暑い日になりまして、鯉もへたっております

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

あっという間に4月も半ばを過ぎまして、ぼちぼちと鯉のぼりを出しました

去年に産まれた我が子の鯉のぼりも無事に二回目の登場です

去年は自分で歩くことも叶わなかった千照が、今年は自分で歩いて見上げて指をさしているのを見ると、なんだか嬉しいような、時間の感覚が早すぎて怖いような不思議な気分です

今年は普段と違うものが上がっているのがわかるようで、嬉しそうに見上げては手を振っていました

さて、光明寺では今月も21日に無事に護摩の勤めを行うことができました

20,21と4月どころか初夏並みの気温に上がり暑い中でした

心持鯉のぼりもバテて元気がないように見えますw

最近身をもって感じたのは、挨拶というのは、一番最初に行う対人の基本ですが、他の何を差し置いても自分を助けてくれるということです

子供の送り向かいでいつもすれ違う子供たちは、こっちが気が付いていない時でも気持ちよく挨拶をしてくれて、私も見習おうと思わせてくれるほどです

以前手伝いをしているお寺の檀家さんで、口が悪くて気難しいと言われる人がいました

たまたま私がその家に伺うことになったのですが、事前に「気をつけろ」と言われていたのでこちらも家の玄関に立つともうドキドキの緊張でした

奥から出てきたおじさんは・・・顔がめっちゃ怖いw

内心びくびくしながらでも、お参りをして話をして・・・何もないどころか、ずいぶん気に入ってくれて、仲良くなりました

いやいや、私よ、油断するなよ、これは罠だ!と思い、お参りに行くこと一回、二回、三回・・・あれ?

半年もしたころ、おじさんとお参りの後で雑談していたので、思い切って聞いてみたのですが、私の前の方々はに何故お怒りになられたのか?と問うたところ、挨拶が小さく、はっきりとしていなかったとのこと

私は挨拶が一番良かった、それだけでした

何も大きな違いがあったわけではなく、たったそれだけでした

たかが挨拶ですが、されど挨拶

子供と一緒に散歩していて、挨拶をしても返ってこない人が多いのは自分でも感じますし、私もできてなかったな、と思い反省するときもあります

何回もここで書いてますが、笑顔で挨拶するだけで仏教としては相手をいい気持ちにさせてあげる顔布施(がふせ)という修行になります

これは無財の7施と言って、日常生活でお金のかからずできる基本の修行です

難しい理屈を知っても、大層な修行をして、肩書が増えても、結局基本に帰ってきます

私が家内の父に受け入れてもらえたのも、後から聞いたところは人事でも合格できそうな挨拶ありきでした

こういうふうに書くと、改めて私の人生は半分どころか、8割がた挨拶で救われているような気がしますw

自分の修行ととらえていただいて挨拶をするもよし、人助けと思って挨拶をするもよし

無財の7施は相手がいて初めてできる修行で、どちらかだけの利益になるものではなく、お互いがいい影響を受けあうことのできる関係です

私たちはこれを「相互供養、相互礼拝」といっています

人生を助ける挨拶、実践していただくと、修行になり、心が奇麗になるので良い影響がやってくるはずです

修行といえば、去年始めた私の夜の護摩もなんとか毎月続いております

今月はなんと木魚を叩いてくれる参詣人がやってきましたw

毎月夜6時半から7時過ぎまで行っておりますので、お参りしたいかたがいらっしゃったらどうぞご自由におまいりくださいませ

新年度スタートです

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

年があけて、いつのまにか新年度がはじまり、いろいろなものが変化していますが、皆様いかがお過ごしですか?

今年は三月半ばぐらいから一気に暖かくなったので、梅も桜も非常に奇麗に咲いて、写真に興味がない私でも、思わず撮ってしまうような素敵な風景があちこちに咲き誇っていました

写真は近所の公園なのですが、私の知る限り一番の桜の名所ですかね

他の有名な場所に行ってみても、良く知っている場所というフィルターがかかってくるので、思わずいつも「ここが一番きれい」と思ってしまいます

そんな桜に見守られて、我が息子は今年から保育園に入園です

入園最初の日から、登園するときに泣くのか?と思っていれば、そんな親の心配と期待はどこ吹く風、車から降りた瞬間から広場目がけてスタスタ

二日目以降も園が楽しいみたいで、笑顔で行っておりました

写真は4月4日の土砂加持の時、皆様に配ったお接待の豆ごはんです

コロナになって以来、以前はお昼ご飯を食べていただいて法要という流れでしたが、法要の後に、能化の先生のお話しをきいていただいて、そしてこのお接待を持って帰っていただくという流れに変更しております

