苦難は幸せのスパイスになるか?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

大阪万博ついに開催されましたね

開催前はたくさん批判の声が上がっていましたが、開幕当日の様子を見ていると超満員の人が訪れているのを見て、行ってみたい人はたくさんいるな、という印象でした

かくいう私も前売り券は購入しておりませんが、どこかの平日で人が空いたぐらいの時期に行ってみたいという思いです

苦労したなら、苦労したなりの思い出作りにはいいかなと思っております

万博開催の当日は光明寺奥の院の護摩の日でしたが、とんでもない春の大嵐になりまして人はくるのか?というような状況でしたが、数人の方がお参りに来ていただきまして、皆で一緒にお勤めをしました

今年に入ってからというもの、私の周りで様々な嬉しい報告が相次いでいます

皆さんの苦労しておられた時期から知っている身ですので、当時の状況というのも良く覚えています

子どものこと、伴侶のこと、親御さんのこと、様々な違いはありますが、大変だった時を乗り越えて喜びを手にされた方々は皆うれしそう

辛いことがあっても投げ出さず、辞めずに続けていく方々というのは傍から見ていても美しいな、と感じます

そんな時期を乗り越えたから、周りの人達も思わず応援したくなるのではないでしょうか

先日、高野山にお仕事で赴いておりましたところ、いきなり相談をもちかけられました

詳しい話は割愛しますが、いろいろな不都合が何故か私だけに降りかかってくるんです、どうすればそんな不都合にあわないでしょうか?ということだったのです

不都合を回避する術は私はわかりませんが、ある一つの物語が思い浮かんだので、相談者の方にお話ししました

その話とは周利槃特(シュリハンドク)というインドのお坊さんの話なのです

このお坊さんは頭が悪く、自分の名前も忘れてしまうほどだったのです

でもお釈迦様のお話しを聞くのは大好きだったのですが、聞いてもすぐに忘れてしまうので、修行をしている同期のお坊さんたちから「お前がお釈迦様の話を聞いて修行しても意味がないから、お坊さんを辞めてしまえ」と言われて悲しんでいました

するとそれをみたお釈迦様が箒を渡し、お前の修行は掃除をすることだよと伝えました

周利槃特は言いつけを守り、毎日掃除を続けていました

最初は馬鹿にしていた周りのお坊さんですが、何年も続けていると周利槃特のことを知らない新米のお坊さんも入ってきます

その人たちは、いつも掃除してきれいにしてくれている人だと思って周利槃特に頭を下げてお礼を言っていくようになりました

それを見ていた同期のお坊さんたちも、いつのまにか 周利槃特を認めるようになっていたというお話しです

相談者の方の不都合に会わないよう、というのはわかりませんが、 周利槃特のように何時も小さなことをコツコツ続けていると、いつのまにか不都合な状況の方が変わっていっている、このお話しが私は好きです

一見、不都合や苦難と言える状況でも腐らずやり続けることが、遠回りに見えて一番の近道なのではないか、と考えております

乗り越えた状況はきっと、その後の幸せのスパイスに変わっていると思います

ちなみに、 周利槃特 はその後無事に悟りの境地まで到達することができ、偉大なお坊さんとして名を残しました

そして彼のお墓から生えてきた植物がありました

食べてみると美味しいのですが、癖が強く、食べ過ぎると 周利槃特のように自分の名前も忘れてしまうようになるかもしれないので「名が何か、わからなくなる草」で茗荷(ミョウガ)と名づけられました

いよいよ春の訪れでしょうか?

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

やっと寒い時期が終わり、暖かさを感じる頃合いになってきましたね

趣味で植えている芝生も、よく見れば所々青い芽が見つけられるようになってきました

家族が増えてきたので、少しでも実利のある趣味をと思い、家庭菜園を始めました、、、私ではなく住職が(笑)

これだけ温かくなってくると、ボチボチ春の野菜を植えようかと思案して、今のところは、カラスのエンドウとネギを植えております

去年から始めた菜園ですが、取れる野菜は贔屓目も入るのでなかなかに美味しく、実際にお得か?というよりも「お得感」に胸を打たれて、幸せに食べております

近年では、ほったらかし農法というのもあるので、私はむしろそっちの方が興味が出てしまい去年よりこの3月4月のシーズン、実験もかねてお寺の脇の土地で色々試行錯誤しております

