一気に寒くなってまいりました

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

記録的だった今年の暑さも、10月になって一気に過ごしやすくなりまして、今日の護摩の日は冬の足音が聞こえるぐらいの冷え込みとなっております

今月は奥の院の後の更新ができなかったので、写真は奥の院の分までご覧ください

今月は日程の加減で、息子が奥の院と21日の護摩のお勤め両方に参加することができました

なかなかじっとしてくれない子供をお勤めの場に留めておくのは、母親が格闘しております(笑)

最高の秋晴れの中で、今日の護摩は行うことができました

参拝の方も沢山来てくださって、嬉しいかぎり

お勤めが終わって、住職の話は少し家のことについて話していましたね

と言っても我が家のことではないですよ?

住宅としての家ではなく、家系としての家です

古臭いと言われる方も多いでしょうが、私は一人のお坊さんとして、いろんな方の家系と死をみてきたなかで、不必要な考えではないと思っています

私たち人間は、個人ではとても弱いですし、直ぐに不安に駆られたりします

その中で一番基本の自分の柱となるものが、家の考え方と思います

自分の個人を大事に考えるというのも大事だとは思いますが、自分の産まれた家、家系を守るということも少しだけ考えてみてはいただけないでしょうか?

私でしたら、私の家系があり、妻の家系と合わさって息子が産まれてきた

そしてまた、未来には違う家系と交わって歩いていくのでしょう

そんな時に、自分の歩いてきた道(家)が忘れられて、ないがしろにされていたら寂しいではありませんか

家を守るということはどんなことか?皆様も少し考えてみてください

光明寺では夜の護摩も絶賛開催中です

6時ごろから本堂で火が上がっておりますので、檀家の方以外でも皆様おこしくださいませ

9月の彼岸もアッチッチ

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

まだまだ暑い日が続きますね

このブログを書いている22日は、久しぶりにといいますか、ようやくといいますか、朝から比較的に涼しい空気が入ってきまして、日中も北風のおかげで随分と過ごしやすい1日になりました

秋の気候かと言われると、まだ少し温度が高い気がするので、もう少し辛抱ですかね

暑さ寒さも彼岸までと言われる中で育ったわたしですが、天気予報を見てみると、まだまだ気を抜けない日が続きそうです

さて、光明寺は秋の彼岸の21日に、毎月の護摩のお勤めを行うとともに、大師講という地域の皆さんが集まって、一緒にお勤めをすると言う行事がありました

例年ですと、護摩のお勤めの後、お昼ご飯の弁当用意して、皆さんで食べていただいて、それからお勤めを行うと言う流れだったのですが、昨今のコロナの事情などを鑑みて、お弁当は全て持って帰っていただくと言うスタイルで時短を図りました

今回はその短くなったお勤めの第1回目です

お勤めの内容は、般若心経を唱えした後、御詠歌を聞くと言う非常に簡単なものですが、皆さんの声が集まれば、とっても素敵な迫力のあるお勤めになりました

その後、僭越ながら、私が皆さんに法話と言うほどたいしたものでは無いですが、お経の話とそれにまつわるお大師様の世界観のお話をさしていただきました

内容が難しかっただけに、皆さん退屈される方も多くいらっしゃるかなと思ったのですが、最後まで注意深く聞いていただいて、そして感想としては非常に面白く、楽しく聞けたという言葉を言っていただいて、話を考えてきた身としてはかたのにが降りました

