師走 護摩の火 文化の日

今年も無事に一年が終わろうとしています。

12月のことを日本独自の読み方で師走(しわす)と言いますが、由来としては、年末になるとお坊さんが忙しく走り回っている様子からつけられたとか。

あくまでも一説なので、他にもいろんな説があるのですが、年末は確かに忙しい時期ですよね。

お坊さんだけじゃなしに、みんな走り回る今日この頃

光明寺の紅葉スポットの木も走りつかれたのか、葉っぱがなくなって疲れている様子

やはり枝だけになるとずいぶん雰囲気も変わるものですね。

でも、この日は天気は快晴だったので、お天道様には微笑みかけられたかな?

そんな快晴の天気の中始まった終い大師ですが、、、ちなみに年末の縁日のことを終い~という言い回しがお寺にはあります。

終い大師とか終い不動とかですね、探せばもっと使っているところもあるはず。

脱線しました。

この日の終い大師は土曜日でしたが、お参りの方は9人でした。

やはり、年末になると皆さん地区の当番やら他の行事などいろいろ走り回っているようで忙しそう。

そんな中でもいつも通りの定刻に始まったのですが、いざ願文を住職が読み上げようとしたところでトラブルが!

なんと、風邪をひいていたおかげで声が出ない。

ボイスチェンジャー通したような声になっていましたが、なんとか最後まで読み切っていました。

風邪が流行っているみたいで、私ももらわないように気を付けないと。

護摩のお勤めが終われば、この日は嬉しい知らせが一つ。

なんと、いつもお参りに来てくれている人が、少し重い病気だったのですが、本尊様の御利益をいただいて、無事に半年ほど時間をかけて回復できたと、感謝のお供え物を預かりました。

名前は白くぼかしましたが、嬉しかったので写真をアップ。

お供えした後に、お参りの方皆さんとおすそ分けを行い、美味しくいただきました。

やはり吉報の知らせは嬉しいですね。

こちらまで笑顔と元気をいただける瞬間でした。

さて、そのお菓子を食べながら住職の話です。

お経で喉のウォーミングアップができたのか、声はよく出ている。

、、、さっきの願文はなんだったんだw

その内容は、文化って大事よねって内容だったのですが。

文化が衰退した集団というのは、やはりその人口も勢いも衰退していきます。

どんなに一時は人口が増えて、勢いがあるように見えても、文化が根付かないものは末路は同じだと、歴史学者の先生から聞いたようです。

日本各地にある、バブルの時に建てられて、今はほぼ過疎地扱いになっているベットタウンが、まさにこれの典型例だと言っていました。

しかし、反対に人口が少なくても、どんなにめんどくさくても、自分たちの確固たる文化を持っている集団というのは、息が長くしぶとく存在し続けているとのこと。

私たち田舎の人間もしかり。

人がいなくなると、ずっと言われていますが、しかし、しぶといw

しかし、最近は田舎の人たちが、自分たちの守ってきた文化を古臭いものだからと、自分たちで放棄する流れになってきていると、その学者さんは危惧していたそうです。

「田舎だからなにもない」じゃなく、「田舎だから、都会にはない文化が溢れている」

そういうことなんだそうです。

なるほど、これは確かに!

だから、どんなにめんどくさくても、自分たちの文化をなくしてはいけないですよ?という話でした。

確かにめんどくさいと思うことは多々ありますが、それのおかげで今があると言われたら、うーむ、なるほどと感心させられます。

ですので皆さん、めんどくさいけど、大掃除しましょうね?

千種の園 訪問 実は知らなかった除夜の鐘

本日2時より、光明寺の麓にある千種の園に行ってまいりました。

早いもので、夏過ぎに始めたこの訪問も4回目を数えました。

何を皆さんにお話ししたらいいかと考えているうちに、年の瀬になりました。

始めた当初は、利用者の皆さんが受け入れてくれるのかと不安に思うことが多々ありましたが、今となってはありがたいことに、皆さん毎回大勢の人が、私たちの訪問を待っていてくれるようで、本当にありがたい限りです。

今日は赤穂では、有名な義士祭が開催されており、利用者の皆さんに枕詞での挨拶に、この話題を使うと、懐かしそうに、また嬉しそうに聞いてくださいました。

去年から義士祭の仮装行列に主役として高橋英樹が呼ばれているようで、追いかけのファンもたくさん来ていらっしゃるそうです。

私は、見てみたいと思いつつ、なかなかご縁のない形になってしまって残念です。

今日は12月ということで、師走の成り立ちの一説をお話しさせてもらったのと、除夜の鐘をみんな知らない豆知識と一緒にお話ししました。

というのも、除夜の鐘というのは本来、お坊さんが行っていた仏名会という反省会がもとになっているのですが、この仏名会、できれば行いたくはないほどにしんどいのです。

その内容は、スクワット300回です。

嘘じゃないですよ?w

まぁ、正式には礼拝300回なのですが

自分の今年やってしまった罪咎を考えながら、いろんな仏様の名前をお呼びして、一人の仏様に対して一回の礼拝を行います。

礼拝の作法は床に右ひざ、左ひざ、右ひじ、左ひじ、そして額の順番につけていき、全部ついたら立ち上がります。

それが1回

これを108回、私たちの煩悩の数仏様がいてくれるので、その方々に1回づつ

これだと108回で終わると思うでしょう?

ですが、仏教では過去にも、未来にも仏様がいると考えています。

過去に犯してしまった罪に対してごめんなさい、そして、未来に犯すであろう罪を止めてくださいの意味でそれぞれ108回づつ、計324回行います。

文を書いているだけで恐ろしい( ;∀;)

これを衣で行うのですが、終わると年配から若いのまで汗だく、息も絶え絶えの苦行です。

そりゃ反省会だから仕方ないのですが、しかしやりたくないのは仕方ない。

犯した罪を反省するのはいいことだから、一般の皆さんになんとか行ってもらえる方法はないかと、考え出されたのが除夜の鐘です。

礼拝する代わりに、鐘をついて仏様に知らせることにしたのですね。

その話の後、皆さんに阿字観という瞑想を行っていただいて御詠歌を聞いてもらうという、普段とは少し違った形で行いました。

生憎、皆さんの写真が撮れなかったので、私が阿字観している姿で代用します。

こんなイメージで皆さんに深呼吸して、落ち着いてもらいながら御詠歌をお届けしたら、いつもより聞き入ってくれているのは新発見!

いろんなところで瞑想は使えるのだな、と発見しました。

心が落ち着けるので、集中して聞き入ることができるのでしょうかね。

ともあれ、無事に終わりましたが、毎回涙を流しながら、聞き入ってくれる皆さんを観ると、非常にありがたく思っております。

まだまだ走り始めた、この千種の園訪問ですが、これからも続けていきたく思います。