新年の初大師

本日は本堂での護摩のお勤めから、その後檀家の皆さんでお昼を食べてみんなでお大師様のお勤めを午後に行いました。

写真で見る限りでは、午前中の護摩も賑わったようです。

実は私、今日の午前中は姫路のお寺に初護摩のお手伝い行っておりまして、それが終わって慌てて光明寺までとんぼ返りしてきたのです。

思えば、去年からずいぶんとお仕事のお声をかけてくれるようになり、嬉しいしだいです。

すぐ舞い上がって天狗になる性分なので、天狗にならないように気をつけねばw

写真は午後からのお大師様のお勤めの写真です。

私と住職が並んで皆さんの音頭を取っています。

ちょっと小さくて見えずらいですが、わたしが皆さんの前で場つなぎでお話しをさせていただきました。

思えば、記憶にある中で一番初めにこの場で話をしたのは確か23ぐらい、信貴山に行っていたときであったかなと思います。

当初は法話とも、漫談ともならないものだったと思いますが、その若造も8年の歳月で、一応本山布教師心得の資格をいただき、高野山の山の上で皆さんにお話しをするまでになることができました。

去年の自分の中で一番変化が大きかったことはやはり、その布教師関係でしょうか。

高野山という山の上でお大師様のお手替わりとして話すようになると、いかに自分が勉強不足だったのかを痛感いたしました。

それからいろいろな知識を求めだして、書籍を読むようになったのはつい最近のことです。

しかし、いろんなものを読んで、新しい知識に出会うほどにお大師様の教えが、いかに端的で的確な美しいものかということに感嘆の念を覚えます。

そうして、いろんな感動を覚えるうちに私の中にわいてきたのが、お大師様の教えの基本を誰もしたことのないぐらい現代の知識を使って、皆さんにお披露目しようという気持ちです。

