光明寺は今年も無事に、皆様のおかげで新年を迎えることができました。
日ごろから、お寺を支えていただいている皆さまに感謝をして、そして、また今年も一年どうかよろしくお願いします。
なかなかバタバタした年末年始ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
私もおかげでいろいろ忙しかったのですが、一つ落ち着いたのでホームページに年末年始の流れをアップしようと思います。
トップの写真も大みそかの光明寺ですが、大みそかといえばやはりこれ
除夜の鐘ですね
今年から始めた老人ホームの訪問でも、職員の方々に大みそかの鐘の音色聞いていますと言われて、いろんな人が聞いてくれているなと、改めて思い知らされました。
今年は少し天候が冷え込む予報でしたので、例年に比べると参拝の人は少なめでした。
しかし、それでもここでしか会えない人たちが来てくれて、待つ方としては嬉しい限りです。
毎年のことですが、除夜の鐘の打ち始めは私一人だけですので、寂しいこと寂しいこと。
ほんと人の温かみというのを痛感する瞬間です。
除夜の鐘が終われば、恒例の一年の幸福を祈願する初護摩です。
外はさむかったのですが、参拝の人の熱気と護摩の火で非常に暖かく、暖房を消そうかと思うぐらいに熱狂しました。
写真の右奥に破魔矢が写っていますが、ありがたいことに今年も大人気でお参りの人は皆さんが購入していってくれます。
一連の流れを終えたら、だいたい2時過ぎにお堂の戸締りをして無事に年越しを終えることができました。
毎年ではありますが、これが終わるとみんな家のものは疲れ切っています。
しかし、みなさんに元気をもらうからでしょう、目だけはランランと輝いて不思議な状態。
気力が体を動かすとは、まさにこういうことを言うのだろうと思います。
さて、時間は少し進みまして2日と3日の朝になります。
左の写真に撮影者の指が写っているのは、素人の御愛嬌w
年頭参りと言いまして、檀家さんへのあいさつ回りですね。
二日に分けて村の中を歩いて一件づつ周ります。
回った家には、挨拶のおしるしとして宝来という切り絵を置いていきます。
これは高野山発祥の魔除けでして、もともと高野山では田んぼが無かったのでしめ縄が作れなかったんです。
今でこそ縄は店に行けば売っていますが、その昔は各家で自作していました。
材料の藁がない高野山では作ることができず、一年の魔除けにしめ縄を制作することができなかったのです。
そこでどうにかできないものかと考えたお坊さんが、奉書で切り絵を作り、それを祈願してしめ縄の代わりの魔除けを作ろうということで始まりました。
それを私たちは年始の挨拶で配っているのです。
それともう一つ、この年頭参りでは玄関先でお勤めをさせていただきます。
普段は私たちは、お仏壇に手を合わせるのですが、この正月はお仏壇のご先祖様だけではなく、それぞれのお家の神様、そして生活している人に向かってお祈りをします。
これは供養という意味ではなく、今年の挨拶と良い運気、良いご縁が巡ってきますように、との意味でお勤めをしています。
亡くなっている人が対象ではなく、生きている人を拝んでいるのです。
そんな年頭参りも無事に終えることができました。
みなさん今年も無事にお過ごしください。
皆さんのご多幸を祈っております。