紅葉が見ごろになってきました

光明寺の大イチョウ

これだけはまだ色づくまで時間がかかりそうです。

皆さんこんにちは。

いつもとは違うタイミングでの更新です。

15日に私の結婚式を目前にして、用意しながらふと思ったので、紅葉の度合いを上げていこうかなと思います。

なかなか奇麗に色づいてきていますよ

本堂横のお地蔵さんのお堂です。

もう少ししたら、周りの紅葉も一気に色が変わるので、見ごろは来週ぐらいからでしょうか。

上手くいけば、結婚式当日は奇麗に色づいているかも。

本堂の裏の木が色づいてきました。

お堂には、お寺の行事にかかわる五色の幕が掛けられたため、後ろの紅葉と相まって、非常に奇麗に映っております。

あと二日で、さらに色づくことを期待したいです。

お山の護摩は赤飯と共に

みなさんこんにちは

副住職の隆照です

秋の訪れを感じて、ともすれば冬の気配がも感じるようになってきた今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

本日、光明寺奥の院の護摩はいつも通りの第二日曜日の10時から、いつも以上の最高の天気と気持ちで始まりました。

お勤めは、いつも住職の法螺から始まります。

この法螺貝、なかなか音を上手にならすのが難しい代物でして、私は少しづつ練習はしているのですが、いつまでたっても上手くなる気配がしません。

口びるの形なんかも、もしかしたら影響しているのかな?

ともあれ、山のお堂の中に響き渡る法螺貝の音は、感性に訴えかけてくるものがあります。

みなさん感じ方は人それぞれでしょうが、しっかりと手を合わせて、目を閉じ、思い思いに集中されています。

火が上がれば、住職の「願文(がんもん)」といいまして、今日のお勤めは、どの仏様に、どういう意図で行い、みんなで一緒に般若心経を唱えるので、それの御利益をお願いしている人たちに与えてください。という文を読み上げます。

願文にかんしては、一応手本の形というものはあるものの、それぞれお寺の住職によって、好みがあるものですから、意外とオリジナリティあふれるものです。

非常にマニアックな部分になるとは思いますが、銘々のお寺さんの願文を聞き比べてみても面白いかもしれません。

そして、おつとめが終われば、いつもお接待のお菓子やお弁当を食べて、法話という流れになるのですが、今日は少し趣が違います。

本日は、私たちお寺側から、皆さんに私の結婚の話をお祝いしていただいたお礼として、お赤飯を配らせていただきました。

朝一番にお弁当屋さんに取りに行ったのですが、やはり「お寺」が赤飯をたくさん頼むというのは、お店の人も興味深々なようで、「なにかあったのですか?」としきりに聞かれました。

別に隠すことではないので、結婚のことを言うのですが、結果的に、なんだか方々で言いまわった形になってしまったので、少し恥ずかしい。

ともあれ、この日は他のお参りの方がインスタントのお味噌汁を持ってきてお接待してくれていたので、純和風が完成です。

やはり、良いことは皆で分け合うと、気持ちいいですね。

そして、その良いことの報告を暖かく受け止めてくれる、周りの人々に恵まれたので本当にありがたい限りです。

皆さんにも、良いご縁のおすそ分けができますように。

合掌

秋の彼岸は秋穂の賑わい

皆さんこんにちは

今年の彼岸は、コロナと共に過ごす時間となりました

お寺側も感染防止策を探りつつ過ごしております。

他のお寺さんの話も、よく耳に入ってきますが、皆さん暗中模索ながらもなんとか現状と闘っていっている現状ですね

なかなか一足飛びにはいかないものですね

そんななかで光明寺の秋の護摩、彼岸のお勤めは形を少し変えながらも、無事に行うことができました。

例年でしたら、午前中に護摩を勤めて、お昼ご飯をお接待させていただいて、午後から地域の方たちみんなでお勤め、という流れになるのですが、今年はお昼ご飯のお接待は無しで、窓は全て開放した状態で行いました

やはり彼岸、秋分の日というのは世間も休日になるので、護摩のお勤めも、普段ではなかなか揃わないような顔ぶれの方たちが集まっています

小学校に上がった子たちも来れたので、本当に雰囲気がキラキラと明るい感じがしております

いつも書いてますが、子供の力ってすごい

今月は護摩のお焚き上げする木が、よく乾いていたおかげか、非常に火の勢いが強くなりました…手が熱い!

