台風一過 平穏無事がありがたく

本日、光明寺奥の院にて、無事に月令の護摩のお勤めを行えました。

ニュースでは未曾有の台風による被害が報告されている中で、近畿圏を何事もなく過ぎてくれてホッとしました。

それと同時に、被災された方たちの状況も、一日も早く良くなることをお祈りします。

無事であったことに多大な感謝をしつつ、微力ではありますが、私にできる復興のお手伝いをしていこうと思います。

日本すべてが被災してしまったら、感謝もできないし、手助けを行うこともできないので、今は私たちが助けて、今度反対の立場になったときはお願いします、の気持ちです。

さて、本日光明寺においては、まさに台風一過

最高の秋空の天気で護摩を行うことができました。

心なしか、お釈迦様(写真左)も気持ちよさそうなお顔をされていますし。観音様に至っては(右写真)後光がさしておられる!w

気温も、じっとしていると肌寒いくらいで、歩いてお山を登ってこられる皆さんには、丁度よい塩梅だったようです。

先月までのことを考えると、大量発生したハエもいなくなってくれて、文句のつけようがないくらいに快適に行うことができました。

写真は左が住職、手前がわたしです。

そして、この写真を写してくれているのは、匿名 かなちゃん です。

いつも本当にありがとう、感謝してます。

護摩が終わって住職の話ですが、無財の布施のことでした。

目配り、気配り、心配り、この三つで人の心は相手も自分も、穏やかに変わっていく。

私たちは、ついつい自分優先で物を考えてしまいますが、そうすると心に鬼が宿ります。

昔から修羅が宿るとはよく言ったものです。

その心の中の修羅を収めてあげるのはどうすればいいのか?

それが○○配り、何かを人に分け与えてあげるということです。

それが仏教、それがお大師様の教え、それが私たちの生活の中に染み込んでいる価値観です。

この話を聞きながら、私は先日読んだ本で同じようなことが書いてあったな、と思い出していました。

それはカナダの心理学者の本でしたが、私たちがお金を使うとき、自分の為に使ったお金というのは、どれほど額が大きくなっても直ぐに忘れる上に満足感も、直ぐに薄れてしまいますが、他人のために使ったお金や時間などは、どれほど額が少なくても、私たちの心の中に非常に長くとどまり、たくさんいい影響を与えてくれる。

だから、お金を使うときは、気を付けて上手に使いましょう、という内容でした。

読みながら、仏教でお布施はまさにこのことだな、と考えていたら、今日の住職の話でも、似たようなことがそのまんま出てきました。

私も、自分自身に今一度、他の人のために何かをしてあげれているか、問い直してみようと思います。

皆さんはいかがでしょう?

誰かのために何か、考えてあげてますか?

秋のお彼岸 暑さ寒さも彼岸まで

暑かった時期も一応終わりなのでしょうか。

9月21日の秋の大師講の日がやって参りました。

この日は、午前中にはいつも通りの護摩のお勤めを行い、お参りしていただいた方にはお昼のお弁当を一緒に食べていただいて、そして午後から一緒にお経を唱えて、お大師様にお祈りを行うという日でした。

ハードな一日だ。

雨の心配された当日の天気でしたが、ありがたいことに晴れ、、、とまではいかないものの、くもり空、ときどき雨がぱらつくかな?というぐらいの、気にしなければ晴れの天気です。(笑)

うちの鐘撞堂の前の百日紅(さるすべり)の木がキレイな花をつけ始めていたので一枚。

奇麗な小ぶりの花が、これから満開の自己主張を行ってくれそうです。

まずは普段通りの護摩のお勤めです。

今日は土曜日だったということもあり、子供たちもたくさん出席してくれました。

ホント、みんなのアイドルになってくれるのでありがたいねー。

なんと、今日は来年の受験を控えた受験生もお参りしてくれました。

多忙で、心配ごとの多い中、お参りに来てくれたので、少しでもご利益をもらってくれればありがたいかな。

写真は私が少しだけお話しさせていただいて、受験生の子にはっぱをかけているところです。

合格したい、というお願いは受験生みんなが持っているとは思いますが、光明寺にお参りに来てくれて、護摩のお勤めでお願いしてくれたことは、家族の人だけじゃなく、今日参列してくれた人たちみんなが一緒に祈ってくれます。

