の御愛嬌w

年頭参りと言いまして、檀家さんへのあいさつ回りですね。

二日に分けて村の中を歩いて一件づつ周ります。

回った家には、挨拶のおしるしとして宝来という切り絵を置いていきます。

これは高野山発祥の魔除けでして、もともと高野山では田んぼが無かったのでしめ縄が作れなかったんです。

今でこそ縄は店に行けば売っていますが、その昔は各家で自作していました。

材料の藁がない高野山では作ることができず、一年の魔除けにしめ縄を制作することができなかったのです。

そこでどうにかできないものかと考えたお坊さんが、奉書で切り絵を作り、それを祈願してしめ縄の代わりの魔除けを作ろうということで始まりました。

それを私たちは年始の挨拶で配っているのです。

それともう一つ、この年頭参りでは玄関先でお勤めをさせていただきます。

普段は私たちは、お仏壇に手を合わせるのですが、この正月はお仏壇のご先祖様だけではなく、それぞれのお家の神様、そして生活している人に向かってお祈りをします。

これは供養という意味ではなく、今年の挨拶と良い運気、良いご縁が巡ってきますように、との意味でお勤めをしています。

亡くなっている人が対象ではなく、生きている人を拝んでいるのです。

そんな年頭参りも無事に終えることができました。

みなさん今年も無事にお過ごしください。

皆さんのご多幸を祈っております。

師走 護摩の火 文化の日

今年も無事に一年が終わろうとしています。

12月のことを日本独自の読み方で師走(しわす)と言いますが、由来としては、年末になるとお坊さんが忙しく走り回っている様子からつけられたとか。

あくまでも一説なので、他にもいろんな説があるのですが、年末は確かに忙しい時期ですよね。

お坊さんだけじゃなしに、みんな走り回る今日この頃

光明寺の紅葉スポットの木も走りつかれたのか、葉っぱがなくなって疲れている様子

やはり枝だけになるとずいぶん雰囲気も変わるものですね。

でも、この日は天気は快晴だったので、お天道様には微笑みかけられたかな?

そんな快晴の天気の中始まった終い大師ですが、、、ちなみに年末の縁日のことを終い~という言い回しがお寺にはあります。

終い大師とか終い不動とかですね、探せばもっと使っているところもあるはず。

脱線しました。

この日の終い大師は土曜日でしたが、お参りの方は9人でした。

やはり、年末になると皆さん地区の当番やら他の行事などいろいろ走り回っているようで忙しそう。

そんな中でもいつも通りの定刻に始まったのですが、いざ願文を住職が読み上げようとしたところでトラブルが!

なんと、風邪をひいていたおかげで声が出ない。

ボイスチェンジャー通したような声になっていましたが、なんとか最後まで読み切っていました。

風邪が流行っているみたいで、私ももらわないように気を付けないと。

護摩のお勤めが終われば、この日は嬉しい知らせが一つ。

なんと、いつもお参りに来てくれている人が、少し重い病気だったのですが、本尊様の御利益をいただいて、無事に半年ほど時間をかけて回復できたと、感謝のお供え物を預かりました。

名前は白くぼかしましたが、嬉しかったので写真をアップ。

お供えした後に、お参りの方皆さんとおすそ分けを行い、美味しくいただきました。

やはり吉報の知らせは嬉しいですね。

こちらまで笑顔と元気をいただける瞬間でした。

さて、そのお菓子を食べながら住職の話です。

お経で喉のウォーミングアップができたのか、声はよく出ている。

、、、さっきの願文はなんだったんだw

その内容は、文化って大事よねって内容だったのですが。

文化が衰退した集団というのは、やはりその人口も勢いも衰退していきます。

どんなに一時は人口が増えて、勢いがあるように見えても、文化が根付かないものは末路は同じだと、歴史学者の先生から聞いたようです。

日本各地にある、バブルの時に建てられて、今はほぼ過疎地扱いになっているベットタウンが、まさにこれの典型例だと言っていました。

しかし、反対に人口が少なくても、どんなにめんどくさくても、自分たちの確固たる文化を持っている集団というのは、息が長くしぶとく存在し続けているとのこと。

私たち田舎の人間もしかり。

人がいなくなると、ずっと言われていますが、しかし、しぶといw

しかし、最近は田舎の人たちが、自分たちの守ってきた文化を古臭いものだからと、自分たちで放棄する流れになってきていると、その学者さんは危惧していたそうです。

「田舎だからなにもない」じゃなく、「田舎だから、都会にはない文化が溢れている」

そういうことなんだそうです。

なるほど、これは確かに!

