新年初護摩・・・しかし、参加できず

みなさんこんにちは

副住職の隆照です。

非常事態宣言が発令されていかがお過ごしでしょうか?

今回の非常事態宣言は、全く外に出るな!という内容ではなかったものの、しかし、用心してなるべく出歩かないでくださいと言われ、なかなか窮屈な日々を過ごしております。

まぁ、これも辛(かのと)丑年の宿命と考えて過ごして居るわけなのですが、光明寺の行事も、やはり少し宣言下でのことを考えて変更を行いました。

1月21日の初大師

例年でしたら、午前中に護摩のお勤めを行いまして、お昼ごはんをお出しして、午後から皆さんで一緒にお大師様のお勤めを、お経をお唱えすることで行うという日程だったのですが、お昼ごはん以降の予定を秋の彼岸の時に延期ということになりまして、護摩のお勤めだけ行うことになりました。

当日は非常に天気も良く、雲が探せないほどの青空で、宣言下でなければ最高の日になっていたであろうことを思うと、少し残念です。

しかし、肝心の私、副住職はここにはいませんでした。

というのも、毎年一月の護摩は姫路のお寺にお手伝いを頼まれまして、そちらに向わせてもらっています。

街中のお寺だけあって、例年たくさんの人が来ますが、そちらも今年は少ない参詣人でした。

コロナが収まるまでは仕方がないですね。

今回は少し別の報告をさせていただこうかなと思います。

実は、去年より地元の再発見ということで、近隣のお父さん方が協力して旧跡の再開発ということをされて、昔のお侍さんの時代に建てられた山の上の出城への道を整備してくださいました。

なんと整備にかかった時間は発案から三年ほどかかったそうで

それだけの間、皆さんで協力されて復興された場所はロマンが溢れる場所となっています。

私は去年、存在は聞いていたのですが、なかなか上る機会がなかったこともあり、足が向いてなかったのですが、先日家内と時間ができたときにようやく登ることができました。

その時の写真がこちら

家内の歩くペースも考えて、登り約1時間の行程でしたが、健脚なかたはもっと早く、30分もあれば登れるかと。

しかし、登って驚きましたが、非常に道がしっかり整備されて、業者さんが入ったと言われても疑問を抱かないほどでした。

そんな中を登れば待っているのは、有年平野を見渡せる絶景

昔、ここ有年が交通の要所であり、それの警護のために山城が建てられたのも納得の見晴らしでした。

写真では全方向撮れないのが惜しい

そして、登って登山記録のノートがありまあしたが、見て驚き。

非常にたくさんの人が登ってこられています。

私たちは、昼からあがったのですが、この日は平日にもかかわらず三人登った後でした。

地元にこんな素敵なところが作られたとは。

アクセスも二号線の直ぐ横という、ちょっと気軽に散歩か登山にぴったっりの場所です。

是非とも、一度登ってみていただくとよろしいかと。

正月の終わりを感じて

皆さんこんにちわ、副住職の隆照です。

このブログを書いている今日は成人の日です。

今年は時勢の関係で、延期、中止が多く発生しているのが居たたまれない思いです。

新成人の方には辛い年でしょうが、挫けないで欲しいと願うばかりです。

今月の始めから、光明寺の門を飾ってくれていた正月飾りのしめ縄や門松も本日取り払いました。

本来でしたら、14日の夕方、正月の節句が終わるときに片づけて、とんどの火で燃やすのですが、平日は村の人たちが動けない関係で日曜日の今日正月終いというわけです。

お寺はお正月が終われば少し休憩しまして、次の節分に向けて大忙しになる予定です。

とはいえ、それはもう少し先の話なので、ここ数日は息抜きできるはず。

そんな中で行われた奥の院の護摩のお勤め。

写真を見てわかりますか?

なんとこの水たち、全部奇麗に氷づいていたのです。

この日は、とてつもなく寒かった大寒波の中行われました。

朝、奥の院に向かう車の中の温度計はなんと-5度を記録。

いざ、お堂に着いてみれば、中の水分はすべてが凍り付いておりました。

写真のペットボトルは、中に水が満タン入っていましたがご覧の通り。

鈍器に早変わりです。

そんな中、山を登ってこられる皆さんの手が赤いこと赤いこと。

思わず、大丈夫でしたか?と聞いてしまいます。

皆さん笑って「寒いね~」と答えてくれるのですから強いですね。

そんな護摩が終わりまして、住職の話は年始のお話しと同じ辛(かのと)丑年の話でした。

同じことを書いても仕方がないので、今日は私のここ最近で感じていることを。

お坊さんという生き方をしていると、不思議な出来事によく出会います。

おそらく、一般の方よりも多いとは思っています。

よくお坊さんは霊が見えるんですか?と聞かれます。

私は一度も見えたことはないですし、声も聞いたことはありません。

自分では霊感は皆無だと思っています。

ところが、そんな私でも居心地の良さ、悪さというものは感じます。

よそ様の家は然り、それ以外ですと、土地の雰囲気と言いましょうか。

やはりしっかりと手入れされた土地や物というのは、いい居心地を感じさせてくれますし、何よりまた行きたいと思わせてくれます。

そんなお寺の空気になればいいな、と考えて色々取り組んではいますがなかなか思い通りにはいかないものです。

ここ最近、いろんな悩みを抱えた方が光明寺に来られる機会がいくらかありました。

いろいろ相談にのってみて、話も聞きましたが、その方々が一番スッキリして帰られたのは、お堂で仏様に手を合わせてからでした。

それまで他人のアドバイスを聞いて、いろんな努力や、お医者さんにかかっても改善しなかったものが、お堂でのお勤めを機に変わられたのを見ると、毎度毎度、自分でも不思議に思いますが、仏様の御加護凄いなと思います。

