今年も節分がやってきました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

年が明けてから早いもので、もう1月が終わり2月の節分がやってきました

世間ではコロナが賑わいを見せていますが、光明寺の本堂では1年のうちで最も本尊様の周りが賑わう期間がやってきました

見える・・・かな?

本尊様の周りに祈願の申し込むをいただいたお札が、所狭しと並べられています

光明寺では2月3日に祈願を始めまして、9日までの1週間の間、朝の7時から毎日護摩のお勤めを行っています

ずっとその間、お札に念を込めまして完成したら発送させていただく形になります

お勤めの様子は一昨年の動画をYouTubeにあげています

リンク張っておきますので、見たことない方は覗いてみてください

もし光明寺にお参りしたい方がいらっしゃいましたら、お気軽にお越しください

お勤めは朝の7時から本堂で行っております

マスク着用の上で、各自おまいりくださいませ

お寒い中いかがお過ごしですか?

みなさんこんにちわ、副住職の隆照です

題名でも書きましたが、めっきり寒くなってきた中いかがお過ごしでしょうか?

つい一週間ほど前までは、まだまだ夏日という感じで、日中は暑すぎるぐらいでしたのに気が付けば、冬の装いを纏っています

本当に季節が駆け足で過ぎていったという感じです

上の写真はインスタグラムで投稿した朝方の光明寺の風景

寒くなってきた関係で空気が澄んできたからなのか、いつもより朝の時間は冷え込むかわりに、景色がきれいに映えて見えています

山が萌えて見える紅葉の時期までもう少しといったところでしょうか

どうやら、私も初めて聞きましたが最低気温が一桁になった日から、だいたい三週間後が紅葉の見ごろの時期になってくるそう

あくまで予想なので、信用しきると梯子を外される思いをするかもしれませんが、一つの目安としてはいい情報を聞きました

この予想だと、光明寺の紅葉はだいたい11月の第二週ぐらいからでしょうか

去年は紅葉の中、皆様のおかげで素敵な結婚式を行うことができたのも今はいい思い出です

こんな感じです

少し紅葉の見ごろには早かったので、今年はもしかしたらもう少し遅いかも

護摩のお勤めとしては、宣言が抜けて初めてになりますかね

しかし、宣言など関係なく、この時期は農家の方々は収穫期ですので大忙しです

朝から晩まで、お寺から見える田んぼの稲刈りが最盛期を迎えています

そんな関係で、今月のお参りの方々は少々少な目でした

しかし、そんな中でもしっかりとお勤めには励んでいます

来月の護摩は、実は私は少しお仕事の依頼をいただいたので出席できないのですが、そのお仕事はなんと、先輩が住職になられるので、その晋山式のお手伝いです

そんなおめでたい式に呼んでいただけるのは、本当にお坊さん冥利に尽きるといいますか、お坊さんをやっていてよかったと思える瞬間ですね

みなさんも、ご自身のお仕事をされていて、よかったと思える瞬間があると思いますが、私はやはり、いろんな方の人生のお祝い事にかかわれた瞬間というのは、本当に嬉しく思います

お葬式や法事を行って、気持ちがすっきりしましたと言っていただけるのも嬉しいのですが、やはり慶事に関われて皆が笑顔の瞬間に立ち会えることが好きですね

お坊さんという仕事をしていると、いろんな人の人生の瞬間に立ち会うことが多いので、余計にそう思うような気がします

暑い秋の日、私は出張です

皆さんこんにちは

副住職の隆照です

本日はお日柄もよく、天気も最高の晴天に恵まれてお勤めを迎えることができました

皆さん、写真をご覧になってお気づきになられましたか?

この写真、光明寺ではありません。

高野山の金剛三昧院です。

光明寺では普段の護摩のお勤めがおこなわれていましたが、私は、このお寺の毘張尊(びちょうそん)という天狗さんのお祭りに参加してきました。

私も一応写真に写っています・・・わかるかな?

