遠征に行ってきました

2月26日に三宮の勤労会館という駅前の建物の中で行われている「お坊さん喫茶」に出席してきました。

この喫茶、実は私の高野山での後輩の子が行っているのですが、何もなかった状態の時から立ち上げて、早3年になるとのこと。

それを主催している子が、実は知る人ぞ知る「マジック説法の井上僧正」です、、、大阪以外では、なかなか知っている人の方がすくないかもw

出席されている方も沢山の方がおられて、部屋の扉を開けて入った瞬間に驚きが隠せませんでした。

1時から開催されたこの喫茶は、最初にお坊さんが皆さんの前に立って法話、もとい仏教の勉強を行い、そしてその後は、みんなの席を繋げて茶話会を行っていました。

この日は主催の井上僧正が最初に話していましたが、その講習の熱が熱いこと熱いこと。

聞いているこちらまで、思わず唸るような、感銘をうけるような、そんな話を行っていました。

話ている内容的には、ダンマパダ(法句経)というチベット仏教などで、よく使われる経典から、お釈迦様の言葉を抜粋して、仏教を学ぶ、あるいは他の宗教を学んで実践するのはなぜか?

その真理がお経には書いてあるんですよ。

という切り口で話を進めていっていましたが、その語り口調はさすがと言ったところ。

私たちの生活のゴールって?何のためにいろいろするの?生きているの?

と、誰もが疑問に思うであろう部分を、上手にわかりやすく話していたので、聞いている人たちの目の色も真剣でした。

私は、普段そういう話の仕方をしていなかったなと、参考にさせていただくと同時に、自身の力不足を痛感しました。

非常に実り多い一日を過ごさせていただいた後に、参加者の方からお土産までいただいて充実した一日でした。

私も姫路で始めたばかりの阿字観教室、負けずに頑張らねば

姫路で瞑想教室してきました

23日に姫路のレウルーラというビルで瞑想教室を行ってきました。

初回だったこともあり、誰がどれだけ来るかということも不確定な中、不安なこともたくさんありましたが、なんとか完了することができました。

正直、一人も来ることがないと思っていましたが、蓋をあけてみると意外にも何人かの参加者が来てくれて、心底ホッとしました。

ですが、課題も沢山あって次回までに、しっかりと修繕しないといけないこともたくさんあったなーと思います。

そんななかでも、来て教室を受けて笑顔で帰ってくれた人たちには感謝しています。

是非とも次の3月29日にはより良い状態でできるように準備していこうと思います。

おかげさまで無事に節分が終わりました

節分の朝は非常にいい天気でした

ご来光が普段以上に神々しく感じて思わず一枚

光の加減もあり、まるでお大師様が実際に来られたかのような一枚が出来上がりました

2月3日の開白より、9日の結願に至るまで毎日お参りに来ていただいた方には感謝の念が絶えません。

やはり、1週間という時間は短いようで長いようで、やっぱり短いのですが、終わると良い時間だったなーという思いと共に、ホッとした気持ちが出てきます

まぁ、気持ちが緩んだので、本来なら9日に書くはずのこの記事を11日という今日書いているのですが、そこはご容赦を

写真で見えている右側が私(副住職)です。護摩の火を上げるサポートをしております。

そして手前に座ってお勤めを行っているのが、光明寺の住職の父になります。

そして、奥に見えるのがこの日のメイン。

風呂敷加持(ふろしきかじ)というものを行っている広島の安楽坊さんです。

風呂敷加持というものは、護摩のお勤めでできた火というものは非常にご利益があるとされているのですが、それをなんと火種を取り、風呂敷の上に轢いてある檜葉の上に乗せ、くるんでしまって、その温かみをお参りの方に直接あてることによって、仏様の温かみ(私たちは仏の慈悲の暖かさと言っています)を感じていただく、というものです。

なかなか簡単そうにしてくれるこの風呂敷加持ですが、簡単なだけに難しく、上手に行ってくれる人というのは意外と少ないのです。

その点、安楽坊さんはベテランなうえに手早く、そして盛大に(ここ大事ですw)行っていただけるので、安心してこちらもお任せできています。

このように初めてのお参りの男の子も、無事に加持をしてもらえて、この後非常に満足している様子でした。

お勤めが終われば、無事にお話しとなるのですが、この日はスポットの光が逆光になってしまい、皆さんに後光が当たっている構図になりました。

いつもなら、安楽坊さん、そして、神戸の一言寺さんというお手伝いしていただく方からもお言葉をいただくのですが、なんとこの日は一言寺さんが欠席ということで、その代理で来てもらったのは、一言寺の副住職、お子さんです。