ですので、私のお話しはわかりやすさ重視の基本的なことしか入ってません。

今日皆さんの前で話した感謝についても、今更言う必要のないほど基本的なことですが、基本というのはやはり、根本であるがゆえに忘れやすいものと思います。

少年野球をやっていたころから、何度基本をないがしろにして怒られたことか。

基本を忘れないための感謝日記、お金もたまる感謝日記、おすすめですw

私の話はこの御詠歌のための前座でした。

大会に出られた御詠歌「遍照」をみんなの前で披露していただいて、今日の長い一日は無事に幕を閉じました。

半年に一度、行っているこのお大師様のお勤めですが、絶えることなく続けてこれるのは皆さんの協力あってのこと。

製品化された奇麗な行事ではなく、手作り感の溢れる暖かい行事で行えていることに感謝の念が絶えません。

朝から来ていただいて、みんなのお昼の用意をしてくれた当番の方々、お参りに来てくれた皆さんありがとうございました。

新年あけましておめでとうございます

光明寺は今年も無事に、皆様のおかげで新年を迎えることができました。

日ごろから、お寺を支えていただいている皆さまに感謝をして、そして、また今年も一年どうかよろしくお願いします。

なかなかバタバタした年末年始ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

私もおかげでいろいろ忙しかったのですが、一つ落ち着いたのでホームページに年末年始の流れをアップしようと思います。

トップの写真も大みそかの光明寺ですが、大みそかといえばやはりこれ

除夜の鐘ですね

今年から始めた老人ホームの訪問でも、職員の方々に大みそかの鐘の音色聞いていますと言われて、いろんな人が聞いてくれているなと、改めて思い知らされました。

今年は少し天候が冷え込む予報でしたので、例年に比べると参拝の人は少なめでした。

しかし、それでもここでしか会えない人たちが来てくれて、待つ方としては嬉しい限りです。

毎年のことですが、除夜の鐘の打ち始めは私一人だけですので、寂しいこと寂しいこと。

ほんと人の温かみというのを痛感する瞬間です。

除夜の鐘が終われば、恒例の一年の幸福を祈願する初護摩です。

外はさむかったのですが、参拝の人の熱気と護摩の火で非常に暖かく、暖房を消そうかと思うぐらいに熱狂しました。

写真の右奥に破魔矢が写っていますが、ありがたいことに今年も大人気でお参りの人は皆さんが購入していってくれます。

一連の流れを終えたら、だいたい2時過ぎにお堂の戸締りをして無事に年越しを終えることができました。

毎年ではありますが、これが終わるとみんな家のものは疲れ切っています。

しかし、みなさんに元気をもらうからでしょう、目だけはランランと輝いて不思議な状態。

気力が体を動かすとは、まさにこういうことを言うのだろうと思います。

さて、時間は少し進みまして2日と3日の朝になります。

左の写真に撮影者の指が写っているのは、素人の御愛嬌w

年頭参りと言いまして、檀家さんへのあいさつ回りですね。

二日に分けて村の中を歩いて一件づつ周ります。

回った家には、挨拶のおしるしとして宝来という切り絵を置いていきます。

これは高野山発祥の魔除けでして、もともと高野山では田んぼが無かったのでしめ縄が作れなかったんです。

今でこそ縄は店に行けば売っていますが、その昔は各家で自作していました。

材料の藁がない高野山では作ることができず、一年の魔除けにしめ縄を制作することができなかったのです。

そこでどうにかできないものかと考えたお坊さんが、奉書で切り絵を作り、それを祈願してしめ縄の代わりの魔除けを作ろうということで始まりました。

それを私たちは年始の挨拶で配っているのです。

それともう一つ、この年頭参りでは玄関先でお勤めをさせていただきます。

普段は私たちは、お仏壇に手を合わせるのですが、この正月はお仏壇のご先祖様だけではなく、それぞれのお家の神様、そして生活している人に向かってお祈りをします。

これは供養という意味ではなく、今年の挨拶と良い運気、良いご縁が巡ってきますように、との意味でお勤めをしています。

亡くなっている人が対象ではなく、生きている人を拝んでいるのです。

そんな年頭参りも無事に終えることができました。

みなさん今年も無事にお過ごしください。

皆さんのご多幸を祈っております。

師走 護摩の火 文化の日

今年も無事に一年が終わろうとしています。

12月のことを日本独自の読み方で師走(しわす)と言いますが、由来としては、年末になるとお坊さんが忙しく走り回っている様子からつけられたとか。

あくまでも一説なので、他にもいろんな説があるのですが、年末は確かに忙しい時期ですよね。

お坊さんだけじゃなしに、みんな走り回る今日この頃

光明寺の紅葉スポットの木も走りつかれたのか、葉っぱがなくなって疲れている様子

やはり枝だけになるとずいぶん雰囲気も変わるものですね。

でも、この日は天気は快晴だったので、お天道様には微笑みかけられたかな?

そんな快晴の天気の中始まった終い大師ですが、、、ちなみに年末の縁日のことを終い~という言い回しがお寺にはあります。

終い大師とか終い不動とかですね、探せばもっと使っているところもあるはず。

脱線しました。

この日の終い大師は土曜日でしたが、お参りの方は9人でした。

やはり、年末になると皆さん地区の当番やら他の行事などいろいろ走り回っているようで忙しそう。

そんな中でもいつも通りの定刻に始まったのですが、いざ願文を住職が読み上げようとしたところでトラブルが!

なんと、風邪をひいていたおかげで声が出ない。

ボイスチェンジャー通したような声になっていましたが、なんとか最後まで読み切っていました。

風邪が流行っているみたいで、私ももらわないように気を付けないと。

護摩のお勤めが終われば、この日は嬉しい知らせが一つ。

なんと、いつもお参りに来てくれている人が、少し重い病気だったのですが、本尊様の御利益をいただいて、無事に半年ほど時間をかけて回復できたと、感謝のお供え物を預かりました。

名前は白くぼかしましたが、嬉しかったので写真をアップ。

お供えした後に、お参りの方皆さんとおすそ分けを行い、美味しくいただきました。

やはり吉報の知らせは嬉しいですね。

こちらまで笑顔と元気をいただける瞬間でした。

さて、そのお菓子を食べながら住職の話です。

お経で喉のウォーミングアップができたのか、声はよく出ている。

、、、さっきの願文はなんだったんだw

その内容は、文化って大事よねって内容だったのですが。

文化が衰退した集団というのは、やはりその人口も勢いも衰退していきます。

どんなに一時は人口が増えて、勢いがあるように見えても、文化が根付かないものは末路は同じだと、歴史学者の先生から聞いたようです。

日本各地にある、バブルの時に建てられて、今はほぼ過疎地扱いになっているベットタウンが、まさにこれの典型例だと言っていました。

しかし、反対に人口が少なくても、どんなにめんどくさくても、自分たちの確固たる文化を持っている集団というのは、息が長くしぶとく存在し続けているとのこと。

私たち田舎の人間もしかり。

人がいなくなると、ずっと言われていますが、しかし、しぶといw

しかし、最近は田舎の人たちが、自分たちの守ってきた文化を古臭いものだからと、自分たちで放棄する流れになってきていると、その学者さんは危惧していたそうです。

「田舎だからなにもない」じゃなく、「田舎だから、都会にはない文化が溢れている」

そういうことなんだそうです。

なるほど、これは確かに!