今回皆さんに1番お伝えしたかったのは、お大師様の世界観

般若心経に対して、お大師様、独自の解釈を書かれた般若心経秘鍵と言う書物を用いて、お大師様の仏教に対する世界観をお話しさしていただきました

「五蘊は横に迷境を指し、三仏は竪(たて)に悟心を示す」

この文を抜粋して、自分が感じるものだけを頼りにしていると、それは迷いの世界に落ちる、しかし、良い教えというものは、タテにつながる

お大師様の言っている堅と言うのは、時間を意味します

お大師様は、未来につながっていくことこそ、良い教えであり、大事にすべきだと私たちにメッセージを送ってくれています

私の文才では、このブログ内で書き切れないことが残念ですが、少しでも皆さんに、へーそうなんだーと思っていただければ幸いです。

まだまだ暑い中でしたが、私が行っている夜の護摩も無事に厳修

どうやら、大人が数珠をするのを見ていて、自分もと思い真似して覚えたようです

8月は暑かったです

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

7月末からとんでもない暑さが続きまして、このブログを書いている8月末になって、ようやくマシになってきたか?というような状況です

今年は私はお盆参りのお手伝いやら、自分のお寺のお参りやらで、8月前半はずっと外に出て、バイクで回っていた状況でしたので、お陰様で真っ黒に焼けました

なかなかブログの更新ができてなかったので、写真が溜まっております

順番に色々出していきます

お盆の間、光明寺の境内では、皆様から申し込んでいただいた塔婆がずらりと並んでいました

写真の段階ではまだ数は全て並べていないのですが、総数は100を超え、迫力のある光景となっていました

この塔婆は、亡くなった方の戒名を書いて、水をかけて弔うというものですが、ご覧の通り自分のところだけに水をかけるのは難しい作りにしております

というのは、お盆の意味であります他所の人にも手を合わせてあげて、皆で救われましょうという形になぞらえてです

地獄に落ちてしまった自分の親を助けるのに、親個人を助けようとしても、どうやっても助かりませんでしたが、生きている私たち皆の力を借りて、自分の親だけでなく、他の救われない人や動物みんなも助けようとしたところ、無事に救いの手が届いて助けることができた、そんな話があります

ですので、光明寺にお参りに来る方には、皆さんにこの期間は、他所の人のところにも手を合わせてあげてくださいね、とお願いしておりました

そんな期間の締めくくりが24日の施餓鬼のお勤めでした

お盆の期間ずっとお祀りして、貯めていた功徳をいろんな人や者たちに分け与えるというものです

今年はたくさんの方にお参りいただき、ほんとうに賑わっておりました

また、写真には撮れませんでしたが、光明寺にお供えとしていただいたお菓子などは、この日に、まとめて皆さんへのお接待という形で配らせていただきました

そして、21日には毎月の護摩を変わらず行っておりました

暑い中にも関わらず、たくさんのお参りでした

皆さんで一緒に、良い修行を行えていると思います

こちらの写真は、私が行っている夜の護摩です

6時過ぎごろから7時過ぎまでの1時間おこなっておりますので、また時間空いてるかたはどなたでもお参りください

暑すぎる夏の合間に、盥に水を張り、涼んでいる我が子

一枚だけベストショットが撮れました

光明寺奥の院の看板が新しくなりました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

実はこの度、光明寺奥の院の上り口の看板が古くなっていたものを、有志の方々が綺麗に作り直していただけることになりまして、本当に立派なものが出来上がりました

大まかなデザインは住職と私で話あって、あーでもない、こーでもないと言いあう日々

それを有志の人たちのところに持って行ってはどうだろうか?と思案する中でなんとか形になったものがこちらでした

出来上がったものが送られてくるものだとばかり思っていたのですが、なんと現地に取り付けまで行ってくれたので、もうありがとうございますの一言です

…自分のボキャブラリーが貧弱なのがわかりますw

取り付け当時は朝から動いてくれたようで、完了の報告をお寺におこないに来てくれた時は、汗だくで、かっこいいお姿でした

奥の院に登る方々、是非に道中見て行ってくださいね

光明寺では今月も21日の護摩のお勤めが行われました

平日にも関わらず、いつも以上の方に参加していただき嬉しいかぎりです

それぞれが少しお話しを行なって、お接待の卵を持って帰ってもらい終了となりました

最近、戒律についてお話しすることが多かったので、またここで書こうとおもいます

私たち仏教徒というのは、日々の生活を修行と考えています

それは私たちお坊さんだけではなく、皆さんすべてが日々修行を行っています

その内容がどういったものかというと、戒律を守って過ごすというものです

細やかな戒はありますが、基本は良い事をする、悪いことをしない、人のためになる事をする、の3つです

日本人としては当たり前に普段から言われていることですが、それだけ当たり前のように、生活に修行が浸透しているからなのです

もし破ってしまったら、罰はあるのか?と聞かれますが、罰はありません

反省して、自分を省みてまた挑戦する

それが修行の根本です

修行をすることで、心は大きく優しく育っていってくれる

私はそう信じております

皆さまも、それぞれの状況での修行があるでしょうから、頑張って修行に励んでください

私も頑張ります

般若心経秘鍵とは

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

梅雨明けの時期、とてつもない大雨の中ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか?