だから、合格したいってお願いごとは、君一人だけじゃなく、みんなの力をもらってるんだよ、って言ってるところです。

伝わっているかな?と、なにぶん口の下手な非才の身なので、伝えたいことをそのまま相手に伝えることの、なんと難しいことか。

うまくいきませんな。

さて、場面は変わりまして、みんなでお弁当食べているところです。

巻き寿司にお稲荷さん、それにお吸い物というシンプルなものでしたが、喜んで食べてくれていたようで、一応不満あ出てませんでした。

そして、右の写真はとっておきの一枚。

これは宝物にしときます(笑)

カメラ向けた瞬間に、この表情をくれたので、この子は女優になれそうです。

末恐ろしや

お昼を食べ終わって、少し休憩した後、最初に御詠歌の簡単な講習を行わせていただいて、皆さんでいろは歌をお唱えできるように。

そして、そのあとにお勤めに入りました。

全体で30分もないぐらいのお勤めでしたが、みなさん今回はよく声が出ていらっしゃって、前で唱えながら驚きの念でした。

今回のお大師様の縁日に行われた大師講では、非常にたくさんの方に出席していただき、感謝の念が堪えません。

お寺離れが叫ばれている中、悲観している人たちに見せつけてやりたいぐらいの、暖かく素晴らしい場になったと思います。

これからも、訪れやすいお寺の柔らかい雰囲気、そんなものを作っていくことを目標に行動してまいりたいと思います。

今日は、お参りいただいたすべての方に感謝の念をもって、合掌

お久しぶりです

はい、しばらくぶりの更新になります。

なかなか8月はお盆月ということもあり、hpの更新まで気が回らずさぼり気味になってしまいました。

楽しみにしていただいてる方にはホント申し訳ない。

仕事が忙しくなるというのは、ありがたいのですが、自分でさぼる理由にしてしまうところは修行が足りないと思う今日この頃です。

というわけで、ちょっとまとめて写真アップしようと思います。

まず、上の写真は8月24日の地蔵盆の時の光明寺の外観です。

この日は、ご先祖様の供養と、救われない餓鬼さん(その辺で野垂れ死んでしまった者たち)を一緒に救ってしまおうという趣旨の元、昔から各地でお勤めとお供え物の御裾分けが行われています。

この光明寺でも、お盆の間に皆さんから、たくさんのお供え物をいただきました。

とても美味しそうなのばかりなのですが、ほっておくと食べきれず、腐らせてしまうものばかりなので、この日お参りに来てくれた方みんなに、おすそ分けを行っております。

2年ほど前まで、本堂の暑い中で行っていたお勤めも、クーラーのついたお堂が完成したおかげでずいぶん快適な中で行うことができるようになりました。

ホント良かった。

毎度恒例の光明寺奥の院の護摩は、無事に8日の第2日曜日に行うことができました。

なんと、今月は自前のお弁当を15人分作ってきてくれた方がいらっしゃって、その労力を考えると、非常にありがたいことだと思っていたら、別の方が御萩を作ってくれまして、非常に豪華な山の上でのお昼ご飯になりました。

