お磨きの日、訛って鬼ガキの日

本日光明寺では、1年に一度の檀信徒の皆様そろってのお寺のお掃除がありました。

男手も女手も集まっていただいて、男衆は外の窓を拭いていただいてからの、境内の掃除です。

女衆は室内の掃除と仏具のお磨きです。

というのも、来る4月4日に、光明寺で一番大きなお勤めである土砂加持のお勤めがあり、そこで年内に亡くなられた方や、今までのお家のご先祖様を供養するのでが、それに向けての準備をみんなで行っているのです。

本日の天気は生憎の雨模様だったので、外仕事はできないかなと思っていたもので、幾分濡れることのない外側の窓ふきだけお願いしたら、あとは後日、住職と私でと思っていたのですが、普段の行いがよかったのか、窓を拭き終わったぐらいにちょうど雨が上がって、そのまま皆さん外掃除に行ってくれたのです。

(ホントにこき使うような形になってしまい、申し訳ない気持ちと同時に、嫌な顔せず動いていただいた方々には感謝しか浮かびません)

ところで、仏具を磨くので「お磨きの日」と呼んでいるのですが、なぜか近隣の方々はそれが訛って「鬼ガキの日」と皆さん言っておられるのです。

方言って不思議。

今日のように、皆さんのお力を貸していただいてお寺が動くのを見るたびに、お寺って住職だけではとてもできないなと思う次第です。

やはり、檀家の方々あってのお寺であり、私たち寺族です。

こんな素敵な檀家の方々に対して、何かわたしのできる形で貢献したいなと思う今日です。

掃除が終わったので、みんなで仏様に般若心経を、お唱えして終わりです。

どうか、このままの調子で4月4日も見守ってくださいませ。

彼岸の護摩 人が一杯 多生の縁

本日午前10時より、光明寺本堂で彼岸の護摩のお勤めが行われました。

お彼岸ということで、牡丹餅を朝から作って、皆様を待っていたのですが、時間が近づくにつれて、一人増え、二人増え、気が付いたら用意していた牡丹餅の数を超えるお参りの方が来てくださり、急遽増量するという嬉しいハプニングから始まった護摩のお勤めでした。

春分の日の休日ということもあり、普段は来れないみんなのアイドルの子供たちが来てくれたのもあり、いつも以上に華やかな場になりました。

護摩が終わって住職が皆様に法話していたのですが、簡潔にまとめると

1、業とは行動のことをさします。それが因、すなわち原因となります。

2、仏教では因果があります。すべて原因があって結果があるのです。

3、ですので、良い行動をして(利他の行など)良い結果をもたらしましょう。

とのことでした。

私、副住職自身も、この因果応報という教えは素晴らしいものだと思います。

付け加えるならば、私たちが壁に当たったとき、解決策が見えてこずに焦ったり、イライラしているときというのは皆さんあると思います。

そんなときは、脳科学者の方が言うには、私たちの脳は軽度のパニック状態になっているとのこと。

そんな状態になれば人間の思考というのは、どんどん狭く細くなって、袋小路に迷い込んでしまうそうです。

そうなると、どうやっても解決策が出てこないですし、違うものの見方もできません。

そんなときにいいのが、善行(利他の行)をすることです。

というのも、私たちの脳というのは利他の行(他人のために何かしてあげること)で、強い喜びを覚えるように進化してきているとのこと。

そのことについて詳細をここでは長くなるので書きませんが、いずれ記載されている書斎など紹介したいと思っています。

そして、その喜びを覚えた脳というのは、今までの問題によるストレスとパニックから、一度開放されている状態になるので、改めて物事に対して新しく考えることができるということです。

問題に当たって余裕のない人間が、真に必要なのが、他人に何かしてあげれる余裕とは、、、まるで禅問答みたいです。

しかし、仏教でこれだけ利他の行が強く説かれているのも、本当に私たちに必要なことだからなんでしょうね。

情けは人の為ならず、のことわざが的を得過ぎていて恐ろしいですw

まとめ、自分の為にこそ善行(善業)を!

本日の報酬 焼き芋ではなくYAKIIMO☆です

今日は天気が良かったので、お彼岸のためにお寺の墓掃除をしていました

前日までに集めた落ち葉に朝のうちに点火

風の出てくる昼までに燃やしてしまおうと考えたわけです

落ち葉はこの時期は乾いているのでよく燃えます

そこでふと思いついたのは、焼き芋しようかなと

思い立ったら、即実行です。

くるんで放り込む、はい終了。

あとは燃え尽きて焼き上がりを待つだけです。

出来上がりがこちら

予想の上の上をいってくれたので大いに満足です

焼き芋を作りながら、ふと思ったのが、仏教では無いものをねだるより、自分の持っているものに目を向けなさい、と言われます

田舎はよく何もないと言われますが、この焚火をして、芋を焼いて、青空の下で食べる

この贅沢は田舎でしかできないと思います

美味しすぎて、焼き芋ではなくYAKIIMO☆になってました

自分のできる範囲での楽しみ方を見つける、これって意外と簡単なようで難しいと思います

少なくとも、心の余裕がないとできないと思います

無いものをねだるのではなく、今あるものを、しっかりと認識して感謝できるようにしなさいとの仏教の教えに従って、お仕事の中に遊び心を持ってきた一日でした

布施は世界を救う!元手0からできる幸せの方法

本日姫路の会館でお寺の御婦人方の席に呼んでいただき、1時間の時間の中で法話を行ってまいりました。

ありがたいことに好評をいただき、緊張の中での話でしたが、無事に終われてホッとしております。

題名にもあるように、お布施のことについての話だったのです。

普段私たちお坊さんは、いろいろ多岐にわたる働き方をしているわけなのですが、昔から言われてきたことに「お坊さんの最大の仕事は、他人に布施(利他)の心を起こさせてあげること」があります。