光明寺の熨斗を張り付けている様子ですが、持って帰っていただくお接待の内容は毎年の悩みどころ

どれがいいかな?と色々考えながらやっております

そして、今年は不覚にも土砂加持の写真を撮り忘れるという失態を犯してしまいまして、全然皆さんに見ていただけるような画像が無いのです

気が緩んでましたね、申し訳ない

色々と早くに来て、頑張ってくれている役員さん方の写真は撮りました

ホント、いつも支えてもらっております

今年の能化さんは北海道の方でしたが、光明寺に来る前に、なんとこのブログをかなり隅々まで読んで下さっており、我が寺院のことをとっても勉強してくださっておりました

入念な下調べと、そして色々な話題の展開で、場の人がいつの間にか聞き入っている、そんな感じの話手で、色々真似しよう!と思ってしまうほどの方でした

名前を渋谷 良範僧正と言いますが、いつか高野山で再開したいお人です

第二日曜日の奥の院の護摩も無事に終わって、ホッとしております

今回の開催は4月9日という事もあり、4月8日はお釈迦様の誕生日ですので、各宗派問わず、お寺は祝いをしたりしています

そのおかげか、今回のお勤めは本当に子供さんのお参りが多く、賑やかな一日でした

子供たちが一生懸命に手を合わせている姿というのは、本当に可愛らしいものです

住職の話も、そんな子供たちの来院に合わせるかのようなお話し

鬼子母神という鬼のお母さんの話でしたが、このお母さんは自分の子供は1000人もいたそうで、子供たちのご飯を用意するのがとっても大変

ですので、人間の子供を攫ってきては小鬼たちにご飯として食べさせていたという恐ろしい鬼です

お釈迦様が見かねて、一番末の子を隠してしまったところ、鬼子母神は狂ったように悲しんで探し回ったそうですが、見つけることができず、お釈迦様に返してくださいと言いにいったら、「お前の子供は他にもたくさんいるのに、一人隠されただけでこんなにも悲しむ。お前に子供を取られた他の母親の悲しみも、少しは想像できよう」と言われ、それ以来、他の子供を攫うことはなく、むしろ仏教に帰依し、子どもを守るようになったというお話しです

仏教では悪いことをしていても、排除というのはなるべくしない、むしろどうやって味方につけて働いてもらうか、という教えの方が多いです

ついつい私たちは悪いことをしている存在というのは排除したくなるのが人の感覚ですが、本能に全て従っていたのでは獣と同じ

そうではなく、いかに世界を円滑に丸くできるか?というのが仏教であり、それを絵として表したのが曼荼羅というものです

・・・自分で書きながら難しいw

なかなかやるにしても難易度の高い話で、わが身の修行不足を感じますが、諦めたらそれ以上は進展しないですから、なんとか頑張っていこうと思います

皆さんも、ご自身のできる範囲で頑張ってみてください

久しぶりの更新です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

暖かくなってきた中で皆さまいかがお過ごしでしょうか?

私は3月に入って、あれやこれやと忙しくしていたら、あっという間に彼岸が来まして月の前半の更新が出来ていませんでした

楽しみにしていただいている方、すいません

今このブログを書いているのがWBCの野球決勝戦のひですが、素晴らしいしか言葉が出てこない戦いをしてますね

ホント頑張ってほしい限りです

彼岸は今年から他のお寺の手伝いもありまして、飛ぶように時間が過ぎていっております

その関係で、色々な方の家にお参りに行く機会が増えまして、初対面の方とお話する機会が増えました

そんな中、ちょこちょこ聞かれるのがお彼岸のことについてです

お彼岸と言いますと、お墓をお参りして、私たちがお仏壇に行かせてもらってというのが、近畿圏の風習と思います

実はお彼岸という期間は日本にしか無いのはご存知でしたか?