だから、どんなにめんどくさくても、自分たちの文化をなくしてはいけないですよ?という話でした。

確かにめんどくさいと思うことは多々ありますが、それのおかげで今があると言われたら、うーむ、なるほどと感心させられます。

ですので皆さん、めんどくさいけど、大掃除しましょうね?

千種の園 訪問 実は知らなかった除夜の鐘

本日2時より、光明寺の麓にある千種の園に行ってまいりました。

早いもので、夏過ぎに始めたこの訪問も4回目を数えました。

何を皆さんにお話ししたらいいかと考えているうちに、年の瀬になりました。

始めた当初は、利用者の皆さんが受け入れてくれるのかと不安に思うことが多々ありましたが、今となってはありがたいことに、皆さん毎回大勢の人が、私たちの訪問を待っていてくれるようで、本当にありがたい限りです。

今日は赤穂では、有名な義士祭が開催されており、利用者の皆さんに枕詞での挨拶に、この話題を使うと、懐かしそうに、また嬉しそうに聞いてくださいました。

去年から義士祭の仮装行列に主役として高橋英樹が呼ばれているようで、追いかけのファンもたくさん来ていらっしゃるそうです。

私は、見てみたいと思いつつ、なかなかご縁のない形になってしまって残念です。

今日は12月ということで、師走の成り立ちの一説をお話しさせてもらったのと、除夜の鐘をみんな知らない豆知識と一緒にお話ししました。

というのも、除夜の鐘というのは本来、お坊さんが行っていた仏名会という反省会がもとになっているのですが、この仏名会、できれば行いたくはないほどにしんどいのです。

その内容は、スクワット300回です。

嘘じゃないですよ?w

まぁ、正式には礼拝300回なのですが

自分の今年やってしまった罪咎を考えながら、いろんな仏様の名前をお呼びして、一人の仏様に対して一回の礼拝を行います。

礼拝の作法は床に右ひざ、左ひざ、右ひじ、左ひじ、そして額の順番につけていき、全部ついたら立ち上がります。

それが1回

これを108回、私たちの煩悩の数仏様がいてくれるので、その方々に1回づつ

これだと108回で終わると思うでしょう?

ですが、仏教では過去にも、未来にも仏様がいると考えています。

過去に犯してしまった罪に対してごめんなさい、そして、未来に犯すであろう罪を止めてくださいの意味でそれぞれ108回づつ、計324回行います。

文を書いているだけで恐ろしい( ;∀;)

これを衣で行うのですが、終わると年配から若いのまで汗だく、息も絶え絶えの苦行です。

そりゃ反省会だから仕方ないのですが、しかしやりたくないのは仕方ない。

犯した罪を反省するのはいいことだから、一般の皆さんになんとか行ってもらえる方法はないかと、考え出されたのが除夜の鐘です。

礼拝する代わりに、鐘をついて仏様に知らせることにしたのですね。

その話の後、皆さんに阿字観という瞑想を行っていただいて御詠歌を聞いてもらうという、普段とは少し違った形で行いました。

生憎、皆さんの写真が撮れなかったので、私が阿字観している姿で代用します。

こんなイメージで皆さんに深呼吸して、落ち着いてもらいながら御詠歌をお届けしたら、いつもより聞き入ってくれているのは新発見!