毎年開催されているお祭りですが、コロナの期間は静かにひっそりと、という形でしたが、今年は久しぶりに多くのお参りの方がいらっしゃって、気合の入る形でした。

さて、脱線もほどほどに、光明寺に戻れば、この縁側は以前湿気で腐ってしまっていたものを、住職の日曜大工が新調しました・・・お坊さんなので、平日大工ですね、日曜の方が忙しい。

細部まで見ると、素人仕事というのがわかるのですが、まあ上を歩けるだけなんとか形になっているのではないでしょうか。

住職は、ときどき本職じゃないのか、と思うほど器用なことをしてきます

天気の良い10月は本当に気持ちいいですね。

お寺も、お彼岸が終わって、少しのんびりの10月の様子でした。

もうすぐお彼岸です

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

今年の夏は暑かったというより、雨との闘いでしたが、そんな夏も暦の上では終わり、朝夕が涼しくなって過ごしやすくなってきました。

清涼な朝夕の空気とは裏腹に、世間では非常事態宣言の延長や、他にもいろいろなニュースが賑わせていますが、季節はそれとは関係なく巡っていきます。

ここ最近の私の知らせといえば、先日お盆が終わった後に、高野山に参ってきました。

というのも、私が学生時代、丁稚としてお世話になっていたお寺の先代奥さんの1周忌があったからです。

去年の今の時期に訃報が飛び込んできたときは、耳を疑いました。

年齢的にも70代後半と、若くはないですが、まだまだこれからも高野山に行けば、出迎えてくれるのだろうと考えていたからです。

少し昔話にはなるのですが、私が高野山に上がったのは、18歳の時です。

当時、高野山大学に進学することになっていたのですが、そこまで真剣に自分の身の振り方や、大学の生活も考えていなかった、一学生でした。

普通ならば、大学生といえば、サークル、飲み会、コンパに好きな研究と、いろいろなことに夢を膨らませると思うのですが、私は違っていました。

何も知らず、父親に連れられて門をくぐったのは、なんと下宿の門ではなく、お寺の門だったのです。

高野山では寺生と言いまして、お寺で生活をさせてもらいながら、高校あるいは大学に行く制度があります。

大学には下宿生もいたのですが、何も知らない私はまんまと父親に騙され、寺生というしんどい道に放り込まれてしました。

大学の授業は普通にいかせてくれるのですが、授業が終わって帰ってきたら、お寺の仕事が待っているという日々です。

朝のお勤めから宿坊という、一般の方が泊まる場所で皆さんのお世話をして終わるという流れです。

働くのが嫌で、なんとか大学の授業や野暮用を作ろうと思っても通用しません。

・・・なんせ、お寺の先輩が皆同じようなことを経験してきていますから、入ったばっかりの子の考えることなどお見通しでした。w

そんな中で、聞かん坊で、良くさぼって、ご飯は人一倍食べる私を見守ってくれたのが、入ったお寺の奥さんでした。

奥さんは非情に珍しいタイプといいますか、女性らしいというより、男前という言葉がしっくりくる性格で、一度怒るとお寺中に響き渡る声で怒鳴られ、小さな体でしたが、大きな体の男性陣がみんな縮み上がっていました。

いろんな人に怒られましたが、お寺の中で一番怒らすと怖かったのは、今も昔も私の中では奥さんです。

しかし、若い子たちを頑張らせるのが上手といいますか、本当にうまく見守っていただいて、お使いからお寺の仕事までいろいろさせられましたが、頑張った時のお目こぼしや、お小遣いをくれるという飴と鞭が、私を始めとした学生陣の男の子には本当によく効いていました。

中でも、食事はとっても気を遣っていただいて、特別な贅沢なんてのはありませんでしたが、若い学生がひもじい思いをしたことは一度もなく、それがいかに面倒で大変なことかは、社会人になって自分の食い扶持を用意しなければいけなくなって初めて思い知りました。

やはり、食べ物を握られている人には昔から頭が上がりません。

間違いなく私の第二の母親と呼べる人でした。

そんな人の法事に行って、少人数ながらも懐かしい人たちと話すと、ポロポロと当時の思い出が蘇ってきます。

法事が終わって帰路に就くときは、なんだか久しぶりに懐かしい気持ちです。

しばらく会ってなかった奥さんに会えたような感じです。

1周忌ですから、帰ってきて肩を叩いてくれたのかもしれません。

亡くなった人に手を合わせるのは、意味のない行為ではなく、故人に再開する行いであり、成仏の為に頑張っている個人に頑張ってくださいのエールと、自分たちはここまで大きくなれました、との報告ができるときです。

普段は、私はこれを皆さんに説明して、実感してもらう側ですが、偶には自分が実感する側に回るのも嬉しいものでした。

願わくば、これを読んでくれる皆さんにも、良い故人との出会いがあれば幸いです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、光明寺奥の院の護摩の報告です。