未だなんの成果も得られておりません

やはり奇抜なことをしても意味がないのか?そんな葛藤とともに遊んでおります

今月はお彼岸があり、なかなかブログの方まで手が回りませんでしたが、やっと今高野山にてこの記事を書いております

高野山でお参りのみなさんに法話をさせていただく

回数をずいぶん重ねたので、もう流石に最初の頃のようにガチガチに緊張することはなくなりましたが、不測の事態などは必ずあるので、毎回手に汗握って必死になっております

毎回私がテーマにしているのが「修行」というものですが、春休み期間中ということもあって、いつもよりも年齢層が若い方が多く来山してくれていまして、お話に興味深々の子もいれば、あっちこっちに興味があり、気になって仕方がない子もいます

お話をしている側としても、いろんな子たちの様子が見れるので飽きないなーと思いながら話しております

お話の中で仕事と修行がどう違うか?ということを話しております

実際に行う行動は同じでも、気持ち一つで様変わりするものですよ

例えば、私でしたら法話という形で、ただお話しをするのであれば仕事です

ですが、せっかく高野山に春休みの1日を潰して来てくれた子達に、あるいは大人たちに、ただただ「作業」としてお話をしていては申し訳ないじゃないですか

ですので、聞いてくれている方々が少しでも、日常生活に「修行」を取り入れられて、大きく成長していってほしいと思いながら話しております

これは仏教的には「相手の為に」と考えて行なっているので立派な修行となります

このように考え方一つでガラリと変わってしまうのも仏教の面白いと思っているところです

みなさんの私生活に是非とも修行はいかがでしょう?

勉強一つとっても自分のためにあると思うかもしれませんが、将来的に学んだことで誰かを助けたい、役に立ちたいと思いながら続ければ、立派な修行です

一緒に修行しませんか?

てっぺんが寂しくなると、風通しが良いですね

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

皆さん写真を見て、何か気づかれたでしょうか?

実はこの二月に銀杏の木を剪定しまして、ずいぶんと短くなりました

伐採は丸二日かかりまして、足場の設置と撤去も含めると4日間の大作業でした

写真の足場の上に登って作業しているのは大工さんですが、私と住職は下で必死に落ちてくる枝を運んでは、廃棄するために既定の大きさの1m以下に細断を繰り返しておりました

写真を撮っておこうと思ったのですが、残念ながらアイフォンの電池が無くなってしまい、記録に残すことができませんでした

作業は鉈を振っていたのですが、一日中振るった結果右手の握力が無くなりました

代わりに、鉈で木を切るのが非常に上手くなり、作業始めは切れなかった枝も、握力の亡くなったはずの終わりごろには切り飛ばせるようになり、力を入れれば良いというわけではないという事を痛感しました

嫁からは、漫画の修行シーンみたいと言われていました(笑)

その甲斐あって、大量の枝が回収可能な大きさに小さくなりました

こんな高い場所での作業は、職人さんでないと無理です

私にはできない、、、怖いから登りたくないというのが本音です(笑)

大きなけがもなく、無事作業を終えることができたので、今月も月末の土曜日には夜護摩を行うことができました

前回銀杏の木を剪定したのが約10年前

次もそれなりの規模の剪定は10年後ぐらいになると思います

それまでにこの二人がどこまで大きくなっているか、楽しみです

改めて自分の体感している時間は、自然の中では小さなものなんだと思い知らされた今回の剪定です

銀杏の木からしてみれば、「なにかあったの?」ぐらいに伸びてくるでしょう

願わくは、次の次の剪定ぐらいからは、どちらかが手伝ってくれるような時間を過ごしたいと思います

・・・思い通りにはならないでしょうね(笑)