いろんなところで瞑想は使えるのだな、と発見しました。

心が落ち着けるので、集中して聞き入ることができるのでしょうかね。

ともあれ、無事に終わりましたが、毎回涙を流しながら、聞き入ってくれる皆さんを観ると、非常にありがたく思っております。

まだまだ走り始めた、この千種の園訪問ですが、これからも続けていきたく思います。

光明寺 団参ツアー in奈良 

11月24日、いよいよ皆さんが楽しみにしていた光明寺18本山巡りin奈良の旅が行われました。

事前の天気予報では

雨模様の天気でしたが、当日は参加された方々は、よほど晴れ男、晴れ女が多かったのでしょう。

雨の「あ」の字すら見当たらず、無事に旅行を終えることができました。

当日の朝は、少し冷え込むかな?という感じではありましたが、澄んだ空気がいい気持ちでした。

皆さんバスに乗り込んで出発です。

バスのマイクを使って住職も私もしゃべるのですが、何回やってもマイクを取るのは緊張します。

でも、周囲からは、全然緊張しているようには見えないとのこと・・・喜んでいいのやら、かなしんだらいいのやらw

最初は長谷寺を目指しております。

というのも、一番混むであろう場所を最初に行っておかないと、後で行こうとするのは地理的にも無理があるので、一番最初の移動時間が一番長くなりましたが、皆さんバスの中が賑やかなこと。

休憩もはさんで、約3時間移動でしたが、その間バスの中に静寂が訪れることは終ぞありませんでした。

かくいう私も、前の方の席でいろいろ話ておりましたので、非常に移動時間を楽しんでおりました。

いよいよ長谷寺についたので、みんなで列をなしてゾロゾロ行きます。

光明寺のおとおりじゃ~(/・ω・)/

地元の方にお伺いした限りでは、この日曜日は雨の予報だったせいで、だいぶん人が少なくゆったりとしていたそうです。

逆に昨日の土曜日は天気が良かったこともあり、みんなこの日を目指して来たようで、大渋滞の大混乱だったようです。

うーん、24時間違うだけで天国と地獄とは、うちの檀家の皆さんもってますね~

参道を歩いているといたるところに草餅のお店がありまして、これの美味しそうなこと。

こういう旅行では、やはりご当地物も楽しみの一つですよね。

買って食べたい、しかし、お昼ごはんが入らなくなる!

そんな葛藤に悩まされ、何とか誘惑に負けることなくお寺につきました(しかし、帰り道では結局誘惑に負けました)

さすがに花のお寺と呼ばれるだけあって、境内は非常に見ごたえのある広さはもちろんのことですが、各所に植えてある植物が年を通じて、花を咲かせて、訪れる人を楽しませるのが容易に想像できます。

また、非常に紅葉がいい時期でしたので、お寺のどこもかしこも紅、黄色、緑などで色鮮やかに染まっておりました。

これホントすごいわ

しっかりみんなで手を合わせて、般若心経をお唱えするのも忘れません。

また、本尊さまが観音様ということで、御詠歌の曲「観音大事」を唱えて奉納しております。

般若心経はわりと皆さん、お唱えの方が他にもいましたが、御詠歌ともなると珍しかったようで、周囲の方も聞き入っていました。

無事にお参りがあ終わりまして、気になるのはやはりご飯。

華より団子の言葉があるように、私いくつになってもご飯には勝てそうにありません。

この日お昼ご飯をいただいたのは、参道にある井谷屋さん。

リーズナブルなお値段なのに、想像以上のボリュームと品数のお昼を用意していただいたので、みんなご満悦。

わたしもおなか一杯いただきました。

その後は西大寺へ。

ここはとてつもなく大きな茶碗でお濃茶をいただく大茶盛が有名です。

あまりにも茶碗が大きすぎるので、周囲の人たちから手助けしていただかなければ飲むことができないそうで・・・大変そうだ。

そして最後は宝山寺です。

もうここは知ってる人は知っている、言わずと知れた聖天さんをお祀りするお寺で、大変強いご利益があるお寺です。

私のいた信貴山と並んで、大阪の人たちによくお参りされるお寺かと思います。

聖天さんというのは、歓喜天と正式には言いまして、神様なのですね。

ご利益が強い分、神様は仏様にはない嫉妬があると言われていまして、いい加減が気持ちで中途半端にお参りしたり、お祀りしたりすると逆に罰をあてられるということで、お坊さんの中では、聖天さんをお堂にお祀りしている人というのは、めちゃくちゃ気合も労力も時間もかけてお勤めされている方がほとんどです。