思わず火傷しそうな場面もありましたが、本尊さんの忠告で「気を緩めるな」と言われているのだろうと思い、改めて気を緩めることなく、物事に取り組んでいこうと決意。

お勤めの最中に色々考えたり、思いついたりする瞬間がありますが、それこそが仏様からのお諭しであったり、小さな悟りの瞬間だと私は思っています。

ですので、お勤めの最中に思いついたことは、なるべく忘れないよう、気をつけるようにしています。

そんな護摩も無事に終わり、住職の話。

奥の院の山の護摩でもお話しましたが、お大師様の記念の年なので、皆さん是非写経をお願いします。という一連の流れから、地獄のお話を少々していました。

この時私はどうしていたかと言うと、外で子供たちのお守りです。

…もしかしたら、私の方が子供たちに遊んでもらっているのかも?(笑)

みんな楽しそうなので問題ないですかね^^

お昼のゆったりとした休憩時間では、子供たちは元気いっぱい。

なんと、小さなトカゲの赤ちゃんを見つけてそれを鷲掴み

みんな可愛い顔して、行動が男前すぎるよ…

それでお母さんがトカゲ持って追いかけられるものですから可哀そうなのに、微笑ましい(笑)

その後に1時より、地域の皆さん集まってのお勤めです。

やることは簡単なのですが、皆さんの慣れた声と揃った声量がベテランの迫力を出しています。

そしてここで住職の話なのですが、先ほど護摩の時に少しだけ話していた地獄の話を、ここで心おきなく話しています。

どうやら、護摩のときに全部話してしまうと、後の話題が無くなってしまうと小出しにしていたみたい。

地獄とはいろんな種類があって、とても長い期間居ないといけないのですが、基本的には救われるため、悪いことした反省をして良い方に行くために地獄はあるのですよ、というお話。

しかし、それを聴きながら私は自分の師匠を思い出していました。

高野山で修行を見ていただいたとき、師匠はこの地獄の話が好きでよく私たち修行僧たちにしていたものです。

地獄はあるんだ!と毎日、手を替え品を替え言われ続けると、はたして地獄とはなんだろうか?と考えるようになり始めました。

私たちお坊さんは、そんな調子だったのですが、この師匠、一般の檀信徒の方にも同じような地獄の話をしたものですから、聞く人たちは事前知識が足りない状態で聞いていたので、ポカンとした顔をしながら聞いていたのを今でも覚えています。

そんな地獄ですが、生前の罪によって落とされる場所が違っていて、数多くの悪いことをした人ほど、深い地獄へ落とされます。

そしてその判決が下されるのは、亡くなってから49日間と言われています。

一般にその期間は、喪中、忌中など、いろんな呼び方がありますが、初七日、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)などの期日ごとに、新しい審判を受けていくと伝わっています。

だから、私たち生きている側の人間は、亡くなった人が少しでも良い場所に行けるように、期日ごとに皆んなでお経を唱えて応援してあげるのです

お経の力はすごい功徳があると言われているので、みなさん是非応援してあげてください。

九月の護摩は、悲しいお知らせ

皆さん、こんにちは。

九月になってようやく少しだけ涼しくなってきました。

今年の夏は本当に灼熱という言葉が当てはまる暑さと、雨の少なさでした。

光明寺のある赤穂市有年では、まとまった雨が8月中なんと一日もないということで、いろんなものがミイラになるかという異常気象でした。

それが、秋雨前線の影響でなんとか雨もチラホラ降りだしてくれているので、少し安心しています。

ほんと、時代が違えば、干ばつ飢饉で死者がでるような状況でした。

さて、そんな光明寺の9月の山の護摩は、雨が心配された予報でしたが、爽やかな青空の元で無事に行うことができました。

お堂を開け放していると、抜けていく風が非常に心地良かったです。

皆さん思い思いのお願い事を祈願されて、ご自身でも真剣にお祈りされていました。

護摩が終わって住職の話では、題名に書いた通り悲しいお知らせが

今年の10月末に高野山での、お大師様が「弘法大師」という名前をいただいて1200年を記念して、高野山では全国各地からのお写経を集めて、お大師様に届けるという、大きな法要を行う予定だったのです。

