柴燈護摩 無事勤修しました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

もう早いもので、年の瀬が近づいてきまして、一つまた一つと行事が終わっていきます

今年で3回目になります光明寺奥の院の柴燈護摩も、天気の心配もなく、ケガもなく火事もない素晴らしい終わりを見せてくれました

3回目ともなれば慣れてきて、ずいぶん余裕が出てくるのかと思いきや、慣れたが故に、あれもしたいこれもしたいが出てきてしまい大忙し

今年は秋のお彼岸が終わったぐらいからでしょうか、住職と暇を見つけては奥の院へ上がり、お互いツナギを着て、チェンソーを持ち、ショベルカーを動かして木を切ること・・・大小合わせると40本ほどの伐採になったでしょうか

皆さんが奥の院に上がってきてくれた時に、感動できる空間を作ってあげたいという思いだけで、ずっと土木工事に勤しんでおりました

写真ではわかりずらいでしょうが、その作業の甲斐あって随分と明るく日差しが差し込んでくれるようになったので、個人的には満足です

来年への伐採計画も、だんだんと青写真が上がって参りましたので、もっと良い場所を作って、お参りの方々も奥の院の竜神さまも、みんな喜んでくれたらと思っております

そして11時開始の時間がくれば、去年よりもたくさんのお参りの方が上がってくるわ、上がってくるわ

近所の子供たちも沢山来てくれて、そこいらじゅうを走り回っておりました

家の子供も連れてきたのですが、近所のお姉ちゃん(5~8歳)たちが皆面倒を見てくれて…ほんとに助かりました

我が子だけでなく、小さい他の子たちも皆巻き込んで面倒を見てくれていたので、親たちは大助かり

やはり、子供は子供たちの中で育っていくんだな~と痛感しました

忙しくて遊んでいる写真は撮れなかったのですが、代わりに始まる前の腹ごしらえの写真です

温かい気候の中で、無事に行うことができ、心配していた風が吹くこともなく終わってくれた、これが竜神様のお力添えあってのことかもしれません

いろいろなことがあった一年でしたが、今年は去年以上に早く感じました

コロナが落ち着いたというのもあって、様々な行事が再開されたのもあったのでしょう

あっという間に時間が流れていく中で、自分自身の力及ばず、何もできなかったという状況の多かったこと

思い返すとよく出てくるのは、自分自身の不甲斐ないことの多さで心が挫けそうになりますが、そこで考えるのを辞めず、もう少し思い返してみると、同じぐらい嬉しいこともたくさんあり、また繋がってくれたご縁の多種多様さに、折れそうになった心が今度はまっすぐ立ち直ります(笑)

ほんとおかげ様です

自分の力で解決できることの方が少ないなかで、なんとかかんとかやっていけているのは、光明寺の本尊様に守られ、また関係のある皆様に守られているからなんだと思います

今年一年の反省と、そして感謝をこの12月中におこなって、来月は新しい年ですから、新年に備えていきたいですね

般若心経秘鍵とは

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

梅雨明けの時期、とてつもない大雨の中ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか?

去年はずいぶん雨の少ない空梅雨でしたが、今年は一転

いかにも梅雨らしい梅雨となりまして、毎日水の中で生活しているかのような錯覚を覚える気候になっております

光明寺の奥の院の護摩のお勤めは、残念ながら雨の中でしたが、普段とはちょっと違う神秘的な霧に包まれた中、しかし、とっても高い湿度と共に行われました

これだけ湿度が高いと、なかなか護摩に使う木が燃えづらく、いつもよりも火が上がらない中でしたが、皆さんのお願い事が書かれた添え護摩をしっかりと燃やしきることができました

実は先日、お坊さん内の講習会がありまして参加してきました

その内容というものが、皆様がよく知っている般若心経

様々な宗派で使われているこのお経ですが、各宗派の祖師さんで解釈が少しづつちがったりします

何故かといえば、元は般若経という600巻もある長ーいお経の内容を、要点だけ抜き出し262文字にまとめたものですが、短くしたがために理解するのが難しく、いろんな人が自分の修行の到達点からの感想を踏まえて、解説書を出しております

