GW 京都団体ツアー 強行軍の巻

4月29日、平成の世の中が終わろうとしているときに、光明寺の檀家さん及び信者さんを集めて行っている、18本山巡りツアーが行われ、多くの方にご参加いただけました。

今回の企画では、18ある真言宗本山のうちに、3つ。

大覚寺、仁和寺、泉涌寺をまわろうというもので、実はこのツアーは秋口に計画の予定だったのですが、紅葉のシーズンだと、京都の中は、車での移動は不可能に近くなるとのことで、GWになりました。

当日は心配された雨もなく、無事にお参りを終えることができたのは、単に、今回参加してくださった方々の日ごろの行いの良さに、お天道様が融通を聞かせてくれたのだと思います。

当日朝は7時半に有年の公民館を出発して、後に赤穂駅で全員を吸収したのち、いざ京都へ。

思ったほど高速は渋滞もなく、これも新名神が開通した影響なのでしょうか、ほぼ予定時間通りに大覚寺に到着することができました。

実は、この旅の初めのほうは私がうっかりしていまして、皆さんの集合写真を収めるのをすっかり忘れていました。

ですので、大覚寺は非常に中途半端な写真しか写せていません。

写真は撮っていませんでしたが、他の方と行く京都のお寺。

普段行く高野山のお寺とは、また雰囲気も違い、そして一番大きな違いは、自分自身が迎える側で仕事をしなくていいというのは、やはり非常に新鮮な気持ちでお参りすることができました。

大覚寺のあとは、皆さん楽しみにされていたお昼ご飯です。

金閣寺の近くの錦閣(きんかく)というお店でいただきました。

ごはんは京都のお食事なので、小ぶりなものが出るかなという予想は見事に覆されまして、非常に板場さんのセンスが光ってはいたのですが、量のほうも申し分なく、一番若い私ですら満腹になっていたので、皆さん大変満足されていました。

お昼が終われば、仁和寺と泉涌寺です。

特に泉涌寺では、もう時間も夕方にさしかかり、お寺としては片づけをされる時間になっていたのですが、お堂の説明をしてくれたおじさんが非常に親切に、わかりやすく面白いお話しをしてくれたので、ありがたかったです。

ここに来るまでに、皆さん疲れて、バスの中では口から魂の抜けている方もちらほらいらして、バスを降りた時も元気がなかったのですが、おじさんのおかげでみんなが、再び息を吹き返しまして、最後のお参りを完遂することができました。

天気にも助けられ、おじさんのお話しにも助けられ、他にもいろんなものに助けられた、この日のお参りを無事に終えられたことにホッとした気持ちを覚えつつ、やはりいいご縁をいただけたな、と思いました。

次回のお参りは、秋口に奈良に行く予定です。

私の前にいたお寺も回ることになると思うので、次回もまた皆さんとご一緒したいものですね。

光明寺護摩の行 こんなに詰めこんだはずでは・・・

21日に護摩のお勤めが光明寺本堂で行われました。

この日は日曜ということもあり、また天候にも恵まれましたので、非常にたくさんの方が参列してくださり、もうお勤め開始する前から本堂が満員になっていました。

なかでも嬉しかったのは、お孫さんやお子さんをたくさん連れてきてくれたことですね。

連れてきてくれたおばあちゃんはもちろんのこと、お孫さんたちのお母さんも知っているのだから、私も歳をとっていくのだなーと思わず考えてしまったのは内緒です。

護摩のお勤めが始まると、子供たちは慣れた子も慣れてない子たちも、みんなで大きな数珠を回します。

そのうちに護摩の火が上がりだすと、不思議とみんなの目線が炉の中の火へと集中していました。

護摩はお供え物を燃やすことによって、仏様へ届け、そしてそこに、自身のお願い事を書いた護摩木を添えることで、仏様に私たちの祈りを聞いていただく作法なのです。

ですが、毎月護摩のお勤めをしていると、そんな理屈を抜きにして護摩の火というのは、人を引き付け、そして各々考えさせられる、不思議な魅力というものがあるものだということを感じます。

先日読んだ村上和雄教授の書物では(この人は遺伝子研究でノーベル賞受賞者です)、祈りとは私たちの遺伝子を活性化してくれるものではないか?という仮説を展開されていました。