私たち光明寺もそれに伴い、バスを借りて、皆さんで高野山にお参りしようという企画をだしていたのですが、残念ながら中止せざるを得ない状況になりました。

私も皆さんと、高野山へのバス旅行、普段はなかなか話す機会のない人たちとも会えるときであったので、残念です。

しかし、高野山としては、全国からのお寺の檀家さんをお招きするという事はできないものの、お大師様に皆さんの気持ちをお伝えするお勤めは、小規模ながら全国のお坊さんを招いて行うので、その時に奥の院に納める写経を募っています。

上記の写真に写っているのが、今回納める写経です。

写経は普段は般若心経というお経を書いていただいていますが、今回はより多くの人にお大師様に思いを伝えていただきたいからという理由で、より簡単な大師寶号「南無大師遍照金剛」という言葉を10回書いていただくだけのものになりました。

皆様を高野山へお連れすることは叶わなくなりましたが、代わりにこの写経を奥の院にお連れしていってきます。

山の護摩に来られた方々も、この写経を皆さん持って帰っていただいて、書いてきますと言っていただきました。

従来の形からは変わってしまいましたが、皆様のたくさんの思いがお大師様に伝わればいいと思っております。

暑い、猛暑、真夏日の護摩

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

暑い日が続いておりますが、お体の加減はいかがでしょうか?

光明寺では、本日21日、おそらく一年で最も暑いであろう護摩のお勤めが行われました。

朝から雨が降るかもしれない!という天気予報を裏切り続けてのこの晴れ渡る空。

本当に、景色だけならば爽やかなのですがね・・・

コロナ対策もあり、暑さ対策もあって、本堂をこのように全面開放しての一日でしたが、それでも暑かった。

終わるころには、みんな一様に汗が滲んでのあり様。

しかし、そんな猛暑の平日でありながら、非常にたくさんのお参りの方が来ていただいて嬉しい限りです。

当初用意していた、お勤めの後に皆さんに振る舞うお接待の冷やしたゼリーは数が足りず、急遽アイスクリームで補うことに。

嬉しい悲鳴です。

今日は初参加の方が何人か来てくれたので、それも嬉しいことでした。

悩みを持ってこられる方、習慣で来られる方、誰かに連れられてこられる方、皆さん理由は様々あれど、仏様の前では皆同じです。

そんななかで、毎月来ていただいている真楽寺さんのお話しで、行(修行のこと)が言われていました。

こんなに暑いのに護摩のお勤めに来る、あるいは、お盆の暑い中でお墓参りを行う。

それは私たちにとっての修行であり、私たちは生活の中で修業の部分が無くなると、直ぐに自分の欲望や身勝手な心に負けてしまう。

だから、大変だとわかっているときでも修行をしないと、どんどん悪い方向に向かって行ってしまうとおっしゃっていました。

仏教では、その悪い方向に連れていく自分の欲望や怠惰な心、自分勝手な心を『業』ごう、と呼んでいますが、皆さん馴染みがおありでしょうか?

キリスト教的に言うならば、一番近いのは七つの大罪ではないかと思います。

そういえば、この前読んだ本に面白いことが書いてありました

何気なしに読み進めていけばいくほどに、内容に既視感があるなーと思っていたところ、なるほど!と納得しました。

筆者の方が言いたかったのは、仏教で昔から言われていることでした。

自分の業を修行によって取り払うことで、私たちは同じ人生を歩もうとも、幸せを感じれるようになるよ、という内容で、それの修行の部分で瞑想が良いですよ。と書いている本でした。

西洋の方からすると、やはり普段から修行を行って、自分を奇麗にしていくという考え方は新鮮だったようです。

まさかグーグルで、ここまで仏教的考え方が取り入れられていたとは・・・

グーグルおそるべし。

私たち真言宗では、これをよく月と雲に例えます。

自分の真の心は月で、最初から空に浮かんでいるのだけれども、普段の生活をしていると、自分の業(あれが欲しい、誰かに腹を立てる、何故自分だけがと思う心などの悪い心)で隠れてしまっていますが、それを修行することによって、雲を払い、真の心を自覚することができると言っています。

私たちお坊さんの、毎朝のお勤めや、瞑想なども雲を払うためのものであり、それが仏様と通じることのできる方法です。

修行をずっと行っていった先に何が見えてくるのか?