お盆はお釈迦様の古代インドの行事が発祥ですが、お彼岸は日本発祥です

なぜか?というのは、細かく調べれば諸説あるとは思いますが、私は昔の日本人の人たちの思いや願いが形になったものが彼岸だと考えています

春分、秋分を境に前後3日の計1週間が彼岸ですが、24節気という暦では季節の変わり目です

この日を境に暖かくなっていくのと、寒くなっていく…最近は温暖化の影響か、彼岸前でも暑い日がありますが、そこは一旦置いといてください

季節が移ろい、四季が曖昧になっていくので、いろんなものの境目が曖昧になっていくと考えました

そして、そんな時に亡くなった人たちに、お盆だけでは寂しいから帰ってきてよ、とお願いして出来たのが彼岸です

彼岸のお墓参りは、皆さまの暖かい願いの結果なんですね

言葉もそれを表してます

彼岸というのは、向こう岸という意味ですが、三途の川の向こう岸です

対して、私たちの生きているのがこちらの岸、此岸(しがん)です

向こう側から帰ってくるから、あるいは向こう側の人にお参りするから彼岸参りですね

お子さん方に、彼岸ってなーに?と聞かれたら、このページを参考にしてくれると嬉しいです

光明寺は今月も変わりなく、皆様が無事に過ごせますようにと、お勤めしています

お札が出来上がりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

1週間続いた光明寺の護摩のお勤めも無事に終わり、順次お札が発送されています

遠からず、みなさんのお手元に届くと思います

この1週間、毎朝7時からという日程にも関わらず、たくさんの方にお参りいただきまして、本当にありがたく思うのと同時に、いろんなご利益が皆様に届きますようにとの思いでお勤めさせていただきました

連日のお勤めの中で、インターネットに上げるように写真を数枚ずつ撮っていたのですが、あまり変わり映えしないシーンかと思いきや、毎日撮っていると少しずつ変わったものが撮れるものです

撮影は主に若嫁に任せましたので、彼女の座っている場所からの画角ですが、やはり普段はこの角度から私は撮れないので、改めて「こんな風に見えているんだ」と自分でも新発見です

ところで、護摩の始まる時間ですが、7時5分前ぐらいに始まっていたのですが、始まる時間はあまり変わっていないのに日に日にすこしずつ明るくなってきておりました

日の出時間を調べてみると、2月3日が6時50分すぎぐらい、それが一週間で一日1分足らず遅くなっていっておりまして、最終日はちょうど始まる時間ぐらいに太陽が顔を出しておりました

一日だけではわからないことも、時間を同じくして一週間と続けて体感していくと違いがわかってくるものですね

住職の法話も、この節分の期間はずっと同じ類の話でした

仏教というものは因果応報、自分のしたことが全て自分に帰ってくるという法則が根本にあります

善因善業、悪因悪業、良いことを行えばよい縁が来ますが、悪いことを行えば逆が待っています

ですが、変化というものは日の出の時間と同じように、一気に来るものではなく、徐々に来て、気がついたときには大きな変化になっているものです

私たちは、日常生活の中で良いことをしたら直ぐに結果がでて、悪いことはなかったように振る舞いますが、両方すぐに結果が出るものではなく、徐々にやってきます

悪いことにならないように、手を合わせるということは、昔から続く自分を奇麗にして、良い方向へと変えていく一番の方法です

それを私たちお坊さんは、皆さんにお勧めしているのです

祈願させてもらったお札がお手元に届きましたら、開封してもらって、毎朝少し、自分のお札に「良いご縁に恵まれますように」と手を合わせて祈っていただきたいと思ってお札を送っております

時間は1分もかかりませんが、毎日続けられるととっても効力のある方法だと思っています

どうか、皆様の一年に良いご縁と幸が多くありますように

節分が始まりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

寒い日が続いておりますが、お体の加減はいかがですか?

光明寺では、先日の大雪であたり一面真っ白になりました

久々に朝一番から雪かきを行い、寒いのに住職共々汗びっしょりの一日となりました

屋根からの雪下ろしなど、高野山に居たころ以来におこないました

あの労力を考えると、たまに大雪が降るぐらいでよかったです、毎年の恒例行事になったりしたらと考えると、怖気が走ります

そのぐらい大騒動の天気でしたが、なんとか切り抜け無事に節分の日を迎えることができました

光明寺では、皆様に申し込んでいただいたお札と共にこれから一週間の祈願に入ります

お手元に届いたときに、お札の匂いを嗅いでみてください

護摩の独特な匂いが染み込んでいるはずです

「薫染」(くんせん)という言葉がありますが、香りが染み込むように、良いことが徐々に染み込んでいってくれる様を表した言葉ですが、私たちのお札に込める功徳、あるいはご利益も同じです