確かに、私たちはなにかあると、ほぼ教えられていない子供でも祈るものですよね。

そんな不思議な力というものが凝縮されたものが、この護摩の火というものではないかと、最近思います。

写真でピースをしている不届き物は妹です。

みんなまじめにお勤めしてるのになんということを・・・w

無事に護摩のお勤めが終わり、普段ならばこのままお茶を飲んでみんなで解散になるところですが、今日は少し違います。

なんと光明寺に永代供養墓ができたので、その開眼法要をすることに。

とはいえ、お勤めで疲れた子はひとまずお休みです。

( ˘ω˘)スヤァ

このお墓は、最近檀家さんの中でも跡取りがいないという声が、真剣に増えてきたので、無縁仏になってしまうのならば、お寺が面倒を見れるようにします、ということで建立しました。

そして、納骨された方だけじゃなく、お寺にお参りに来てもらった方がみんなが、手を合わしていってくださるのが理想です。

そうすれば、亡くなった人も寂しくなくてすむ。

そのために場所も本堂の直ぐ前、必ず人が通るところに設置しています。

やはり、納骨されたはいいけど、独りぼっちは寂しいですから。

そんな一連の行事が無事に終わった後は、もう昼過ぎになっていました。

こんないい天気の中で、たくさんの人に見守られてお勤めができたことを感謝します。

黒澤山護摩の日 副住職の逃避行

第二日曜日である14日に光明寺奥の院で護摩のお勤めが定例通り行われました。

天気予報ではあいにくの雨でしたが、なんとか空も耐えてくれたみたいで、歩いて移動するときには、比較的小降りのタイミングであったとのこと。

仏様のおかげがあったのでしょう、非常にありがたいことでした。

この日、副住職である私は、他のお仕事が入ってしまって護摩には行けなかったので、現場の写真が撮れなかったのが残念。

ですので、普段の晴れの日の写真を少しあげておきます。

山の頂上に、このお堂や修行の像があるのですが、天気のいい日に上がった時のなんと澄んだ空気が迎えてくれることでしょう。

祈りの場所としては、これ以上ないほどの場所であると思います。

祈りといえば、先日友人より教えてもらったのですが、大学の時の恩師が新しい研究に従事しているとのことでした。

ノーベル賞を獲得した村上和雄さんと一緒に、お坊さんの祈りは科学的に見たときにどうなっているのか?というものを調べているらしいのです。

個人的にっは非常に気になるところです。

既に、普段から祈りの場にいる人は免疫系の遺伝子が活性化しているのかもしれないという仮説が出てきているみたいで、今後の成果に大いに期待したいです。

そして、この村上教授が普段どんなことを言っているのか?も気になり、著書を何冊か購入して読んでみたのですが、非常に興味深いことを書かれています。

科学でいろんなことがわかればわかるほど、わからないことが増えてくる中で、遺伝子を調べていると、何か偶然だけではかたずけられない、偉大な力を感じる。とのことでした。

村上教授はそれを「サムシンググレート」と呼んでいましたが、語呂が良すぎて頭から離れませんw

真言宗でいえば、すべてのものの心理をつかさどるのは大日如来ですが、いろんなお姿に変化されるので、私たちを救いに来られるならばサンタクロースだろうと、神様だろうと大日如来の変化した姿だと思っています。

そんな仏教の教えが、もしかしたら一部だけでも証明される日が来るのかもしれないということで、わくわくした日を過ごしております。

土砂加持のお勤め、無事満了

光明寺で1年のうち一番大きなお勤めが無事に終わりました。

皆様のお力添えあってのことでございますので、ここで改めて感謝を述べさせていただきます。

本当にありがとうございました。

当日は朝から、寒空ではありましたが、非常に気持ちのいい晴れの天気でした。

役員の方々は9時より来ていただきまして、いろいろ準備をされて望んだわけですが、去年までの大きな違いは、長年光明寺の総代を務められた方が、先月末に天寿を全うされ、大きな柱が抜けた状態でのスタートでしたが、新しく役員に入っていただいた方の努力も合わさり、皆様素晴らしい動きを見せておられました。

