9月の彼岸もアッチッチ

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

まだまだ暑い日が続きますね

このブログを書いている22日は、久しぶりにといいますか、ようやくといいますか、朝から比較的に涼しい空気が入ってきまして、日中も北風のおかげで随分と過ごしやすい1日になりました

秋の気候かと言われると、まだ少し温度が高い気がするので、もう少し辛抱ですかね

暑さ寒さも彼岸までと言われる中で育ったわたしですが、天気予報を見てみると、まだまだ気を抜けない日が続きそうです

さて、光明寺は秋の彼岸の21日に、毎月の護摩のお勤めを行うとともに、大師講という地域の皆さんが集まって、一緒にお勤めをすると言う行事がありました

例年ですと、護摩のお勤めの後、お昼ご飯の弁当用意して、皆さんで食べていただいて、それからお勤めを行うと言う流れだったのですが、昨今のコロナの事情などを鑑みて、お弁当は全て持って帰っていただくと言うスタイルで時短を図りました

今回はその短くなったお勤めの第1回目です

お勤めの内容は、般若心経を唱えした後、御詠歌を聞くと言う非常に簡単なものですが、皆さんの声が集まれば、とっても素敵な迫力のあるお勤めになりました

その後、僭越ながら、私が皆さんに法話と言うほどたいしたものでは無いですが、お経の話とそれにまつわるお大師様の世界観のお話をさしていただきました

内容が難しかっただけに、皆さん退屈される方も多くいらっしゃるかなと思ったのですが、最後まで注意深く聞いていただいて、そして感想としては非常に面白く、楽しく聞けたという言葉を言っていただいて、話を考えてきた身としてはかたのにが降りました