本日12日に無事護摩のお勤めを行うことができ、しばらく欠席していた若嫁も参加することができました。

久しぶりの受付ですので、気合を入れています。

護摩が終われば、住職の話ですが、今月はお彼岸のお話しです。

彼岸というのは、川の向こう、あの世という意味ですが、春と秋のお彼岸の期間というのは、日本に仏教が伝わってきた時代に聖徳太子が作られたと言われています。

普段の日常では、忙しくてなかなか仏様の教えを実践する時間というのが取れません。ですので、せめてこの期間だけはしっかりと仏教の修行をする期間にしましょうという時期です。

仏教の修行というのは六波羅蜜、布施、精進、忍辱、持戒、禅定、智慧です。

これは詳しく書き出すときりがないので、わかりやすくまとめるとお墓参りしたときに、1掃除をして、2お花を供えて、3お水またはお茶を供え、4蠟燭の光をともし、5お線香を焚いて、6手を合わせてお勤めしてあげる。これに全て入っています。

ややこしいことを考えすぎると頭がこんがらがってしまいますが、まずは簡単にお墓参りをしてあげてください。

光明寺では、お彼岸も変わらず皆様のお参りをお待ちしています

もうすぐお盆です

皆さんこんにちは副住職の隆照です

連日のとんでもない暑さの中、いかがお過ごしでしょうか?

私は着物を着るたびに、滴り落ちる自分の汗との闘いな気がして毎日過ごしています。

7月の末ごろから、お寺はどこもお盆の前準備に終われ出すのですが、光明寺も例に漏れず、いろんな人の助けを借りながらお盆に向けて走っています。

写真は七月末に皆さんの力を借りて行った境内の石仏群の一大草刈です

毎年行なっていることとはいえ、数は力!ということを思い知らされます。

ほんとうに、ここは私と住職だけで綺麗にしようと思うと三日ぐらいかかるのですが、皆さん揃ってくれれば1時間半ほどで綺麗に。

ありがとうございます。

これはお山の弁天様なのですが、ちょっと訳あって綺麗に整えている最中です。

というのも先日、面白い方とのご縁をいただき、いろいろアドバイスや相談を受けてもらったのですが、ここの弁天様周辺の場所がとっても気に入ってくれたようで、素敵な場所だ!パワースポットだ!とベタ褒めをいただきました。

それならば!ということで、以前からもう少し綺麗な場所にしたいな、と住職共々思っていたこともあり、重い腰を上げてみようか!ということになりました。

これからどのように変わっていくのか?お寺側としても楽しみであります。

脱線はさておき、この日の護摩はなんと新顔の人たちが参加です

しかも小学生と高校生を連れて来てくれました。

いつも言っていますが、若い子たちが増えると上の方もみんな元気をもらっているようで、活発な様子

護摩の燃え上がる炎を見て、あの子たちはいったいどんなことを感じとってくれたのでしょうか。

今日の住職の話は、定番といえば毎年恒例

お盆の供養と、六道輪廻の話です。

六道と言いますのは、私たち人間のいる世界を「人間道」又は「人道」と言ったりしますが、それを含めて「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人間道」「天道」の世界があり、生きている時の行い「業」によって上の世界に上がっていったり、下の世界に落ちてしまったりします。

良い行いをすれば「善業」が溜まり、悪いことをすれば「悪業」が溜まるというわけですね。

また類は友を呼ぶ、ということがあるように良い行いは、それ自体が良い原因となって、更に良いことを呼び込みます。

これがお釈迦様が説かれた、全てに原因があって結果がついてくる「因果応報」です。

「善因善業」このブログを読まれたことをキッカケに、少し生活で意識してみたら面白い事が起こるかもしれません。

そして、お盆とはご先祖様が帰ってくると同時に、もう一つ大事なのが精霊供養とされています。

文字に出すと、すごく難しそうなのですが、内容は簡単。

他所の霊にも手を合わせてあげましょう、ということです。

木蓮尊者というお坊さんが昔はいたのですが、お母さんが訳あって地獄に落ちてしまいました。

そこで木蓮さんは、お母さんを助けたかったのですが、上手くいかず、お釈迦様に相談したところ、「地獄に落ちた人を助けるのは、個人を助けようとしても無理ですから、堕ちた人たち皆が助かるよう祈りなさい」と言われ、たくさんの人の力を借りて祈ったところ、お母さんも救われたというお話があります。