去年はずいぶん雨の少ない空梅雨でしたが、今年は一転

いかにも梅雨らしい梅雨となりまして、毎日水の中で生活しているかのような錯覚を覚える気候になっております

光明寺の奥の院の護摩のお勤めは、残念ながら雨の中でしたが、普段とはちょっと違う神秘的な霧に包まれた中、しかし、とっても高い湿度と共に行われました

これだけ湿度が高いと、なかなか護摩に使う木が燃えづらく、いつもよりも火が上がらない中でしたが、皆さんのお願い事が書かれた添え護摩をしっかりと燃やしきることができました

実は先日、お坊さん内の講習会がありまして参加してきました

その内容というものが、皆様がよく知っている般若心経

様々な宗派で使われているこのお経ですが、各宗派の祖師さんで解釈が少しづつちがったりします

何故かといえば、元は般若経という600巻もある長ーいお経の内容を、要点だけ抜き出し262文字にまとめたものですが、短くしたがために理解するのが難しく、いろんな人が自分の修行の到達点からの感想を踏まえて、解説書を出しております

そして、そんな中でも私たち真言宗の代表格は、弘法大師空海の書いた(説いたとも)般若心経秘鍵というものがあります

私はまだ学生の頃のに、この秘鍵を講義で聞いていましたが、、、なんのことかさっぱり?www

まだお坊さんの修行も始まってなかったので、当時の私には高度すぎて呪文を聞いているがごとし

その証拠に、今回の講義に向って久しぶりに開いたテキストには落書きの山w

そんなこともあり、お坊さんになってから、秘鍵は詳しく勉強したいと思っていたのですが、今回機会を頂けたのに飛びついたわけです

講義の最中は非情に興味深い内容の山ですが、同時にこの内容はやはり大学生の私には難しすぎたのだなーという納得

文章の解説を聞いていくと、お大師様の宗教観というものが一端ですが見えてきます

そんな中で一番気にいった内容というものがありました

それは現実世界の目に見えることばかり考えると、迷いの境地に入り込んでしまって、少しも先に進むことができない

お大師様は先に進めないことを横のつながりと表していました

反対に良い教えというものはタテに伸びていく教えであると表しています

このタテというのは未来、時間に対する考えです

仏教とは時間に対する教えかもしれない、というものが私の理解です

過去のご先祖様を大事にすることによって、現在の私たちに繋がり、そして未来、私たちの子供たちへと色々なものを残し、繋げていく

そんなタテの繋がりの手助けをするのが仏教という教えであると私は感じました

ご先祖様を大事にして、現在の自分を大事にして、そして未来を作るであろう子供たちを大事にする、そうすると今の自分がいる世界が極楽浄土であると気が付くことができる素地ができる

それがお大師様の教えの根本にあるのだなと感じれました

皆様も自分の周りだけでなく、タテの繋がり、過去から未来へ続くものは何か?と考えてみていただければ幸いです

初の参拝者でした

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

いよいよ沖縄の梅雨が明けようとする中、本州は梅雨の本番になってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

光明寺は6月頭の高野山団体参拝も無事に終わり、蒸し暑くなってくると、元気よく伸びてくる草木たちと戦いながら日々を過ごしております

今月も21日のお大師様の日には、光明寺本堂にて護摩のお勤めを行いましたが、皆様田畑で忙しい中でも、参拝してくださり嬉しい限りです

そんな中、我が家の子供は護摩のお勤めは欠席です

流行に乗り遅れることのないように、季節の最先端、夏風邪をもらってきてしまいまして、見事にダウン

熱も上がったり下がったり、コロナやインフルかと心配しましたが、それらも無事に陰性

ひたすらに食べて寝てを繰り返して、やっと回復の兆しが見えてまいりました

そんな中、いつものように私が夜の護摩に入っていたところ、いつもとは違う気配

お勤めをしながら「おかしい、普段より人の気配が多い」

しかし、お勤めの最中に後ろを振り向くわけにもいかず、そのまま終わりまで行い、振り返ると、なんとお参りの方が二人

この夜の護摩を初めて約一年

初めての参拝者に、私が感動してしまい色々普段撮っている写真を撮るのを忘れて、そのまま談話を始めるということになりましたw

一人で護摩を始めるということで、心細く思いやめようかと思う時もあったりしましたが、やはり何事も続けていかないとだめだと思い、報われる形となりました

まだまだこれからも続けていく護摩のお勤めですので、興味がわきましたらお参りくださいませ

一大行事、お久しぶりです

みなさまお久しぶりです

非情にたくさんの雨を降らせた台風2号が過ぎまして、被害のあった方も、なかった方も、なんとか日常に戻ろうとしてきている頃合いではないでしょうか?