そして、そんな中でも私たち真言宗の代表格は、弘法大師空海の書いた(説いたとも)般若心経秘鍵というものがあります

私はまだ学生の頃のに、この秘鍵を講義で聞いていましたが、、、なんのことかさっぱり?www

まだお坊さんの修行も始まってなかったので、当時の私には高度すぎて呪文を聞いているがごとし

その証拠に、今回の講義に向って久しぶりに開いたテキストには落書きの山w

そんなこともあり、お坊さんになってから、秘鍵は詳しく勉強したいと思っていたのですが、今回機会を頂けたのに飛びついたわけです

講義の最中は非情に興味深い内容の山ですが、同時にこの内容はやはり大学生の私には難しすぎたのだなーという納得

文章の解説を聞いていくと、お大師様の宗教観というものが一端ですが見えてきます

そんな中で一番気にいった内容というものがありました

それは現実世界の目に見えることばかり考えると、迷いの境地に入り込んでしまって、少しも先に進むことができない

お大師様は先に進めないことを横のつながりと表していました

反対に良い教えというものはタテに伸びていく教えであると表しています

このタテというのは未来、時間に対する考えです

仏教とは時間に対する教えかもしれない、というものが私の理解です

過去のご先祖様を大事にすることによって、現在の私たちに繋がり、そして未来、私たちの子供たちへと色々なものを残し、繋げていく

そんなタテの繋がりの手助けをするのが仏教という教えであると私は感じました

ご先祖様を大事にして、現在の自分を大事にして、そして未来を作るであろう子供たちを大事にする、そうすると今の自分がいる世界が極楽浄土であると気が付くことができる素地ができる

それがお大師様の教えの根本にあるのだなと感じれました

皆様も自分の周りだけでなく、タテの繋がり、過去から未来へ続くものは何か?と考えてみていただければ幸いです

満員御礼、感謝感激雨あられ

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

12月になって一気に寒くなって、また暑くなってを繰り返してますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

光明寺では去年より始めた、光明寺奥の院での柴燈護摩のお勤めを無事に終えることができました

今年は去年にもまして多くの方がお参りしてくださり、筆舌に尽くしがたいほどの喜びと感謝をもって、ここに報告させていただきます

去年より始まったこの護摩供、元はお参りに来てくださる方の為のものというより、普段光明寺を守護してくださっている土地神様や仏様に対する「お礼のお勤め」ということで住職の目論見では、こじんまり行うつもりでした

しかし、多くの方々の賛同、支援を得まして、去年より規模も、参列の方の人数も右肩上がりで務めることができました

当日は天候も良く、風も吹かずと最高の条件で行えたことは「おかげさま」を頂いたとしか言いようのないものでした

手伝ってくださった皆様の「おかげ」お力添えをしてくださった神様、仏様の「おかげ」そして当日お参りに来てくださった皆様の「おかげ」

このどれが欠けても実現することのなかった状況に、感謝いたします

普段とは違う山の上の舞台を用意するために、秋口から少しずつ、12月に入ればほぼ毎日のように住職と詰めていきましたが、それが終わってホッと一息

やっと肩の荷が下りました

光明寺奥の院のお堂の前の浮島で行われる柴燈護摩

場所が少し狭いので、なかなか他の場所で行っている柴燈護摩と同じ段取りを、というわけにはいきません

小さなことから大きなことまで、あれをして、これを行ってと、そんなことをしていたら当日は頭が真っ白です

余裕などあったものではなく、時間が飛ぶように過ぎていました

極めつけは、お勤めが始まって、マイクを使い、声が皆さんに届くようにしていたのですが、私が色々する番になったところでマイクが「ブツっーーーー」

新しくつけたスピーカーが壊れるというアクシデント

もう焦りすぎて、あまり覚えていません(笑)

聞こえなくなったスピーカーですが、本番中ですので修理などできるはずもなく、もう気持ちを切り替えまして₍ヤケクソとも言いますw)気にせず本番を執り行いました

そんなトラブルもありましたが、お勤めは無事に終えることができて、来てくださった皆さんのお加持にはいることができました

来てくださった皆さんに、お勤めで使った剣を使って、良いことが起きますように、悪いことが起きませんように、良いご縁に恵まれますようにとの祈願をさせてもらいました

この後に住職の挨拶がありましたが、以下抜粋

このお山は、お参りしていただくのは昔からとても難所だと言われています(車が普通車は登れないので山道を30分ほど歩かなくてはいけないため)

