今年も無事に夏が終わりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

今年のお盆もとっても暑かったですが、みなさんいかがお過ごしですか?

コロナも高止まりが続いている状況で、なかなか動きづらいことも多かったかと思います

光明寺や私の手伝っている姫路のお寺、また友人のお坊さんからも、お盆参りにいく予定のお家が一家揃ってコロナになってしまい、お参りを中止するということが多数ありました

お坊さんもコロナになっていたという話をチラホラと耳にするので、ずいぶん身近なものになってきたという感じでしょうか

コロナになってからは毎年のごとく暗中模索状態のお寺の行事ですが、なんとか今年も無事に夏を乗り切ることができました

お盆参り中などは時勢を鑑みて、普段お茶を入れてくださるお家がペットボトルのお茶を接待していただき、そういったお家が続くとバイクに積みきれなくなり途中でお寺に荷物を下しに立ち寄るといったことが何度かありました

一日終われば業者さんのような飲み物とお菓子の量になります

さすがに当日中に私一人でいただくことは不可能でしたが、この時期はたくさんの人がお寺に参ってこられるので、皆さんに食べて飲んでいただき、また護摩と地蔵盆の行事でみなさんと分け合って一緒に頂きました

いろんなお接待をしてくださった皆様ありがとうございます

今年はいつも地蔵盆でお話しをしていただいていた吉田僧正がちょっと都合が悪かったので、藤田僧正(神戸、一言寺住職)にお願いしました

実はこの方、光明寺の住職の高野山に修行に上がった時からの同級生で、もう誰よりもお互いに良く知っている間柄というわけです

今年のお話しは時間も短く30分ぐらいでお願いしていたので、お勤めが始まる前に法話と今から行う施餓鬼のお勤めの説明のような形でしていただきました

この形が藤田僧正の得意とするところで、実はこの方神戸で何もないところから、ご自身でお寺を立ち上げられて、皆さんに信仰とは?ご先祖供養とは?というところを一から説明してこられた方です

そのお話しは流石というもので、身近な例え話で分かりやすいだけでなく、ご自身の熱意がこもったものでした

先日に悲しいニュースのあった統一教会のお話しもきっちりされて、私たち既存の宗教と新興宗教と呼ばれるものの何が違うのか?もしっかりと、お坊さんとしての見解を話しておられました

私たち既存の宗教をよく漢方に例えられます

飲んですぐ効いているのかはしっかりとわかりませんが、続けていればやがて仏様や神様のお力を少しづついただいて、やがて「やっていてよかったなー」と思えるもの

この「やっていてよかったなー」という感覚を得られることを私たちは安心(あんじん)と言っています

この安心を得られることこそが全ての目的であり、そのために様々な努力を重ねていっています

対して、新興宗教というのは劇薬といわれます

飲んですぐに効果がでて一見良いように思いますが、人生の長い時間の中で、劇薬で一時良くなったとしても、長い目で見れば結局副作用で悪くなっていく

奇麗ごとかもしれませんが、宗教は一人が笑って他の人が泣くというのではなく、みんなが笑顔でいられるというのを目指さなければいけないのです、ということを最初に話してから、じゃあ皆で笑顔にするために今日の施餓鬼というお勤めは何をしているのか?という説明からでした

一般にお盆というのはご先祖様が帰ってくる行事というのが皆さんのイメージでしょうが、本当の目的というのはその先にあります

これは古代インド、お釈迦様の時代の木蓮上人というお坊さんのお話しが元になっているのですが、今回は木蓮さんのお話しは長くなるので割愛します

タイプするのが大変なので(笑)

ネットで検索していただければ直ぐ出てくるので、興味ある方はそちらもどうぞ

ともあれ、木蓮さんの物語に端を発したお盆は、帰ってきてくれたご先祖様にお供え物を食べてもらって、その御下がりというちょっとお粗末なものを誰も助けてくれない霊たち、身寄りが無かったり、地獄に落ちていたりと可哀そうな者たちに施します