私の二つ下になるのですが、お勤めの時の太鼓は上手に叩くわ、人当たりもいいわ、そして、最後の挨拶で慌てるのかと思いきや、非常に素晴らしい挨拶と自己紹介、そして光明寺の感想を言っていただき、来ていただいてる方々はみんな大喜び。

そして、その話を聞いていた光明寺の住職の目にも涙がほろり

どうやら、子供のころから知っているので、大きくなってくれた姿に感動したようです。

思わず、負けたな、と思った次第です。

そんな一言寺の副住職さんですが、どうやら光明寺のお勤めに感動してもらった様子。

光明寺のお勤めは、お坊さんとお参りの方みんなで作っているので、一体感が全然違ったそうです。

そう言っていただけるお勤めになったのも、みなさんが早朝の中なのに、たくさんお参りに来ていただいたおかげでございます。

日ごろからのご尽力に改めて感謝します。

今年も一年、皆様の星と共に運勢が良い一年になるように、光明寺よりお祈りしております。

節分 始まりましたよ

今年も始まりましたね、光明寺の一大行事「節分星祭」です

この日の為に皆さんからお受けした、お札を作って参りました。

しまった、お札を見やすく写真撮るのを忘れていました。

見えにくいとは思いますが、正面の観音様の両脇にある白いものが全部お札です。

そもそも、星祭とは私たちが生まれたときに背負う運命、これを仏教では業と言います。

よく私たちが「この子は~の星の下に生まれてきたに違いない」とか言う星です。

これは各々生まれた年などによって違うので、それぞれの星を供養することで自分の今年一年の運勢を上げていこうという趣旨のものです。

これの大本は、お大師様が唐より持って帰ってきていただいたお経の中に「宿曜経」というものが含まれており、それに基づいた方法でお勤めを行っています。

ちなみに、この宿曜経非常にわかりやすく、詳しく書いてくれているので、たびたび女性週刊誌の~占いで名前だけ変えて掲載されているのを見つけます。

そのたびに私は思わず笑ってしまうのですが、それだけ広く広まっているということですよね。

皆さん事前にお札を申し込んでいただいた方がお参りに来られます。

自分の運勢がかかっているだけに、真剣なお顔です。

なお、仏教や神道で使う数え年というものですが、これは一般に自分の満年齢(普段使っている歳)に一歳足すことで出すことができますが、なぜこのような数え方になるかというと、お母さんのお腹の中にいるときから歳を数えていたからです。

さらには、旧暦ではこの節分が正月に当たり、歳を超えたら誕生日が来なくても皆さん自動的に+1歳になっていたので、ちょっとややこしい数え方になるんです。

私の身近にも、33と思っていたのが、暦でみたら35だったというのでショックを受けたという笑い話がありました。

脱線した話はさておき、10時になるとお堂の周りに暗幕を垂らしているので、電気を消して暗くして護摩のお勤めを始めました。

普段とは違う雰囲気にお参りに来た子供もワクワク半分、ドキドキ半分の様子。

お勤めが終われば、いつものお手伝いに来てくれるお坊さんからお話しをいただきます。

今回は近場のおばあさんがいつも口癖にしている「朝を迎えれてよかった」という話をしておられました。

私たちは当たり前のように次の日の朝を迎えていますが、それはすごく奇跡的なことで、いつ心臓が止まるかもわからないし、病気で亡くなるかもしれない。

それを高齢になって初めて実感して、朝起きるたびに、今日も一日の始まりを迎えれました、ありがとうと感謝する。という趣旨のお話しでした。

私も若いからと言って、知らんぷりできないので、心に留め置きます。

それが終わればお接待の善哉です。

この日の善哉は5~6回小豆を焚きこんで、味を染み込ませた特別性。

お餅はなんと朝一番にお店でついてもらった出来立てです。

皆さん美味しいものを前にすると目の色が変わるのは、子供も大人も変わりませんね。

美味しく食べていただけたのは、出す方としても一安心でした。

この2月3日を境に、ここから一週間、護摩のお勤めを続けてお札にお願いごとを込め続けます。

そのお札は2月9日に出来上がるのですが、光明寺では9日までどこへお参りに来ていただいても皆さんのお参りを歓迎いたします。

是非、お時間を見つけていただいて一緒にお札の祈願を行いましょう。