できることなら私自身も受付に座り、皆さんと一緒に檀家の方々をお迎えしたかったんですが、寺方が来るとそういうわけにもいきません。

後ろ髪惹かれる思いで受付を離れ(私お坊さんなので髪の毛ないのですが)寺方の茶坊主に邁進です。

そんなこんなをしていましたら、あっという間に11時のお勤めの時間が迫って参りました。

急いで着替えを行い、お勤めを告げる鐘、半鐘を鳴らすと、檀信徒の皆様も心得たもので、ざわついておりましたあたりが一転して、静粛な雰囲気に包まれます。

そして入ってくる寺方の行列。

お勤めが始まりました。

普段皆様が目にされるお寺のお勤めと言えば、お葬式か法事でありましょうか。

ちょっとマニアックな方なら護摩のお勤めに行かれたり、大般若のお勤めもあるかもしれません。

しかし、今日光明寺で行われたお勤めは、中曲行道 (ちゅうきょくぎょうどう)と言いまして、真ん中のお導師様の周りをお坊さんが、お経をお唱えしながらグルグル回る。

また、普段はゆっくりと唱えるお経も、勢いよく、叩きつけるような感じでお唱えする非常に珍しいものになっております。

写真では、右側の写真がお経を唱えながら回っているシーンになります。

このお勤めでは、多くの方がお参りしていただき、皆様で一緒に亡くなられた方の供養を行います。

途中で申し込まれた戒名を読み上げる場面では、皆様にお焼香していただくのですが、そこでご自身の関係のご先祖様だけでなく、他の来てくれている方みんなのご先祖様に手を合わしていただいております。

なぜかというと、仏教では因果をお釈迦様が説いておられますが、人の為を思って行った優しい祈りというのは、必ず自分に帰ってくるからです。

それが因果応報。

逆に、自分の為のみ、あるいは、自分の親族のためのみという考え方で生きていると、木蓮尊者のお母さんのように地獄に落ちてしまいます。

この御話はいつも、お盆にしておりますので、興味のある方は是非。

もちろん、他人に力を分けすぎて、自分の幸せがおろそかになるのは本末転倒でしょう。

しかし、少しだけ自分のことをして、余ったお力で他人のために手を合わせてあげるというのは、私たち日本人が昔から持ってきたものであり、さらにはこのすごい効果というのは、科学でも(正確には利他行動による脳への影響ですが)証明されてきています。

そんなすごいことを、当たり前のようにされている檀家の皆さんを見て、改めてすごい方たちだなと、思いました。

午前のお勤めが終われば、長年総代を務めていただいた方への感謝状の授与から、お昼ごはんです。

さらには、光明寺のアイドルも来てくれたので、周りのお年寄りがメロメロでしたw

午後からもお勤めがあり、それが終われば本山布教師の方のご法話です。

中嶋僧正、今年が初めての遠征での法話とのことでした。

始まりはお大師様の御紹介や説明から入られ、そこから真言宗の教えというものをわかりやすくお話ししていただき、米国大統領の逸話が出てきたときには、大いに驚きましたw

最初は、お話しのインパクトが弱いかなと思ったのですが、気が付いたら、いつの間にやら、聴衆全員が引き込まれており、本当に奇麗なご法話でした。

ありがとうございます。

そして、最後に忘れてはいけない、本日の最大の功労者の役員様方。

バリバリ働いていただいてるシーンを撮りたかったのですが、その時間帯は私写真のほうまで気が回らなかったので、ちょっと一息ついているシーンで申し訳ありません。

この土砂加持のお勤めは、小さなトラブルはたくさんありましたが、それでも皆様のおかげで無事に行えたことを重ねてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

皆さんの一日に良いご縁がありますように     合掌

お磨きの日、訛って鬼ガキの日

本日光明寺では、1年に一度の檀信徒の皆様そろってのお寺のお掃除がありました。

男手も女手も集まっていただいて、男衆は外の窓を拭いていただいてからの、境内の掃除です。

女衆は室内の掃除と仏具のお磨きです。

というのも、来る4月4日に、光明寺で一番大きなお勤めである土砂加持のお勤めがあり、そこで年内に亡くなられた方や、今までのお家のご先祖様を供養するのでが、それに向けての準備をみんなで行っているのです。

本日の天気は生憎の雨模様だったので、外仕事はできないかなと思っていたもので、幾分濡れることのない外側の窓ふきだけお願いしたら、あとは後日、住職と私でと思っていたのですが、普段の行いがよかったのか、窓を拭き終わったぐらいにちょうど雨が上がって、そのまま皆さん外掃除に行ってくれたのです。

(ホントにこき使うような形になってしまい、申し訳ない気持ちと同時に、嫌な顔せず動いていただいた方々には感謝しか浮かびません)