詳しく知りたい方は、「木蓮尊者、エピソード」とでも調べてくだされば、すぐに出てくるはずです。

その木蓮さん以来、私たちは自分のご先祖様に手を合わせるのと同時に、他の救われない霊たちも救ってくださいと願いを込めて、祈っています。

皆さんも、お盆のお墓参りの時は、自分の先祖だけでなく、他の霊たちに思いを馳せて、手を合わせてあげてくだい。

他人の不幸は蜜の味、では、他人の幸福は?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月11日は心配していた雨も無く、無事に快晴の空模様に恵まれて、光明寺奥の院の護摩のお勤めを行うことができました。

左の写真に映る七福神さんも、どことなく気持ちよさそう?w

兵庫県は非常事態宣言が明けたとはいえ、非常に微妙な世情が続いてはおるますが、ひとまず護摩のお勤めがいつものメンバーが集まって開催できたことに感謝でしょうか。

連日の大雨は、こちらの方もすごい降りようで、どこか崩れないかと心配しましたが、なんとか大事なく抜けることができました。

しかし、熱海のニュースは本当に心が痛みます。

私はお坊さんですので、亡くなられた方のご冥福、並びに被災された方の復興をお祈りするということしか出来ませんが、微力ながら光明寺から祈っています。

話は変わりまして、今回の護摩では信徒の方が、赤飯を持ってこられました。

というのも、このご家族に妊婦さんがいるので、安産と母子の無事を祈願してほしいと言われ、お札を作ったのが半年程前。

それから護摩のお勤めでは、おばあさんが(とっても若い)毎回母子の無事を祈っておられ、私たち僧侶側では毎朝のお勤めで、本尊様に母子の無事を祈っていましたら、なんとこの7月初旬になんとか出産を終えることができまして、ご利益を頂いたのでそのお礼に!ということで参ってこられる人全員分を奉納していただきました。

お堂の中は、もうその報告のおかげでみんなお祭り騒ぎに

嬉しいことをみんなでわかちあえるというのは、本当に幸せですね

悲しみは半分に、嬉しさは2倍に!と言ったのは誰が言い始めたのかは知りませんが、本当に真実を上手く言ったものだと思います。

その報告が終われば、住職の法話です。

話の冒頭で蜂の巣のことを言っていましたが、蜂が高い場所に巣を作る年というのは、大雨の年になると子供の頃に言われたそうで、今年は光明寺でも2つもスズメバチの巣を、屋根裏、軒先からとりました。

昔のお年寄りの人が言ったように大雨の年になりましたねー、といっていましたが、ちょっと待ってください。

蜂の巣取ったの私ですー!笑

思わず冒頭で突っ込みたかった話でした。

脱線はさておき、今回住職は「安心」について話ました

これは、一般的には「あんしん」と読みますが、仏教では「あんじん」と読みます。

意味としては、ネットで調べると「仏教の功徳によって迷いがなくなって、安らかな心の状態」と出てきます。

言葉で聞くとややこしいですが、誰か大事な人の為を思って行動している、あるいは、手を合わせている時の気持ちこそが、仏教のあんじんだと思います。

自分の子供の世話をしている時や、親に孝行しているとき、はたまた伴侶に報いてサービスしている時、、、最後だけは不安というより恐怖を感じている人もいるかもしれませんがw

そんな誰かのために動いている時は私たち人は、非常に喜んで、あるいは、楽しそうに動きます。

これを学者さん方は、お猿さんが群れを維持するために進化してきただとか言いますが、仏教では誰かの為に動いている時の心こそ仏様の心と同じだと言っています。

安心(あんじん)を感じるとは、あなたの大事な人たちのために動いてあげてくださいね、ということです。

お経を唱えるでもなく、頭を丸めて修行するでもなく、優しい行いをすることこそが、一番良い修行ですよと真言宗は言っています。

是非あなたの安心大切にしてみてください

お早い梅雨は大丈夫ですか?

みなさんこんにちは

副住職の隆照です

とっても早い梅雨入りで皆さんいかがお過ごしでしょうか?

