住職は奥の院、私は高野山

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

急に寒くなってきた中で、慌てて冬物の準備に追われていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

10月の9日、光明寺奥の院では無事に月並みの護摩のお勤めが行われ、たくさんのお参りの方が見えられたそうです

今回私は出席できず、写真が撮れなかったので、お山の護摩の様子を写した写真はありません

代わりに、私はどこに行っていたのかと言いますと、高野山の金剛三昧院

私が高野山に上がって、4年間イロハを教えてもらう丁稚として働いていたお寺の落慶法要を手伝いに行っておりました

光明寺に関係のある方は、よくご存じかもしれませんが、実はこの金剛三昧院、今の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にバリバリ関係しております

北条政子が大泉洋演じる助殿、源頼朝とその子供の実朝の供養の為に建てたお寺が、金剛三昧院です

高野山は火事が多かったもので、ほとんどのお寺が昔の建物は消失している中で、この金剛三昧院だけは、一度も燃えたことがなく、当時の建物がそのまま残っているとして、世界遺産にも認定され、政子様の命で作られた多宝塔は国宝指定です

今回のお勤めは、なんとその多宝塔の中で行われまして、私も手伝い兼お勤めに出席という、なんともありがたく貴重な経験をすることができました

写真の塔が多宝塔ですが、中は撮影禁止なので外側だけの映像です

中の空気は流石といいますか、建立当時から拝まれて、いろんなお坊さんが手を合わせたからこそ、不思議な力が集まっているように感じます

どんなに豪華なものを作っても、どんなに優秀なお坊さんがいても、私たちは一人一代限りでできることなど、たかが知れていると思っています

この多宝塔とその中の仏様は、何代も時代を超えて、いろんなお坊さんに受け継がれ、そして今現在私たちが、その尊前にて、お勤めすることができています

受け継いだお坊さんは、優秀な人もいれば、そうでない人もいたでしょう

でも、全てのお坊さんが様々な形で「手を合わせる」ということを続けてきたがゆえに、とてもたくさんの力を蓄えられた、神秘を感じさせる仏様でした

私個人の力は微力なものですが、こんな素晴らしい場所でのお勤めに参加できるご縁に会えたことは、ひとえに日々のやっていることが間違ってはいなかったのかな、とおもっております

素敵なご縁は、どんどん繋がっていってくれたら嬉しいですね

最後に私の高野山時代の師匠さまと同期のメンツです

丁稚の時から皆で一緒に飯を食べて過ごしたメンツです

みんな大きくなったよねー

それぞれが今は自分のお寺の住職で、全員頑張っております

私も負けず、帯を締めて頑張らねば!

台風がすぎて幾分か涼しいですね

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

夜の温度が台風の後はなんとか下がるようになってきて、少しホッとしました

沖縄の方では連日台風に悩まされているニュースを見ると、台風のおかげで涼しくなったと喜ぶのも少し気が引けるかな?という心持です

本日の第二日曜日の奥の院の護摩は天気にも恵まれて、まだ気温が上がり切る前の午前中に無事に行うことができました

最も、これを書いているときは午後の一番熱い時間ですので、体感の温度は真夏と変わりません

気温よ、もう少しさがっておくれ

ともあれ、奥の院はさすが山の中といいますか、やはり上がると周囲より気温が低く感じます

朝一番に登ってお勤めの準備をしようかと思ったら、嫌な羽音

何事かと裏を見てみると、出入りしておりました

スズメバチがせっせと動いているではありませんか

いつの間に巣を作ったのか、大きくなるまで全く気付かなかったのは流石野生というべきでしょうか

しかたないので、裏の窓は開けずに入ってこないように対策してのお勤めです

巣は後日、住職と私で床板剥いで駆除することになりました

ネタ写真撮れたら上げますね

そんなトラブルはありましたが、お勤め自体は何事もなく行うことができました

今月も沢山の方のお参りをいただきありがとうございます

親子連れや友人と、来られるスタイルは様々ですが皆さん一様にスッキリして帰って行っていただけているのが私たちとしても本当に喜ばしいところです

このブログを書いた後は実は私は京都の智積院に行かなければいけなくなってしまったのです

真言宗の各本山(高野山や中山寺、須磨寺など)から推薦された若手が集まる研修会だそうですが、なんと高野山からの推薦を受けてしまって・・・もっと優秀な若手に回してほしかった(笑)

推薦をする人が昔から縁のある人でして断るに断れず、人選間違いという思いが胸に一杯広がる中ですが、もう開き直ってこのご縁に感謝していってきます

・・・盛大に失敗したらブログに書くかもしれません(笑)

今年も無事に夏が終わりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

今年のお盆もとっても暑かったですが、みなさんいかがお過ごしですか?

