初大師では講談です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

今年は年明けが随分と暖かく、楽なお正月を過ごせた後に、急激に冷え込んできましたが、皆さんいかがお過ごしですか?

このブログを書いている日から、翌週がなんと10年ぶりの大寒波がやってくるとニュースで予報されているので、備えておかなければ!と意気込んでいる最中です

具体的には、水道回りはもちろんのことですが、お寺特有のことといえば、花入れや仏具の水抜き、普段人が出入りしない奥の院の下水関係といったところでしょうか

自然相手なので、手加減はしてくれませんから大変です

少しでも気を抜くと、花卉のひび割れなどが起こります

そんな1月ですが、本来であれば光明寺は午前中の護摩、それが終われば、お昼ご飯を食べてお昼から檀家さん皆さんで集まってのお勤めというのが、この年明けの常でしたが、今年から少し形式が変わりまして、午前中の護摩に皆さん集まっていただいて、その後すぐにお勤めもして、昼前に解散という流れになりました

なかなか、長時間の拘束になるのは、来ていただく方にとっても大変でしょうから、こんな形態どうかな?と提案させてもらった次第です

土曜日ということも相まって、たくさんのお参りの方に参加していただき、寺族としては嬉しいかぎりです

写真は護摩の後、光明寺の持仏堂で集まっていただいた様子です

ここでは住職が講談を披露!

掛かっている軸は、お大師様の行状曼荼羅と言いまして、伝記を絵にかいて繋げているものです

これを題材に皆様の前にて披露しておりました

もともと光明寺は、お大師様の御縁があって約1200年ほど前に建立されたという寺伝が残っております

ですが、光明寺の建立年代が大同元年となっており、この時期はお大師様が遣唐使から帰国されて、九州にまだ閉じ込められていたはずの時期です

住職はこれがずっと長い間の疑問だったのですが、二年ほど前に高野山大学の研究院のお坊さんが光明寺を訪ねて来られまして、その時に疑問が解けました

その方は、お大師様の九州に閉じ込められていた時期は、実は大人しくしていなかったのではないか?ということで研究されていたようで、その証拠を各地を回って調べていらしたそうです

お大師様の出身は香川の佐伯氏という豪族でしたが、この佐伯氏は鉱脈を探り当てる仕事をされていたようで、お大師様もそのノウハウを持っていらっしゃったらしく、全国各地の大師の井戸という名前の井戸は、大多数がでたらめではないかもしれないとのこと

この近くに、古くからの井戸や鉱脈を掘ったような横穴、竪穴はありませんか?

と聞かれるので、ちょうどその少し前に近隣の山の中からお大師さまの像が光明寺に運び込まれましたが、そのとき近くに、まさにそのような穴が掘られていて、どう見ても昔の痕跡で人為的なものであったので、住職が不思議に思っていたのです

そのことを伝えると、僧侶の方は「ありがとうございます、後日確認に参りますが、やはりお大師様がこちらに来ていらしたのは間違いなさそうです。このことは論文として纏められたら発表させてもらいます」