だから、どんなにめんどくさくても、自分たちの文化をなくしてはいけないですよ?という話でした。

確かにめんどくさいと思うことは多々ありますが、それのおかげで今があると言われたら、うーむ、なるほどと感心させられます。

ですので皆さん、めんどくさいけど、大掃除しましょうね?

光明寺 団参ツアー in奈良 

11月24日、いよいよ皆さんが楽しみにしていた光明寺18本山巡りin奈良の旅が行われました。

事前の天気予報では

雨模様の天気でしたが、当日は参加された方々は、よほど晴れ男、晴れ女が多かったのでしょう。

雨の「あ」の字すら見当たらず、無事に旅行を終えることができました。

当日の朝は、少し冷え込むかな?という感じではありましたが、澄んだ空気がいい気持ちでした。

皆さんバスに乗り込んで出発です。

バスのマイクを使って住職も私もしゃべるのですが、何回やってもマイクを取るのは緊張します。

でも、周囲からは、全然緊張しているようには見えないとのこと・・・喜んでいいのやら、かなしんだらいいのやらw

最初は長谷寺を目指しております。

というのも、一番混むであろう場所を最初に行っておかないと、後で行こうとするのは地理的にも無理があるので、一番最初の移動時間が一番長くなりましたが、皆さんバスの中が賑やかなこと。

休憩もはさんで、約3時間移動でしたが、その間バスの中に静寂が訪れることは終ぞありませんでした。

かくいう私も、前の方の席でいろいろ話ておりましたので、非常に移動時間を楽しんでおりました。

いよいよ長谷寺についたので、みんなで列をなしてゾロゾロ行きます。

光明寺のおとおりじゃ~(/・ω・)/

地元の方にお伺いした限りでは、この日曜日は雨の予報だったせいで、だいぶん人が少なくゆったりとしていたそうです。

逆に昨日の土曜日は天気が良かったこともあり、みんなこの日を目指して来たようで、大渋滞の大混乱だったようです。

うーん、24時間違うだけで天国と地獄とは、うちの檀家の皆さんもってますね~

参道を歩いているといたるところに草餅のお店がありまして、これの美味しそうなこと。

こういう旅行では、やはりご当地物も楽しみの一つですよね。

買って食べたい、しかし、お昼ごはんが入らなくなる!

そんな葛藤に悩まされ、何とか誘惑に負けることなくお寺につきました(しかし、帰り道では結局誘惑に負けました)

さすがに花のお寺と呼ばれるだけあって、境内は非常に見ごたえのある広さはもちろんのことですが、各所に植えてある植物が年を通じて、花を咲かせて、訪れる人を楽しませるのが容易に想像できます。