これでも食べて飢えと渇きを癒してくださいね、と

その行為が精霊流しだったり、地蔵盆でたくさんお供えをしたりというものです

飢えている霊たちは、本人の意思とは関係なく悪さを働いてしまうと仏教では言われています

そんな方たちは悪さを働くがゆえに、自分では救われていくことのない悪循環の中にいるので、そんな霊たちにも救いの手を差し伸べて、自分ところの先祖様と一緒にみんなで笑顔になりましょうというお勤めが施餓鬼供養というものです

ここからはあくまで私、副住職の私見ですが、宗教の行事には自分たちへのメッセージが含まれていると考えています

私たちは仕事や私生活で上手くいっているときは全部自分の功績で、もらった物は全部自分のものと考えてしまいます

これは人間なので当たり前にそう考えると思いますが、そこで少し待ったをかけてくれるのが宗教の教えかと思います

全部自分で良いことを独占しては、妬みも買いますし敵も沢山作ります

そんな行為は餓鬼と変わらないうえに、上手くいかない時期がやってきたときに誰も自分のことを助けてくれないことになってしまいます

そうならないために、自分で奢らず独占せず、周囲と上手く笑顔を分かち合いなさいと、毎年言われている気がします

子供が産まれて、皆さんの助けというものを借りながら親をやっていると、さらに強く思うようになりました

独占するのと分かち合うこと、どちらが漢方薬のように私たちの人生に効いてくるか、このお盆を機に少し皆さんも考えてみてください

暑いのですが、皆さん元気ですか?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月に入って暑い日と激しい雨が交互にやってきている感じですね

生活の方は被害が出ていないでしょうか?

日曜日に行われた奥の院の護摩も当日は晴れの天気でしたが、前日の用意の時に激しい雨に見舞われ、案の定私たちはびしょ濡れになりました

…草刈りするのにはちょうどいいのですがね笑

お山の護摩は今月も多くの大人と子どもたちの参加をいただきありがたいかぎりです

今月は友人の奥さんが逆子との診断をうけ、できれば自然に治ってほしいのでお札を作って祈願して、とのお願いを受けました

その願いを受けさっそくお札を製作して、毎日のお勤めと護摩で祈願します

祈願して全てが上手くいくのか?私たちお坊さんも全部上手くなるなど思っていませんし、しっかりとお医者さんの言うことを聞いてもらうのがまず第一ですが、そこにプラスαの要素として仏様の力添えをいただく

そうすることによって、普段仏様の力を実感している我々ですら「不思議ですね」と思うようなご加護があったりします

それも施主さんが毎日努力しているから、そこに仏様のお力添えが少しだけ入ってくるのだろうと思います

9割の努力と1割の力添えです

私たちは、お願いごとを仏様に伝えるお手伝いをしているだけです

良いご利益があって、無事に産まれてくれたらと願っています

暑い日が続きますが、田植えはひと段落?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

今年は一気に暑い梅雨になりましたね

沖縄の方ではもう梅雨が明けたと聞きましたが、本州はこれからが本番ですね

21日の光明寺護摩では、皆さん田植えや畑仕事がひと段落された人たちが、多く参拝に来てくれて賑やかなお勤めとなりました

先月から暑い中動かれていた男性陣はもう真っ黒の日焼けで、非常に格好いい出で立ちです

先月から写真を載せて成長を見守ってきた燕ですが、なんと!いつのまにか巣立っていました(笑)

ずいぶん大きくなってきたな、と思ってはいたのですが、少し出張していた間に巣立っていたので、飛び立ちを見るのが叶わなかったのが残念ではありますが、ここまで大きくなってくれたと思うと感動するものがあります

無事に生きていってくれよ!

そんな飛び去った後の巣ですが、燕たちは後続の輩が拝借しようと巣を見に来る光景がたびたび見受けられます

新しい家族ができてくれたら、ついに我が家も大家さんですかね?(笑)

家賃は幸福を運ぶ鳥ですので、福をもってきてください

久ぶりに写真をあげます、若女将の仕事シリーズ

護摩の日は生憎の雨模様でしたので、お勤め前の用意に傘をさして荷物持ちです

なお、正面からの写真はなかなか女性陣は撮らせてくれませんので、これで皆さん仕事風景を想像してください

産後で体調の不安定さもありますが、なんだかんだ元気にお寺の業務を手伝ってくれています

ホント頼もしいですわ

お勤めには我が子も参加しており、皆さまからの声掛けがホントに暖かい限りです

護摩が終われば法話ですが、今日は真楽寺さんがとっても面白い話をしてくれてみんな興味深々

般若心経の話でしたが、お経の中に漢文として書かれていることはそのままでは、難しすぎて内容を考える気にもなりませんが、それを親近感のある情景ではなしてくれていました