と言って帰っていかれました

個人での調査なので、そこまで進行は早くないでしょうが、発表されるのを楽しみに待っています

光明寺はありがたいことに、歴史の教科書に載るような古い時代から、皆様のおかげをもって今も存続しております

それも博物館の中という生活の縁遠い場所ではなく、地域の皆さんの生活の傍に一緒にいる形です

その事実を皆様の胸の中に、一つの誇りとして持ってもらいたいと、住職の思いからの今回のお大師様の縁起絵巻の講談でした

去年より始めた、21日の夜18時半ごろからの副住職の護摩ですが、今年も続けていきます

お参り希望の方はどうぞいつでもお越しくださいませ

光明寺、初参加です

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

写真の通り、雲一つない青空のもと、今年最後の護摩のお勤めが開催されました。

年末の21日は「終い大師」とか「終い弘法」というのですが、一年の締めくくりを迎えるにあたって、冬の天気では珍しい最高の日になりました。

しかし、天気がいい日ほど朝の冷え込みがきつくなるもので、毎朝のお勤めが辛くなるのもキツイ時期ではあります。

そういえば、昔小学校で習った放射冷却というものは、私は夜の間に起こるものだと思っていましたが、お坊さんになってそれが間違えていたということに気が付きました。

だって、毎朝お堂に入る時より、お堂から出てくる時間の方が寒いんですもの。

放射冷却とは、太陽が昇り始めるときに空気の循環が起こるから冷え込む現象だそうで、詳しくはインターネットでお調べくださいw

そんな冷え込んだ朝でしたが、今日はホットな出来事も沢山。

その一つが、上記の写真に写っています。

嫁である久美が、お大師様の護摩に初参加です。

上の写真は、朝のお勤めをしてくれている風景をこっそり撮りました。

嫁いで来てくれて1か月と少し。

いろいろ不慣れなことばかりのなか、非常に頑張ってくれています。

私にはもったいないぐらいの嫁です。

さて、あんまり惚気ていると本人から怒られてしまうので、本題に。

本日は平日にもかかわらず、多くの方のお参りを賜り、迎える側としては嬉しい限り。

ストーブを焚いて、ホットカーペットを敷いて、それでも寒いお堂の中も、護摩の火が上がれば、暑いぐらいの熱気に包まれまして、皆一緒に般若心経をお唱えします。

嫁の久美さんも、まだ完全に覚えきるまではいってないものの、みんなと一緒ならば問題なく唱えれるようで、素直に覚えの速さに関心しております。

護摩が終われば住職の話なのですが、この日の話はちょっと地元話。

というのも、近所のお山の上にお大師様が祭られていた大師堂があったのですが、諸の事情でお参りする人がいなくなってしまい、放置されていた大師像をお寺で引き取ることになりました。

その折に、大師堂があった山の上は権現さんが祭られていたようで、どうせならばとお参りしてきたそうな。

権現さんとは、神様を仏教流に呼んだ呼び方です。

近畿では有名なのは、奈良の金峯山寺、蔵王大権現でしょうか。

住職が登った山の頂上には、大龍権現という神様がお祭りされていたそうです。

なんでも、そのお山の上からは千種川の流れ、そして有年の土地が全て一望できたそうです。

そして、川のうねり、というものは、よく龍に例えられて祭られたりします。

みなさんが一番耳にしたことあるのは、出雲地方のヤマタノオロチ神話ではないでしょうか。

あれも、良く氾濫を起こす暴れ川を、なんとか氾濫しないでくれ。と人々の願いが込められたお話しです。

それと同じように、山の頂上にお祭りされていた大龍権現さんは、千種川のことを現わしているのではないか?と住職には感じられたようで、非常に多大な恩恵を与えてくれる千種川に感謝表すと同時に、一度牙を剥きだした自然の力にはなすすべなく、流されていたでしょうから、どうか暴れないでくださいね、とお願いする場所であったのではないだろうか、ということでした。

これは、あくまでお坊さんとして感じたことでしたので、もしかしたら学者さんが言う事とは違うかもしれませんが、一つの感じ方として皆さんの興味に触れることができれば幸いです。

私たち人間は、自然の力の前では、どんなに頑張ったところでちっぽけですが、それを恐れて近寄らないという選択をするのではなく、恐れながらも、祈りを届け、願いを届け、どうか暴れださないで、恵みを分けてくださいと、お願いしながら付き合っていくことのできる生物です。

先人たちの、願いの場が垣間見えたこの度のお話しでしたが、大師堂のお大師様は光明寺に無事に、先日運び込まれました。

本坊二階の大広間にお祭りさせていただいております。

もし、お姿を一目見てみたいという方がいらっしゃいましたら、どうぞ気軽に声をかけてください。

新年の初大師

本日は本堂での護摩のお勤めから、その後檀家の皆さんでお昼を食べてみんなでお大師様のお勤めを午後に行いました。

写真で見る限りでは、午前中の護摩も賑わったようです。

実は私、今日の午前中は姫路のお寺に初護摩のお手伝い行っておりまして、それが終わって慌てて光明寺までとんぼ返りしてきたのです。

思えば、去年からずいぶんとお仕事のお声をかけてくれるようになり、嬉しいしだいです。

すぐ舞い上がって天狗になる性分なので、天狗にならないように気をつけねばw

写真は午後からのお大師様のお勤めの写真です。

私と住職が並んで皆さんの音頭を取っています。

ちょっと小さくて見えずらいですが、わたしが皆さんの前で場つなぎでお話しをさせていただきました。

思えば、記憶にある中で一番初めにこの場で話をしたのは確か23ぐらい、信貴山に行っていたときであったかなと思います。

当初は法話とも、漫談ともならないものだったと思いますが、その若造も8年の歳月で、一応本山布教師心得の資格をいただき、高野山の山の上で皆さんにお話しをするまでになることができました。