気温の移り変わりが激しいので、皆さん体調気をつけてお過ごしください

節分の祈願が終わり、皆様のお札が発送されました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

2月3日から始まった光明寺の節分祈願、1週間の間護摩を続けまして、9日に無事フィナーレを迎えました

今年は最強寒波到来の期間にばっちり被っていたため、毎年寒いのですが、今年は特に冷え込んで雪の積もる中行った日もありました

そんな中でも毎日お参りに来てくださる方もいて、本当に頭が下がりました

9日の結願は、朝7時から寒い中にもかかわらず30人ほどのお参りの方々と一緒に、申し込んでいただいたお札を祈願し終え、順次手渡しか発送させていただいております

今年は我が家も更に一人増えて迎えた節分でしたので、もう家の中はテンヤワンヤで気が付いたら時期が来て過ぎ去っていったという感じです

なので今年は本当にいろんな人の助力に頼りっぱなしでした

そんな中でも、光明寺の節分が例年と変わらず、無事に終わってくれたのを見ると、私個人の力なんて本当に大したことはないもんだと思わされました

長男の時も思いましたが、私たち個人ができることなんて、たかが知れているというのを知ることができるのも子育ての役得でしょうか?(笑)

大きな時間や時代の流れの中で、個人でできることなど大したものはなく、あるとすれば、流れているのを少し手伝ってあげることぐらいでしょうか?

困っている人がいたら、少しだけ手を伸ばせる準備はしておきたいと、思いながら1週間護摩をしておりました

・・・私は今年真っ黒の厄年ですから、私が困るかもしれないのですが(笑)

お腹がすいたとぐずる息子

ただいま我が家は王様が二人いますので、戦争状態です(笑)

久しぶりに書き残しておこうと思った住職の話

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

ちょっと今日は珍しいタイトルをつけてみました

今月の21日は光明寺は初大師です

護摩のお勤めにはたくさんの方がお参りにこられまして、危うく本堂に入り切ることができるだろうか?と心配しなければいけないほどでした

1月の光明寺の21日はいつもの護摩のお勤めを本堂で行った後に、位牌堂に移動しまして参列の方と一緒に檀家さんの位牌に、皆でお勤めをおこないます

その時に普段より少し長い時間を頂きまして、法話という形でお話しさせてもらっています

今回は住職の回ということで、何を話すのかと思っていましたら、思わずこれはブログに書いておこうという内容でしたので、ここに記しておきます

「皆さんの前世はなんでしょうか?」

こんな問いかけと共に始まったのは、何故法事や供養を行うのか?という話でした

私たちは死んだら生まれ変わって違う生を歩む

これが仏教の基本の考えですが、生まれ変わるのは人だけではありません

「六道輪廻」という言葉は有名なのでいろんなところで目にされるかたも多いでしょう

漫画なんかではおなじみのネタとして使われたりしています

一番下から「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界」と6つの世界を生前の行いによって上がったり下がったりしています

その中で前の3つ「地獄、餓鬼、畜生」が三悪趣(さんあくしゅ)といいまして、要は自分ではどうやっても上に上がっていくことのできない状態と言われています

誰しも「つい出来心で」なにか小さな悪いことをしてしまう瞬間というのはあるかと思います

そんな小さな罪が重なっていくと、下の世界に落とされていたかもしれません

もし落ちたとき、どうやって今人間として生きている状態にまで私の魂を救ってくれたのはだれか?と考えたとき、仏教では自分たちのご先祖様が、死んだ自分の魂のことを思って手を合わせてくれたから、三悪趣という自分ではどうしようもない世界から引き揚げてくれたと考えています

余計わかりにくいかもしれませんが描いてみました(笑)

実際にはもっと長い時間が過ぎているのですが、だいたいで見てください

こんな感じで下の世界に落ちてしまった魂を救って人間に戻してくれたのが先祖さんという認識です

これを私たちは供養といってまして、自分も助けてもらったので、もし落ちているご先祖さんたちがいたら助けてあげましょう、その方法というのはみんなで手を合わせて供養してあげることですよ

という話でした

まだ科学的には、そんなの本当なの?という分野でしょうが、私はお坊さんの経験から地獄などの世界はあると考えていますし、実際にあるからここまで長い年代語り継がれていると考えています

そのうち観測できるようになったら本当に六道はあった!とか言われたり、本当は五道だった!とか言われたら面白いなと思いながら。日々を過ごしています

その辺の動物や他人、関係ないと思われるかもしれませんが、もしかしたら皆さんのご先祖様の魂を持った生まれ変わりかもしれない、と考えると無下にもできないと思いませんか?