これこそ布施行の実践だなと、身に沁みました。

効率のことを考えたら、業者さんに頼めばそれで終わるのですが、食べてくれる人のことを考えて、朝早くに起きてお弁当、おはぎを作る。

その行為が非常に尊く、また食べていてもおいしさ三割増しで美味しく感じられます。

誰かの為を思って、何かをしてあげる。

お大師様の修行の第一歩です。

暑い護摩の日(火)まさしく修行

7月21日、 なかなか写真では伝わりにくいと思いますが 、この日はどんよりとした曇り空の天気でした。

心配していた台風の大雨もなく、無事に行えたのですが、台風のおかげで余計なものがもたらされました。

そう、湿気です。

この日は、朝から嫌になるような湿度の中、お参りの方のお接待をいろいろ用意していたのですが、この暑さの中私もボーっとしていまして、やってしましました。

ばしゃーーっと

麦茶をぶちまけちゃった( ^^) _U~~

いけませんね、注意散漫で動いていると。

とはいえ、そんなことがありつつも、なんとか無事にお勤めは始まりました。

しかし、まぁ今日の暑いこと

私たちお坊さんは着物を着ているので仕方ないのですが、一般の皆さんも今月は汗だくで、良く付き合ってくださっていました。

あれだけみなさん頑張っておられたので、きっとうちの本尊さまも気にかけていただけるはず。

この日のお話しは、住職、真楽寺さん、そして私の三者三葉でしたが、面白がって皆さん聞いてくれたようでなにより。

ちなみに、私のお話しは、人の思い(願い)ってすごい力があるんですよ

ってやつでした

先日読んだ色の秘密って本が面白かったのですが、作者の野村さんによれば、世界にはいろんな波長の振動があるけど、それって私たちの脳や心にもあるよね、とのこと。

ならば、私たちの思いの振動が、世界の振動に影響を与えても何ら不思議はないよね、とのことでした。

長くお坊さんとして生きていると、不思議なことをそれなりに目にします。

私は、それこそ仏様の不思議なお力や、人のことを思う祈願の力(思いの力)だと思っているのですが、それを別の角度から説明してくれるような感じがして、読みながら思わず、なるほど、と納得してしまったものです。

誰もが持っている、誰かを思ってあげる力、私たちはもう一度、その力を見直して、考え直してみてもいいのではないかと思ったのです。

ちっぽけな力かもしれませんが、積み重なると大きな力になりますよ。

霧と雨と、そしてハエ

7月14日、光明寺奥の院での護摩のお勤めが無事に終わりました。

この日は雨も心配されましたが、終わってみればお勤めの間は雨の心配もなく、無事に終えれたようで何より。

これも、お参りに来てくださる方々の普段の行いとお不動さんが、ちょっとだけ雨を遠ざけてくれたのではないでしょうか。

しかし、この日は非常にハエが多く、そこいらじゅうに飛び回っていたので、皆さん手で追い払っていました。

どうも近所の養鶏場から発生しているみたいで、こればっかりはどうにもなりませんな。

とはいえ、そんな中でも皆さんいつもの護摩を終わり、今月のお接待は冷やしそうめんをふるまわせていただきましたので、美味しそうに食べてくださり一安心。

来月はお盆の関係で第一日曜に行うことになった護摩ですが、暑くなるのがちょっと心配です。

みなさまもお体の調子を崩しませんように。

光明寺護摩祈願、しかし今月は思わぬ強敵が・・・

皆さんこんにちは、光明寺副住職のです。

今月は本来でしたら、梅雨のシーズンということで、雨の心配をしながらお寺の行事を行わなければいけないのですが、今年はどうしたのでしょうか、全く雨の気配がありません。

雨の少ない年でも、たくましく生きている子たちがいたので、護摩の日の朝に写真に収めておきました。

お寺の鎮守さん(土地の神様)の池に咲く水連の花です。

今年も元気よく、雨の少ない中ですが、奇麗な花を咲かせてくれていました。

そんな中で始まった護摩のお勤めですが、なんと今日は来てくれる人の数が10人以下

なにかあったのだろうか!

そんな心配をしたところで、檀家さんの御一人が教えてくれました。

「今日は幼稚園の御田植祭だからね」

なるほど!