なんでも、これだけ早い梅雨の入りといえば、過去でも一度だけしかないとのこと。

しかも、その年はお米が大凶作になって、初めて海外からお米(主にタイ米)を輸入したとのことで、私にとっては教科書の中のことでしか知らなかったことです。

今年はそんなことにならないように祈っておりますが、お天道様しだいですね。

さて、非常事態宣言の中ですが、光明寺では今月も可能な限りに感染対策したうえで護摩のお勤めが行われました。

冒頭の写真は、皆さんのお願い事が書かれた護摩木を炉の中にくべて、本尊様にお届けする作法の最中です。

なかなかこの写真のアングルは撮れない写真ですので、珍しい一枚ではないかと、密かに気に入っています。

お勤めの中で何を感じられるかは、人それぞれでしょうが、毎月お勤めを開催して皆さんに来ていただいている身としては、良いものを感じて帰っていっていただけたらいいなと思います。

この日のお勤めでは、先月お孫さんが二人産まれた方が幸せのおすそ分けという事で、赤飯をお参りの方に作ってこられました。

後にいただきましたが、ほんとに上手に炊いておられて美味しいお赤飯でした。

ごちそうさまです

さて、そんなお勤めが終わった後の住職の話でしたが、世情を鑑みまして、お大師様の「 ”医王(いおう)の目には途(みち)に触れてみな薬なり、解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る。” 」という言葉を引用してきました。

この言葉は、お大師様が嵯峨天皇に般若心経の解説書として有名な「般若心経秘剣」という書を贈られた中に出てくる言葉です。

深い意味は学者さんの解説に任せますが、医術を極めた人にとって見れば、道端に生えている草の中から薬草を見つけ出せます。しっかりと物事を理解されている方は、埋もれている中から様々な宝物を見つけ出して役に立てることができますが、解宝の人(欲や煩悩で曇った人)は違います。

宝石だと言って、偽物の石を買わされる。うまい話に乗せられて、しっぺ返しを食らう。

欲にまみえると見えるはずのものが見えなくなるので気をつけてくださいね、という意味なのですが、住職が何故この言葉を今月話の題材にしたのかというと、コロナのワクチンが今とっても話題になっています。

報道や調査を見てみると、本当に一途の希望が持てそうな気がします。

ですが、薬とは何もワクチンだけではありませんし、お医者さんだけが人を元気にするのではありません。

コロナの影響で落ち込んでいる人、困っている人、いろんな人にかけてあげる言葉、接してあげる態度、それも立派な人を元気にする薬ですよ。と伝えたかったのだと言っています。

皆さんが身近な人の医王になってあげてくださいね。

若返りの光明寺?

皆さんこんにちは

副住職の隆照です

今月も21日では無事に護摩のお勤めが行われましたが、いろいろ嬉しい動きがありました

まずは何と言っても、いつも来ていただいている夢前町の真楽寺さんが今回若返ったことでしょうか

いつも来ていただく住職さんは、今回法事がありこれないとのことでしたが、代わりに副住職が来てくれました。

お勤めが終わってから、皆さんに一言挨拶をしてもらいましたが、新鮮味があって皆さん興味深々なご様子

この副住職さん、実は私の一個上でお互い小さな時から知っている仲になります。

去年あたりまで高野山でお勤めをされていまして、何と高野山全体の儀式を執り行う部署に在籍しており、現場監督レベルまで出席しておりましたので、皆さんの中にも高野山での行事に参加されたことがある方は、知らず知らずのうちに彼の取り仕切る場面を観ていたかもしれません。

そんな倉本大雅さんですが、非常に人当たりが柔らかく、話しやすい雰囲気をお持ちですので、是非話しかけてみてあげてくださいませ。

もう一つ新しい動きとしては「有年まちおこし隊」という活動をされている方が来てくださり、光明寺の情報を発信してくださるとのことで、ウチのお寺も有年の魅力と思ってくださるそうです。

いろんなご縁がつながりますねー

有年の発展に協力できるなら、是非ともお手伝いさせていただきたいものです

お山の護摩は赤飯と共に

みなさんこんにちは

副住職の隆照です

秋の訪れを感じて、ともすれば冬の気配がも感じるようになってきた今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

本日、光明寺奥の院の護摩はいつも通りの第二日曜日の10時から、いつも以上の最高の天気と気持ちで始まりました。

お勤めは、いつも住職の法螺から始まります。

この法螺貝、なかなか音を上手にならすのが難しい代物でして、私は少しづつ練習はしているのですが、いつまでたっても上手くなる気配がしません。

口びるの形なんかも、もしかしたら影響しているのかな?