障りも強い分、認めていただいたときの御利益も強いんですね。

そんな宝山寺でもみんなでお参りです。

これはお不動さんをお祀りしている本堂ですが、そのあと聖天さんをお祀りしているお堂にもお参りしました。

いつも光明寺の行事があるごとに、広報用の写真を一手に引き受けてくれる方です。

今回の写真もすべてこの方の作品です。

いつもありがとうございます。

この写真は、不意打ちで撮りましたw

3ヶ寺を回った今回の旅行でしたが、皆さんのお参りの御利益か、帰りの道中では非常に奇麗な夕焼けに向かってバスが走ることができました。

普段でしたら、帰りはぐったりとした雰囲気になることも多いのですが、今回ばかりは違って、みんなこの夕日には大盛り上がり。

ホント最後の最後まで皆さん持ってますね~

予定より少し時間をオーバーしてしまった今回の団参旅行でしたが、無事に大きなトラブルもなく帰ってくることができました。

小さなトラブルはありましたが、みなさんそれに怒ることなく穏やかに流していただいたりと、毎度のことながら非常にありがたいメンバーでお参りできていることを嬉しく思います。

毎回大変ながらも、楽しくて仕方がないこの旅行、次回ももっと皆さんと楽しめるように計画していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

参加していただいた方、差し入れをいただいた方、また道中お世話になった方皆さんに感謝いたします。

合掌

11月21日 護摩の日

今月も21日がやって参りました。

早いもので今年もあと一か月でございます。

いつの間にか、年月の過ぎているのが早くなったことで。

今年は激動の年でもあったので、余計に早く感じるのかもしれません。

時間は大事にせねば。

さて、本日21日は毎月恒例護摩の日でございます。

今回はちょっと趣向を変えて写真の解説と行おうと思います。

上の写真は住職が護摩の願文(ガンモン)を読んでいるところです。

願文とは、この護摩のお勤めがどのような意図で行われて、誰に何をお願いしているのか、仏様に直接声でお伝えする作法です。

ちなみに、光明寺本堂の護摩は、お不動様にお参りの方と一緒に護摩の火とお経を手向けるので、ご利益をお願いしますと言っています。

この願文という作法は、大きなお勤めならば、だいたい行われていますが、それは住職が必ず行わないといけないという決まりはないので、若手だったり、老僧だったり、いろんな人が読みます。

他所のお勤めに合われたときは、意識して見てみると面白いかもしれません。

お勤めが終われば、住職と真楽寺さんのお話しです。

いつもの記事は、このお話しの内容を詳しく書いていたりするのですが、今日は割愛ですw

普段と違う形で、護摩の終わった後の掃除の写真を乗せてみます。

写真は壇の上の窯の中にたまった灰を取って奇麗にするのですが、使っているのは中華のお玉です。

いろいろ使ってみたのですが、これが一番使い勝手が良かったです。

ホームセンターで購入です。

そして、壇の上の仏具をすべて退けて奇麗にした後、座っていた台座を退かして掃除機できれいにした後、雑巾できれいに拭きます。

意外といろんなゴミが落ちているうえに、室内で火を焚いているので、拭き掃除が欠かせません。

これを怠けると、直ぐに靴下が黒くなってしまいます。

それらが終わって無事にこの形に戻ってこれます。

いかがでしょうか。

ちょっと普段とは違う視点で書いてみました。

纏めてたくさん

この近辺、いろんなことがおきてなかなか更新できずにいたのですいません。

ようやく更新です。

まずは報告から

この17日、高野山で正解平和を祈るお勤めが行われて、それに出席してきました

当日は、日本のお坊さん150人と、チベットから来たお坊さん300人の大集団に

見知ったお堂の中が、まるで知らない空間のようになっていました。

写真は私が移っているところですが、残念ながら今回写真を撮る機会があまりなかったので、知り合いの方に取っていただいたこの2枚しかありませんでした。

もっと、とりたかったのに残念。

19日に目の前にある老人ホームへの慰問に行かせてもらいました。

これは2回目ということもあり、前回よりは皆さん落ち着いて話を聞いていただいていたご様子。

落ち着きすぎて、気持ちよさそうに寝ている方もいらっしゃいました(笑)

ですが、それだけ安心していただけるというのは、やはりお話し冥利に尽きるかなと思います。

私は普段お話しの中で、人の興味を引くために科学分野のお話をしますが、その大本の目的はやはり、皆さんに安心して穏やかに日常生活を送ってほしいという思いからですので、目の前で気持ちよさそうに寝てくれているおじいちゃん、おばあちゃんを目にすると、腹など立ちません。

むしろ、ちょっと嬉しくなって帰ってきました。

そして21日は毎月の本堂での護摩のお勤めです。

いつも通り行われたのですが、この日ちょっと違ったのは、お勤め終わってみんなで食べるお接待をいつも用意させていただくのですが、この日はなんとマツタケご飯を用意することができました。