ところで、仏具を磨くので「お磨きの日」と呼んでいるのですが、なぜか近隣の方々はそれが訛って「鬼ガキの日」と皆さん言っておられるのです。

方言って不思議。

今日のように、皆さんのお力を貸していただいてお寺が動くのを見るたびに、お寺って住職だけではとてもできないなと思う次第です。

やはり、檀家の方々あってのお寺であり、私たち寺族です。

こんな素敵な檀家の方々に対して、何かわたしのできる形で貢献したいなと思う今日です。

掃除が終わったので、みんなで仏様に般若心経を、お唱えして終わりです。

どうか、このままの調子で4月4日も見守ってくださいませ。

彼岸の護摩 人が一杯 多生の縁

本日午前10時より、光明寺本堂で彼岸の護摩のお勤めが行われました。

お彼岸ということで、牡丹餅を朝から作って、皆様を待っていたのですが、時間が近づくにつれて、一人増え、二人増え、気が付いたら用意していた牡丹餅の数を超えるお参りの方が来てくださり、急遽増量するという嬉しいハプニングから始まった護摩のお勤めでした。

春分の日の休日ということもあり、普段は来れないみんなのアイドルの子供たちが来てくれたのもあり、いつも以上に華やかな場になりました。

護摩が終わって住職が皆様に法話していたのですが、簡潔にまとめると

1、業とは行動のことをさします。それが因、すなわち原因となります。

2、仏教では因果があります。すべて原因があって結果があるのです。

3、ですので、良い行動をして(利他の行など)良い結果をもたらしましょう。

とのことでした。

私、副住職自身も、この因果応報という教えは素晴らしいものだと思います。

付け加えるならば、私たちが壁に当たったとき、解決策が見えてこずに焦ったり、イライラしているときというのは皆さんあると思います。

そんなときは、脳科学者の方が言うには、私たちの脳は軽度のパニック状態になっているとのこと。

そんな状態になれば人間の思考というのは、どんどん狭く細くなって、袋小路に迷い込んでしまうそうです。

そうなると、どうやっても解決策が出てこないですし、違うものの見方もできません。

そんなときにいいのが、善行(利他の行)をすることです。

というのも、私たちの脳というのは利他の行(他人のために何かしてあげること)で、強い喜びを覚えるように進化してきているとのこと。

そのことについて詳細をここでは長くなるので書きませんが、いずれ記載されている書斎など紹介したいと思っています。

そして、その喜びを覚えた脳というのは、今までの問題によるストレスとパニックから、一度開放されている状態になるので、改めて物事に対して新しく考えることができるということです。

問題に当たって余裕のない人間が、真に必要なのが、他人に何かしてあげれる余裕とは、、、まるで禅問答みたいです。

しかし、仏教でこれだけ利他の行が強く説かれているのも、本当に私たちに必要なことだからなんでしょうね。

情けは人の為ならず、のことわざが的を得過ぎていて恐ろしいですw

まとめ、自分の為にこそ善行(善業)を!

本日の報酬 焼き芋ではなくYAKIIMO☆です

今日は天気が良かったので、お彼岸のためにお寺の墓掃除をしていました

前日までに集めた落ち葉に朝のうちに点火

風の出てくる昼までに燃やしてしまおうと考えたわけです

落ち葉はこの時期は乾いているのでよく燃えます

そこでふと思いついたのは、焼き芋しようかなと

思い立ったら、即実行です。

くるんで放り込む、はい終了。

あとは燃え尽きて焼き上がりを待つだけです。

出来上がりがこちら

予想の上の上をいってくれたので大いに満足です

焼き芋を作りながら、ふと思ったのが、仏教では無いものをねだるより、自分の持っているものに目を向けなさい、と言われます

田舎はよく何もないと言われますが、この焚火をして、芋を焼いて、青空の下で食べる

この贅沢は田舎でしかできないと思います

美味しすぎて、焼き芋ではなくYAKIIMO☆になってました

自分のできる範囲での楽しみ方を見つける、これって意外と簡単なようで難しいと思います

少なくとも、心の余裕がないとできないと思います

無いものをねだるのではなく、今あるものを、しっかりと認識して感謝できるようにしなさいとの仏教の教えに従って、お仕事の中に遊び心を持ってきた一日でした

布施は世界を救う!元手0からできる幸せの方法

本日姫路の会館でお寺の御婦人方の席に呼んでいただき、1時間の時間の中で法話を行ってまいりました。

ありがたいことに好評をいただき、緊張の中での話でしたが、無事に終われてホッとしております。

題名にもあるように、お布施のことについての話だったのです。

普段私たちお坊さんは、いろいろ多岐にわたる働き方をしているわけなのですが、昔から言われてきたことに「お坊さんの最大の仕事は、他人に布施(利他)の心を起こさせてあげること」があります。