別に私は、お医者さんを疑っていたり、科学を嫌っているわけではないのですが、、、むしろ、なにか不調があれば、いの一番に観てもらいに行きます。

そんなお医者さんに普段からお世話になっている身でありますが、それ以上に人智を超えた神仏の御加護の一端を見ると、これまで以上にお坊さんを頑張っていこうと思えます。

願わくば、居心地の良い、仏様の力に満ちたお寺の雰囲気に少しでも近づければいいものです。

あけましておめでとうございます

みなさま、タイトル通りあけましておめでとうございます。

コロナで騒がれた2020年も終わりまして、新しい一年がやって参りました。

去年は公私ともに激動の一年だったと思います。

年の初めより、コロナで世界中が振り回されておりました。

世界的に見ても、経験したことのないような、以前の似た事例ですとスペイン風邪の流行が近いかもしれませんが、それを経験された方はもう鬼籍に入っておられますし、全人類が初体験の情勢だったと思います。

そんな中ではありますが、去年は私事に関しましては、大変ありがたい年でした。

私、副住職に嫁いでくれるという殊勝な女性が現れ、念願の光明寺に新しい奥さんができました。

大変な一年の最後になんとか花を添えることができたのではないかと思っております。

そんな一年もおわり、無事に年越しから光明寺は大忙しでした。

新年に仏様と土地神様にお供えする御餅を作るために餅つきを行ったり、しめ飾りを飾り、門松を作ったり、、、毎年光明寺の門前に飾ってある門松、実は住職お手製なんです。

買ったら高いからという理由で作り始めて、早うん十年、若嫁が驚いていましたが、その腕前はプロ級にまで上り詰めております。

一番上の写真に乗っている両脇の門松がそうです。

そして、このブログを書いていて後悔。

餅つきも門松も、しめ飾りも、作る最中写真撮り忘れました。

うーん、残念。

だいたい後から気づくものですね。

ともあれ、そんな準備もしっかりとできて、いよいよ大みそかを迎えました。

今年はコロナの影響もあり、例年の甘酒や暖かいお茶のお接待は中止せざるを得ませんでした。

冷え込みもキツイ日でしたので、誰も来てくれないかと思っていたら、一人、また一人と門をくぐってきてくれて、待っている側としては非常に嬉しいかぎりでした。

さすがに例年よりも総数は少なかったものの、それでもお堂が埋まるぐらいの人数が来てくれて、本当に心の温まる年越しになったのではないかと思います。

そんな中で、今年の除夜の鐘、そのオオトリを飾ったのはこの子です。

実は、小さい時からおじいちゃんおばあちゃんに連れてこられ、良くお寺に来てくれていたのですが、とっても奇麗な女性に成長して来てくれました。

おじいちゃんはもう鬼籍に入られましたが、手を引かれてきていた子が、今度は友人の手を引いてくる側になってくれるとは、、、

うーん、私も歳を感じます(笑)

冗談はさておき、本当に嬉しく感じた瞬間ですかね。

除夜の鐘が終われば、本堂での新年初の護摩のお勤めを行いました。

なかなか普段のお勤めでは来られない人たちも、大みそかの流れでお勤めに入って行くことができる貴重な瞬間です。

初体験な子たちもいて、皆さん思い思いに新年のお願い事をされていました。

そこでの住職の話ですが、例年のごとく干支の話。

今年は丑年ですが、辛(かのと)丑年です。

この干支というのは、一年の運勢を現わしていまして、辛とは植物が枯れてしまって寂しい状態を表します。

しかし、ただ寂しいと言っても、空しい寂しさではなく、次に芽吹くためにしっかりと準備を行うための静寂です。

更に丑年といのは、牛歩の歩みという言葉があるように、物事を一気には進めるのが苦手、しかし、牛は怒れば怖いし、すごい速さで突進しますよね。

丑年の人間は怒らすとおっかないなどと言われるように、辛抱強く物事に取り組めるが、一度怒らすと手が付けられないと言われます。

今年もまさにそんな運気の年で、コロナ明けで一気に物事が動いてほしい気持ちはありますが、そのための準備を辛抱強く行う歳になるということで、もう少し耐える期間というのは続きそうです。

しかし、いざ動き始めたときに、牛のごとく突進できるように、今は水面下でしっかりといろんな準備を行う歳にしていこうではありませんか。

光明寺では、今年も可能な限り例年通りの勤めごとを行うように努力してまいります。

みなさんも、コロナに気を付けたうえで、お参りいただけることをお待ちしております。