ご年配の方は、登ってこられて一言「ワシらをこ〇す気か」とつぶやかれる方もいました

皆さんも今日は大変な思いをされたと思います

登ってお参りに来られるのに、近道はなく、一歩づつでないと進んでこれなかったはずです

そして歩を進め続けたために、ここにたどり着くことができました

人生もこれと同じだと思います

いろんなことを言われても、結局近道はなく、一歩づつ着実に歩いていかないといけない

当たりまえのことですが、私たちはそれをついつい忘れてしまいます

忘れがちなことを、今日ここへお参りに来られたことによって思い出していただいて、そして、手を合わせることによって、思い出したことに加えて、なにか仏様からのメッセージを受け取っていただきたい

そういう信仰の場として、この光明寺奥の院を使っていただけたら幸いです

以上

住職からのメッセージでした

お参りの方がどんな思いで帰られたか、私たちにはわかりませんが、なにがしか皆さんに良い「おかげ」があってくれたらいいなと思っています

来年も12月の第二日曜日に開催予定です

来られる方は来るもの拒まずですので、みなさんお越しください

暑いのですが、皆さん元気ですか?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月に入って暑い日と激しい雨が交互にやってきている感じですね

生活の方は被害が出ていないでしょうか?

日曜日に行われた奥の院の護摩も当日は晴れの天気でしたが、前日の用意の時に激しい雨に見舞われ、案の定私たちはびしょ濡れになりました

…草刈りするのにはちょうどいいのですがね笑

お山の護摩は今月も多くの大人と子どもたちの参加をいただきありがたいかぎりです

今月は友人の奥さんが逆子との診断をうけ、できれば自然に治ってほしいのでお札を作って祈願して、とのお願いを受けました

その願いを受けさっそくお札を製作して、毎日のお勤めと護摩で祈願します

祈願して全てが上手くいくのか?私たちお坊さんも全部上手くなるなど思っていませんし、しっかりとお医者さんの言うことを聞いてもらうのがまず第一ですが、そこにプラスαの要素として仏様の力添えをいただく

そうすることによって、普段仏様の力を実感している我々ですら「不思議ですね」と思うようなご加護があったりします

それも施主さんが毎日努力しているから、そこに仏様のお力添えが少しだけ入ってくるのだろうと思います

9割の努力と1割の力添えです

私たちは、お願いごとを仏様に伝えるお手伝いをしているだけです

良いご利益があって、無事に産まれてくれたらと願っています

燕も大きくなりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

6月は農家の皆さんが田んぼに追われてとても忙しそうにしています

写真である奥の院の護摩の用意に走りまわっていると、あちこちで田植えの稲を満載した軽トラとすれ違います

天気の良い日が続きましたから、みなさん真っ黒に焼けてとてもワイルド

ほんと若造には出せない魅力で羨ましいです

タイトルでも書きましたが、我が家の燕の雛がずいぶんと大きくなってきました

写真では少しわかりづらいかもしれません

3羽いて、手前に頭が一つ、奥に二つあるのがわかりますかね?

親鳥も子育てに大忙しの様子で、巣を頻繁に出入りしています

その光景をみると思わず親近感を覚えます

お互い大変だね~

奥の院の護摩のお勤めは、今月も沢山の方がお参りしてくださいまして、お堂は満員状態です

今月はそんな中でも嬉しいニュースがありました看護学校の学生さんが一人、就職が決まったとのことで、幸せのおすそ分けとして皆さんにお菓子の差し入れがありました

その子のお母さんもおばあちゃんも、ずっと娘さんの進路がうまくいくように、お祈りしてましたから少しかもしれませんが、おかげさんをもらってくれたのではないかと思います

もちろん本人の努力が大前提ですので、そこはほんとによく頑張っていると思います

こういう場で喜びの報告ができるというのは、周りの人もいい気持ちになれるうえに、みんなからおめでとうの言葉がくるので、本人としても沢山の人から声をかけてもらえると嬉しくなれると思います