というのも、私がこのあいだ高野山にお手伝いに行ったのですが、そこのお土産としてマツタケを持たせていただいたのが理由です。

自分だけで食べてもつまらないので、皆さんと一緒にいただくことができました。

ホントみんなで食べると美味しかった。

これが仏教の利他行なのかな?と実感する次第でしたw

というのも、今の日本の環境ならば、成人して給料をもらうようになると、自分個人のことに限定するならば、だいたいやりたいこと全てできると思いますが、しかし、個人で楽しんでいると、それ以上喜びは広がりません。

今回ならば、マツタケ確かに美味しいですが、一人で食べても所詮キノコですし、マツタケ美味しかったで終わってしまうと思いますが、みんなで分けたからこその、みんなの笑顔を見せてくれたマツタケご飯最高と思うことができました。

ホントみんなで楽しんでよかった。

情けは人の為ならず

ホントに人の為に何かすると、それが自分の為になって帰ってくるのだなと思った今日この頃でした。

合掌

台風一過 平穏無事がありがたく

本日、光明寺奥の院にて、無事に月令の護摩のお勤めを行えました。

ニュースでは未曾有の台風による被害が報告されている中で、近畿圏を何事もなく過ぎてくれてホッとしました。

それと同時に、被災された方たちの状況も、一日も早く良くなることをお祈りします。

無事であったことに多大な感謝をしつつ、微力ではありますが、私にできる復興のお手伝いをしていこうと思います。

日本すべてが被災してしまったら、感謝もできないし、手助けを行うこともできないので、今は私たちが助けて、今度反対の立場になったときはお願いします、の気持ちです。

さて、本日光明寺においては、まさに台風一過

最高の秋空の天気で護摩を行うことができました。

心なしか、お釈迦様(写真左)も気持ちよさそうなお顔をされていますし。観音様に至っては(右写真)後光がさしておられる!w

気温も、じっとしていると肌寒いくらいで、歩いてお山を登ってこられる皆さんには、丁度よい塩梅だったようです。

先月までのことを考えると、大量発生したハエもいなくなってくれて、文句のつけようがないくらいに快適に行うことができました。

写真は左が住職、手前がわたしです。

そして、この写真を写してくれているのは、匿名 かなちゃん です。

いつも本当にありがとう、感謝してます。

護摩が終わって住職の話ですが、無財の布施のことでした。

目配り、気配り、心配り、この三つで人の心は相手も自分も、穏やかに変わっていく。

私たちは、ついつい自分優先で物を考えてしまいますが、そうすると心に鬼が宿ります。

昔から修羅が宿るとはよく言ったものです。

その心の中の修羅を収めてあげるのはどうすればいいのか?

それが○○配り、何かを人に分け与えてあげるということです。

それが仏教、それがお大師様の教え、それが私たちの生活の中に染み込んでいる価値観です。

この話を聞きながら、私は先日読んだ本で同じようなことが書いてあったな、と思い出していました。

それはカナダの心理学者の本でしたが、私たちがお金を使うとき、自分の為に使ったお金というのは、どれほど額が大きくなっても直ぐに忘れる上に満足感も、直ぐに薄れてしまいますが、他人のために使ったお金や時間などは、どれほど額が少なくても、私たちの心の中に非常に長くとどまり、たくさんいい影響を与えてくれる。

だから、お金を使うときは、気を付けて上手に使いましょう、という内容でした。

読みながら、仏教でお布施はまさにこのことだな、と考えていたら、今日の住職の話でも、似たようなことがそのまんま出てきました。

私も、自分自身に今一度、他の人のために何かをしてあげれているか、問い直してみようと思います。

皆さんはいかがでしょう?

誰かのために何か、考えてあげてますか?

秋のお彼岸 暑さ寒さも彼岸まで

暑かった時期も一応終わりなのでしょうか。

9月21日の秋の大師講の日がやって参りました。

この日は、午前中にはいつも通りの護摩のお勤めを行い、お参りしていただいた方にはお昼のお弁当を一緒に食べていただいて、そして午後から一緒にお経を唱えて、お大師様にお祈りを行うという日でした。

ハードな一日だ。

雨の心配された当日の天気でしたが、ありがたいことに晴れ、、、とまではいかないものの、くもり空、ときどき雨がぱらつくかな?というぐらいの、気にしなければ晴れの天気です。(笑)