難しいことは何も必要でなく、自分のご先祖や、他の魂たちの安寧を祈って手を合わせてあげる、これだけで救われる者たちがたくさんいることを忘れないであげてください

眠すぎて顔が崩壊しています(笑)が、我が子も誰かの生まれ変わりかも

あけましておめでとうございます

更新が遅くなりましたが、皆様あけましておめでとうございます

光明寺は今年も無事に新年を迎えることができました

なかなか写真を撮ることができず、わずかな報告写真だけですがご容赦ください

去年の除夜の鐘にはたくさんのお参りの方が来ていただき、なんと総勢60人を超える人だかりになりました

遠いところでは、姫路からも来てくれていて、みんなワイワイと賑わって楽しい雰囲気

地域の同窓会のような、迎える側としては嬉しいことです

去年の暮れより暖かい日が続きまして、正月の3が日は暑いぐらいの陽気でした

例年どおり、地区内の檀家さんの家を一軒づつ回って挨拶を行いました

東周りは二日、西回りは三日に行っております

挨拶に赴いた家々で暖かく迎えていただいて、ありがたい思いでした

年末に大掃除を行い、諸を奇麗にしたあとで、初詣やあいさつ回り

この流れは皆さんも御なじみだと思います

これは日本の国ならではの文化ですが、私は日本人が上手く仏教と神道の教えを生活に取り入れた結果と思っています

年末の大掃除をするのも自分自身への修行です

掃除の功徳というのは、何度もこのブログで取り上げていますが、自分の心が奇麗になるのと、他人の心を奇麗にする、それが良いことを呼び寄せる

そういう趣旨の修行ですが、新年の初詣もその続きと考えています

お坊さんになりたての時に、師匠からよく言われました

「手を合わせることは心の掃除と同じ」

それを言われて、当時はしっくりきませんでしたが、長年お坊さんを続けていると「なるほど」と思うようになりました

私たちは新しい玩具や機械を手にすると嬉しいですが、普段自分が触らないものほど少しぶつけたり、汚したりしたら「どうしよう」と焦ってしまうものです

ですが、使い慣れた道具や、よく知っているものは、ぶつけたり、汚したりしても「また奇麗にしたらいいや」と思えて、自信と余裕があります

私たちの心もこれと同じと思っています

普段から手を合わせて、お祈りをしていく

一見無駄なことをしているように見えますが、心の掃除をしているのです

繰り返し行っていくと、だんだん自信もついて、自分の心がよく知ったものになってきます

そうなると、少し不愉快な思いがあって心が汚れたとしても、少しも焦りません

奇麗にするやり方を知っているわけですから

是非皆さんも、初詣や普段のお参りは「心の掃除」と思ってお過ごしください

皆さんにとって良い修行になりますように

今年も徐々に終わりが近づいてきました

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

12月の第二日曜日、8日に光明寺奥の院で柴燈護摩が開催されて、多くの人がお参りに来てくださいました

早いもので柴燈護摩を行うようになってから、4回目を数えるのですが、今年はなんと観光会社もバスを出されて、まさかまさかの大人数となりました

当日は週明けまで暖かかった様子が一転、震えるほどの寒さとなりましたが、雨が降ることはなく、なんとか土地神さまの加護を頂いたのでしょうか

無事に終えることができました

この柴燈護摩を始めた年は、そこまで大きな賑わいもありませんでしたが、ありがたいことに年々参加してくれる方も、皆さんが用意してくれるお接待も増えており、皆さんに受け入れていただいているように感じております

元々は土地の神様に喜んでもらおうと住職と二人で始めたものですが、難しい問題が起こるたび助けてくれる方々が増えてきて、ここまでの規模になったのも、いろいろなものが結んでくれたご縁あってと感じる今日この頃です

やはり何事も一人ではできないことだったので、皆さんに助けていただいてこそだと思います

反対に余裕があるときは、困っている人を助けてあげたいと思うのも、普段から助けてもらっているものを、すこしでも返せたらいいなという思いがあるので、ついつい力が入ってしまうことがあったりもします