合点が行きました

御田植祭とは、幼稚園の子供たちが、田んぼに自分たちの手で、お米の稲を植えていく行事のことです

お孫さんや、近所の子供たちの晴れ姿なので、皆さんカメラを持って田んぼに集まっています。

子供には勝たれへんのや・・・笑

でも、何よりです

みんなうれしそうな顔をしていまっしたので、それが一番です

6月はお大師様の誕生日

6月9日の第二日曜日に、今月も無事光明寺奥の院での護摩をお勤めすることができまっした。

今月はなんと、今年の受験に合格祈願していた子がお礼参りに来てくれたおかげで、一気に普段とは違う雰囲気になりました。

平均年齢が一気に10歳近く上がると、空気も変わるものですね。

当日は雨の心配もなく、また、暑くもなく、寒くもなく、歩いて登ってこられる皆様の苦労をねぎらうかのような心地よい風と共にお勤めが始まりました。

私自身は先月、先々月と、他の仕事が入ってしまい、どうしてもこのお勤めに来ることができなかったので、皆さんとお勤めするのも実に3か月ぶりです。

これだけ空くと、新鮮な気持ちですね。

今月から、衣も夏服に変わったので、心機一転の手助けになってくれていたかもしれません。

そんなお勤めの後に、なんと信者さんから、皆様の分のお弁当の差し入れがありました。

私は不覚にも、お弁当の写真を撮り忘れてしまったのですが、売っているものと遜色ない味と、見た目に皆様大喜びしておりました。

そんな中、お大師様の生誕月ということで、是非お大師様のお話をしてほしいというリクエストをいただきましたので、私がお大師様の辿られた道筋と、そして教えの即身成仏について、非常にざっくりとですが、話をさせてもらいました。

ちなみに、最初にお話しをして、とお願いされたのは住職でしたが、そこから私に振りましたので、、、逃げたな、住職!笑

私としては皆様にお話しする場がもらえてありがたいので、全く問題ありまさえん。

即身成仏、学校の教科書にも出てくる言葉ですが、その内容は?と聞かれると、なかなかわかる方は少ないと思います。

詳しく聞いてみると当たり前のことなのですが、なかなか難しい。

その内容とは、生きてるままで仏様になりましょう、ということです。

私たちみんなが、心の中にいろんな自分を持っています。

ズルい自分、怒りっぽい自分、悪い方向から、当然いい自分もいます。

仏教では、そんな自分の中にあるいい自分、親切な心が仏性と言って、仏様の心だと言っています。

そんな仏様の良い心を大きく育ててあげることこそが、即身成仏だと言われているわけです。

悪いことをするな、人のために良いことをしろ

小さな時から私たちが、お父さんお母さんに言われてきた言葉の中にこそ、真理が詰まっていたのだと思います。

ホント難しい。

でも、それをしていくのが修行だと思います。

あきらめず、進んでいく。

自分の仏性と共に。

まだまだ道半ば。

21日は護摩の日

この日は、前日まで降っていた雨も朝方には止んでくれ、抜けるような青空の下で護摩の祈願を行うことができました。

当日は平日ということもあり、お参りの方は少ないのかなと予想したのですが、期待を大いに裏切る人数がお参りしてくださありありがたい限りでした。

この日は久々に姫路のお寺である真楽寺のご住職も来てくださり、久しぶりのお坊さん3人態勢での護摩のお勤めとなりました。

先月、先々月は真楽寺さんが、御自坊のほうが忙しく、なかなか都合がつかなかったので、3か月ぶりのフルメンバーです。

皆さん久しぶりの真楽寺さんとの再会を喜んでおられました。

そんな中で、令和になって最初の護摩のお勤めで、住職が今上陛下の国家安穏を祈願していましたのが印象に残りました。

私たちお坊さんは常に、他人に感謝することの大切さというものを、仏教のなかで学び、それを他人にお話ししているのですが、その感謝を向ける一番大きな相手はというと、国と世界に向けろとお釈迦さまも言われています。

自分一人で生まれてきた人間は存在せず、さらに、自分をここまで守って育ててくれた親がいて、周りのコミュニティがあって、さらにその上に、そのコミュニティが所属している国がある。

それに感謝するというのは、当たり前のようですごく難しいものだと思います。

当たり前というものほど難しいというのは、最近特によく思うことです。

いつも皆さんが当たり前と思っていることを、改めて考えてみるいい機会なのではないのかと、思った令和最初でした。