昔から使い古されている言葉ですが、喜びは倍になりますね

最近はなにかしているとふと思うのですが、人の人生って自分一人のことならば、やろうと思えば一人でやっていくことはそれなりにできると思います

ですが、やはりそれなりで、周りの人たちの助けを借りないと何処かで無理が祟るのだろうなと感じています

私も息子が産まれたときに多くの人に助けられ、支えられてよく感じました

受けたご恩はとても多く、なかなか返しきれるものではないかもしれませんが、それを少しづつでも周りの人に返していきたいと思うのです

その手始めとして、やはり喜ぶことは一緒に喜んで、悲しきことは一緒に共有する

簡単ですが、とっても基本かなと思っています

今年初の柴燈護摩

皆さんこんにちは、副住職の隆照です。

一気に寒くなってきた冬の中頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

光明寺では、1つの山場が終りました。

というのも、かねてより住職の念願だった柴燈護摩が無事に開催され、多くのひとで賑わってくれたからです。

以前から住職は柴燈護摩を行いたいと言う思いがあったのですが、なかなか状況が整わず決心がつかない中でした。

しかし、そんな中今年の半ばごろに良いご縁があって、住職も重い腰を上げる決心をしたようです。

決行の日取りが決まれば、後は準備が大変です。

何せ、全く整備されてない場所を一から準備するのですから。

周囲の木を切り倒し、足場を整え、作業着姿で何度お寺と奥の院を往復したことでしょう。

住職のぎっくり腰と言う多大な犠牲を伴いつつも、その労力のおかげで何とか舞台が整ってきました。

当日が近くなってくるにつれ、天気予報の心配もしていましたが、前日の天気予報ではなんと最高の天気でした。冬場でしたので風の心配もありましたが、充分結構可能な範囲に収まってくれて、これも弁財天さんのご加護かなと思っております。

柴燈護摩を行う中で、各個人個人に配役が当たりますが、今まで役が当たったことなどなかったので、当日までひたすら練習の日々でした。

柴燈護摩の流れは、まず弓で矢方と鬼門を入ることによって、悪いものを退けて結界を行います。次に斧を持った人間が、山の木を切り倒すと言う作業を擬似的に再現します。そして最後に剣を持った人間が、気で出来た壇に切りかかることによって作法が完了します。

私はこの斧の役をいただきました。

今までまるでやったことがありませんから、住職に細かなやり方を教わり、お寺の中でこそこそと読み上げる分を暗記しました。

当日の不安はただ1つです、暗記した文章が頭の中から飛んでしまわないかが一番心配しましたが、なんとか初回としては及第点の内容だったかと思います。

当日は、皆さんどこから聞かれたのか、本当にたくさんの方々がお参りに来られ、こちらの想定していた人数を大きく上回ってくれました。

中には初めて奥の院にお参りに来られた人、子供時代以来35年ぶりの来院の方、本当に様々な形のお参りを迎えることができて、忙しい中でも本当に嬉しい心持ちです。

柴燈護摩というのは、自然の中で行うのでたくさんの神仏に捧げられて、私たちに多くのご利益をもたらしてくれます。

住職は、毎年無事に過ごせているお寺の生活、檀家の皆様を見守っていただいている神様仏様に対しての感謝のお勤めと言うことで今回の柴燈護摩を開催しました。

仏教の言葉では報恩謝徳といいます。

言葉は難しいですが、「日頃のお礼」と思ってくれば理解しやすいかと思います。

そしてこのお礼は神仏だけでなく、たくさんお参りに来ていただいて、当日を楽しんでいただいた方、皆様に対しても少しはお礼ができたかなと思います。

難しい事は考えず、純粋にこの場所の空気を楽しんで、生活の中にある祈りの場を感じていただきたい、というのが光明寺の本心からの皆様へのお願いです。

 これからも毎年年末の12月には、同じように柴燈護摩を続けていく所存ですので、今回来れなかった方も、今回来れた人も、ご縁がありましたらお参りをお待ちしております。

ぜひ皆様、生活している周囲の環境に日ごろの感謝を伝えて、良い1年を迎えてください。

光明寺の紅葉が始まりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

最近めっきりと寒くなってきましたが、体の御加減いかがですか?