この光明寺のブログも、忙しさにかまけてついほったらかしにしてしまっていた私、反省しております

皆様に報告しなければいけない、一大行事が無事に終わりました

光明寺団体参拝が、この6月3日、4日と一泊二日の日程で無事に高野山に行ってくることができました

当初は台風の日程と丸被りで、どうしようか、雨の中の参拝か中止かと懸念しておりましたが、蓋を開けてみれば、台風は急加速、前日までの大雨が嘘のような最高の快晴の元、行程を終えることができたのも、単に皆様の普段の行いの賜物であろうと思っています

和歌山は元々雨の多い土地ですが、それにもまして降ったようで、高野山への道中は所々土砂崩れの場所が見受けられました

川の氾濫もあったようで、ニュースで見る以上に被害の多い中でした

高野への山道も、前日まで通行止めで、山の上で生活している方々が下山することができなかったようです

あと台風の進みが半日でも遅くなっていれば、叶わなかったのですが、台風一過の素晴らしい青空と共に、メインの行事であった6月4日の高野山大伽藍金堂でのお勤め、それの前座である稚児行列に、我が子ともに参加できました

まだまだ体が小さすぎるので、色々工夫のうえ、ぎりぎり着ているような状況でしたが、それでも一人前に歩くことができました

この度の団体参りも、このお勤めに合わせて企画されたもので、弘法大師空海の生誕1250年を記念してのものです

日程としては、3日の朝に皆様を各所でマイクロバスで拾い上げ、お昼に高野山着

コロナの期間中は、これまでの通例の団体参りも中止しておりましたので、実質4年ぶりの開催です

お昼ごはんを食べた後、大師協会で授戒という儀式を暗がりの中で受けて、後に金剛峯寺で写経奉納式

光明寺檀信徒の皆さんが納めてくれた8年分の写経がなんと460巻という膨大な数ありまして、これを金剛峯寺に納めたのですが、その時に感謝状もいただきまして、それを光明寺の玄関に飾っております

是非、皆さん来院の際はご覧くださいませ

その後、奥の院に参拝となりましたが、ここで案内人さんにバトンタッチです

そして、なんとついてくれた案内人さんが、私の先輩にあたる方でした

非常にお話しも上手く、そして皆さんを飽きさせることなく、最後はまじめな話できっちり締めるという芸当を見せられ、もう皆さんも私も大満足

歩いて二時間ほどの日程でしたが、誰もが時間を感じることのない、あっという間の奥の院でした

この後、金剛三昧院に宿坊のチェックイン

そして翌日が、上記の稚児行列とお勤めを見て帰ってくるという日程でしたが、ほんとあっという間に終わった二日間でした

この日の為に色々用意で走り回ってきたことを考えると、長い時間でしたが、終わってしまえばあっという間

そして、何より参加した皆さんが大満足してくれている様子を見ると、報われる思いで行ってよかった、企画してよかったなと改めて感じました

参加してくれた方々にも、用意で動き回ってくれた方にも、心から感謝しております

また次の機会も、団体参拝を企画するつもりですので、今回参加できなかった方の参加もお待ちしております

暑い日になりまして、鯉もへたっております

みなさんこんにちは、副住職の隆照です

あっという間に4月も半ばを過ぎまして、ぼちぼちと鯉のぼりを出しました

去年に産まれた我が子の鯉のぼりも無事に二回目の登場です

去年は自分で歩くことも叶わなかった千照が、今年は自分で歩いて見上げて指をさしているのを見ると、なんだか嬉しいような、時間の感覚が早すぎて怖いような不思議な気分です

今年は普段と違うものが上がっているのがわかるようで、嬉しそうに見上げては手を振っていました

さて、光明寺では今月も21日に無事に護摩の勤めを行うことができました

20,21と4月どころか初夏並みの気温に上がり暑い中でした

心持鯉のぼりもバテて元気がないように見えますw

最近身をもって感じたのは、挨拶というのは、一番最初に行う対人の基本ですが、他の何を差し置いても自分を助けてくれるということです

子供の送り向かいでいつもすれ違う子供たちは、こっちが気が付いていない時でも気持ちよく挨拶をしてくれて、私も見習おうと思わせてくれるほどです

以前手伝いをしているお寺の檀家さんで、口が悪くて気難しいと言われる人がいました

たまたま私がその家に伺うことになったのですが、事前に「気をつけろ」と言われていたのでこちらも家の玄関に立つともうドキドキの緊張でした

奥から出てきたおじさんは・・・顔がめっちゃ怖いw

内心びくびくしながらでも、お参りをして話をして・・・何もないどころか、ずいぶん気に入ってくれて、仲良くなりました

いやいや、私よ、油断するなよ、これは罠だ!と思い、お参りに行くこと一回、二回、三回・・・あれ?