今回皆さんに1番お伝えしたかったのは、お大師様の世界観

般若心経に対して、お大師様、独自の解釈を書かれた般若心経秘鍵と言う書物を用いて、お大師様の仏教に対する世界観をお話しさしていただきました

「五蘊は横に迷境を指し、三仏は竪(たて)に悟心を示す」

この文を抜粋して、自分が感じるものだけを頼りにしていると、それは迷いの世界に落ちる、しかし、良い教えというものは、タテにつながる

お大師様の言っている堅と言うのは、時間を意味します

お大師様は、未来につながっていくことこそ、良い教えであり、大事にすべきだと私たちにメッセージを送ってくれています

私の文才では、このブログ内で書き切れないことが残念ですが、少しでも皆さんに、へーそうなんだーと思っていただければ幸いです。

まだまだ暑い中でしたが、私が行っている夜の護摩も無事に厳修

どうやら、大人が数珠をするのを見ていて、自分もと思い真似して覚えたようです

久々に皆様の前で話をさせてもらっています。

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

光明寺では、抜けるような青空の元、彼岸のお勤めと護摩のお勤めを無事に同日終えることができました。

当日は気持ちのいい陽気で、抜ける風が心地よく、護摩の火がすぐそばにありながら、ほとんど暑いという思いを持つことはなく良いお勤めができました。

午前中に護摩の勤めが終わりましたら、午後の1時から地区の皆さん揃って一緒にお経を唱えます。

残念ながら、宣言中という事もあり、普段のように皆さん勢ぞろいしてということはできませんでしたが、嬉しいことに家内の後輩の子がちょこっと参加してくれました。

住職も言ってましたが、お子さんお孫さんが来てくれると、お寺側も嬉しいですし、お参りに来られている他の檀家さんも元気をもらっている様子です。

若い力は素晴らしい、、、年寄りみたいなことを言ってますねw

上の写真は私のお話で使った板書です。

コロナの前は高野山でお参りの皆さんにお話させてもらってましたが、それもパッタリと止み、本格的にお話をさせてもらうのは一年半ぶりぐらいでしょうか。

やはり、皆さんの前に立つというのは、よく知った人たちであっても緊張するものですが、話の内容を考える段階から緊張半分、ウキウキ半分といったところでしょうか。

話の大筋を考えながら、やはり私はお話が嫌いではないのだと実感しました。

、、、好き嫌いと上手い下手は関係しないのが辛いところw

今年は中秋の名月が21日でしたので、お堂の縁側にススキと兎を飾ってました

改めて夜、月見をしましたが楽しいものですね

あいにく天候の加減で月が見えたが最初だけでしたので、すぐに終わってしまいましたが、皆んなでわいわいというのは、家族だけでも楽しいものです

まだまだ残暑が厳しいと思いますが、皆さん身体に気をつけてお過ごし下さい

もうすぐお彼岸です

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

今年の夏は暑かったというより、雨との闘いでしたが、そんな夏も暦の上では終わり、朝夕が涼しくなって過ごしやすくなってきました。

清涼な朝夕の空気とは裏腹に、世間では非常事態宣言の延長や、他にもいろいろなニュースが賑わせていますが、季節はそれとは関係なく巡っていきます。

ここ最近の私の知らせといえば、先日お盆が終わった後に、高野山に参ってきました。

というのも、私が学生時代、丁稚としてお世話になっていたお寺の先代奥さんの1周忌があったからです。

去年の今の時期に訃報が飛び込んできたときは、耳を疑いました。

年齢的にも70代後半と、若くはないですが、まだまだこれからも高野山に行けば、出迎えてくれるのだろうと考えていたからです。

少し昔話にはなるのですが、私が高野山に上がったのは、18歳の時です。

当時、高野山大学に進学することになっていたのですが、そこまで真剣に自分の身の振り方や、大学の生活も考えていなかった、一学生でした。

普通ならば、大学生といえば、サークル、飲み会、コンパに好きな研究と、いろいろなことに夢を膨らませると思うのですが、私は違っていました。

何も知らず、父親に連れられて門をくぐったのは、なんと下宿の門ではなく、お寺の門だったのです。

高野山では寺生と言いまして、お寺で生活をさせてもらいながら、高校あるいは大学に行く制度があります。

大学には下宿生もいたのですが、何も知らない私はまんまと父親に騙され、寺生というしんどい道に放り込まれてしました。

大学の授業は普通にいかせてくれるのですが、授業が終わって帰ってきたら、お寺の仕事が待っているという日々です。

朝のお勤めから宿坊という、一般の方が泊まる場所で皆さんのお世話をして終わるという流れです。

働くのが嫌で、なんとか大学の授業や野暮用を作ろうと思っても通用しません。

・・・なんせ、お寺の先輩が皆同じようなことを経験してきていますから、入ったばっかりの子の考えることなどお見通しでした。w

そんな中で、聞かん坊で、良くさぼって、ご飯は人一倍食べる私を見守ってくれたのが、入ったお寺の奥さんでした。

奥さんは非情に珍しいタイプといいますか、女性らしいというより、男前という言葉がしっくりくる性格で、一度怒るとお寺中に響き渡る声で怒鳴られ、小さな体でしたが、大きな体の男性陣がみんな縮み上がっていました。

いろんな人に怒られましたが、お寺の中で一番怒らすと怖かったのは、今も昔も私の中では奥さんです。

しかし、若い子たちを頑張らせるのが上手といいますか、本当にうまく見守っていただいて、お使いからお寺の仕事までいろいろさせられましたが、頑張った時のお目こぼしや、お小遣いをくれるという飴と鞭が、私を始めとした学生陣の男の子には本当によく効いていました。

中でも、食事はとっても気を遣っていただいて、特別な贅沢なんてのはありませんでしたが、若い学生がひもじい思いをしたことは一度もなく、それがいかに面倒で大変なことかは、社会人になって自分の食い扶持を用意しなければいけなくなって初めて思い知りました。