曰く、お釈迦様が観音菩薩様に悟りの境地の話をされたのですが、その内容とは難しい言葉すぎてよくわからない、全部を理解しようとするととってもややこしいことになってしまうので、もっと簡単にいきましょう

楽しく心地よければ良いんです

・・・なんだか怪しい麻薬のブローカーみたいになりましたが違います

世の中の皆さんが経験すること全てに悟りの境地が潜んでいて、楽しい遊びはもちろんのこと悲しいことや色恋沙汰、苦しい経験もすべてやり終えた後に、自分でやってよかったな!と感じて心地良く感じることができれば、それが悟っているということです

この護摩のお勤めもそうですが、普通に考えれば冷房の入っていない暑いお堂の中で、護摩の煙に巻かれながら座っているのなんか大変に決まっています

ですが、出席していただいた方ならわかると思いますが、そこには不思議な楽しさや心地よさがあるはずです

その気持ちを感じることこそ悟りの境地で、普段の生活の中の体験でもその気持ちを感じ取れるようになることが修行であり、境地への到達と説明されました

私もこの般若心経の話を始めて聞き、早10年

なかなか修行の道半ばで、理想には至らぬなぁと感じることが多いですが、皆さんと共に境地に至れるように精進していければな、と思っています

燕も大きくなりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

6月は農家の皆さんが田んぼに追われてとても忙しそうにしています

写真である奥の院の護摩の用意に走りまわっていると、あちこちで田植えの稲を満載した軽トラとすれ違います

天気の良い日が続きましたから、みなさん真っ黒に焼けてとてもワイルド

ほんと若造には出せない魅力で羨ましいです

タイトルでも書きましたが、我が家の燕の雛がずいぶんと大きくなってきました

写真では少しわかりづらいかもしれません

3羽いて、手前に頭が一つ、奥に二つあるのがわかりますかね?

親鳥も子育てに大忙しの様子で、巣を頻繁に出入りしています

その光景をみると思わず親近感を覚えます

お互い大変だね~

奥の院の護摩のお勤めは、今月も沢山の方がお参りしてくださいまして、お堂は満員状態です

今月はそんな中でも嬉しいニュースがありました看護学校の学生さんが一人、就職が決まったとのことで、幸せのおすそ分けとして皆さんにお菓子の差し入れがありました

その子のお母さんもおばあちゃんも、ずっと娘さんの進路がうまくいくように、お祈りしてましたから少しかもしれませんが、おかげさんをもらってくれたのではないかと思います

もちろん本人の努力が大前提ですので、そこはほんとによく頑張っていると思います

こういう場で喜びの報告ができるというのは、周りの人もいい気持ちになれるうえに、みんなからおめでとうの言葉がくるので、本人としても沢山の人から声をかけてもらえると嬉しくなれると思います

昔から使い古されている言葉ですが、喜びは倍になりますね

最近はなにかしているとふと思うのですが、人の人生って自分一人のことならば、やろうと思えば一人でやっていくことはそれなりにできると思います

ですが、やはりそれなりで、周りの人たちの助けを借りないと何処かで無理が祟るのだろうなと感じています

私も息子が産まれたときに多くの人に助けられ、支えられてよく感じました

受けたご恩はとても多く、なかなか返しきれるものではないかもしれませんが、それを少しづつでも周りの人に返していきたいと思うのです

その手始めとして、やはり喜ぶことは一緒に喜んで、悲しきことは一緒に共有する

簡単ですが、とっても基本かなと思っています

5月は鯉のぼりが泳ぎます

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

5月は非常に天気の良い日が多く、よい季節を過ごされているのではないでしょうか?

