護摩の日、その前に子供食堂

本日21日も光明寺では元気に護摩のお勤めを行いました。

ところで、タイトルにもあるように先日夢前町の真楽寺さんが毎月姫路で主催している子供食堂に行ってまいりました。

毎月お手伝いに行かせてもらっていたのですが、このコロナで4か月の間休止になっていました。

再開になって、最初の回だったので、誰も来ないかと思っていたのですが、たくさんの子供たちが親と来てくれて、笑顔で晩御飯食べてくれていたので、こちらも胸がほっこり。

笑顔を向けられると、元気をもらえますね。

4か月会わないと、子供たちは大きくなってましたねー

4歳の子なんて見た目一回り大きくなっているので、私まだ若いけど、おじさん感が出てしまって「大きくなったねー」なんて言ってしまった。

いや、ほんと親戚の人がそう言ってくれてた時の心情がよくわかりました。

日にちが変わって本日の護摩

門前のツツジに後光がさして神々しい、、、このツツジ、今病気なんですけどね。

黒星病というもので、ちょっと困っております。

ボロボロ葉が落ちて、心配&掃除が大変

誰か良い治療法教えてください

自粛期間が明けて、たくさんの人がお参りに来てくれて、迎える側としては本当にうれしいの一言ですが、実はこの時住職にはハプニングが・・・

実は護摩の火が飛んで、衣の袖に燃え移っておりました。

木綿生地なので、燃え上がることはありませんでしたが、あいにく穴が開いてしまったようで・・・

まぁ、護摩のお勤めをしていたら、こんなことはしょっちゅうあります。

護摩が終わりまして、お坊さんのお話しがあります。

今日は真楽寺さんが面白い話をしてくれました。

本日6月21日は父の日でもあり、夏至でもあります。

私、副住職も、不承不承ながら父親の住職に感謝のビールをプレゼントしたわけですが・・・いやいやですw

真楽寺さんの言うには、昔からのおまじないがあるそうです。

夏至の朝一番に、まだ朝露の滴る時間に、アジサイの花を一輪摘んで、玄関先に括り付けておくと、その一年お金に困らなくなるんだそうです。

まぁ、当然おまじないなので、確たる証拠がある話ではないのですが、昔からよく言われる早起きは三文の得と同じような感じかなと思います。

現代社会ではいろんな生活のリズムが存在しておりますが、人間本来のリズムというのは、やはり昼行性という、太陽と共に動くというものが基本なわけであります。

余りにもリズムを崩し過ぎていると、体は正直に不調を訴えるはずです。

そうならないための早寝早起きのおまじないなのではないかと思いました。

昔のおまじないだからと馬鹿にせずに、その本質の意味を考えてみると面白いかもしれません。

これから夏が到来するので、皆さん暑さに気を付けてくださいね

梅雨入りで、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

ジメジメした季節になりましたね

例年では梅雨入りといっても、あまり纏まった雨の降る年は少なかった印象でしたが、今年は久々に梅雨らしい年になりそうですね。

光明寺奥の院では、今月の第二日曜日も無事に護摩のお勤めを行うことができました。

今日は雨の予報の中で、来てくれる人は少ないかと思っていましたが、お大師様の御生誕の月ということもあり、たくさんの人が来てくれました。

しかし、奥の院という場所は小高い山の上にあります。

そして、こんな蒸し暑い気候の中で、来てくれた方々は皆、汗を流されて、なんとか登ってこられていました。

参道はこんな霧の中の道です

信じられます?この奥にお堂があるんですよw

登り切って、汗が引き始めると、みなさんの顔にはどこかすがすがしい雰囲気が漂っている気配がします。

この自粛期間が終わったこともあり、久しぶりに見る方もチラホラ。

中でも、皆さんを迎える側として嬉しかったのは、何人かの方がお子さんと一緒に来てくれたことです。

やはり、不思議なもので、若い人が数人混ざるだけで、みんなの雰囲気といいますか、勢いが全然違うものになるのです。

若いって素晴らしいw

そして、もう一つ驚いたのは、参詣の方がみんなでお接待を作って持ってく来てくださったのですが、その量が今月は驚くべき量になりました。

お大師様の生誕月ということで、どうやら一人一種類持って行こうと奮起されたとのこと

いつもありがとうございます。

写真に見える菓子パンは、光明寺からいつも皆さんに持って帰ってもらっているお接待ですが、他のものは全て皆さん持ち。

その内容はおはぎ(手作り)パンケーキ(手作り)お弁当(手作り)そしてジュース

もう今日のお昼ご飯は皆さんこれで決まりですね。

私も欲しいとの鹿の襲来w

そんなお弁当をつつきながらの住職の法話ですが、今回はお水の話でした

お水という飲み物は、私たちの命をつなぎとめてくれるものです。

全ての生き物に必要な物質であることは皆さんご存知の通りだと思います。

しかし、そのお水を同じように口から飲んでも、人や動物によって違うものになって出てくるという事を、お釈迦様はおっしゃいました。

例えば牛、牛が水を飲めば美味しい牛乳になって出てきます。

しかし、毒蛇はどうでしょう?

毒蛇の口から入った水は、体で吸収されて毒となって出てきてしまいます。

同じ水なのに、生き物によってずいぶん違います。

もちろんお釈迦様も、それで毒蛇が悪くて、根絶やしにしなさいと言っているわけではありません。

それだと、仏教を起こした聖人ではなく、狂った狂人扱いされて終わていたことでしょう

同じ水でも、本質を理解したうえで正しく使っていかないと、毒蛇の毒のようになってしまうよ、という意味のお話しなのです。

人の為を思って行う善意ある行動でも、意味を理解しないで行っていると毒になってしまうので、過剰な自粛警察は考えましょうね、という内容でした。

だいぶ落ち着きを見せている情勢とはいえ、まだまだ不安なことも多いかと思います。

しかし、そんな中でも私たち仏教徒は、お大師様の教え、お釈迦様の教え、その他のいろんな方々の教えを生かして、しっかりと生き抜いていきたいものです。

追記

固定ページのほうでも更新しましたが、母親がyou tubeをアップしました。

御詠歌を1曲唱えております。

これからどんどんアップしていこうと思いますので、できれば皆様ご視聴していただければ嬉しいです。