また、非常に紅葉がいい時期でしたので、お寺のどこもかしこも紅、黄色、緑などで色鮮やかに染まっておりました。

これホントすごいわ

しっかりみんなで手を合わせて、般若心経をお唱えするのも忘れません。

また、本尊さまが観音様ということで、御詠歌の曲「観音大事」を唱えて奉納しております。

般若心経はわりと皆さん、お唱えの方が他にもいましたが、御詠歌ともなると珍しかったようで、周囲の方も聞き入っていました。

無事にお参りがあ終わりまして、気になるのはやはりご飯。

華より団子の言葉があるように、私いくつになってもご飯には勝てそうにありません。

この日お昼ご飯をいただいたのは、参道にある井谷屋さん。

リーズナブルなお値段なのに、想像以上のボリュームと品数のお昼を用意していただいたので、みんなご満悦。

わたしもおなか一杯いただきました。

その後は西大寺へ。

ここはとてつもなく大きな茶碗でお濃茶をいただく大茶盛が有名です。

あまりにも茶碗が大きすぎるので、周囲の人たちから手助けしていただかなければ飲むことができないそうで・・・大変そうだ。

そして最後は宝山寺です。

もうここは知ってる人は知っている、言わずと知れた聖天さんをお祀りするお寺で、大変強いご利益があるお寺です。

私のいた信貴山と並んで、大阪の人たちによくお参りされるお寺かと思います。

聖天さんというのは、歓喜天と正式には言いまして、神様なのですね。

ご利益が強い分、神様は仏様にはない嫉妬があると言われていまして、いい加減が気持ちで中途半端にお参りしたり、お祀りしたりすると逆に罰をあてられるということで、お坊さんの中では、聖天さんをお堂にお祀りしている人というのは、めちゃくちゃ気合も労力も時間もかけてお勤めされている方がほとんどです。

障りも強い分、認めていただいたときの御利益も強いんですね。

そんな宝山寺でもみんなでお参りです。

これはお不動さんをお祀りしている本堂ですが、そのあと聖天さんをお祀りしているお堂にもお参りしました。

いつも光明寺の行事があるごとに、広報用の写真を一手に引き受けてくれる方です。

今回の写真もすべてこの方の作品です。

いつもありがとうございます。

この写真は、不意打ちで撮りましたw

3ヶ寺を回った今回の旅行でしたが、皆さんのお参りの御利益か、帰りの道中では非常に奇麗な夕焼けに向かってバスが走ることができました。

普段でしたら、帰りはぐったりとした雰囲気になることも多いのですが、今回ばかりは違って、みんなこの夕日には大盛り上がり。

ホント最後の最後まで皆さん持ってますね~

予定より少し時間をオーバーしてしまった今回の団参旅行でしたが、無事に大きなトラブルもなく帰ってくることができました。

小さなトラブルはありましたが、みなさんそれに怒ることなく穏やかに流していただいたりと、毎度のことながら非常にありがたいメンバーでお参りできていることを嬉しく思います。

毎回大変ながらも、楽しくて仕方がないこの旅行、次回ももっと皆さんと楽しめるように計画していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

参加していただいた方、差し入れをいただいた方、また道中お世話になった方皆さんに感謝いたします。

合掌

11月21日 護摩の日

今月も21日がやって参りました。

早いもので今年もあと一か月でございます。

いつの間にか、年月の過ぎているのが早くなったことで。

今年は激動の年でもあったので、余計に早く感じるのかもしれません。

時間は大事にせねば。

さて、本日21日は毎月恒例護摩の日でございます。

今回はちょっと趣向を変えて写真の解説と行おうと思います。

上の写真は住職が護摩の願文(ガンモン)を読んでいるところです。

願文とは、この護摩のお勤めがどのような意図で行われて、誰に何をお願いしているのか、仏様に直接声でお伝えする作法です。

ちなみに、光明寺本堂の護摩は、お不動様にお参りの方と一緒に護摩の火とお経を手向けるので、ご利益をお願いしますと言っています。

この願文という作法は、大きなお勤めならば、だいたい行われていますが、それは住職が必ず行わないといけないという決まりはないので、若手だったり、老僧だったり、いろんな人が読みます。

他所のお勤めに合われたときは、意識して見てみると面白いかもしれません。

お勤めが終われば、住職と真楽寺さんのお話しです。

いつもの記事は、このお話しの内容を詳しく書いていたりするのですが、今日は割愛ですw

普段と違う形で、護摩の終わった後の掃除の写真を乗せてみます。

写真は壇の上の窯の中にたまった灰を取って奇麗にするのですが、使っているのは中華のお玉です。

いろいろ使ってみたのですが、これが一番使い勝手が良かったです。

ホームセンターで購入です。

そして、壇の上の仏具をすべて退けて奇麗にした後、座っていた台座を退かして掃除機できれいにした後、雑巾できれいに拭きます。

意外といろんなゴミが落ちているうえに、室内で火を焚いているので、拭き掃除が欠かせません。

これを怠けると、直ぐに靴下が黒くなってしまいます。

それらが終わって無事にこの形に戻ってこれます。

いかがでしょうか。

ちょっと普段とは違う視点で書いてみました。