人生で悟りを目指すにあたって、お坊さんも一般の方も等しく行う修行というのが六波羅蜜というものがあるのですが、それの一番最初にくるものが布施行です。

皆さんのイメージで、布施というとお坊さんに渡すお金のこと、というイメージがあると思いますが、布施の意味というのは、他人に何か自分のできる範囲で施しをしてあげることです。

そこには大きなお金をかける必要はないですし、自分の得意なことでやってあげればいいのです。

無論、お金をたくさん持ってる人は、それを使って何かしてあげればいいですし、体力に自信がある人は、それを使えばいい。さらには頭のいい人は、その頭脳を使って何かやってあげればいいですし、人脈の豊富な人はそれを使えばいい。

これこそが、仏教でいう布施です。

仏教では、昔から言われ続けてきたことですが、最近心理学などを見てると、利他の行動の恩恵というものは、私たちが思っている以上にすさまじいものがあるのです。

落ち込んでいる人はもちろんのこと、仕事で忙しく、精神的に疲れてしまっている人さえもメンタルを向上させれるもので、私としては心の病が叫ばれている昨今で、クリティカルに私たちに必要なものだと思っています。

今日のお話では、そのことをいろいろな書籍や論文で掲載されていた情報を利用して、お伝えしました。

話ながら思っていたのは、様々なセンサーやpcが無かった時代に、ここまでのことを悟られたお釈迦様に、改めて畏敬と感謝の念を覚えると同時に、こんなに私たちの、心の動きを解き明かしてくれている科学者、心理学者の人たちに感謝しなければならないと、改めて思いました。

私の話を聞いて、少しでも利他の心を持ってくれる人が増えるように精進してまいります。

本日の話の要点

・お金はあくまで、やりたいことをやるための手段です

・手段が目的になると、いろいろ不都合がありますよ

・幸せを感じるコツは布施(利他行)です

春一番の美しい梅の花はいかが?

本日の陽気で境内の梅の花が一気に満開になったのでアップです。

しかし、こうして上げてみると自分の写真の下手さがよくわかるというもの(笑

先日友人の話を聞いている際に思ったのが、日ごろの生活サイクルでは、こういう小さな自然の変化についつい無頓着になってしまうもの。

日々の仕事に精を出し、辛いことも耐えて頑張っているのは素晴らしいことだと思います。

社会を進めていってくれるのは、そんな人たちだと思っています。

しかし、私たちが進んでいる隣で、自然の生き物たちも着実に歩みを進めているのだな、と実感した日です。

お大師様の言う「自然は曼荼羅なり」というのは、自分たちの周りには命が溢れていて、その全てが、私たちに語り掛けてくれているのだよ、ということだと、私は思っています。

周り全てが自分にとっての師匠であり、ともに生きていく友人だと思います。

秘境 光明寺奥の院での護摩供

本日三月の第二日曜日、光明寺奥の院において毎月の護摩供が執り行われました。

場所は人里離れた山の上であるのに、毎月10人をこえるお参りの方がお見えになるのには毎度のことながら驚きます。

本日は天気も雨の予報。

なんとか午前中のうちは持ってほしいと願っても、願い届かず降り出してしまいました。

これは参列の方も少なくなるのではなかろうか?と思っていましたが、さすがに秘境と言うレベルの寺院にお参りする方々のパワフルさには感嘆いたしました。

皆さん雨も何のそのと歩いてくる姿の力強いこと。

さらに、今日は参列していただいた方の中に手作りのお寿司や、おはぎ、お菓子など、かなりの重さになるであろうお接待を持ってきていただいた剛の者も居りました。

お大師様の御入場された所縁月とのことで作られたそうですが、いやはやその労力を思うと頭が下がります。

持ってきていただいたお接待は、仏様にお供えの後、護摩のお勤めが終わり、参列の方みんなで食べました。

その時には、気になる近況のお話も散らほら。

そして、食べながら住職の法話にも耳を傾けて皆さん聞いておられ、始まる前は雨の心配をしておりましたが、心配事などどこ吹く風か、普段と変わらない良いお勤めになったな、と実感しました。

住職の法話で、人の脳って新しい刺激がないと、どんどんボケやすくなっていくから、お寺にお参りして、誰かのために手を合わして、そして、いただいたお接待に舌鼓を打って、食べて感動して、今度は自分が、また違う人に優しくしてあげましょう。

それこそがボケ防止の秘訣ですよ、と言っていましたが、上手に繋げるものだと感心しておりました。

昨今は様々な基礎研究で、脳の刺激が少ないほどボケるよ!って結果がたくさん言われている中、お寺の役割とは、私たちが思っている以上に大事なものなのかもしれないと認識しなおした時間でありました。