私はまだ道半ばなので、見通しは立ちませんが、おそらく悪いものではないと確信しています。

皆さんも是非、普段の生活から行を行っていただいて、自分の雲を取り払って心豊かに生活していただきたいと思います。

最後になりましたが、毎日暑い日が続きますので、体調に気遣ってお過ごしください

合掌

梅雨の時期の御利益とは?

皆さんこんにちは。

光明寺では今月の第2日曜日もおかげ様で無事に護摩のお勤めを行うことができました。

今年は梅雨前線がすごいことになっているせいで、日本各地で大雨による被害が出ているようで心が痛みます。

私の知り合いのお寺も九州に数カ寺あるのですが、連絡を取ってみると、どうやら無事に事なきを得ているようで何より。

ホッと安心したので、なんとか助けになりそうなものを少し送った後は、皆さんが早く回復できるように日々のお勤めで祈願することぐらいしか、私にはできませんが、祈っております。

この時期は光明寺奥の院では、天然記念物のモリアオガエルの産卵がよく見られます。

今年も木の上に泡立つ卵がたくさんついてました。

雨が降るとその中から、オタマジャクシたちが落ちてきて一斉に成長を始めるようで、毎年見る光景ですが、生物の力強さを感じさせてくれます。

ちょっとわかりずらいかもしれませんが、水面に浮いている白いものが、カエルの卵が入っていた泡です。

これが木の上についていまして、雨で泡の部分が解けて水面に落ちると、中から幼生が出てきます。

今はもう少し大きくなって元気に泳いでいましたが、この幼生たちはイモリの大好物らしく、木の上から落ちるときは水面下で口を開けて待っている光景がよく見受けられます。

うーん、自然って厳しい。

そんな中ですが、本日は本当にありがたいことに、梅雨の合間の晴れの日という具合にいい天気になってくれました。

例年ですと、この7月というのは、もう暑くなっているので、大汗をかきながらお勤めを行うのですが、今年は昨日までの雨のおかげもあり、非常に涼しげな気温の中おこなうことができ、爽やかな風が気持ちよかったです。

連日の雨で緑が生き生きしておりまして、苔が素晴らしく奇麗です

ちなみに、上の写真は昔のお堂後でして、お墓の写真ではありません。

三枚目の写真はお釈迦様の涅槃像の足側からの撮影

さすが大きな足を持っていらっしゃる

この写真は護摩の火にくべる添え護摩というものです。

そういえば一度も写真に写したことがなかったと思いまして、撮ってみました。

この添え護摩に各自のお名前とお願いを書いていただき、それを護摩の火にくべます。

護摩の火というのは、私たちは仏様の口だと思っていろんなお供え物を燃やしているのですが、いろんなものを燃やした最後に私たちのお願いごとを燃やして仏様に届けます。

そのお願いを受け取ってくれた仏様の力を借りるということで、ご利益が来てくれるという事になります。

普段行っている護摩のお勤めはいろんな人が来て、添え護摩を書いていかれます。

中には親に連れてこられて、とりあえず書く子もいますが、それでも仏様(護摩は基本的にお不動様におねがいします)は暖かく見て聞いて、そして力を貸してくれます。

私たちお坊さんが行う祈願というのは、みなさんの気持ちを仏様にお伝えする、それの少しのお手伝いをさせていただいているのです。

常々、住職も私も言っておりますが、仏様にだけ頼っていても物は進みません。

99%の努力と1%の仏縁だと思っています。

この度の護摩の日が梅雨の中で晴れてくれたというのも、小さいながらも仏様の功徳のお力だと思っています。

そんな小さなことでも助けてくれていると私は考えています。

どうか、皆さんのお願い事も叶いますように。

追記、またYouTubeに動画を上げました

5分かからないどうがですので見てくれると嬉しいです