タイトルにも書きましたが、光明寺ではボチボチと紅葉が進みまして上の写真のとおりです

紅葉は少しづつ色がついて、しかし例年の紅葉ロードまではまだまだ、といった感じ

銀杏にいたっては、今年は少し遅めで、今月末にやっと色が変わるかな?というところです

そんな有年の紅葉情報ですが、とっても奇麗なところもありました

写真は千種川のほとり、奥の院の上り口の場所です

何気なく、作業中に目をやると一面のススキ畑です

兵庫県では砥峰高原がススキの名所ですが、撮影場所を考えると、千種川のほとりでも勝るとも劣らないぐらいに見事なススキ群です

奥の院の作業途中だったので、家内を連れてちょっと散歩した後に・・・( ゚д゚)ハッ!作業に戻らねば!ということで新婚の散歩を満喫させてくれた場所でした

光明寺の奥の院は、来月の外護摩に向けて大忙しで準備中です

まずこの周囲の木を切り倒して、見晴らしを良くし、火事の心配を極力下げるために整理しています

来院される方は、12月を楽しみにしていてください

そんな作業の次の日、本日の第二日曜日に、また無事に奥の院の護摩を行うことができました

今月はとってもたくさんの方がお参りされて、なんと先日初めて光明寺に来てみた、という方も初参加してくれたので、迎える側は嬉しいかぎりです

それにしても、今日は子供がたくさん連れられてきてくれたので、本当に賑やかな雰囲気です

子供がいると、不思議と大人が皆口数増えるんですね

それに恥ずかしがり屋の子供たちも、お寺に来る回数を重ねて慣れてきたころに、大人たちへの対応が柔らかくなってくると、それだけで皆笑顔です

子供の力がすごいのか、私たち大人側がちょろいのか?笑

住職の法話も、子供たちに影響を受けてか戒律と成長の話です

戒律とは、仏教を信仰する人たちに守りなさいよ、と決められたルールのことです

とっても詳しい説明は、いつものようにウィキペディアを見ていただいたら、しっかりと載っています

この決まりとは、破ったら罰則があるわけでも、違法になるわけでもありません

何もないならば守る必要もないのではないか?

本当にそうでしょうか?

戒律を守ることは修行であると言われています

修行とは何のために行うのか?修行を修めたさきはなにがあるのか?

私たち僧侶は、修行の先には自身の成長があると考えています

いろいろな修行を抜けて成長した自分が、いつか困っている誰かの先達になれたらいいな、と考えたりもして過ごしています

そして、修行や戒律というのは私たち僧侶に限ったことではございません

仏教を信じている人、全てに守るべき戒律があって、それを行うことこそが修行です

これは大人だけの話でもありませんし、子供だけもありません

全員が修行して、自分を磨かなければ成長はしないんだということです

先日、住職の後輩の方がh1グランプリという、お坊さんの法話ナンバーワン決定戦に出場されていました

その方の使われた言葉で「玉磨かざれば光なし」という言葉があります

ダイヤモンドでも宝石でも、原石というのは光り輝いてなどはいません

濁った石です

しかし、それをダイヤモンドならば同じ硬度を持つダイヤで磨いて、初めて宝石として光ます

私たち人間も、子供たちが可愛いから、といって真綿で包んで守るような接し方だと、その子が大きくなった時に、光る部分をなくしてしまうと思います

人は、同じ人の中で磨かれて、もっと奇麗に輝くならば、自分以上の固さと輝きを放つ人の中で磨かれることによって、宝石になれるはずです

そのためにも、自分を磨く日々の修行を頑張ってください

私たちが守るべき戒律、その最も代表的な3つをご紹介します

1、 摂律儀(しょうりつぎ)戒   悪いことはしてはいけません

2、 摂善法(しょうぜんぼう)戒   良いことをしましょう

3, 饒益有情(にょうやくうじょう)戒   人の為になることをしましょう

この3つが一番基本的な戒と言われています

簡単ではありますが、なかなか私も反省の毎日です

皆様も、是非守って修行をおこなってください

他人の不幸は蜜の味、では、他人の幸福は?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月11日は心配していた雨も無く、無事に快晴の空模様に恵まれて、光明寺奥の院の護摩のお勤めを行うことができました。