コロナも高止まりが続いている状況で、なかなか動きづらいことも多かったかと思います

光明寺や私の手伝っている姫路のお寺、また友人のお坊さんからも、お盆参りにいく予定のお家が一家揃ってコロナになってしまい、お参りを中止するということが多数ありました

お坊さんもコロナになっていたという話をチラホラと耳にするので、ずいぶん身近なものになってきたという感じでしょうか

コロナになってからは毎年のごとく暗中模索状態のお寺の行事ですが、なんとか今年も無事に夏を乗り切ることができました

お盆参り中などは時勢を鑑みて、普段お茶を入れてくださるお家がペットボトルのお茶を接待していただき、そういったお家が続くとバイクに積みきれなくなり途中でお寺に荷物を下しに立ち寄るといったことが何度かありました

一日終われば業者さんのような飲み物とお菓子の量になります

さすがに当日中に私一人でいただくことは不可能でしたが、この時期はたくさんの人がお寺に参ってこられるので、皆さんに食べて飲んでいただき、また護摩と地蔵盆の行事でみなさんと分け合って一緒に頂きました

いろんなお接待をしてくださった皆様ありがとうございます

今年はいつも地蔵盆でお話しをしていただいていた吉田僧正がちょっと都合が悪かったので、藤田僧正(神戸、一言寺住職)にお願いしました

実はこの方、光明寺の住職の高野山に修行に上がった時からの同級生で、もう誰よりもお互いに良く知っている間柄というわけです

今年のお話しは時間も短く30分ぐらいでお願いしていたので、お勤めが始まる前に法話と今から行う施餓鬼のお勤めの説明のような形でしていただきました

この形が藤田僧正の得意とするところで、実はこの方神戸で何もないところから、ご自身でお寺を立ち上げられて、皆さんに信仰とは?ご先祖供養とは?というところを一から説明してこられた方です

そのお話しは流石というもので、身近な例え話で分かりやすいだけでなく、ご自身の熱意がこもったものでした

先日に悲しいニュースのあった統一教会のお話しもきっちりされて、私たち既存の宗教と新興宗教と呼ばれるものの何が違うのか?もしっかりと、お坊さんとしての見解を話しておられました

私たち既存の宗教をよく漢方に例えられます

飲んですぐ効いているのかはしっかりとわかりませんが、続けていればやがて仏様や神様のお力を少しづついただいて、やがて「やっていてよかったなー」と思えるもの

この「やっていてよかったなー」という感覚を得られることを私たちは安心(あんじん)と言っています

この安心を得られることこそが全ての目的であり、そのために様々な努力を重ねていっています

対して、新興宗教というのは劇薬といわれます

飲んですぐに効果がでて一見良いように思いますが、人生の長い時間の中で、劇薬で一時良くなったとしても、長い目で見れば結局副作用で悪くなっていく

奇麗ごとかもしれませんが、宗教は一人が笑って他の人が泣くというのではなく、みんなが笑顔でいられるというのを目指さなければいけないのです、ということを最初に話してから、じゃあ皆で笑顔にするために今日の施餓鬼というお勤めは何をしているのか?という説明からでした

一般にお盆というのはご先祖様が帰ってくる行事というのが皆さんのイメージでしょうが、本当の目的というのはその先にあります

これは古代インド、お釈迦様の時代の木蓮上人というお坊さんのお話しが元になっているのですが、今回は木蓮さんのお話しは長くなるので割愛します

タイプするのが大変なので(笑)

ネットで検索していただければ直ぐ出てくるので、興味ある方はそちらもどうぞ

ともあれ、木蓮さんの物語に端を発したお盆は、帰ってきてくれたご先祖様にお供え物を食べてもらって、その御下がりというちょっとお粗末なものを誰も助けてくれない霊たち、身寄りが無かったり、地獄に落ちていたりと可哀そうな者たちに施します