お札に徐々に護摩の香りと共に染み込んだご利益が、皆様の手元に届いたときにゆっくりと他のものに移っていく

そんなお札を作っております

お札が出来上がった2月9日以降には、節分のことを纏めたブログを上げますので、もうしばらくお待ちくださいませ

これから1週間毎朝7時から本堂で護摩のお勤めを行っておりますが、お参りしていただくのはどなたさまも自由ですので、お待ちしております

初大師では講談です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

今年は年明けが随分と暖かく、楽なお正月を過ごせた後に、急激に冷え込んできましたが、皆さんいかがお過ごしですか?

このブログを書いている日から、翌週がなんと10年ぶりの大寒波がやってくるとニュースで予報されているので、備えておかなければ!と意気込んでいる最中です

具体的には、水道回りはもちろんのことですが、お寺特有のことといえば、花入れや仏具の水抜き、普段人が出入りしない奥の院の下水関係といったところでしょうか

自然相手なので、手加減はしてくれませんから大変です

少しでも気を抜くと、花卉のひび割れなどが起こります

そんな1月ですが、本来であれば光明寺は午前中の護摩、それが終われば、お昼ご飯を食べてお昼から檀家さん皆さんで集まってのお勤めというのが、この年明けの常でしたが、今年から少し形式が変わりまして、午前中の護摩に皆さん集まっていただいて、その後すぐにお勤めもして、昼前に解散という流れになりました

なかなか、長時間の拘束になるのは、来ていただく方にとっても大変でしょうから、こんな形態どうかな?と提案させてもらった次第です

土曜日ということも相まって、たくさんのお参りの方に参加していただき、寺族としては嬉しいかぎりです

写真は護摩の後、光明寺の持仏堂で集まっていただいた様子です

ここでは住職が講談を披露!

掛かっている軸は、お大師様の行状曼荼羅と言いまして、伝記を絵にかいて繋げているものです

これを題材に皆様の前にて披露しておりました

もともと光明寺は、お大師様の御縁があって約1200年ほど前に建立されたという寺伝が残っております

ですが、光明寺の建立年代が大同元年となっており、この時期はお大師様が遣唐使から帰国されて、九州にまだ閉じ込められていたはずの時期です

住職はこれがずっと長い間の疑問だったのですが、二年ほど前に高野山大学の研究院のお坊さんが光明寺を訪ねて来られまして、その時に疑問が解けました

その方は、お大師様の九州に閉じ込められていた時期は、実は大人しくしていなかったのではないか?ということで研究されていたようで、その証拠を各地を回って調べていらしたそうです

お大師様の出身は香川の佐伯氏という豪族でしたが、この佐伯氏は鉱脈を探り当てる仕事をされていたようで、お大師様もそのノウハウを持っていらっしゃったらしく、全国各地の大師の井戸という名前の井戸は、大多数がでたらめではないかもしれないとのこと

この近くに、古くからの井戸や鉱脈を掘ったような横穴、竪穴はありませんか?

と聞かれるので、ちょうどその少し前に近隣の山の中からお大師さまの像が光明寺に運び込まれましたが、そのとき近くに、まさにそのような穴が掘られていて、どう見ても昔の痕跡で人為的なものであったので、住職が不思議に思っていたのです

そのことを伝えると、僧侶の方は「ありがとうございます、後日確認に参りますが、やはりお大師様がこちらに来ていらしたのは間違いなさそうです。このことは論文として纏められたら発表させてもらいます」

と言って帰っていかれました

個人での調査なので、そこまで進行は早くないでしょうが、発表されるのを楽しみに待っています

光明寺はありがたいことに、歴史の教科書に載るような古い時代から、皆様のおかげをもって今も存続しております

それも博物館の中という生活の縁遠い場所ではなく、地域の皆さんの生活の傍に一緒にいる形です

その事実を皆様の胸の中に、一つの誇りとして持ってもらいたいと、住職の思いからの今回のお大師様の縁起絵巻の講談でした

去年より始めた、21日の夜18時半ごろからの副住職の護摩ですが、今年も続けていきます

お参り希望の方はどうぞいつでもお越しくださいませ

満員御礼、感謝感激雨あられ

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

12月になって一気に寒くなって、また暑くなってを繰り返してますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

