猛暑、酷暑、晴天の中、光明寺本堂より

皆さんこんにちは

梅雨が明けて、とんでもなく暑い中いかがお過ごしでしょうか?

光明寺では、今月も変わらず21日に無事護摩のお勤めを行うことができました。

ちなみに、最近お寺の玄関横に朱印所の看板を新設しました。

これまでなかなか朱印を求めて来られる方が多いにも関わらず、場所が分かりにくかったために迷わせてしまっていたので、これで解決できるといいですね。

看板の前に蓮の花を置いているのですが、良い感じに咲いてくれて非常に奇麗です。

涼しげがあるかと言われると、残念ながら焼け石に水の感じがあります

みなさんコロナのワクチンはいかがでしょうか?

昨今いろんなニュースや情報が飛び交う中、しかし接種した人は着実に増えてきているようで、ここ田舎の赤穂でも年配の方は大分進んだ様子。

そして、きっかけがあれば人間、行動も変わるものです。

これまでは、コロナの恐怖から来院を控えていた方が、良い天気だからと久々の護摩のお勤めに参加していただけたのは、私たちにとっても嬉しい知らせでした。

嬉しい知らせといえば、先日檀家さんの息子さんが就職が決まったと報告に来てくれまして、副住職は残念ながらタイミングが悪く、会うことができなかったので、おめでとうと直接伝えそびれたのが残念です。

料理人として就職できたそうなのですが、私は個人的に料理を作る人というのは、すごいお仕事だと思っています。

だって、私たちが生きている限りは、どんな偉い人も、どんな極悪人も「食べる」ということ無には生きていけませんし、美味しい食事というのは、落ち込んだ時、悲しい時、辛い時、どんな時も私たちを救ってくれる要素だと思います。

私も、修行時代に辛いことがあった時や、腹ペコの時に食べさせてくれた料理人の人には、やっぱり感謝の気持ちが未だに湧いてきますし、頭もあがりません。

疲れたときに食べる濃い目の味付けの料理なんか、ご飯がどれだけ進んだことか。

もし、この先人間が進化しすぎて「食べる」ということが必要なくなれば、料理人は廃業に追い込まれるかもしれませんが、そうならない限りは、どんな人にも必要な偉大なお仕事であり続けると思いますので、是非とも頑張っていってほしい限りです。

まだまだこれから夏本番です。

お寺はお盆参りも控えている中、暑さで倒れないようにしなければ

皆さんも、どうか夏バテ、熱中症に気をつけて、美味しいものを食べてお過ごしくださいませ

他人の不幸は蜜の味、では、他人の幸福は?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月11日は心配していた雨も無く、無事に快晴の空模様に恵まれて、光明寺奥の院の護摩のお勤めを行うことができました。

左の写真に映る七福神さんも、どことなく気持ちよさそう?w

兵庫県は非常事態宣言が明けたとはいえ、非常に微妙な世情が続いてはおるますが、ひとまず護摩のお勤めがいつものメンバーが集まって開催できたことに感謝でしょうか。

連日の大雨は、こちらの方もすごい降りようで、どこか崩れないかと心配しましたが、なんとか大事なく抜けることができました。

しかし、熱海のニュースは本当に心が痛みます。

私はお坊さんですので、亡くなられた方のご冥福、並びに被災された方の復興をお祈りするということしか出来ませんが、微力ながら光明寺から祈っています。

話は変わりまして、今回の護摩では信徒の方が、赤飯を持ってこられました。

というのも、このご家族に妊婦さんがいるので、安産と母子の無事を祈願してほしいと言われ、お札を作ったのが半年程前。

それから護摩のお勤めでは、おばあさんが(とっても若い)毎回母子の無事を祈っておられ、私たち僧侶側では毎朝のお勤めで、本尊様に母子の無事を祈っていましたら、なんとこの7月初旬になんとか出産を終えることができまして、ご利益を頂いたのでそのお礼に!ということで参ってこられる人全員分を奉納していただきました。

お堂の中は、もうその報告のおかげでみんなお祭り騒ぎに

嬉しいことをみんなでわかちあえるというのは、本当に幸せですね

悲しみは半分に、嬉しさは2倍に!と言ったのは誰が言い始めたのかは知りませんが、本当に真実を上手く言ったものだと思います。

その報告が終われば、住職の法話です。

話の冒頭で蜂の巣のことを言っていましたが、蜂が高い場所に巣を作る年というのは、大雨の年になると子供の頃に言われたそうで、今年は光明寺でも2つもスズメバチの巣を、屋根裏、軒先からとりました。

昔のお年寄りの人が言ったように大雨の年になりましたねー、といっていましたが、ちょっと待ってください。

蜂の巣取ったの私ですー!笑

思わず冒頭で突っ込みたかった話でした。

脱線はさておき、今回住職は「安心」について話ました

これは、一般的には「あんしん」と読みますが、仏教では「あんじん」と読みます。

意味としては、ネットで調べると「仏教の功徳によって迷いがなくなって、安らかな心の状態」と出てきます。

言葉で聞くとややこしいですが、誰か大事な人の為を思って行動している、あるいは、手を合わせている時の気持ちこそが、仏教のあんじんだと思います。

自分の子供の世話をしている時や、親に孝行しているとき、はたまた伴侶に報いてサービスしている時、、、最後だけは不安というより恐怖を感じている人もいるかもしれませんがw

そんな誰かのために動いている時は私たち人は、非常に喜んで、あるいは、楽しそうに動きます。

これを学者さん方は、お猿さんが群れを維持するために進化してきただとか言いますが、仏教では誰かの為に動いている時の心こそ仏様の心と同じだと言っています。

安心(あんじん)を感じるとは、あなたの大事な人たちのために動いてあげてくださいね、ということです。

お経を唱えるでもなく、頭を丸めて修行するでもなく、優しい行いをすることこそが、一番良い修行ですよと真言宗は言っています。

是非あなたの安心大切にしてみてください