半年もしたころ、おじさんとお参りの後で雑談していたので、思い切って聞いてみたのですが、私の前の方々はに何故お怒りになられたのか?と問うたところ、挨拶が小さく、はっきりとしていなかったとのこと

私は挨拶が一番良かった、それだけでした

何も大きな違いがあったわけではなく、たったそれだけでした

たかが挨拶ですが、されど挨拶

子供と一緒に散歩していて、挨拶をしても返ってこない人が多いのは自分でも感じますし、私もできてなかったな、と思い反省するときもあります

何回もここで書いてますが、笑顔で挨拶するだけで仏教としては相手をいい気持ちにさせてあげる顔布施(がふせ)という修行になります

これは無財の7施と言って、日常生活でお金のかからずできる基本の修行です

難しい理屈を知っても、大層な修行をして、肩書が増えても、結局基本に帰ってきます

私が家内の父に受け入れてもらえたのも、後から聞いたところは人事でも合格できそうな挨拶ありきでした

こういうふうに書くと、改めて私の人生は半分どころか、8割がた挨拶で救われているような気がしますw

自分の修行ととらえていただいて挨拶をするもよし、人助けと思って挨拶をするもよし

無財の7施は相手がいて初めてできる修行で、どちらかだけの利益になるものではなく、お互いがいい影響を受けあうことのできる関係です

私たちはこれを「相互供養、相互礼拝」といっています

人生を助ける挨拶、実践していただくと、修行になり、心が奇麗になるので良い影響がやってくるはずです

修行といえば、去年始めた私の夜の護摩もなんとか毎月続いております

今月はなんと木魚を叩いてくれる参詣人がやってきましたw

毎月夜6時半から7時過ぎまで行っておりますので、お参りしたいかたがいらっしゃったらどうぞご自由におまいりくださいませ

新年度スタートです

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

年があけて、いつのまにか新年度がはじまり、いろいろなものが変化していますが、皆様いかがお過ごしですか?

今年は三月半ばぐらいから一気に暖かくなったので、梅も桜も非常に奇麗に咲いて、写真に興味がない私でも、思わず撮ってしまうような素敵な風景があちこちに咲き誇っていました

写真は近所の公園なのですが、私の知る限り一番の桜の名所ですかね

他の有名な場所に行ってみても、良く知っている場所というフィルターがかかってくるので、思わずいつも「ここが一番きれい」と思ってしまいます

そんな桜に見守られて、我が息子は今年から保育園に入園です

入園最初の日から、登園するときに泣くのか?と思っていれば、そんな親の心配と期待はどこ吹く風、車から降りた瞬間から広場目がけてスタスタ

二日目以降も園が楽しいみたいで、笑顔で行っておりました

写真は4月4日の土砂加持の時、皆様に配ったお接待の豆ごはんです

コロナになって以来、以前はお昼ご飯を食べていただいて法要という流れでしたが、法要の後に、能化の先生のお話しをきいていただいて、そしてこのお接待を持って帰っていただくという流れに変更しております