私もおかげさまで忙しい日を過ごしております

先月から上げ始めた鯉のぼりですが、いよいよシーズンとなって各家で上がり始めました

最近は上げる家も少なくなってきたとはいえ、探せばよく目につくもので、自分で上げるようになってから、各地の鯉のぼりを探しては観察する鯉のぼりソムリエになってきました笑

5月は光明寺では大きなお知らせはありませんでしたが、個人的には嬉しいことがちらほらと

写真は私たち夫婦の住んでいる場所の入り口付近ですが、なんと燕の巣が!

私が物心ついてからお寺に巣を作ってくれるのは初めてですので、感動です

燕の巣は幸運を呼び込むともいわれているので、結婚してから作ってくれないかなーと願っていたのが、子供のできた年に初めて作ってくれるようになるとは、何かの因果を感じます

我が子と同じく大きく育ってくれたらなーと思いながら、日々驚かさないように出入りしておりますが、ちょっとだけ驚かしている時はごめんなさいね、燕さん

この燕を筆頭に、私の周りではベビーブームが到来しておりまして、同級生や先輩、家内の後輩関係なんかも産まれたーという知らせが多数

嬉しい知らせですね

嬉しい知らせは周りも明るくすると思います

そんな5月の護摩は皆さん田植えで大忙しの時期でしたので、今月は4人の参加人数でした

一年を通してやっていると、こんなこともあります

他の方に紛れて、うちのおチビも参加です

当日来れない方が、お願い事の書いた護摩木をたくさん置いていかれているので、人数は少なくても仏様にお伝えするものは多いのが嬉しいところ

皆さん頼りにしてくれているのは、本当にありがたいですので、私たちも頑張って勤めさせてもらっています

護摩のお勤めの後で住職の話でしたが、今日はダンマパダ「法句経」という古いお経からの引用でした

どれぐらい古いかというとだいたい2500年前

そんな昔のものが役に立つのか?そう思っていた時期が私にもありました

ですが、読んでみるととっても役に立ち、考えさせられることばかり

人間って使う道具が便利になっても、中身は別物になったりしませんから、昔から人の本質は同じなんだな、と考えさせられるものです

「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

上記の文は住職が引用して使った法句経の一部です

この話では不本意なことに私がよく引き合いに出されます笑

子供が生まれた時は可愛いですし、親の後を着いてまわりますが、そのうち成長するに従ってだんだんと親の言葉、師匠の言葉をきかなくなっていきます

そこで私の子供なんだから私の言う通りにしろ、どうして私の思う通りにならないんだ、と考えてしまうと苦しみの始まりで、自分自身さえわかっていても同じ失敗をして同じ間違いをするのに、この世の中に自分の思い通りになるものがあると考えてはいけない

全ては諸行無常、自然のままに流れていきます

お金や物、はたまた自分が建てた家でさえ、壊れてしまえば誰のものでもない

天からの恵のものを一時使わせてもらっている、という教えです

自分の身体でさえ、死んで土に還れば誰のものでもなくなります

そんな中で、あれが自分のもの、これが自分のものと考えるのはしんどくないですか?