左の写真に映る七福神さんも、どことなく気持ちよさそう?w

兵庫県は非常事態宣言が明けたとはいえ、非常に微妙な世情が続いてはおるますが、ひとまず護摩のお勤めがいつものメンバーが集まって開催できたことに感謝でしょうか。

連日の大雨は、こちらの方もすごい降りようで、どこか崩れないかと心配しましたが、なんとか大事なく抜けることができました。

しかし、熱海のニュースは本当に心が痛みます。

私はお坊さんですので、亡くなられた方のご冥福、並びに被災された方の復興をお祈りするということしか出来ませんが、微力ながら光明寺から祈っています。

話は変わりまして、今回の護摩では信徒の方が、赤飯を持ってこられました。

というのも、このご家族に妊婦さんがいるので、安産と母子の無事を祈願してほしいと言われ、お札を作ったのが半年程前。

それから護摩のお勤めでは、おばあさんが(とっても若い)毎回母子の無事を祈っておられ、私たち僧侶側では毎朝のお勤めで、本尊様に母子の無事を祈っていましたら、なんとこの7月初旬になんとか出産を終えることができまして、ご利益を頂いたのでそのお礼に!ということで参ってこられる人全員分を奉納していただきました。

お堂の中は、もうその報告のおかげでみんなお祭り騒ぎに

嬉しいことをみんなでわかちあえるというのは、本当に幸せですね

悲しみは半分に、嬉しさは2倍に!と言ったのは誰が言い始めたのかは知りませんが、本当に真実を上手く言ったものだと思います。

その報告が終われば、住職の法話です。

話の冒頭で蜂の巣のことを言っていましたが、蜂が高い場所に巣を作る年というのは、大雨の年になると子供の頃に言われたそうで、今年は光明寺でも2つもスズメバチの巣を、屋根裏、軒先からとりました。

昔のお年寄りの人が言ったように大雨の年になりましたねー、といっていましたが、ちょっと待ってください。

蜂の巣取ったの私ですー!笑

思わず冒頭で突っ込みたかった話でした。

脱線はさておき、今回住職は「安心」について話ました

これは、一般的には「あんしん」と読みますが、仏教では「あんじん」と読みます。

意味としては、ネットで調べると「仏教の功徳によって迷いがなくなって、安らかな心の状態」と出てきます。

言葉で聞くとややこしいですが、誰か大事な人の為を思って行動している、あるいは、手を合わせている時の気持ちこそが、仏教のあんじんだと思います。

自分の子供の世話をしている時や、親に孝行しているとき、はたまた伴侶に報いてサービスしている時、、、最後だけは不安というより恐怖を感じている人もいるかもしれませんがw

そんな誰かのために動いている時は私たち人は、非常に喜んで、あるいは、楽しそうに動きます。

これを学者さん方は、お猿さんが群れを維持するために進化してきただとか言いますが、仏教では誰かの為に動いている時の心こそ仏様の心と同じだと言っています。

安心(あんじん)を感じるとは、あなたの大事な人たちのために動いてあげてくださいね、ということです。

お経を唱えるでもなく、頭を丸めて修行するでもなく、優しい行いをすることこそが、一番良い修行ですよと真言宗は言っています。

是非あなたの安心大切にしてみてください

今月はお大師様の誕生月

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

早いもので、年が明けたと思ったら、もう六月です

最近特に過ぎる年月が早く、こんな風に年を取っていくのかな?と、ちょっと年齢的には早いことを考えてしまっている私です。

世間の非常事態宣言もあと少し、少し出口が見えかけてきたようにも思える今日この頃、ワクチンの報道が続々とニュースを賑わせている中で、皆様どうお過ごしですか?

