纏めてたくさん

この近辺、いろんなことがおきてなかなか更新できずにいたのですいません。

ようやく更新です。

まずは報告から

この17日、高野山で正解平和を祈るお勤めが行われて、それに出席してきました

当日は、日本のお坊さん150人と、チベットから来たお坊さん300人の大集団に

見知ったお堂の中が、まるで知らない空間のようになっていました。

写真は私が移っているところですが、残念ながら今回写真を撮る機会があまりなかったので、知り合いの方に取っていただいたこの2枚しかありませんでした。

もっと、とりたかったのに残念。

19日に目の前にある老人ホームへの慰問に行かせてもらいました。

これは2回目ということもあり、前回よりは皆さん落ち着いて話を聞いていただいていたご様子。

落ち着きすぎて、気持ちよさそうに寝ている方もいらっしゃいました(笑)

ですが、それだけ安心していただけるというのは、やはりお話し冥利に尽きるかなと思います。

私は普段お話しの中で、人の興味を引くために科学分野のお話をしますが、その大本の目的はやはり、皆さんに安心して穏やかに日常生活を送ってほしいという思いからですので、目の前で気持ちよさそうに寝てくれているおじいちゃん、おばあちゃんを目にすると、腹など立ちません。

むしろ、ちょっと嬉しくなって帰ってきました。

そして21日は毎月の本堂での護摩のお勤めです。

いつも通り行われたのですが、この日ちょっと違ったのは、お勤め終わってみんなで食べるお接待をいつも用意させていただくのですが、この日はなんとマツタケご飯を用意することができました。

というのも、私がこのあいだ高野山にお手伝いに行ったのですが、そこのお土産としてマツタケを持たせていただいたのが理由です。

自分だけで食べてもつまらないので、皆さんと一緒にいただくことができました。

ホントみんなで食べると美味しかった。

これが仏教の利他行なのかな?と実感する次第でしたw

というのも、今の日本の環境ならば、成人して給料をもらうようになると、自分個人のことに限定するならば、だいたいやりたいこと全てできると思いますが、しかし、個人で楽しんでいると、それ以上喜びは広がりません。

今回ならば、マツタケ確かに美味しいですが、一人で食べても所詮キノコですし、マツタケ美味しかったで終わってしまうと思いますが、みんなで分けたからこその、みんなの笑顔を見せてくれたマツタケご飯最高と思うことができました。

ホントみんなで楽しんでよかった。

情けは人の為ならず

ホントに人の為に何かすると、それが自分の為になって帰ってくるのだなと思った今日この頃でした。

合掌

台風一過 平穏無事がありがたく

本日、光明寺奥の院にて、無事に月令の護摩のお勤めを行えました。

ニュースでは未曾有の台風による被害が報告されている中で、近畿圏を何事もなく過ぎてくれてホッとしました。

それと同時に、被災された方たちの状況も、一日も早く良くなることをお祈りします。

無事であったことに多大な感謝をしつつ、微力ではありますが、私にできる復興のお手伝いをしていこうと思います。

日本すべてが被災してしまったら、感謝もできないし、手助けを行うこともできないので、今は私たちが助けて、今度反対の立場になったときはお願いします、の気持ちです。

さて、本日光明寺においては、まさに台風一過

最高の秋空の天気で護摩を行うことができました。

心なしか、お釈迦様(写真左)も気持ちよさそうなお顔をされていますし。観音様に至っては(右写真)後光がさしておられる!w

気温も、じっとしていると肌寒いくらいで、歩いてお山を登ってこられる皆さんには、丁度よい塩梅だったようです。

先月までのことを考えると、大量発生したハエもいなくなってくれて、文句のつけようがないくらいに快適に行うことができました。

写真は左が住職、手前がわたしです。

そして、この写真を写してくれているのは、匿名 かなちゃん です。

いつも本当にありがとう、感謝してます。

護摩が終わって住職の話ですが、無財の布施のことでした。

目配り、気配り、心配り、この三つで人の心は相手も自分も、穏やかに変わっていく。

私たちは、ついつい自分優先で物を考えてしまいますが、そうすると心に鬼が宿ります。

昔から修羅が宿るとはよく言ったものです。

その心の中の修羅を収めてあげるのはどうすればいいのか?

それが○○配り、何かを人に分け与えてあげるということです。

それが仏教、それがお大師様の教え、それが私たちの生活の中に染み込んでいる価値観です。

この話を聞きながら、私は先日読んだ本で同じようなことが書いてあったな、と思い出していました。

それはカナダの心理学者の本でしたが、私たちがお金を使うとき、自分の為に使ったお金というのは、どれほど額が大きくなっても直ぐに忘れる上に満足感も、直ぐに薄れてしまいますが、他人のために使ったお金や時間などは、どれほど額が少なくても、私たちの心の中に非常に長くとどまり、たくさんいい影響を与えてくれる。

だから、お金を使うときは、気を付けて上手に使いましょう、という内容でした。

読みながら、仏教でお布施はまさにこのことだな、と考えていたら、今日の住職の話でも、似たようなことがそのまんま出てきました。

私も、自分自身に今一度、他の人のために何かをしてあげれているか、問い直してみようと思います。

皆さんはいかがでしょう?

誰かのために何か、考えてあげてますか?