四月なのに五月晴れです

みなさんこんにちは、副住職の隆照です。

本日は四月のお大師様の日です

お陰様で快晴の天気に恵まれまして、非常に気持ちよく護摩のお勤めを行うことができました。

カレンダーは4月ですが、体感の気温や陽気は五月の五月晴れか、初夏を思わせるぐらいに暖かい日でした。

そんな陽気で奇麗に咲いた花にはお腹を空かせてやってきていたアゲハ蝶

のんびりと美味しそうに蜜を吸って、私が近づいても逃げるそぶりはありません。

やはり皆美味しいものを目の前にすると食い気が勝ってしまうのですねw

そんな中でもたくさんの人がマスクをして、対策を各々行ったうえでお参りに来てくださいました。

お勤めの後の住職のお話しでは、月初めの土砂加持で来てくれた田中僧正のお話しがでできましたが、神戸の震災に合われて、奇跡的に一命をとりとめた田中僧正でしたが、お話しの中で、仏教を信仰していたから仏様に助けていただいて、という事を話しておられましたが、法話が終わった後に住職に相談しに来た一般の方がいたようです。

「仏教を信仰していたから助かった、と仰っていましたが、じゃあ信仰していなかったら助からなかったのですか?」

なんとも答えにくい質問ではないでしょうか?

住職の話を聞きながら思わず、お坊さんとしての生き方が問われるような質問だな、と思います。

信仰していると病気にもならないし、悪いことも起こらないなどとは私も思いませんし、皆さんの病気平癒を祈るお坊さんだって、病気になります。

ですが、信仰している人としていない人の最大の違いというのは、起こった出来事を素直に受け止めることができるかどうか?ではないかと思います。

大事な人が亡くなった時、理不尽なことが起こったとき、信仰を持っている人も、持っていない人も等しく悲しい思いが募ると思います。

時間が経っても自分の中で整理がつかず、なぜ?どうして?との思いばかり募ると何も手につかず、何をやっても満たされないという状況に陥る人もいると思います。

しかし、信仰をしっかりと持っている人というのは、辛いことがあって、落ち込んでも、そこに立ち止まらず、時間はかかるかもしれませんが、起こった出来事を自分の中で受け止めて歩んでいけるのだと思います。

伴侶を亡くされた方のお話しをお仏壇の前で聞くとき、なんだかとっても嬉しそうに見えるんですもの。

強い心を持った人がたくさんいるな~という思いです。

なんだか非常に抽象的なお話しになってしまいましたが、これはあくまで光明寺の住職と私、副住職が今までお坊さんとして経験してきたことの、世界観といいますか、仏教観のようなものです。

いろんな意見はあるとは思いますが、少しでもいろんなものを考えられる方の参考になれば幸いです。

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