そういうことも含めて結ばれていくのが「いいご縁」なんだと思っています

そういえば先日、遂に動画が出来上がりました

皆様に喜捨として、蝋燭のご協力をいただきました万灯会

10月31日に全国で行われたお勤めの様子を纏めた動画になります

本来ならば、もう少し早く上がってくる予定でしたが、少し納期が遅れたので12月頭のアップとなりました

楽しみにしてくれていた方々にはお待たせする結果となってしまって申し訳ありませんでした

自分がかかわったことが、こんな風に動画に上がるとまた少しジーンと来るものがあり嬉しく思います

この企画もさまざまな人の助けと共に、無事に実りました

手助けしてもらえたすべての方々にありがとうの言葉を伝えたいです

願わくば、この企画の趣旨どおり、再びコロナ前の活気と交流が戻ってくれて、今もさまざまな災害等で苦しい思いをされている方々に、希望の光と良いご縁がありますように願っています

今年は紅葉が今一つ

皆さんこんにちは、副住職の隆照です

今年は色々と世間が賑やかになっていると感じているお坊さんです

皆様色々思うところはあるでしょうが、このブログでは一切ふれません

代わりに今日書こうと思ったのは、本当にありがたいと思った話

理屈と感覚は違うな~と感じました

じつは先日、長男が手術を行いまして無事に帰ってきました

と言っても、そんなに重篤な手術ではなく、脱腸の治療で一泊二日で帰ってきました

初の全身麻酔での手術だったので、事前にお医者さんには、もちろん万が一という可能性はなくなりませんが、ほぼ大丈夫ですよ、と助言をいただいておりましたが、実際には心配と安心のハザマで動いておりました

いざ手術が終わって迎えに行くと、麻酔が覚めるのに興奮状態になっていて、泣くわ暴れるわで「お父さん、ベットに入って抱きかかえてください」と言われ、そのまま1時間ほど息子の相手をして格闘しておりました

まだまだ小さな子供とおもっていたのですが、予想以上に力が強くなっており、あちこち引っ掻かれ、ぶつけられました

こんなに力が強くなっていたのか、と場違いながら、息子の成長が嬉しいような、もっと穏やかにしていてほしかったような(笑)

疲れ切って、再び眠ってしまった息子の顔をみて、やっと落ち着くと同時にちょっと後悔が浮かんできます

主治医の先生に、術後お礼を言いたかったのですが、息子の暴走でドタバタだったので、碌に言葉を交わすこともできなかったのです

結局、主治医の先生には退院して1週間後の検診まで、言葉を伝えることができませんでした

会えた時に「ありがとうございました、おかげで元気に過ごしています」と伝えると「手術自体は簡単ですから、お気になさらず」と返していただきましたが、理屈で簡単なのはわかってはいましたが、実際体験してみると思うことは一つで、無事に完遂してくれて、本当にありがたいと思いました

やってくれている本人は慣れたこと、簡単なことでも、受けている側というのは全く違う受け取り方になるんだなと、改めて感じさせられました

今は簡単な手術でも、それは昔からたくさんの人がいろいろ試行錯誤して残してくれた結果なんだと、肌身で感じました

やはり、理屈と感覚違います

できれば息子たちにも、理屈は理解していても、人の感覚が感じ取れる優しい子になってくれたらというのが、、、、高望みでしょうかね(笑)

話は変わりまして、光明寺のことです

今月も無事に21日の護摩のお勤めを終えることができました

そして、早くも12月の頭が迫ってきました

光明寺の柴燈護摩が迫っております

今年は12月8日の11時から行う予定であり、そのために日々準備を進めております

住職が道の整備に、広場の掃除と大忙しです

私はというと二人目の子供の関係で、なかなか思うように時間が取れず、現状は住職に任せっきりになっていますが、ここからの仕上げはなんとか手伝って、本番に臨みたいと思っております

また次の更新は柴燈護摩の報告になるかな、と思っています

二人目の子どもは無事に生後1か月を迎えまして、元気なのですが、寝ない子です

可愛いのですが、、、寝ない子です(笑)

そのうち寝てくれると期待して、子育てがんばります

皆様お久しぶりです

随分と長い間更新をさぼっておりまして、申し訳ありません

実はこの間に子供が二人に増えました

10月23日に無事産まれてきてくれて、我が家は賑やかな6人家族となりました

この半年間は妻の悪阻もあり、なかなかブログまで手が伸びない状況でしたが、出産が終わって気持ち的にも、なんとか物書きが手に着く状況となりました

光明寺の状況はといいますと、この春よりコロナで中止しておりました団体参拝を復活させました

長らく時間が空いたので、せっかくですから四国のお遍路参りに行こうと公募を募ったところ、たくさんの方に申し込みをいただきまして、1回より2回、2回より3回目の方が人数が増えていっているという状況です