ともあれ、山のお堂の中に響き渡る法螺貝の音は、感性に訴えかけてくるものがあります。

みなさん感じ方は人それぞれでしょうが、しっかりと手を合わせて、目を閉じ、思い思いに集中されています。

火が上がれば、住職の「願文(がんもん)」といいまして、今日のお勤めは、どの仏様に、どういう意図で行い、みんなで一緒に般若心経を唱えるので、それの御利益をお願いしている人たちに与えてください。という文を読み上げます。

願文にかんしては、一応手本の形というものはあるものの、それぞれお寺の住職によって、好みがあるものですから、意外とオリジナリティあふれるものです。

非常にマニアックな部分になるとは思いますが、銘々のお寺さんの願文を聞き比べてみても面白いかもしれません。

そして、おつとめが終われば、いつもお接待のお菓子やお弁当を食べて、法話という流れになるのですが、今日は少し趣が違います。

本日は、私たちお寺側から、皆さんに私の結婚の話をお祝いしていただいたお礼として、お赤飯を配らせていただきました。

朝一番にお弁当屋さんに取りに行ったのですが、やはり「お寺」が赤飯をたくさん頼むというのは、お店の人も興味深々なようで、「なにかあったのですか?」としきりに聞かれました。

別に隠すことではないので、結婚のことを言うのですが、結果的に、なんだか方々で言いまわった形になってしまったので、少し恥ずかしい。

ともあれ、この日は他のお参りの方がインスタントのお味噌汁を持ってきてお接待してくれていたので、純和風が完成です。

やはり、良いことは皆で分け合うと、気持ちいいですね。

そして、その良いことの報告を暖かく受け止めてくれる、周りの人々に恵まれたので本当にありがたい限りです。

皆さんにも、良いご縁のおすそ分けができますように。

合掌

九月の護摩は、悲しいお知らせ

皆さん、こんにちは。

九月になってようやく少しだけ涼しくなってきました。

今年の夏は本当に灼熱という言葉が当てはまる暑さと、雨の少なさでした。

光明寺のある赤穂市有年では、まとまった雨が8月中なんと一日もないということで、いろんなものがミイラになるかという異常気象でした。

それが、秋雨前線の影響でなんとか雨もチラホラ降りだしてくれているので、少し安心しています。

ほんと、時代が違えば、干ばつ飢饉で死者がでるような状況でした。

さて、そんな光明寺の9月の山の護摩は、雨が心配された予報でしたが、爽やかな青空の元で無事に行うことができました。

お堂を開け放していると、抜けていく風が非常に心地良かったです。

皆さん思い思いのお願い事を祈願されて、ご自身でも真剣にお祈りされていました。

護摩が終わって住職の話では、題名に書いた通り悲しいお知らせが

今年の10月末に高野山での、お大師様が「弘法大師」という名前をいただいて1200年を記念して、高野山では全国各地からのお写経を集めて、お大師様に届けるという、大きな法要を行う予定だったのです。

私たち光明寺もそれに伴い、バスを借りて、皆さんで高野山にお参りしようという企画をだしていたのですが、残念ながら中止せざるを得ない状況になりました。

私も皆さんと、高野山へのバス旅行、普段はなかなか話す機会のない人たちとも会えるときであったので、残念です。

しかし、高野山としては、全国からのお寺の檀家さんをお招きするという事はできないものの、お大師様に皆さんの気持ちをお伝えするお勤めは、小規模ながら全国のお坊さんを招いて行うので、その時に奥の院に納める写経を募っています。

上記の写真に写っているのが、今回納める写経です。

写経は普段は般若心経というお経を書いていただいていますが、今回はより多くの人にお大師様に思いを伝えていただきたいからという理由で、より簡単な大師寶号「南無大師遍照金剛」という言葉を10回書いていただくだけのものになりました。

皆様を高野山へお連れすることは叶わなくなりましたが、代わりにこの写経を奥の院にお連れしていってきます。

山の護摩に来られた方々も、この写経を皆さん持って帰っていただいて、書いてきますと言っていただきました。

従来の形からは変わってしまいましたが、皆様のたくさんの思いがお大師様に伝わればいいと思っております。