5月は鯉のぼりが泳ぎます

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

5月は非常に天気の良い日が多く、よい季節を過ごされているのではないでしょうか?

私もおかげさまで忙しい日を過ごしております

先月から上げ始めた鯉のぼりですが、いよいよシーズンとなって各家で上がり始めました

最近は上げる家も少なくなってきたとはいえ、探せばよく目につくもので、自分で上げるようになってから、各地の鯉のぼりを探しては観察する鯉のぼりソムリエになってきました笑

5月は光明寺では大きなお知らせはありませんでしたが、個人的には嬉しいことがちらほらと

写真は私たち夫婦の住んでいる場所の入り口付近ですが、なんと燕の巣が!

私が物心ついてからお寺に巣を作ってくれるのは初めてですので、感動です

燕の巣は幸運を呼び込むともいわれているので、結婚してから作ってくれないかなーと願っていたのが、子供のできた年に初めて作ってくれるようになるとは、何かの因果を感じます

我が子と同じく大きく育ってくれたらなーと思いながら、日々驚かさないように出入りしておりますが、ちょっとだけ驚かしている時はごめんなさいね、燕さん

この燕を筆頭に、私の周りではベビーブームが到来しておりまして、同級生や先輩、家内の後輩関係なんかも産まれたーという知らせが多数

嬉しい知らせですね

嬉しい知らせは周りも明るくすると思います

そんな5月の護摩は皆さん田植えで大忙しの時期でしたので、今月は4人の参加人数でした

一年を通してやっていると、こんなこともあります

他の方に紛れて、うちのおチビも参加です

当日来れない方が、お願い事の書いた護摩木をたくさん置いていかれているので、人数は少なくても仏様にお伝えするものは多いのが嬉しいところ

皆さん頼りにしてくれているのは、本当にありがたいですので、私たちも頑張って勤めさせてもらっています

護摩のお勤めの後で住職の話でしたが、今日はダンマパダ「法句経」という古いお経からの引用でした

どれぐらい古いかというとだいたい2500年前

そんな昔のものが役に立つのか?そう思っていた時期が私にもありました

ですが、読んでみるととっても役に立ち、考えさせられることばかり

人間って使う道具が便利になっても、中身は別物になったりしませんから、昔から人の本質は同じなんだな、と考えさせられるものです

「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

上記の文は住職が引用して使った法句経の一部です

この話では不本意なことに私がよく引き合いに出されます笑

子供が生まれた時は可愛いですし、親の後を着いてまわりますが、そのうち成長するに従ってだんだんと親の言葉、師匠の言葉をきかなくなっていきます

そこで私の子供なんだから私の言う通りにしろ、どうして私の思う通りにならないんだ、と考えてしまうと苦しみの始まりで、自分自身さえわかっていても同じ失敗をして同じ間違いをするのに、この世の中に自分の思い通りになるものがあると考えてはいけない

全ては諸行無常、自然のままに流れていきます

お金や物、はたまた自分が建てた家でさえ、壊れてしまえば誰のものでもない

天からの恵のものを一時使わせてもらっている、という教えです

自分の身体でさえ、死んで土に還れば誰のものでもなくなります

そんな中で、あれが自分のもの、これが自分のものと考えるのはしんどくないですか?

借り物の身体だからこそ、大事に使って返さないといけませんし、次も身体を借りれるとは限らないので頑張って生きようと思うのだと思います

皆さんも、これを機に何が自分のもので、何が他人のものか、それが本当に合っているのか?少し考えてみてはいかがですか