お盆が終わり、晩夏の候

お盆が終わりまして、暦の上では夏の暮なのですが、まだまだ暮れる気配のない暑さが猛威を振るっています。

みなさんこの暑い夏をいかがお過ごしでしたか?

今年のお盆参りは天気には恵まれましたが、むしろ、恵まれ過ぎたぐらいで、軽い熱中症にみまわれながら、なんとか無事に終わることができました。

今年は、お盆に皆さんにお配りするリーフレットの原稿を頼まれまして、不慣れな中何とか書き上げたものが兵庫県中の真言寺院に配られているかと思うと、なんとも不思議な感慨を抱きます。

私などが書いたものが、皆さんが見ていただくに堪えうるだろうか?という気持ちはもちろんありましたが、思ったよりも好評な意見を多数いただけていることに、安心を覚えるとともに、おそらくみなさんが心の中に持ちつつも、言わないでおいてくれているであろう批判めいた意見に思いを馳せてしまい、ありがたく感じるとともに思い上がらず、精進を重ねていこうと思いました。

さて、お盆の話はさておき、本日も光明寺では、暑い中でありますが、月例の護摩のお勤めを行うことができました。

天気予報では37度という予報でしたので、暑すぎるがゆえに皆さん来られないかと思っていましたが、始まってみると、10人もの参拝の方が来ていただき、本当に大変な環境のなかですが、来ていただけるというのはありがたいの一言に尽きます。

本堂では、扉を全開にしてお勤めですが、それでも暑かったので終わったころには私も皆さんも汗が滴っていました。

そんななかで、本日のお接待として用意していた冷たく冷えたメロンとお茶が、みなさんに大好評でした。

暑い思いをした後の冷たい飲み物というのは、本当に美味しく感じられますよね。

住職の話も、その冷たい水のお話しから始まっていましたが、英語のアクアの語源になったかもしれないと言われる、閼伽水(あかすい)仏様にお供えするお水のことです。

今の日本では、お水というのは水道を捻ればいくらでも出てきますが、つい200年ほど前までは世界各地のどこでも、飲み水というのは貴重なものでした。

それをたとえ少量とは言え、仏様にお供えするというのは、それだけ真摯にお祈りをする証でもあり、また、たとえ貴重なものでも、自分一人で独占することのないようにとの戒めの意味もありました。

これは、仏教でもキリスト教でも、他の宗教でも聖水などと言われて、お水に関する教えや戒めというのはたくさん存在します。

そのなかで、お盆で塔婆に水をかけるというのは、写真を見ていただければわかるように、どうやっても一本だけにはかけることができません

必ず、複数本かかると思います。

それがこの塔婆の目的です。

お水をご先祖さんに手向けてあげる、そして、我が家だけでなく、他の人の塔婆、ご先祖さんにも手向けてあげる。

自分が一番!という生き方を貫いていた昔の人が地獄に落ちた物語があります。

そして、その人を救うのは、優秀な個人の力では無理でした。

ですが、老若男女みんなの力を少しづつ分けていただくだけで、簡単に救うことができました。

それがお盆の始まりとなったものです。

ですので、お盆は我が家のご先祖さんに手を合わせて、そして少しだけ他所の霊たちにも手を合わせてあげてください。

その手を合わせてあげるお勤めのことを「お施餓鬼」と言います。

今年も光明寺では24日の10時から、可能な限りのコロナ対策を行ったうえで皆様のことをお待ちしています。

どうか、自分たちだけでなく、他所も救われますように、という祈りをわすれないでください。

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