雨水(うすい)の訪れとともに

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

節分が終わってからというもの、三寒四温で徐々に春の気配を感じるようになってきましたか?

光明寺では、節分のバタバタが終わって、少しのんびりとした・・・気が抜けたとも言いますが、空気の元、寒さの終わる季節を今か今かと待っています

この2月は本当に激動で「二月は逃げる」という格言のとおり、仕事とプライベートの両方がイベントてんこ盛りでしたので、始まったと思えば気が付けば21日の護摩のお勤め、なんて感じの実感です

タイトルで書いた雨水(うすい)とは24節季の時期のことで、冬の間の固く凍った氷が解けて水に変わりは始める時期です

今まで土の中で固く閉じていたものが動き出す準備、あるいは、気の早いものはもう動いているかもしれません

そんな制から動へと変わっていく時期です

私の仕事の方も、色々と形が変わってきたなーと思う今日

やっていることは以前から変わってないと思うのですが、やはり年齢もあるのでしょうか

以前なら自分のお寺のことだけでしたが、いつの間にかあっちも手伝いこっちも手伝い、さらにはお手伝いという形ではなく、私に直接お仕事を依頼したいという人たちが出てきてくれたおかげで、皆さんの間で動かせてもらっている状況です

このブログも、始めたころは誰も見てくれなかったのですが、今ではチラホラと見てますの言葉を頂けて嬉しいかぎりです

ホント、見てます、の言葉が一番励みになりますね

いろいろ動いていく中で、自分の仏教に対する考え方、感じ方も変わってきたように思います

お坊さんになりたての頃は、自分の力こそが一番大事で、皆様の助けになることができるのは、自分の修練した力こそが大事だと思っていました

もっと修行したら、いろんなことに戸惑うことなく、余裕をもって対応できると本気で考えていました

そう思って修行してきましたが、いろんな降りかかる問題は変わらず、余裕をもって対応することなど夢のまた夢です

自分自身の力不足を感じているのは今も昔も変わりませんが、周りの人たちが、こんな私でも頼りにしてくれているので、いつも「私で大丈夫?」という不安な気持ちはあれども、「私にしかできないことをしに行こう」という・・・半ば開き直りですw

今は修行した力は、もちろん大事と思っていますが、順序は二の次、三の次です

一番大事なのは、やっぱりご縁の力

この力に比べたら自分一人の力など小さいものです

自分の力がとっても在ると勘違いするのは我執(がしゅう)で自分に囚われてしまっていて、これは仏教でいうと修行してても身にならないダメな状態です

以前の私の考え方は、思いっきり我執でしたね

いろんなご縁や勉強会のおかげでここに気づけたのは、無駄ではなかったと思いたいところです

二番目が怒らないことですね

以前、友人に紹介してもらった書籍で修業の成果をぶち壊す、一番醜悪なものとして身に染みたのが瞋恚、怒るということでした

せっかくの善い行いや努力も、怒ることで積み上げたものを全て壊してしまう

腹立てず、心は丸く、気は長く

これが一番ですね・・・わかってはいても、実践することは、とっても難しいのもわかっていますw

生き仏のような様に見られる人には憧れます

願わくば、そのあたりまで行きつくことができたら嬉しいかぎり

一歩づつの精進あるのみですかね

色々な状況で日々力不足を感じながらも、えっちらおっちらやっております

光明寺の本尊様の御手代わりとして、充足なことができたら嬉しいですね

まだまだ修行と共に私の考え方というのは変わっていくでしょうが、やはり根本の考え方というのは変わらないと思います

お坊さんになりたての頃から、私に縁のあった皆さんに、どうか仏様の教えの御利益があってほしいなと思っています

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