これでも食べて飢えと渇きを癒してくださいね、と

その行為が精霊流しだったり、地蔵盆でたくさんお供えをしたりというものです

飢えている霊たちは、本人の意思とは関係なく悪さを働いてしまうと仏教では言われています

そんな方たちは悪さを働くがゆえに、自分では救われていくことのない悪循環の中にいるので、そんな霊たちにも救いの手を差し伸べて、自分ところの先祖様と一緒にみんなで笑顔になりましょうというお勤めが施餓鬼供養というものです

ここからはあくまで私、副住職の私見ですが、宗教の行事には自分たちへのメッセージが含まれていると考えています

私たちは仕事や私生活で上手くいっているときは全部自分の功績で、もらった物は全部自分のものと考えてしまいます

これは人間なので当たり前にそう考えると思いますが、そこで少し待ったをかけてくれるのが宗教の教えかと思います

全部自分で良いことを独占しては、妬みも買いますし敵も沢山作ります

そんな行為は餓鬼と変わらないうえに、上手くいかない時期がやってきたときに誰も自分のことを助けてくれないことになってしまいます

そうならないために、自分で奢らず独占せず、周囲と上手く笑顔を分かち合いなさいと、毎年言われている気がします

子供が産まれて、皆さんの助けというものを借りながら親をやっていると、さらに強く思うようになりました

独占するのと分かち合うこと、どちらが漢方薬のように私たちの人生に効いてくるか、このお盆を機に少し皆さんも考えてみてください

暑いのですが、皆さん元気ですか?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月に入って暑い日と激しい雨が交互にやってきている感じですね

生活の方は被害が出ていないでしょうか?

日曜日に行われた奥の院の護摩も当日は晴れの天気でしたが、前日の用意の時に激しい雨に見舞われ、案の定私たちはびしょ濡れになりました

…草刈りするのにはちょうどいいのですがね笑

お山の護摩は今月も多くの大人と子どもたちの参加をいただきありがたいかぎりです

今月は友人の奥さんが逆子との診断をうけ、できれば自然に治ってほしいのでお札を作って祈願して、とのお願いを受けました

その願いを受けさっそくお札を製作して、毎日のお勤めと護摩で祈願します

祈願して全てが上手くいくのか?私たちお坊さんも全部上手くなるなど思っていませんし、しっかりとお医者さんの言うことを聞いてもらうのがまず第一ですが、そこにプラスαの要素として仏様の力添えをいただく

そうすることによって、普段仏様の力を実感している我々ですら「不思議ですね」と思うようなご加護があったりします

それも施主さんが毎日努力しているから、そこに仏様のお力添えが少しだけ入ってくるのだろうと思います

9割の努力と1割の力添えです

私たちは、お願いごとを仏様に伝えるお手伝いをしているだけです

良いご利益があって、無事に産まれてくれたらと願っています

5月は鯉のぼりが泳ぎます

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

5月は非常に天気の良い日が多く、よい季節を過ごされているのではないでしょうか?

私もおかげさまで忙しい日を過ごしております

先月から上げ始めた鯉のぼりですが、いよいよシーズンとなって各家で上がり始めました

最近は上げる家も少なくなってきたとはいえ、探せばよく目につくもので、自分で上げるようになってから、各地の鯉のぼりを探しては観察する鯉のぼりソムリエになってきました笑

5月は光明寺では大きなお知らせはありませんでしたが、個人的には嬉しいことがちらほらと

写真は私たち夫婦の住んでいる場所の入り口付近ですが、なんと燕の巣が!

私が物心ついてからお寺に巣を作ってくれるのは初めてですので、感動です

燕の巣は幸運を呼び込むともいわれているので、結婚してから作ってくれないかなーと願っていたのが、子供のできた年に初めて作ってくれるようになるとは、何かの因果を感じます