うちの鐘撞堂の前の百日紅(さるすべり)の木がキレイな花をつけ始めていたので一枚。

奇麗な小ぶりの花が、これから満開の自己主張を行ってくれそうです。

まずは普段通りの護摩のお勤めです。

今日は土曜日だったということもあり、子供たちもたくさん出席してくれました。

ホント、みんなのアイドルになってくれるのでありがたいねー。

なんと、今日は来年の受験を控えた受験生もお参りしてくれました。

多忙で、心配ごとの多い中、お参りに来てくれたので、少しでもご利益をもらってくれればありがたいかな。

写真は私が少しだけお話しさせていただいて、受験生の子にはっぱをかけているところです。

合格したい、というお願いは受験生みんなが持っているとは思いますが、光明寺にお参りに来てくれて、護摩のお勤めでお願いしてくれたことは、家族の人だけじゃなく、今日参列してくれた人たちみんなが一緒に祈ってくれます。

だから、合格したいってお願いごとは、君一人だけじゃなく、みんなの力をもらってるんだよ、って言ってるところです。

伝わっているかな?と、なにぶん口の下手な非才の身なので、伝えたいことをそのまま相手に伝えることの、なんと難しいことか。

うまくいきませんな。

さて、場面は変わりまして、みんなでお弁当食べているところです。

巻き寿司にお稲荷さん、それにお吸い物というシンプルなものでしたが、喜んで食べてくれていたようで、一応不満あ出てませんでした。

そして、右の写真はとっておきの一枚。

これは宝物にしときます(笑)

カメラ向けた瞬間に、この表情をくれたので、この子は女優になれそうです。

末恐ろしや

お昼を食べ終わって、少し休憩した後、最初に御詠歌の簡単な講習を行わせていただいて、皆さんでいろは歌をお唱えできるように。

そして、そのあとにお勤めに入りました。

全体で30分もないぐらいのお勤めでしたが、みなさん今回はよく声が出ていらっしゃって、前で唱えながら驚きの念でした。

今回のお大師様の縁日に行われた大師講では、非常にたくさんの方に出席していただき、感謝の念が堪えません。

お寺離れが叫ばれている中、悲観している人たちに見せつけてやりたいぐらいの、暖かく素晴らしい場になったと思います。

これからも、訪れやすいお寺の柔らかい雰囲気、そんなものを作っていくことを目標に行動してまいりたいと思います。

今日は、お参りいただいたすべての方に感謝の念をもって、合掌

お久しぶりです

はい、しばらくぶりの更新になります。

なかなか8月はお盆月ということもあり、hpの更新まで気が回らずさぼり気味になってしまいました。

楽しみにしていただいてる方にはホント申し訳ない。

仕事が忙しくなるというのは、ありがたいのですが、自分でさぼる理由にしてしまうところは修行が足りないと思う今日この頃です。

というわけで、ちょっとまとめて写真アップしようと思います。

まず、上の写真は8月24日の地蔵盆の時の光明寺の外観です。

この日は、ご先祖様の供養と、救われない餓鬼さん(その辺で野垂れ死んでしまった者たち)を一緒に救ってしまおうという趣旨の元、昔から各地でお勤めとお供え物の御裾分けが行われています。

この光明寺でも、お盆の間に皆さんから、たくさんのお供え物をいただきました。

とても美味しそうなのばかりなのですが、ほっておくと食べきれず、腐らせてしまうものばかりなので、この日お参りに来てくれた方みんなに、おすそ分けを行っております。

2年ほど前まで、本堂の暑い中で行っていたお勤めも、クーラーのついたお堂が完成したおかげでずいぶん快適な中で行うことができるようになりました。

ホント良かった。

毎度恒例の光明寺奥の院の護摩は、無事に8日の第2日曜日に行うことができました。

なんと、今月は自前のお弁当を15人分作ってきてくれた方がいらっしゃって、その労力を考えると、非常にありがたいことだと思っていたら、別の方が御萩を作ってくれまして、非常に豪華な山の上でのお昼ご飯になりました。

これこそ布施行の実践だなと、身に沁みました。

効率のことを考えたら、業者さんに頼めばそれで終わるのですが、食べてくれる人のことを考えて、朝早くに起きてお弁当、おはぎを作る。

その行為が非常に尊く、また食べていてもおいしさ三割増しで美味しく感じられます。

誰かの為を思って、何かをしてあげる。

お大師様の修行の第一歩です。