光明寺では去年より始めた、光明寺奥の院での柴燈護摩のお勤めを無事に終えることができました

今年は去年にもまして多くの方がお参りしてくださり、筆舌に尽くしがたいほどの喜びと感謝をもって、ここに報告させていただきます

去年より始まったこの護摩供、元はお参りに来てくださる方の為のものというより、普段光明寺を守護してくださっている土地神様や仏様に対する「お礼のお勤め」ということで住職の目論見では、こじんまり行うつもりでした

しかし、多くの方々の賛同、支援を得まして、去年より規模も、参列の方の人数も右肩上がりで務めることができました

当日は天候も良く、風も吹かずと最高の条件で行えたことは「おかげさま」を頂いたとしか言いようのないものでした

手伝ってくださった皆様の「おかげ」お力添えをしてくださった神様、仏様の「おかげ」そして当日お参りに来てくださった皆様の「おかげ」

このどれが欠けても実現することのなかった状況に、感謝いたします

普段とは違う山の上の舞台を用意するために、秋口から少しずつ、12月に入ればほぼ毎日のように住職と詰めていきましたが、それが終わってホッと一息

やっと肩の荷が下りました

光明寺奥の院のお堂の前の浮島で行われる柴燈護摩

場所が少し狭いので、なかなか他の場所で行っている柴燈護摩と同じ段取りを、というわけにはいきません

小さなことから大きなことまで、あれをして、これを行ってと、そんなことをしていたら当日は頭が真っ白です

余裕などあったものではなく、時間が飛ぶように過ぎていました

極めつけは、お勤めが始まって、マイクを使い、声が皆さんに届くようにしていたのですが、私が色々する番になったところでマイクが「ブツっーーーー」

新しくつけたスピーカーが壊れるというアクシデント

もう焦りすぎて、あまり覚えていません(笑)

聞こえなくなったスピーカーですが、本番中ですので修理などできるはずもなく、もう気持ちを切り替えまして₍ヤケクソとも言いますw)気にせず本番を執り行いました

そんなトラブルもありましたが、お勤めは無事に終えることができて、来てくださった皆さんのお加持にはいることができました

来てくださった皆さんに、お勤めで使った剣を使って、良いことが起きますように、悪いことが起きませんように、良いご縁に恵まれますようにとの祈願をさせてもらいました

この後に住職の挨拶がありましたが、以下抜粋

このお山は、お参りしていただくのは昔からとても難所だと言われています(車が普通車は登れないので山道を30分ほど歩かなくてはいけないため)

ご年配の方は、登ってこられて一言「ワシらをこ〇す気か」とつぶやかれる方もいました

皆さんも今日は大変な思いをされたと思います

登ってお参りに来られるのに、近道はなく、一歩づつでないと進んでこれなかったはずです

そして歩を進め続けたために、ここにたどり着くことができました

人生もこれと同じだと思います

いろんなことを言われても、結局近道はなく、一歩づつ着実に歩いていかないといけない

当たりまえのことですが、私たちはそれをついつい忘れてしまいます

忘れがちなことを、今日ここへお参りに来られたことによって思い出していただいて、そして、手を合わせることによって、思い出したことに加えて、なにか仏様からのメッセージを受け取っていただきたい