我が子と同じく大きく育ってくれたらなーと思いながら、日々驚かさないように出入りしておりますが、ちょっとだけ驚かしている時はごめんなさいね、燕さん

この燕を筆頭に、私の周りではベビーブームが到来しておりまして、同級生や先輩、家内の後輩関係なんかも産まれたーという知らせが多数

嬉しい知らせですね

嬉しい知らせは周りも明るくすると思います

そんな5月の護摩は皆さん田植えで大忙しの時期でしたので、今月は4人の参加人数でした

一年を通してやっていると、こんなこともあります

他の方に紛れて、うちのおチビも参加です

当日来れない方が、お願い事の書いた護摩木をたくさん置いていかれているので、人数は少なくても仏様にお伝えするものは多いのが嬉しいところ

皆さん頼りにしてくれているのは、本当にありがたいですので、私たちも頑張って勤めさせてもらっています

護摩のお勤めの後で住職の話でしたが、今日はダンマパダ「法句経」という古いお経からの引用でした

どれぐらい古いかというとだいたい2500年前

そんな昔のものが役に立つのか?そう思っていた時期が私にもありました

ですが、読んでみるととっても役に立ち、考えさせられることばかり

人間って使う道具が便利になっても、中身は別物になったりしませんから、昔から人の本質は同じなんだな、と考えさせられるものです

「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

上記の文は住職が引用して使った法句経の一部です

この話では不本意なことに私がよく引き合いに出されます笑

子供が生まれた時は可愛いですし、親の後を着いてまわりますが、そのうち成長するに従ってだんだんと親の言葉、師匠の言葉をきかなくなっていきます

そこで私の子供なんだから私の言う通りにしろ、どうして私の思う通りにならないんだ、と考えてしまうと苦しみの始まりで、自分自身さえわかっていても同じ失敗をして同じ間違いをするのに、この世の中に自分の思い通りになるものがあると考えてはいけない

全ては諸行無常、自然のままに流れていきます

お金や物、はたまた自分が建てた家でさえ、壊れてしまえば誰のものでもない

天からの恵のものを一時使わせてもらっている、という教えです

自分の身体でさえ、死んで土に還れば誰のものでもなくなります

そんな中で、あれが自分のもの、これが自分のものと考えるのはしんどくないですか?

借り物の身体だからこそ、大事に使って返さないといけませんし、次も身体を借りれるとは限らないので頑張って生きようと思うのだと思います

皆さんも、これを機に何が自分のもので、何が他人のものか、それが本当に合っているのか?少し考えてみてはいかがですか

土砂加持にむけて宝物が見つかりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

3月のお彼岸も終わり、光明寺は4月の4日、毎年の土砂加持法要にむけて大躍進をとげています

写真は桜の木なのですが、赤穂市は赤子が産まれたら誕生記念ということで桜の木を無料で贈呈してくれます

どこに植えようか?と迷いましたが、10年後大きくなった息子が見上げられるように、そして付近の幹線道路から見えるように88ヶ所の霊場の横という立地になりました

無事に根ついてくれたらいいなと思いながら過ごしていると

なんと写真のように、植えた年に一輪ですが咲いてくれました

とっても胸が熱くなる嬉しい傾向です

植えながら思ったのですが、この記念植樹、産まれた子がいても家庭事情でできない人は結構いらっしゃるとおもいます

そこで、そんな方で希望する方はお寺の境内に空きがあるうちは植えていただいても良いのかなと考えております

もし近隣の方でそんな方いらっしゃれば、声かけてみてくださればお寺は可能な限り対応いたします

27日にお寺の檀家さんに集まっていただいて、土砂加持の用意のためにお寺のお掃除をしていただきました

私はあいにく出張で皆さんとご一緒できなかったのですが、数多い仏様の仏器を磨き粉で綺麗にしていただいて、外の落ち葉を綺麗に集めて、出来上がったお寺の境内の雰囲気といえば、いつも頭が下がります

とっても綺麗にしていただいてありがとうございます

気合いを入れて土砂加持に臨みたいと思いますおもいます

さて、そんな綺麗になった光明寺ですが、実は嬉しいニュースが

写真は毎年の土砂加持で、お堂の中に掛けている軸

お大師様の軌跡を描いた行上(ぎょうじょう)曼荼羅というものですが、実は去年までは痛んでボロボロになっていまして、絵の状態もあまりはっきりと見えづらいものでしたので、一年越しの修復に出していました

それが無事に綺麗になって3月29日に帰って参りました

そして軸の裏に書かれていた覚え書きもハッキリと見えるようになって修復してくれました

修復途中に出てきたものでわかったのですが、なんとこの軸、天保、江戸時代のものらしく、ざっと200年前に作られたものだそうです

、、、今までそんなに貴重なものだとは思わず扱っていました、恐ろしい((((;゚Д゚)))))))

そして、綺麗にしてもらった裏書には、当時のお寺の住職と総代さんのお名前が!

