久しぶりというのは、とても嬉しいものでした

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

4月も終盤に差し掛かり、ずいぶんと暖かいどころか暑くなってきましたね

実はこの4月から、高野山でもさまざまな活動が再開されておりまして、その一環として、お坊さんとお話できる場所が復活しました

ありがたいことに私は早い段階で、仕事の依頼をいただきまして、一週間ほどいってきました

コロナのおかげで実に2年半ぶりの活動再開、感無量の思いでした

久しぶりに山の上に上がるので、近隣のお坊さんからは大量の買い物を頼まれていきました笑

2年半という時間はやはり長いもので、いろんなものが変わっていました

年の近いお坊さんが軒並み親になっていたり、ペーペーだった若い子たちがいつの間にか役職について物事を動かしていたりと、私も時間の流れを感じさせられました

写真は高野山の大師協会で、私が動いていた場所の一つです

高野山でのお坊さんの活動の事務的な処理をおこなう場所なので、さまざまなお坊さんが出入りしています

いろんな人に再会したのですが、中でも師匠に再会し結婚の報告ができたのは、個人的に一番嬉しいことでした

コロナで随分人の減った高野山ですが、それでもいろんな人が来ています

やはりこの場所は、いろんな事情を抱えたり、悩んだ人が来ることが「少しだけ」多いように感じます

皆さん話していると様々な内容の話を話されるので、それを聞いていると「果たして私でお力になれるだろうか?」と感じることもしばしば

お大師様の教えをお伝えして、お坊さんとしての立場からの見解をお話しして、どこまで皆様に届いているかはわかりませんがいくばくかの力添えができれば良いなと、いつも思っています

そんな高野山でのお仕事を終えた後は、光明寺で嬉しいことがあったのです

光明寺にもついに鯉のぼりが立つ時がきました

青竹を切ってきて、屋根より高く聳え立て!

と言うは簡単ですが、土台を作ったり、竹の運び出しだったりと結構大変でしたが、住職と二人、可愛い孫(私には子供)の為になんとか立てることができました

そんな作業をしていて思ったのが、自分のためには絶対やろうとは思いませんでしたが、子供、、、次の世代を担っていってくれる子たちの為なら身体も動くもんだということですか

子供が産まれたときによく聞いたのが、孫を見るときの人たちは、孫から繋がっていく未来を想像するので、理由もなくウキウキするし、可愛いし、期待するそうです

私たちは何が幸せと感じるのだろうかとよく考えていました

そういう関連の本や資料も結構読みましたが、それよりも親になってみて本当に実感するのは、自分のやっていることが未来に繋がっていってくれるという感覚が本当に嬉しく思います

これに関してはお金では買えないな、と感じます

お爺さんやひいお爺さん、その先祖から繋がってきたものが自分たち、そして子供、その下の孫たちに繋がっていく、その大きな世界の流れの中で、私たちは少しばかり生きているだけなんでしょうね

「阿字の子が阿字の海より立ち出でて、また立ち返る阿字の故郷」

真言密教で言われている言葉ですが、私たちの本質、魂の中側にあるものは、人も動物も植物も変わらないものを持っていて、皆んな同じところから産まれてきて、生を謳歌して、死んだら同じところに帰っていく、そう言われていたのが、最近初めてこんな感じなのかな?と実感しています

ずっとこれからも流れていく世界の時間の中で、光明寺という場所でおくらせてもらえる1日を感謝して過ごしています

皆さんも不安になったりしたとき、自分の家のご先祖さまはどういう流れで皆さんに繋がってきたのか、少しだけ考えてみてはいかがでしょうか?

土砂加持が無事に終わりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

光明寺にとって4月4日はとっても大忙しの1日です

なんといっても一年に一度の土砂加持法要、、、といっても、馴染みのない方はわかんないと思います

土砂というのは、汚れを取り、綺麗に洗って清めた砂なのですが、その砂はとっても仏教のお勤めのありがたい力を蓄えやすいといわれています

そこにお勤めを行い、ありがたい功徳の力を蓄えることを土砂加持といいます

私なんかは、この土砂を地鎮祭の時に持って行って撒いたり、事故の方のお葬式のときは棺の中に入れてあげたりと、よく使っています

これは完全に私の主観、感想になるのですが、険しい顔をして亡くなられたかたなんかは、土砂かけてあげると、幾分和らいだ表情になってくれるようなきがしています

私のお坊さんとしての感想ですので、データなどは一切ないので悪しからず

当日は想像以上の方にお参りいただき、本当に嬉しいしだいです

当日は法要の開始は1時からでしたが、お寺を支えていただいている役員の皆様には、午前中の早い時間からでていただき、雑用を引き受けてくれて本当に感謝の気持ちしかございません

お勤めが終われば去年に続きまして、神戸の田中僧正の法話です

去年の話を聞かれた皆さんは覚えていらっしゃるでしょうが、本当に人の興味を引きながら、時間を忘れさせたような話をするのが上手で、また聞きたいというご意見を多数もらっていたので、無事に2回目です

今年も私は裏で動いていたので、お話を聞くことはできなかったのですが、今年は妹夫婦が聞いてくれたので、そこから話の内容をまた聞きできました

話ていただいたのは35分ほどでしたが、あっという間の時間だったそうで、もう終わった?という感覚になってしまったようです

配られた紙の資料はお寺に置いていますので、欲しい方はお渡しさせてもらいます

私生活では、自分が完全に満たされるということはありえませんし、どんなに周りが気を使ってくれても、どこかで思うところが出てきますが、そんな心のしこりを解消する方法というのが修行であるというお話です

修行は大きく別けて2種ありまして、一つは自利行というもので、これは自分を高みに上げるための修行です

今回お話の主に挙げられたのが「利他行」というもので、これは他人のためにする修行、他人のために何かしても自分には何も利することがないじゃないか、と思いですか?

例えば、私たちが周りの人に優しい施しを行うと、救われたなと思ってくれる受けた人は、困ってる人たちを見つけたときに、また自分にできる形で助けるかもしれません

それが何回も続けば、やがて自分が困ったときに誰かが助けてくれるのは、もしかしたら昔に自分が行った、誰かへの優しい施しの和かもしれません

そういう施しの修行で、無財の7施というものがありますよ

というお話を、本当にあっという間に話されたと聞いています

私たちお坊さんからしたら、無財の7施はいたって普通のお話

ですが、普通を飽きさせず、面白く、わかりやすくお話しするのは田中僧正のまさに得意とするところ

ほんとうに見習いたい先輩です

光明寺に関わってくれた人たちのおかげで、土砂加持法要が無事に終わりましたことを、これをもってご報告させてもらいます