そういう信仰の場として、この光明寺奥の院を使っていただけたら幸いです

以上

住職からのメッセージでした

お参りの方がどんな思いで帰られたか、私たちにはわかりませんが、なにがしか皆さんに良い「おかげ」があってくれたらいいなと思っています

来年も12月の第二日曜日に開催予定です

来られる方は来るもの拒まずですので、みなさんお越しください

自分の善行は誰のもの?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

奇麗な紅葉も、落葉が続けば終わりが見えて、少し物悲しい風景になりつつありますね

光明寺の今年の紅葉は、残念ながら紅一色というわけにはいきませんでした

夏の台風直撃のあおりを受けて、沿岸部から海水が飛んできてしまい、山の木々たちがダメージを受けてしまったために、なんとも中途半端な色づきになりました

まぁ、自然の摂理ですので、そんなこともありますよね

毎年全てが思い通りにはならないものです

諸行無常ですねぇ

21日には光明寺本堂での護摩が無事に勤修されました

この日は天気も良く、11月とは思えないぐらいの温暖な日で、秋の収穫を終えられて、お仕事の方がひと段落された皆様が久々の出席で、本堂が賑やかな雰囲気でした

天気が良かったので、朝には霧が立ち込め、護摩の時間まで残っています

ちょっと写真は撮れてないのですが、朝のお勤めの時間には、ここからの景色は白一色で霧が立ち込めています

最近、信貴山での修行時代に、師匠がよく言っていた言葉を思い出します

「先人先徳」(せんじんせんとく)とよく言われていました

自分の親や曾祖父、さらにそこから続いていく先祖の方々が、いろんな善い行いをして、徳を積み重ねてきたのが、今を生きている私たちに降り注いで良い影響を与えている。だから、その積み重ねた徳の貯金を使って私たちが成長し、使い切らないうちに今度は貯める側に回らなければいけない

と、こんなことをずっと言われていたのですが、当時は私自身あまりピンとこず、もっと別のことを言えばいいのに、と不遜にも考えていました

ところが最近、いろんなご家族の方を見ていて、この先人先徳というのが、まさにぴったりだなと思うようになってきました

・・・当時の私はずいぶんと修行不足でしたね

一家のお父さんが亡くなって、その人を慕って様々な人が集い、そこから新しい縁が結ばれていく

つい先日、ちょっと訪ねたお家がそんな状況だったのですが、まさにこの言葉通りだな、と感じていました

仕事ができて、面倒見がよく、誰からも好かれる人徳者だった、私はそんな風に聞いています

この個人主義の時代ですので、良い人になっていい行いをして徳を積んでも、自分には何の見返りもない!損だ!という意見を言う人もいるでしょう

ですが、良い行いは、仮に自分に還ってこなかったとしても、自分の伴侶や子供たちに回ってきます

このあいだ集まった人たちの関心は、亡くなった人の子供さんたちへ

元気に過ごしているのかとか、学校では上手くいっているのかとか、当たり前ですが、暖かい会話でした

類は友を呼ぶ、亡くなった良い人を慕って集まったのは、やっぱり皆良い人たちでした

集まった良い大人たちの暖かい影響を少しでも受けて、強く大きく育ってくれたらいいなと、少し会っただけですが、私も強くそう思います

私たちは、先人の徳のおかげで知らない間に育って、そして気づいた時には、今度徳を貯めてあげる側になっていく

このサイクルがずっと昔から続いていますし、それは変わらないのだと思います

ですので、身近な善行から始めてみてください

まずは笑顔で挨拶と、身の回り、普段使っている物、場所の掃除からですかね

それだけで十分、徳の貯金にはなっていますよ

自分の為ではなく、子供の為、伴侶の為、孫の為

徳の貯金をしているときのあなたの顔は、きっと優しい仏の顔になっているはず

グーグルの記載方法が少し変わりました

10月になり、ぐっと寒くなる日も多くなってきました

表題にも書いているとおり、このページに来ていただく方法が少し変わりました

直接ブックマークで来ていただいている方には関係ないのですが、検索してから来てもらっている人は、一度別のページに飛んでから、ここのリンクを押してもらう形になります

光明寺では、良い秋晴れの一日の中で護摩のお勤めを迎えることができました

護摩のお話しを書こうかなとも思ったのですが、普段は書かないお勤めの周りの道具など少し書いてみようかなと思います

写真は毎月本堂側面に掛けていますお軸、これはなにかというと、四国88か所の「お砂踏み」と言いまして、ご当地のお寺の土を袋の中に入れておりまして、私のおじいちゃん、皆さんの協力を得て私の祖父の代に作ったものです