借り物の身体だからこそ、大事に使って返さないといけませんし、次も身体を借りれるとは限らないので頑張って生きようと思うのだと思います

皆さんも、これを機に何が自分のもので、何が他人のものか、それが本当に合っているのか?少し考えてみてはいかがですか

久しぶりというのは、とても嬉しいものでした

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

4月も終盤に差し掛かり、ずいぶんと暖かいどころか暑くなってきましたね

実はこの4月から、高野山でもさまざまな活動が再開されておりまして、その一環として、お坊さんとお話できる場所が復活しました

ありがたいことに私は早い段階で、仕事の依頼をいただきまして、一週間ほどいってきました

コロナのおかげで実に2年半ぶりの活動再開、感無量の思いでした

久しぶりに山の上に上がるので、近隣のお坊さんからは大量の買い物を頼まれていきました笑

2年半という時間はやはり長いもので、いろんなものが変わっていました

年の近いお坊さんが軒並み親になっていたり、ペーペーだった若い子たちがいつの間にか役職について物事を動かしていたりと、私も時間の流れを感じさせられました

写真は高野山の大師協会で、私が動いていた場所の一つです

高野山でのお坊さんの活動の事務的な処理をおこなう場所なので、さまざまなお坊さんが出入りしています

いろんな人に再会したのですが、中でも師匠に再会し結婚の報告ができたのは、個人的に一番嬉しいことでした

コロナで随分人の減った高野山ですが、それでもいろんな人が来ています

やはりこの場所は、いろんな事情を抱えたり、悩んだ人が来ることが「少しだけ」多いように感じます

皆さん話していると様々な内容の話を話されるので、それを聞いていると「果たして私でお力になれるだろうか?」と感じることもしばしば

お大師様の教えをお伝えして、お坊さんとしての立場からの見解をお話しして、どこまで皆様に届いているかはわかりませんがいくばくかの力添えができれば良いなと、いつも思っています

そんな高野山でのお仕事を終えた後は、光明寺で嬉しいことがあったのです

光明寺にもついに鯉のぼりが立つ時がきました

青竹を切ってきて、屋根より高く聳え立て!

と言うは簡単ですが、土台を作ったり、竹の運び出しだったりと結構大変でしたが、住職と二人、可愛い孫(私には子供)の為になんとか立てることができました

そんな作業をしていて思ったのが、自分のためには絶対やろうとは思いませんでしたが、子供、、、次の世代を担っていってくれる子たちの為なら身体も動くもんだということですか

子供が産まれたときによく聞いたのが、孫を見るときの人たちは、孫から繋がっていく未来を想像するので、理由もなくウキウキするし、可愛いし、期待するそうです

私たちは何が幸せと感じるのだろうかとよく考えていました

そういう関連の本や資料も結構読みましたが、それよりも親になってみて本当に実感するのは、自分のやっていることが未来に繋がっていってくれるという感覚が本当に嬉しく思います

これに関してはお金では買えないな、と感じます

お爺さんやひいお爺さん、その先祖から繋がってきたものが自分たち、そして子供、その下の孫たちに繋がっていく、その大きな世界の流れの中で、私たちは少しばかり生きているだけなんでしょうね

「阿字の子が阿字の海より立ち出でて、また立ち返る阿字の故郷」

真言密教で言われている言葉ですが、私たちの本質、魂の中側にあるものは、人も動物も植物も変わらないものを持っていて、皆んな同じところから産まれてきて、生を謳歌して、死んだら同じところに帰っていく、そう言われていたのが、最近初めてこんな感じなのかな?と実感しています

ずっとこれからも流れていく世界の時間の中で、光明寺という場所でおくらせてもらえる1日を感謝して過ごしています

皆さんも不安になったりしたとき、自分の家のご先祖さまはどういう流れで皆さんに繋がってきたのか、少しだけ考えてみてはいかがでしょうか?

土砂加持が無事に終わりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

光明寺にとって4月4日はとっても大忙しの1日です

なんといっても一年に一度の土砂加持法要、、、といっても、馴染みのない方はわかんないと思います

土砂というのは、汚れを取り、綺麗に洗って清めた砂なのですが、その砂はとっても仏教のお勤めのありがたい力を蓄えやすいといわれています

そこにお勤めを行い、ありがたい功徳の力を蓄えることを土砂加持といいます

私なんかは、この土砂を地鎮祭の時に持って行って撒いたり、事故の方のお葬式のときは棺の中に入れてあげたりと、よく使っています

これは完全に私の主観、感想になるのですが、険しい顔をして亡くなられたかたなんかは、土砂かけてあげると、幾分和らいだ表情になってくれるようなきがしています

私のお坊さんとしての感想ですので、データなどは一切ないので悪しからず

当日は想像以上の方にお参りいただき、本当に嬉しいしだいです

当日は法要の開始は1時からでしたが、お寺を支えていただいている役員の皆様には、午前中の早い時間からでていただき、雑用を引き受けてくれて本当に感謝の気持ちしかございません

お勤めが終われば去年に続きまして、神戸の田中僧正の法話です

去年の話を聞かれた皆さんは覚えていらっしゃるでしょうが、本当に人の興味を引きながら、時間を忘れさせたような話をするのが上手で、また聞きたいというご意見を多数もらっていたので、無事に2回目です

