21日に護摩のお勤めが光明寺本堂で行われました。
この日は日曜ということもあり、また天候にも恵まれましたので、非常にたくさんの方が参列してくださり、もうお勤め開始する前から本堂が満員になっていました。
なかでも嬉しかったのは、お孫さんやお子さんをたくさん連れてきてくれたことですね。
連れてきてくれたおばあちゃんはもちろんのこと、お孫さんたちのお母さんも知っているのだから、私も歳をとっていくのだなーと思わず考えてしまったのは内緒です。
護摩のお勤めが始まると、子供たちは慣れた子も慣れてない子たちも、みんなで大きな数珠を回します。
そのうちに護摩の火が上がりだすと、不思議とみんなの目線が炉の中の火へと集中していました。
護摩はお供え物を燃やすことによって、仏様へ届け、そしてそこに、自身のお願い事を書いた護摩木を添えることで、仏様に私たちの祈りを聞いていただく作法なのです。
ですが、毎月護摩のお勤めをしていると、そんな理屈を抜きにして護摩の火というのは、人を引き付け、そして各々考えさせられる、不思議な魅力というものがあるものだということを感じます。
先日読んだ村上和雄教授の書物では(この人は遺伝子研究でノーベル賞受賞者です)、祈りとは私たちの遺伝子を活性化してくれるものではないか?という仮説を展開されていました。
確かに、私たちはなにかあると、ほぼ教えられていない子供でも祈るものですよね。
そんな不思議な力というものが凝縮されたものが、この護摩の火というものではないかと、最近思います。
写真でピースをしている不届き物は妹です。
みんなまじめにお勤めしてるのになんということを・・・w
無事に護摩のお勤めが終わり、普段ならばこのままお茶を飲んでみんなで解散になるところですが、今日は少し違います。
なんと光明寺に永代供養墓ができたので、その開眼法要をすることに。
とはいえ、お勤めで疲れた子はひとまずお休みです。
( ˘ω˘)スヤァ
このお墓は、最近檀家さんの中でも跡取りがいないという声が、真剣に増えてきたので、無縁仏になってしまうのならば、お寺が面倒を見れるようにします、ということで建立しました。
そして、納骨された方だけじゃなく、お寺にお参りに来てもらった方がみんなが、手を合わしていってくださるのが理想です。
そうすれば、亡くなった人も寂しくなくてすむ。
そのために場所も本堂の直ぐ前、必ず人が通るところに設置しています。
やはり、納骨されたはいいけど、独りぼっちは寂しいですから。
そんな一連の行事が無事に終わった後は、もう昼過ぎになっていました。
こんないい天気の中で、たくさんの人に見守られてお勤めができたことを感謝します。