これの意味は、現地までお参りに行けない人たちの為に、現地の土を踏むことでお参りしたと同じご利益を得てもらおうということで始まったものです

光明寺では毎月の護摩のお勤めの度に、違う札所の軸を8つ掛けまして皆さんにお参りしてもらっています

写真のコの字は燃える香の粉で作っているもので、私たちのお勤めの最中は、これが必ず燃えております

燃え尽きるとこのような感じになるので、新しく人力で作り直します

こういう道具を使って作ります

私たちお坊さんが、最初の下働きとして叩き込まれるのが、この作業で色々怒られながら、注文をつけられながら上手くなってきました

私の下積み時代の作業は未だに日々の生活の中で続いております

写真は仏様にお供えしているご飯「仏飯」です

私たちの朝炊いたお米を、朝ごはんの前に少し取って、仏様に最初にお供えしております

別に食べ物なら何でもいいのです、白ご飯でも食パンでも仏壇にお供えしてあげてください

まだまだ出そうと思えば色々ありますが、それはまた次に

住職の護摩の後、夜に護摩のお勤めを始めて3か月目

6時半から火を上げて、副住職の私が護摩を行っておりますが、まだまだ自身の修行不足を感じているところです

ですが、私たちと同じ若い世代が、なかなかお参りできないとの声をいただいているので、いつかは皆様に来ていただけるよう続けていこうと思っています

修行不足といえば、最近子育てでも自分の修行不足を感じ、改めて「親になる」というのは難しいと感じています

自分以外の人間の世話をして、育てていくことのなんと難しいことでしょうか

自分もやってもらったことなので、文句は言えぬと思い精進していきます

私たち人間って動物なので、本能とは切っても切り離せるものではないと思っています

そんな中で、子どもは誰に教えられるでもなく、健康な夫婦であれば勝手に出来るかと思います

しかし、勝手に子どもはできたとしても、残念ながら、勝手に親にはなれません

特に男性陣は母性本能など持っておらず、何も意識しなければ子どもができた後も、変わらず遊び呆ける人間もでてきます

だからこそ、どうありたいか?どんな親になりたいか?という理想を胸に抱き、理想とのギャップに悶えながらも過ごしていくしか無いと考えています

私たちお坊さんは、日々の朝のお勤めの中、仏心という仏様の心を持った生き仏になりたいと日々願い修行しております

最初は届かなくても、捨てず諦めず、面倒くても続ける

そんな修行を何十年か続けた後、もしかしたら生き仏と言われるようになれているかな?

…もしかしたらクソ坊主と言われているかもしれません(笑)

親も、お坊さんも両方とも難しいですが、ボチボチ続けていってみようと思います

住職は奥の院、私は高野山

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

急に寒くなってきた中で、慌てて冬物の準備に追われていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

10月の9日、光明寺奥の院では無事に月並みの護摩のお勤めが行われ、たくさんのお参りの方が見えられたそうです

今回私は出席できず、写真が撮れなかったので、お山の護摩の様子を写した写真はありません

代わりに、私はどこに行っていたのかと言いますと、高野山の金剛三昧院

私が高野山に上がって、4年間イロハを教えてもらう丁稚として働いていたお寺の落慶法要を手伝いに行っておりました

光明寺に関係のある方は、よくご存じかもしれませんが、実はこの金剛三昧院、今の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にバリバリ関係しております

北条政子が大泉洋演じる助殿、源頼朝とその子供の実朝の供養の為に建てたお寺が、金剛三昧院です

高野山は火事が多かったもので、ほとんどのお寺が昔の建物は消失している中で、この金剛三昧院だけは、一度も燃えたことがなく、当時の建物がそのまま残っているとして、世界遺産にも認定され、政子様の命で作られた多宝塔は国宝指定です

今回のお勤めは、なんとその多宝塔の中で行われまして、私も手伝い兼お勤めに出席という、なんともありがたく貴重な経験をすることができました

写真の塔が多宝塔ですが、中は撮影禁止なので外側だけの映像です

中の空気は流石といいますか、建立当時から拝まれて、いろんなお坊さんが手を合わせたからこそ、不思議な力が集まっているように感じます

どんなに豪華なものを作っても、どんなに優秀なお坊さんがいても、私たちは一人一代限りでできることなど、たかが知れていると思っています

この多宝塔とその中の仏様は、何代も時代を超えて、いろんなお坊さんに受け継がれ、そして今現在私たちが、その尊前にて、お勤めすることができています

受け継いだお坊さんは、優秀な人もいれば、そうでない人もいたでしょう

でも、全てのお坊さんが様々な形で「手を合わせる」ということを続けてきたがゆえに、とてもたくさんの力を蓄えられた、神秘を感じさせる仏様でした

私個人の力は微力なものですが、こんな素晴らしい場所でのお勤めに参加できるご縁に会えたことは、ひとえに日々のやっていることが間違ってはいなかったのかな、とおもっております

素敵なご縁は、どんどん繋がっていってくれたら嬉しいですね

最後に私の高野山時代の師匠さまと同期のメンツです

丁稚の時から皆で一緒に飯を食べて過ごしたメンツです

みんな大きくなったよねー

それぞれが今は自分のお寺の住職で、全員頑張っております

私も負けず、帯を締めて頑張らねば!