今年も私は裏で動いていたので、お話を聞くことはできなかったのですが、今年は妹夫婦が聞いてくれたので、そこから話の内容をまた聞きできました

話ていただいたのは35分ほどでしたが、あっという間の時間だったそうで、もう終わった?という感覚になってしまったようです

配られた紙の資料はお寺に置いていますので、欲しい方はお渡しさせてもらいます

私生活では、自分が完全に満たされるということはありえませんし、どんなに周りが気を使ってくれても、どこかで思うところが出てきますが、そんな心のしこりを解消する方法というのが修行であるというお話です

修行は大きく別けて2種ありまして、一つは自利行というもので、これは自分を高みに上げるための修行です

今回お話の主に挙げられたのが「利他行」というもので、これは他人のためにする修行、他人のために何かしても自分には何も利することがないじゃないか、と思いですか?

例えば、私たちが周りの人に優しい施しを行うと、救われたなと思ってくれる受けた人は、困ってる人たちを見つけたときに、また自分にできる形で助けるかもしれません

それが何回も続けば、やがて自分が困ったときに誰かが助けてくれるのは、もしかしたら昔に自分が行った、誰かへの優しい施しの和かもしれません

そういう施しの修行で、無財の7施というものがありますよ

というお話を、本当にあっという間に話されたと聞いています

私たちお坊さんからしたら、無財の7施はいたって普通のお話

ですが、普通を飽きさせず、面白く、わかりやすくお話しするのは田中僧正のまさに得意とするところ

ほんとうに見習いたい先輩です

光明寺に関わってくれた人たちのおかげで、土砂加持法要が無事に終わりましたことを、これをもってご報告させてもらいます

土砂加持にむけて宝物が見つかりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

3月のお彼岸も終わり、光明寺は4月の4日、毎年の土砂加持法要にむけて大躍進をとげています

写真は桜の木なのですが、赤穂市は赤子が産まれたら誕生記念ということで桜の木を無料で贈呈してくれます

どこに植えようか?と迷いましたが、10年後大きくなった息子が見上げられるように、そして付近の幹線道路から見えるように88ヶ所の霊場の横という立地になりました

無事に根ついてくれたらいいなと思いながら過ごしていると

なんと写真のように、植えた年に一輪ですが咲いてくれました

とっても胸が熱くなる嬉しい傾向です

植えながら思ったのですが、この記念植樹、産まれた子がいても家庭事情でできない人は結構いらっしゃるとおもいます

そこで、そんな方で希望する方はお寺の境内に空きがあるうちは植えていただいても良いのかなと考えております

もし近隣の方でそんな方いらっしゃれば、声かけてみてくださればお寺は可能な限り対応いたします

27日にお寺の檀家さんに集まっていただいて、土砂加持の用意のためにお寺のお掃除をしていただきました

私はあいにく出張で皆さんとご一緒できなかったのですが、数多い仏様の仏器を磨き粉で綺麗にしていただいて、外の落ち葉を綺麗に集めて、出来上がったお寺の境内の雰囲気といえば、いつも頭が下がります

とっても綺麗にしていただいてありがとうございます

気合いを入れて土砂加持に臨みたいと思いますおもいます

さて、そんな綺麗になった光明寺ですが、実は嬉しいニュースが

写真は毎年の土砂加持で、お堂の中に掛けている軸

お大師様の軌跡を描いた行上(ぎょうじょう)曼荼羅というものですが、実は去年までは痛んでボロボロになっていまして、絵の状態もあまりはっきりと見えづらいものでしたので、一年越しの修復に出していました

それが無事に綺麗になって3月29日に帰って参りました

そして軸の裏に書かれていた覚え書きもハッキリと見えるようになって修復してくれました

修復途中に出てきたものでわかったのですが、なんとこの軸、天保、江戸時代のものらしく、ざっと200年前に作られたものだそうです

、、、今までそんなに貴重なものだとは思わず扱っていました、恐ろしい((((;゚Д゚)))))))

そして、綺麗にしてもらった裏書には、当時のお寺の住職と総代さんのお名前が!