ふむふむ、非常に見覚えのある苗字の方ばかりなので、誰のご先祖さまか判明しそうですね

そんなお軸は光明寺の持仏堂にお祭りしております

この形のまま4月4日の土砂加持を迎えますので、興味のある方は是非当日の1時より光明寺で行われる法要にご参加ください

お勤めが終わりましたら、去年大好評のお坊さん、田中僧正がまた神戸よりお話にきてくださいます

だいたい2時過ぎからのお話になりますので、それだけ聞きたいという方も是非大歓迎ですので、お待ちしております

今年も節分がやってきました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

年が明けてから早いもので、もう1月が終わり2月の節分がやってきました

世間ではコロナが賑わいを見せていますが、光明寺の本堂では1年のうちで最も本尊様の周りが賑わう期間がやってきました

見える・・・かな?

本尊様の周りに祈願の申し込むをいただいたお札が、所狭しと並べられています

光明寺では2月3日に祈願を始めまして、9日までの1週間の間、朝の7時から毎日護摩のお勤めを行っています

ずっとその間、お札に念を込めまして完成したら発送させていただく形になります

お勤めの様子は一昨年の動画をYouTubeにあげています

リンク張っておきますので、見たことない方は覗いてみてください

もし光明寺にお参りしたい方がいらっしゃいましたら、お気軽にお越しください

お勤めは朝の7時から本堂で行っております

マスク着用の上で、各自おまいりくださいませ

初大師も無事に

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

本日は年が明けて初めての21日、お大師様の縁日は非常に冷え込みの激しい一日でした

朝方からお堂に入り、外を見ると久しぶりの雪が赤穂でもつもっているではありませんか

3年ぶりぐらいの感じです

世間では非常にコロナの数が増えていて、いろいろな不都合なことも増えていますが、皆さんいかがお過ごしですか?

私は妻がいよいよ臨月を迎えまして、いろいろと初めて経験することに戸惑うばかり

なかなか親になるというのは、どう心準備をしていいものやら悩みます

そんなことはさて置き、光明寺では年間二回、初大師と秋の彼岸の21日に大師講と言いまして、お大師様の縁日に檀家の皆さんで集まって、お昼を食べて談笑した後に一緒にお経を唱えてお勤めを行っております

行うお勤めは難しいことはしておりません

「仏前勤行次第」という青い表紙の経本に書いてある内容を唱えます

普段は仏壇の前で唱える方もいらっしゃるでしょうが、皆で一緒にお唱えするのはまた一つ違った趣があると思います

そしてお勤めを皆で行った後は、私たちお坊さんが少しお話しをさせていただきます

今回は住職が話をして無事に一日が終了という感じでした

今現在もコロナの中、皆さん心配事も尽きないとは思いますが、それでも当日はたくさんのお参りの方に来ていただきまして、迎える側としては非常にありがたいことです

「誰も来ないかもしれない」と思いながら用意していましたが、蓋を開けてみると終わるころには皆さんの笑顔があり、本当に良い年の初めになったなという感じです

冒頭にも書きましたが、来月に産まれて初めて親になるかもしれないと思うと、おろおろしておりますが、お参りに行かせていただく家にお婆さんがいますが、最近足を痛めまして、お医者さんの世話になっております

そして行けば他愛もないお話しをするのですが、ふと「歩くのがこんな大変になるなんて産まれて初めてや」という言葉を言われました

私は子供のころ、大人になれば初めてのこともなく全部上手く物事を進めれるようになる、と思っていましたが、現実に大人になってみると、皆さんもよくご存じのようにそんなことはなく、むしろ一つ一つ初めてのことに焦りながら向かって行く毎日です

他の人はまた違う感じで人生歩んでいるのかな?と考えるこおはありますが、そのお婆さんの言葉を聞いて、やはり皆どんなことに関しても初めてで、右往左往しながら初めてのことに立ち向かっていくしかないのだと痛感させられます

私が普段歩いているお坊さんとしての人生に、今度は父親としての道も追加されて慌ただしくなってしまいますが、これもご縁と思います

光明寺に来てくれた奥さん、私たちのところにきてくれた子供、いろんな縁に恵まれながら右往左往していこうと思います

慌ただしい年になりそうですが、読んでくれている皆さんもどうか体は気を付けて、一年お過ごしください

あけましておめでとうございます

新年が来て、もう七草がゆの頃を過ぎまして、みなさんいかがお過ごしですか?