今は徳島県をお参りし終えまして、次からはいよいよ高知県に入って行こうかというところです

この団体参拝を始めるにあたり、私もマイクロバスを運転可能なように免許を取り直しまして、運転手は私という形で行っております

基本日帰りで行っているのですが、今度から高知県に入るということで、どこまで日帰りでいけるか?と頭を悩ましながら計画を立てております

前回光明寺で行ったのが平成17年のときですが、その時とはやはり顔ぶれが一新しておりまして、世代交代とはこういうことなんだな、と感じながら行っています

バスの道中で住職が「回向」についてのお話しをしましたが、読み方は「えこう」です

回向とは思いを届けて巡らせるという意味で、私たち僧侶からすると馴染みの深い言葉になっています

お仏壇に向って手を合わせるのも回向といいます

これは亡くなった方への思いを届けて、それだけで終わらせず、生きている私たち皆に良いご縁として巡っていきますようにとお勤めをしています

二人に増えた子供ですが、まだ生後1週間の弟が泣いていると、お兄ちゃんがだれに教えられているわけでもなく、頭をなでて、自分の宝物のどんぐりを分け与えています

まるで「これあげるから泣き止めよ」と言っているように

こんな姿こそ「回向」だなと感じさせられました

お兄ちゃんの優しさを受けて大きく育って、今度は弟が他の人に優しい思いを向けてあげてくれれば、思いは繋がっていくと感じました

子育てはこちらが教えらが教えられることが、ホントに多いです

これからも更新と子育て、そしてお寺のことと頑張っていきます

また閲覧していただけると嬉しく思います

お久しぶりです

題名のとおり久しぶりの投稿でございます

おサボりの期間がありまして、なかなか更新できず申し訳ありません

4月4日に光明寺では土砂加持法要という一大行事が行われて、たくさんのかたにお参りいただきました

今年は、2年ぶりとなります神戸の田中僧正に法話の依頼をしたところ、快く引き受けていただき、再びの登場となりました

前回のお話、東日本大震災のご経験をもとにされた、個々人の役割というお話が非常に好評でしたので、光明寺の檀家さんも多数の方が「また会いたい」と言って心待ちにしておりました

今回もつかみはバッチリの田中僧正のお話は、皆んなの反応もよく、最初は笑いに溢れて、そこからだんだんと深いお話に入っていき、最後には亡くなったおばあちゃんの話をされたところでは、みんなが感動のあまり涙を流しながら聞くという状態でした

私もお話を人前で行う身なので、田中僧正の観客を引き込む力を目の当たりにして、いつかはこうなってみたい、と思う最高の時間だったように思います

話は変わりますが、三月に能登半島に行ってきまして、現地のお寺へボランティアに入りました

作業内容は主にゴミの運びだしと掃除でしたが、人数がいれば簡単な作業ですが、その人数が揃わないために作業ができていないという状況でしたので、少しでもお力に慣れたら嬉しいと思いながら作業に当たりました

ニュースを見でみていた通りの惨状を目の当たりにして、被災した人たちの少しでも早い復興を祈らずにはおれない気持ちと、自分の住んでいる場所でなくてよかったという気持ち、両方が出てきて複雑な思いです

無事であればこそ出来ることがたくさんある、そう自分に言い聞かせながらの作業は身が入りました

今後、私のお寺の周辺でも、募金活動や再びのボランティアを行う機会があるはずです

可能な限り精力的に参加して、手助けができればと思います

現地に赴いて、普通に道路が通れて、水が飲めること、またトイレなどの生活施設が当たり前にある現状が、奇跡のようにありがたいものだと改めて実感しました

普段の生活を送れるように頑張ってくれている方々にも、改めて感謝して日常生活を送りたいと思います

二歳になる息子は、イタズラを覚えだしたようで、写真はおじいちゃんの老眼鏡をこっそりかけていました

今月から私が行なっている夜の護摩を土曜日に移します

基本は月末の土曜日に6時から行う予定ですので、お参りしたい方は是非ご参加ください

今月は4月27日です