光明寺の周りの農家の方々は、田んぼが忙しい時期のようです。

水を張って稲を植えてと大忙し

毎年、この6月は皆さま忙しすぎるようで、法事の日程もほとんど入っていなく、お寺としては暇なのかと思いきや、伸びてくる境内の草木との格闘の毎日になります。

今月一杯まで、私も住職も「お坊さん(庭師)」になります。

さて、そんな中ではありますが、今月も光明寺奥の院の上では、無事に護摩のお勤めが行われました。

感染症対策もあるので、皆さんに出すお接待は、お茶はペットボトル、食べ物は持って帰ってもらえるものということで行っています。

旧暦ではありますが、6月の15日はお大師様の誕生日ということで、たくさんのお接待が皆様から持ち寄られました。

なんとこの御萩は毎回手作りしてくださっているもので、とっても美味しいので食べる皆さんが大喜びです。

お勤めが終われば住職の話なのですが、題材は今回もお大師様の言葉「 ”医王(いおう)の目には途(みち)に触れてみな薬なり、解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る。” 」でした。

コロナで賑わっている世情の中、頑張ってくれている医療従事者のように薬を作ろう、打とうということは、私たち一般人にはできませんが、それでも私たちの行動や言葉が、周囲の人に薬として役に立つ場面というのはたくさんあるはずです。

このお接待で御萩を作ってくれた人も、ご自身で進んで作ってくれていますが、きっと朝も早くに起きだして、これを一人で作るのは大変なお手間でしょうから、作業の途中で「しんどいな、眠たいな」という気持ちがどこかしらあったと思います。

ですが、その完成した御萩を皆さんが食べられて、「ありがとう、美味しかった」という言葉と笑顔を返していけば、「しんどかったけど、やってよかったな」という気持ちが芽生えるでしょうし、また次もやってみようかな?とお考えになるかもしれません。

そのように私たちは、お互いの態度や言葉で、接する人に薬を付けてあげることができるはずです。

ワクチンが出回って、自分の打つ順番も気になると思いますが、今一度、自分の持っている「薬」はどうやって他の人、あるいは自分の心に使うことができるのか考えてみてください。

満員御礼!

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

本日は光明寺奥の院の護摩のお勤めを無事に行ってきました

今月は三月のお彼岸前ということもあり、お寺は忙しくなるであろう彼岸ウイークに向けて、徐々にエンジンの回転数を上げていっているような感じの気分です。

もうすでに、お寺には彼岸の最中には来れないということで、事前の墓参りを行いに来られる方の顔がちらほらとみえております。

そんな中での護摩でしたが、本日は晴天に恵まれ、さらに雨が上がった午前中ということで、花粉の悲惨な飛散も抑えられての、花粉症にはありがたい日でした。

さらに、光明寺としては嬉しかったことに、今月はいろいろな方が始めて奥の院の護摩に参加してくださり、しばらく非常事態宣言で寂しかったお堂の中が、入りきれないぐらいの賑やかさでした。

写真はお勤めの最中、護摩の炎から上がった煙が非常に幻想的な雰囲気を出している様子を納めた奇跡の一枚です。

皆さんと一緒にお勤めしている中でのワンシーンは、本当に不思議な写真が撮れることがあります。

今月は、お大師さまが御入定された月ということで、高野山の旧正御影供(きゅうしょうみえく)のお話を少し。

お大師さまが高野山の奥の院に籠られて、御入定されたのが、3月21日ということで、真言宗のお寺では、その日はお大師さまを慕ってお勤めを行います。

私たち地方の高野山派のお寺は、太陽暦の今の暦での21日ですが、高野山は旧暦の3月21日にお大師さまのお勤めを行います。

旧暦の正当日(正しい日)に行う御影(お大師さまの姿絵)に行うお勤め

なので、それを短く纏めて旧正御影供と呼んでいます。

お大師さまが残された仏法や言葉は、本当にいろいろなものがあり為になるものばかりですが、毎月行なっている護摩の法は本当に、いろいろなご縁をつなぎ、ご利益を授けてくれるものだな、という事を最近痛感しております。

難しい事は考えず、お勤めの最中ひたすら祈る。

ただこれだけでどれだけ心が洗われることか。

是非とも、皆様半信半疑で結構ですから体験してみてはいかが?