光明寺の熨斗を張り付けている様子ですが、持って帰っていただくお接待の内容は毎年の悩みどころ

どれがいいかな?と色々考えながらやっております

そして、今年は不覚にも土砂加持の写真を撮り忘れるという失態を犯してしまいまして、全然皆さんに見ていただけるような画像が無いのです

気が緩んでましたね、申し訳ない

色々と早くに来て、頑張ってくれている役員さん方の写真は撮りました

ホント、いつも支えてもらっております

今年の能化さんは北海道の方でしたが、光明寺に来る前に、なんとこのブログをかなり隅々まで読んで下さっており、我が寺院のことをとっても勉強してくださっておりました

入念な下調べと、そして色々な話題の展開で、場の人がいつの間にか聞き入っている、そんな感じの話手で、色々真似しよう!と思ってしまうほどの方でした

名前を渋谷 良範僧正と言いますが、いつか高野山で再開したいお人です

第二日曜日の奥の院の護摩も無事に終わって、ホッとしております

今回の開催は4月9日という事もあり、4月8日はお釈迦様の誕生日ですので、各宗派問わず、お寺は祝いをしたりしています

そのおかげか、今回のお勤めは本当に子供さんのお参りが多く、賑やかな一日でした

子供たちが一生懸命に手を合わせている姿というのは、本当に可愛らしいものです

住職の話も、そんな子供たちの来院に合わせるかのようなお話し

鬼子母神という鬼のお母さんの話でしたが、このお母さんは自分の子供は1000人もいたそうで、子供たちのご飯を用意するのがとっても大変

ですので、人間の子供を攫ってきては小鬼たちにご飯として食べさせていたという恐ろしい鬼です

お釈迦様が見かねて、一番末の子を隠してしまったところ、鬼子母神は狂ったように悲しんで探し回ったそうですが、見つけることができず、お釈迦様に返してくださいと言いにいったら、「お前の子供は他にもたくさんいるのに、一人隠されただけでこんなにも悲しむ。お前に子供を取られた他の母親の悲しみも、少しは想像できよう」と言われ、それ以来、他の子供を攫うことはなく、むしろ仏教に帰依し、子どもを守るようになったというお話しです

仏教では悪いことをしていても、排除というのはなるべくしない、むしろどうやって味方につけて働いてもらうか、という教えの方が多いです

ついつい私たちは悪いことをしている存在というのは排除したくなるのが人の感覚ですが、本能に全て従っていたのでは獣と同じ

そうではなく、いかに世界を円滑に丸くできるか?というのが仏教であり、それを絵として表したのが曼荼羅というものです

・・・自分で書きながら難しいw

なかなかやるにしても難易度の高い話で、わが身の修行不足を感じますが、諦めたらそれ以上は進展しないですから、なんとか頑張っていこうと思います

皆さんも、ご自身のできる範囲で頑張ってみてください

久しぶりの更新です

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

暖かくなってきた中で皆さまいかがお過ごしでしょうか?

私は3月に入って、あれやこれやと忙しくしていたら、あっという間に彼岸が来まして月の前半の更新が出来ていませんでした

楽しみにしていただいている方、すいません

今このブログを書いているのがWBCの野球決勝戦のひですが、素晴らしいしか言葉が出てこない戦いをしてますね

ホント頑張ってほしい限りです

彼岸は今年から他のお寺の手伝いもありまして、飛ぶように時間が過ぎていっております

その関係で、色々な方の家にお参りに行く機会が増えまして、初対面の方とお話する機会が増えました

そんな中、ちょこちょこ聞かれるのがお彼岸のことについてです

お彼岸と言いますと、お墓をお参りして、私たちがお仏壇に行かせてもらってというのが、近畿圏の風習と思います

実はお彼岸という期間は日本にしか無いのはご存知でしたか?

お盆はお釈迦様の古代インドの行事が発祥ですが、お彼岸は日本発祥です

なぜか?というのは、細かく調べれば諸説あるとは思いますが、私は昔の日本人の人たちの思いや願いが形になったものが彼岸だと考えています

春分、秋分を境に前後3日の計1週間が彼岸ですが、24節気という暦では季節の変わり目です

この日を境に暖かくなっていくのと、寒くなっていく…最近は温暖化の影響か、彼岸前でも暑い日がありますが、そこは一旦置いといてください

季節が移ろい、四季が曖昧になっていくので、いろんなものの境目が曖昧になっていくと考えました

そして、そんな時に亡くなった人たちに、お盆だけでは寂しいから帰ってきてよ、とお願いして出来たのが彼岸です

彼岸のお墓参りは、皆さまの暖かい願いの結果なんですね

言葉もそれを表してます

彼岸というのは、向こう岸という意味ですが、三途の川の向こう岸です

対して、私たちの生きているのがこちらの岸、此岸(しがん)です

向こう側から帰ってくるから、あるいは向こう側の人にお参りするから彼岸参りですね

お子さん方に、彼岸ってなーに?と聞かれたら、このページを参考にしてくれると嬉しいです

光明寺は今月も変わりなく、皆様が無事に過ごせますようにと、お勤めしています