土砂加持が無事に終わりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

光明寺にとって4月4日はとっても大忙しの1日です

なんといっても一年に一度の土砂加持法要、、、といっても、馴染みのない方はわかんないと思います

土砂というのは、汚れを取り、綺麗に洗って清めた砂なのですが、その砂はとっても仏教のお勤めのありがたい力を蓄えやすいといわれています

そこにお勤めを行い、ありがたい功徳の力を蓄えることを土砂加持といいます

私なんかは、この土砂を地鎮祭の時に持って行って撒いたり、事故の方のお葬式のときは棺の中に入れてあげたりと、よく使っています

これは完全に私の主観、感想になるのですが、険しい顔をして亡くなられたかたなんかは、土砂かけてあげると、幾分和らいだ表情になってくれるようなきがしています

私のお坊さんとしての感想ですので、データなどは一切ないので悪しからず

当日は想像以上の方にお参りいただき、本当に嬉しいしだいです

当日は法要の開始は1時からでしたが、お寺を支えていただいている役員の皆様には、午前中の早い時間からでていただき、雑用を引き受けてくれて本当に感謝の気持ちしかございません

お勤めが終われば去年に続きまして、神戸の田中僧正の法話です

去年の話を聞かれた皆さんは覚えていらっしゃるでしょうが、本当に人の興味を引きながら、時間を忘れさせたような話をするのが上手で、また聞きたいというご意見を多数もらっていたので、無事に2回目です

今年も私は裏で動いていたので、お話を聞くことはできなかったのですが、今年は妹夫婦が聞いてくれたので、そこから話の内容をまた聞きできました

話ていただいたのは35分ほどでしたが、あっという間の時間だったそうで、もう終わった?という感覚になってしまったようです

配られた紙の資料はお寺に置いていますので、欲しい方はお渡しさせてもらいます

私生活では、自分が完全に満たされるということはありえませんし、どんなに周りが気を使ってくれても、どこかで思うところが出てきますが、そんな心のしこりを解消する方法というのが修行であるというお話です

修行は大きく別けて2種ありまして、一つは自利行というもので、これは自分を高みに上げるための修行です

今回お話の主に挙げられたのが「利他行」というもので、これは他人のためにする修行、他人のために何かしても自分には何も利することがないじゃないか、と思いですか?

例えば、私たちが周りの人に優しい施しを行うと、救われたなと思ってくれる受けた人は、困ってる人たちを見つけたときに、また自分にできる形で助けるかもしれません

それが何回も続けば、やがて自分が困ったときに誰かが助けてくれるのは、もしかしたら昔に自分が行った、誰かへの優しい施しの和かもしれません

そういう施しの修行で、無財の7施というものがありますよ

というお話を、本当にあっという間に話されたと聞いています

私たちお坊さんからしたら、無財の7施はいたって普通のお話

ですが、普通を飽きさせず、面白く、わかりやすくお話しするのは田中僧正のまさに得意とするところ

ほんとうに見習いたい先輩です

光明寺に関わってくれた人たちのおかげで、土砂加持法要が無事に終わりましたことを、これをもってご報告させてもらいます

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