副住職の隆照です

お寺は非常に慌ただしかった年末年始を無事に終えることができまして、少し気が抜けた空気がただよっております

心配であったコロナも、年の瀬のころには比較的落ち着いていたので、無事に除夜の鐘と初護摩という年またぎの行事を終えることができました

ちょっと私の気が抜けすぎて、なかなかホームページの更新まで元気が出なかったのが、年明けの状態でしたw

お正月の3日までは、知り合いのお寺さんに初もうでのお手伝い(来てくれる人を迎える側です)に行かせてもらったり、光明寺で年始の托鉢周りを行ったりと、なかなか4日を迎えたときには口から魂が抜けていくのが実感できたような忙しさでした

今年は大晦日が寒空の元、ホワイト大晦日になったのもいい思い出

年始の托鉢周りは、光明寺では新年の魔除けの切り絵「宝来」というものを持って、檀家さんを一軒ずつ歩いて回ります

そして届けた後に、今年一年の平穏無事と運気向上を願って戸口でお経を唱えます

何に対してお勤めしてるのですか?と聞かれることがありますが、「全部」というのが正解です

家の仏間にある仏様にも、家の神さまにも、そして住んでいる方々の心に対しても手を合わせています

詳しい説明や難しい理屈も当然あるのですが、それ以上に手を合わされた人の気分が少し晴れやかになってくれる、そうなれば拝んでいる私たちも一番うれしいです

今年は壬の寅年ということで、正月から初もうでに来られる方皆さんに年の話をしています

なぜなら、とっても今年の運気は昇り調子の良い運気です

これは知らねば損というもの

去年までは外に出たくても、大きいことをしたくても運勢的にはダメと言われてしまう、いわば準備の年でした

しかし、今年はその準備したものが芽を出すために大きく成長する年

本当に良い上り調子の年です

もちろん、個人の運勢を見れば細かく色々ありますが、全体の流れはそんな風に良い方向に向かっています

ですので、皆さん是非この流れに乗っていい一年をお過ごしください

という話をあちこちでしております

良い流れの時というのは、お話しをさせていただく方としても、ありのまま、そのままにものをお伝えしたら皆さんが一番喜んでくれるので、とっても気楽であり、話していて楽しいです

今年は私も第一子が誕生予定ですので、良い年になるように頑張っていきます

皆さんもどうか良い一年を

今年最後の21日の護摩が終わって、光明寺は新年へ一直線です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

今年も残りあとわずか、気候も一気に冷え込んできて新年の足音が聞こえる段階になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?

光明寺の21日の護摩は、お陰様で比較的暖かい中でおこなうことができました

護摩のお勤めが終わった後からはホント大変です

一年の大掃除に取り掛かっておりますから、時間がどんどんにげていくよう

住職と一緒にといいますか、途中で休憩を入れたがる年配を、私が追い立てるような形で大掃除が進んでいきます

「いつまでもあると思うな、親と金」が諺ならば、ある時に頼らねばダメですからねw

おかげで今年は、いろんな箇所が駆け足のように終わっていきます

お堂の仏器もしっかり奇麗にします

しかし、何度やっても真鍮の独特な匂いは苦手ですね

天気予報の寒波が来る前に!その思いで駆け足でやってきた大掃除ですが、なんとか身を結び、お寺の玄関も門松の準備ができました

ここまでやれれば一安心です

あとは除夜の鐘を待つだけという感じですかね

今年は仕事も私生活も、去年末の結婚式を機にいろいろ変わった、賑やかな年でした

ここ数年はコロナでいろんなことが見直されているのを見て思います

様々な医学、科学の知見を参考にするのはとっても素敵でいいことだと思いますが、どこの国でも昔からの宗教や、それに基づく文化があります

一見無駄や無意味に見えるそれらの文化が、実は私たち国民の人間性の土台となっていると思います

日本だと「いただきます」や「ご縁」「八百万の神」などの文化でしょうか

あまりにも効率的を追い求めすぎると、逆に非効率になることって皆さん経験されたことはあると思います

大掃除をおこない、正月の準備をして、一年の反省を行い、人も神様も仏様も一緒に新年を迎える

とってもめんどくさくて大変なことですが、とっても大事なことです

いろんなことに気をつけられて、良いけじめ、良い新年の初もうで迎えられてください