ふむふむ、非常に見覚えのある苗字の方ばかりなので、誰のご先祖さまか判明しそうですね

そんなお軸は光明寺の持仏堂にお祭りしております

この形のまま4月4日の土砂加持を迎えますので、興味のある方は是非当日の1時より光明寺で行われる法要にご参加ください

お勤めが終わりましたら、去年大好評のお坊さん、田中僧正がまた神戸よりお話にきてくださいます

だいたい2時過ぎからのお話になりますので、それだけ聞きたいという方も是非大歓迎ですので、お待ちしております

光明寺は激動の3月です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

3月に入って一気に暖かくなってきましたね

お身体の加減はいかがですか?

我が家も赤子が産まれてからというものの、顔を見に行っては可愛い反面、寝不足になって帰ってきてというものの繰り返しです

大変だけど、、、嬉しいですねw

タイトルにも書いていますが、この3月は光明寺は激動です

播磨青年教師会という、播磨内の若手のお坊さんの集まりですが、私はその一会員です

住職は昔会長職を務めていたのですが、青年教師会は歴代会長のお寺でお坊さんの研修のお勤めを行うという行事があります

なんと、今年はそれがウチに当たっていまして、こうして写真の通りたくさんのお坊さんが来て、布薩という行事を行いました

準備や予行演習では一週間ほど前から光明寺に来て、皆さんが動き出されて本番までいろんなことを行いました

若手のお坊さんの研修なので、掃除から全て自分たちで行います

光明寺は場所を提供させてもらうだけですね

それだけではもったいないので、境内を綺麗にしておいて、皆さんをお出迎えです

、、、私は会員なので、両方やるのですけどねw

この布薩というお勤めは少し特殊で、普段お寺で行うお勤めとは、皆さんのご先祖様の供養や、ご利益を願う祈願のお勤めですが、布薩はお坊さんの反省会です

私たち仏教徒はさまざまな戒律という決まりに従って生きて、修行を行なっています

代表的なものだったら十善戒とかですね

そのほかにも、様々な戒律が存在していますが、日常の生活を行っているとどうしても守れないものや忘れてしまうものも多数存在します

そういったものまで含めて改めてもう一度見直して反省を行う、それが布薩会です

そのような趣旨のお勤めですので、お勤め自体は1時間半ほどで終わるのですが、始まりから身を清める作法や、お坊さんが問答をする作法などが存在し、なかなか普段とは違う雰囲気の空気がお堂の中に漂っています

やはり月並みですが、こういった研鑽の場に触れていると、普段の生活ももう1段階気を引き締めていろいろ臨んでいかなければと引き締められます

今は世の中の情勢がとても大変なものになっていますが、灯台もと暗しの言葉のように、遠いところを見すぎると思わぬところでつまずくことと思います

そうならないように改めてお坊さんとしての基本に立ち返り、古臭いかもしれませんが、手を合わせることの大切さ大事さを広めていこうと思います

なんだか文章を書いていると、もう終わりのような雰囲気になってしまいましたが、黒澤山の護摩のお勤めの方も写真を載せておきます

当日はとっても暖かい天気に恵まれて、多くの参拝の方々が来てくれました

最近は山上の護摩は、とても平均年齢が若くなっていまして、子供たちが外で遊びながら大人がお堂の中で真剣に手を合わせるとっても良い雰囲気になったなと思います

毎月第二日曜日に行っていますので、皆様お時間が合開けば、ぜひいちど覗きに来てみて下さい

今年も節分がやってきました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

年が明けてから早いもので、もう1月が終わり2月の節分がやってきました

世間ではコロナが賑わいを見せていますが、光明寺の本堂では1年のうちで最も本尊様の周りが賑わう期間がやってきました

見える・・・かな?

本尊様の周りに祈願の申し込むをいただいたお札が、所狭しと並べられています

光明寺では2月3日に祈願を始めまして、9日までの1週間の間、朝の7時から毎日護摩のお勤めを行っています

ずっとその間、お札に念を込めまして完成したら発送させていただく形になります

お勤めの様子は一昨年の動画をYouTubeにあげています

リンク張っておきますので、見たことない方は覗いてみてください

もし光明寺にお参りしたい方がいらっしゃいましたら、お気軽にお越しください

お勤めは朝の7時から本堂で行っております

マスク着用の上で、各自おまいりくださいませ