
皆さまこんにちは。副住職の隆照です。
今年の春は暖かくなるのが少し遅く、なかなか冬物を片付けるタイミングが難しい日が続いておりました。ですが、このブログを書いている4月10日前後になりますと、まるで初夏のような暖かい日も増え、ようやく冬物ともおさらばできそうです。
さて、去る4月4日、光明寺におきまして土砂加持法会を厳修いたしました。
当日はあいにくの雨と強風という荒れた天候で、「果たしてどれだけの方にお参りいただけるだろうか」と心配しておりましたが、蓋を開けてみれば昨年とほぼ変わらない多くの方にお参りいただき、無事に法会を終えることができました。心より御礼申し上げます。

例年通り、神戸・西室院より本山布教師の田中宣照僧正にお越しいただき、「真心に生きる」というテーマでご法話をいただきました。
非常に引き込まれるお話で、私自身も大いに学ばせていただき、また改めて考えさせられる時間となりました。
お話の中で特に印象に残ったのは、「真心とは何か」という問いでした。
真心というと、相手に伝わってこそ意味があるようにも思いがちですが、僧正はこう仰られました。
「相手に伝わらなくても、真心は出し続けなければならない」
伝わらないからやめてしまうのは、それはどこかに見返りを求める“下心”があるからであり、本当の真心とは、相手に伝わるかどうかに関わらず、ただ相手を思って出し続けるものである――。
その言葉は、聞いていて胸に深く響くものがありました。
ご法話の中では、葬儀の場面で、送り出す側の姉妹が棺の中にお弁当を入れるというお話が紹介されました。
子どもの頃には気づかなかった祖母の真心が、自分が親になって初めて分かる。その時まで、祖母はずっと変わらず真心を注ぎ続けていた――。
会場では、涙を浮かべておられる方もいれば、思わず笑いがこぼれる場面もあり、皆さまそれぞれの思いでお話を受け止めておられたように感じます。
また法話の後には、僧正より「光明寺の皆さまは大変聞く姿勢がよく、とても話しやすい場でした」とのお言葉もいただきました。
これもひとえに、日頃よりお参りくださる皆さまのおかげであると感じております。
真心というのは、簡単なようでいて、実はとても難しいものです。
だからこそ、このように改めて考えるご縁をいただけたことは、大変ありがたいことだと感じております。
これからも日々の中で、少しずつでも真心を大切にしながら過ごしていきたいものです。