やはり、食べ物を握られている人には昔から頭が上がりません。

間違いなく私の第二の母親と呼べる人でした。

そんな人の法事に行って、少人数ながらも懐かしい人たちと話すと、ポロポロと当時の思い出が蘇ってきます。

法事が終わって帰路に就くときは、なんだか久しぶりに懐かしい気持ちです。

しばらく会ってなかった奥さんに会えたような感じです。

1周忌ですから、帰ってきて肩を叩いてくれたのかもしれません。

亡くなった人に手を合わせるのは、意味のない行為ではなく、故人に再開する行いであり、成仏の為に頑張っている個人に頑張ってくださいのエールと、自分たちはここまで大きくなれました、との報告ができるときです。

普段は、私はこれを皆さんに説明して、実感してもらう側ですが、偶には自分が実感する側に回るのも嬉しいものでした。

願わくば、これを読んでくれる皆さんにも、良い故人との出会いがあれば幸いです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、光明寺奥の院の護摩の報告です。

本日12日に無事護摩のお勤めを行うことができ、しばらく欠席していた若嫁も参加することができました。

久しぶりの受付ですので、気合を入れています。

護摩が終われば、住職の話ですが、今月はお彼岸のお話しです。

彼岸というのは、川の向こう、あの世という意味ですが、春と秋のお彼岸の期間というのは、日本に仏教が伝わってきた時代に聖徳太子が作られたと言われています。

普段の日常では、忙しくてなかなか仏様の教えを実践する時間というのが取れません。ですので、せめてこの期間だけはしっかりと仏教の修行をする期間にしましょうという時期です。

仏教の修行というのは六波羅蜜、布施、精進、忍辱、持戒、禅定、智慧です。

これは詳しく書き出すときりがないので、わかりやすくまとめるとお墓参りしたときに、1掃除をして、2お花を供えて、3お水またはお茶を供え、4蠟燭の光をともし、5お線香を焚いて、6手を合わせてお勤めしてあげる。これに全て入っています。

ややこしいことを考えすぎると頭がこんがらがってしまいますが、まずは簡単にお墓参りをしてあげてください。

光明寺では、お彼岸も変わらず皆様のお参りをお待ちしています

彼岸の正御影供

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

お彼岸いかがお過ごしでしょうか?

コロナの非常事態宣言も一応は抜けて、対策はしつつも外に出る人も増えてくるでしょうこのごろ。

お参りや私生活で、公園の側を通ると親子連れの賑やかさに釣られて、こちらも思わず口角が上がってきます。

鬱憤の溜まった子供さんを連れて、彼岸休みに外に遊びに行く人もおおいのではないでしょうか?

光明寺では、そんな中でも変わらず春の彼岸の中日に護摩のお勤めが行われました。

写真にもある通り、この日は予報では雨の1日。

せっかく咲いた境内の木蓮の花も、無惨に散ってしまっています。

この時期は霧が濃くかかるので、朝方などは本当に国道では100メートル先がぼやけています。

こわやこわや

しかし、朝から空気は暖かく雨の湿度も相まって、ほんわかとした空気感の漂う光明寺。

なんだか参拝の人たちの雰囲気も今日はのんびりです。

写真は住職が護摩の炎で腹帯を祈願している様子

安産祈願を申し込んでいただいた人には、自分が使うであろう腹帯やらマタニティグッズを持ってきていただき、それを護摩の炎でお清めして渡しています。

ありがたいことに、本尊様のお力を分けていただいて、皆さん無事に産まれてきてくれています。

新しく産まれてくる子どもたちには、みんなの期待と光明寺の本尊様のお力を受けて、どんどん育っていってほしいと思うばかりです。

写真は護摩を終えた後のお話で、いつもお手伝いいただく真楽寺さん

お話が面白いのでみんな笑あり、頷きありでいつも興味深く聞いています。

今年のお彼岸は比較的天気も良く、お墓参りをされる方の姿がちらほらと見えています。

皆さんご先祖様が帰ってきているお彼岸に、是非ともお散歩気分でお墓参りはいかがですか?