人生で悟りを目指すにあたって、お坊さんも一般の方も等しく行う修行というのが六波羅蜜というものがあるのですが、それの一番最初にくるものが布施行です。

皆さんのイメージで、布施というとお坊さんに渡すお金のこと、というイメージがあると思いますが、布施の意味というのは、他人に何か自分のできる範囲で施しをしてあげることです。

そこには大きなお金をかける必要はないですし、自分の得意なことでやってあげればいいのです。

無論、お金をたくさん持ってる人は、それを使って何かしてあげればいいですし、体力に自信がある人は、それを使えばいい。さらには頭のいい人は、その頭脳を使って何かやってあげればいいですし、人脈の豊富な人はそれを使えばいい。

これこそが、仏教でいう布施です。

仏教では、昔から言われ続けてきたことですが、最近心理学などを見てると、利他の行動の恩恵というものは、私たちが思っている以上にすさまじいものがあるのです。

落ち込んでいる人はもちろんのこと、仕事で忙しく、精神的に疲れてしまっている人さえもメンタルを向上させれるもので、私としては心の病が叫ばれている昨今で、クリティカルに私たちに必要なものだと思っています。

今日のお話では、そのことをいろいろな書籍や論文で掲載されていた情報を利用して、お伝えしました。

話ながら思っていたのは、様々なセンサーやpcが無かった時代に、ここまでのことを悟られたお釈迦様に、改めて畏敬と感謝の念を覚えると同時に、こんなに私たちの、心の動きを解き明かしてくれている科学者、心理学者の人たちに感謝しなければならないと、改めて思いました。

私の話を聞いて、少しでも利他の心を持ってくれる人が増えるように精進してまいります。

本日の話の要点

・お金はあくまで、やりたいことをやるための手段です

・手段が目的になると、いろいろ不都合がありますよ

・幸せを感じるコツは布施(利他行)です

春一番の美しい梅の花はいかが?

本日の陽気で境内の梅の花が一気に満開になったのでアップです。

しかし、こうして上げてみると自分の写真の下手さがよくわかるというもの(笑

先日友人の話を聞いている際に思ったのが、日ごろの生活サイクルでは、こういう小さな自然の変化についつい無頓着になってしまうもの。

日々の仕事に精を出し、辛いことも耐えて頑張っているのは素晴らしいことだと思います。

社会を進めていってくれるのは、そんな人たちだと思っています。

しかし、私たちが進んでいる隣で、自然の生き物たちも着実に歩みを進めているのだな、と実感した日です。

お大師様の言う「自然は曼荼羅なり」というのは、自分たちの周りには命が溢れていて、その全てが、私たちに語り掛けてくれているのだよ、ということだと、私は思っています。

周り全てが自分にとっての師匠であり、ともに生きていく友人だと思います。

秘境 光明寺奥の院での護摩供

本日三月の第二日曜日、光明寺奥の院において毎月の護摩供が執り行われました。

場所は人里離れた山の上であるのに、毎月10人をこえるお参りの方がお見えになるのには毎度のことながら驚きます。

本日は天気も雨の予報。

なんとか午前中のうちは持ってほしいと願っても、願い届かず降り出してしまいました。

これは参列の方も少なくなるのではなかろうか?と思っていましたが、さすがに秘境と言うレベルの寺院にお参りする方々のパワフルさには感嘆いたしました。

皆さん雨も何のそのと歩いてくる姿の力強いこと。

さらに、今日は参列していただいた方の中に手作りのお寿司や、おはぎ、お菓子など、かなりの重さになるであろうお接待を持ってきていただいた剛の者も居りました。

お大師様の御入場された所縁月とのことで作られたそうですが、いやはやその労力を思うと頭が下がります。

持ってきていただいたお接待は、仏様にお供えの後、護摩のお勤めが終わり、参列の方みんなで食べました。

その時には、気になる近況のお話も散らほら。

そして、食べながら住職の法話にも耳を傾けて皆さん聞いておられ、始まる前は雨の心配をしておりましたが、心配事などどこ吹く風か、普段と変わらない良いお勤めになったな、と実感しました。

住職の法話で、人の脳って新しい刺激がないと、どんどんボケやすくなっていくから、お寺にお参りして、誰かのために手を合わして、そして、いただいたお接待に舌鼓を打って、食べて感動して、今度は自分が、また違う人に優しくしてあげましょう。

それこそがボケ防止の秘訣ですよ、と言っていましたが、上手に繋げるものだと感心しておりました。

昨今は様々な基礎研究で、脳の刺激が少ないほどボケるよ!って結果がたくさん言われている中、お寺の役割とは、私たちが思っている以上に大事なものなのかもしれないと認識しなおした時間でありました。