去年の自分の中で一番変化が大きかったことはやはり、その布教師関係でしょうか。

高野山という山の上でお大師様のお手替わりとして話すようになると、いかに自分が勉強不足だったのかを痛感いたしました。

それからいろいろな知識を求めだして、書籍を読むようになったのはつい最近のことです。

しかし、いろんなものを読んで、新しい知識に出会うほどにお大師様の教えが、いかに端的で的確な美しいものかということに感嘆の念を覚えます。

そうして、いろんな感動を覚えるうちに私の中にわいてきたのが、お大師様の教えの基本を誰もしたことのないぐらい現代の知識を使って、皆さんにお披露目しようという気持ちです。

ですので、私のお話しはわかりやすさ重視の基本的なことしか入ってません。

今日皆さんの前で話した感謝についても、今更言う必要のないほど基本的なことですが、基本というのはやはり、根本であるがゆえに忘れやすいものと思います。

少年野球をやっていたころから、何度基本をないがしろにして怒られたことか。

基本を忘れないための感謝日記、お金もたまる感謝日記、おすすめですw

私の話はこの御詠歌のための前座でした。

大会に出られた御詠歌「遍照」をみんなの前で披露していただいて、今日の長い一日は無事に幕を閉じました。

半年に一度、行っているこのお大師様のお勤めですが、絶えることなく続けてこれるのは皆さんの協力あってのこと。

製品化された奇麗な行事ではなく、手作り感の溢れる暖かい行事で行えていることに感謝の念が絶えません。

朝から来ていただいて、みんなのお昼の用意をしてくれた当番の方々、お参りに来てくれた皆さんありがとうございました。

6月はお大師様の誕生日

6月9日の第二日曜日に、今月も無事光明寺奥の院での護摩をお勤めすることができまっした。

今月はなんと、今年の受験に合格祈願していた子がお礼参りに来てくれたおかげで、一気に普段とは違う雰囲気になりました。

平均年齢が一気に10歳近く上がると、空気も変わるものですね。

当日は雨の心配もなく、また、暑くもなく、寒くもなく、歩いて登ってこられる皆様の苦労をねぎらうかのような心地よい風と共にお勤めが始まりました。

私自身は先月、先々月と、他の仕事が入ってしまい、どうしてもこのお勤めに来ることができなかったので、皆さんとお勤めするのも実に3か月ぶりです。

これだけ空くと、新鮮な気持ちですね。

今月から、衣も夏服に変わったので、心機一転の手助けになってくれていたかもしれません。

そんなお勤めの後に、なんと信者さんから、皆様の分のお弁当の差し入れがありました。

私は不覚にも、お弁当の写真を撮り忘れてしまったのですが、売っているものと遜色ない味と、見た目に皆様大喜びしておりました。

そんな中、お大師様の生誕月ということで、是非お大師様のお話をしてほしいというリクエストをいただきましたので、私がお大師様の辿られた道筋と、そして教えの即身成仏について、非常にざっくりとですが、話をさせてもらいました。

ちなみに、最初にお話しをして、とお願いされたのは住職でしたが、そこから私に振りましたので、、、逃げたな、住職!笑

私としては皆様にお話しする場がもらえてありがたいので、全く問題ありまさえん。

即身成仏、学校の教科書にも出てくる言葉ですが、その内容は?と聞かれると、なかなかわかる方は少ないと思います。

詳しく聞いてみると当たり前のことなのですが、なかなか難しい。

その内容とは、生きてるままで仏様になりましょう、ということです。

私たちみんなが、心の中にいろんな自分を持っています。

ズルい自分、怒りっぽい自分、悪い方向から、当然いい自分もいます。

仏教では、そんな自分の中にあるいい自分、親切な心が仏性と言って、仏様の心だと言っています。

そんな仏様の良い心を大きく育ててあげることこそが、即身成仏だと言われているわけです。

悪いことをするな、人のために良いことをしろ

小さな時から私たちが、お父さんお母さんに言われてきた言葉の中にこそ、真理が詰まっていたのだと思います。

ホント難しい。

でも、それをしていくのが修行だと思います。

あきらめず、進んでいく。

自分の仏性と共に。

まだまだ道半ば。